連載コラム『映画という星空を知るひとよ』第53回
堤幸彦監督が手掛け、北川景子、窪塚洋介、中村倫也、芳根京子と実力派キャストを取り揃えた映画『ファーストラヴ』。
心ときめくようなタイトルとは裏腹に、女性心理を鋭く追究した問題を多く含んだ本作。父親を殺害した容疑で女子大生・聖山環菜が逮捕され、事件を取材する公認心理師の真壁由紀と弁護士の庵野迦葉が、彼女の本当の動機を探ろうとしたことで物語が始まります。
二転三転する環菜の供述の裏には幼少期に受けた心の傷がありました。真相を追及する由紀の過去に封じ込めたはずの記憶までも、浮かびあがってきて由紀を苦しめます。
作中にて注目されるのは、‟気持ち悪い”という表現が常にまとわりつく心の傷と、それをもたらした記憶です。事件の深層にあるというべきトラウマとその意味について、本記事では探ってみました。
‟気持ち悪い”ポイントを徹底解説
環菜の父が主催するデッサン会
聖山環菜の父・聖山那雄人(板尾創路)は画家で、環菜は小学生の時に父親が開くデッサン会で絵のモデルをしていたといいます。
しかしこのデッサン会が曲者でした。モデルは3人。白い透けるようなワンピースを着てポーズをとる環菜。その両側に環菜を挟むようにして、2人の全裸の成人男性が立つという設定です。
おまけに参加するのは男性のみで、会場の監査役は父親です。
長時間同じポーズで、食い入るように見つめる見ず知らずの男たちの視線にさらされる環菜。
芸術だからとか、勉強だからとか、理由はいくらでも付けられます。
しかし母親も入室を許されない密室のデッサン会は異様な雰囲気を持ち、男たちの視線の先に立たされる小学生の少女には、矢でも突き刺さるような感触を受けたのに違いありません。
見つめられるという視線の痛さを身を以て知った環菜には、父親の開くデッサン会はとても気持ちの悪い所だったのです。
ニワトリに襲われた傷
デッサン会のモデルをするのが嫌でたまらない環菜は、ある日手首に怪我をします。それを見た父親は「怪我をしたらモデルはできないから、休んでいい」と言いました。
どうすればモデルをやらなくてよいのかがわかった環菜の手首の傷は、日増しに増えていきます。
ある時、いくつもの自傷跡のついた環菜の手首を見た母・聖山昭菜(木村佳乃)が「何、それ。気持ち悪い」と言いました。
「どうしたの?」とか「何かあったの?」という心配してくれる言葉どころか、自分を拒絶されるようなことを言われ、環菜は咄嗟に「学校のニワトリに襲われた」と嘘をつきます。
母親はそれ以降、ずっと娘の自傷跡を「ニワトリに襲われた傷」と思い込み、それがどんどん増えていくことすら、見ないふりをしていたようです。
母親に自分の気持ちを聞いてもらいたかった環菜は、それ以来、母親に傷を見せることはありませんでした。
モデルをしたくないという気持を自傷という行為で示した環菜からのSOSは、「気持ち悪い」という母親の一言で遮断されてしまったのです。
父の秘密とそれを容認する母
事件の調査を進めるうちに、聖山環菜の家族の異常性に気がついた真壁由紀は、いつしか自身の心の傷に向き合うことなりました。
由紀の父親は海外出張に行くたびに、少女買春をしていたのです。小学生の頃に車の中でその少女たちの写真をみつけた由紀。
見てはいけないものを見てしまったという気持から記憶の奥に追いやってしまいますが、それ以来何となく自分の父親が友人たちのお父さんとは違っているのを感じます。
友人たちを見る時や入浴中の自分をドア越しに見る時の“男の本能”がぎらつく父親の視線は、由紀にとって怖くて気持ちの悪いモノでした。
父親の恥ずべき行為をはっきりと由紀が知ったのは、成人式を迎えた時でした。車の中で思い出話をするように、母・早苗(高岡早紀)から聞かされたのです。
「もう過ぎたことだから」「お母さんとお父さんの間では、終わっていることなの」。
ショックを受ける由紀に、父親を容認するかのような母親の言葉が追い打ちをかけました。
両親の間では終わったことでも、その行為を許せない気持ちと少女の頃に感じた父親への恐怖は、由紀の心に深い傷となって残りました。
映画『ファーストラヴ』の作品情報
【公開】
2021年(日本映画)
【原作】
島本理生:『ファーストラヴ』(文藝春秋)
【監督】
堤幸彦
【脚本】
浅野妙子
【キャスト】
北川景子、中村倫也、芳根京子、窪塚洋介、板尾創路、石田法嗣、清原翔、高岡早紀、木村佳乃
映画『ファーストラヴ』のあらすじ
ある大学のトイレで、一人の男性が胸を刺され倒れているのが発見されます。
その頃、血まみれのナイフを持ち川端の道を歩く一人の女性がいました。アナウンサー志望の女子大生、聖山環菜(芳根京子)です。
彼女は、トイレで倒れていた父であり画家の聖山那雄人(板尾創路)を殺した容疑で逮捕され、大きくメディアで報じられました。
その頃、公認心理師の真壁由紀(北川景子)の元にある本の執筆依頼が入りました。
それは、聖山環菜が画家の父を刺殺した事件について、被疑者である聖山環菜を取材し1冊の本にまとめて欲しいというものでした。
彼女について取材の依頼を受けた由紀は、彼女への接見を決意。
環菜の弁護士は、国選弁護人として選任されたのは、由紀の夫・我聞(窪塚洋介)の弟である弁護士・庵野迦葉(中村倫也)でした。
迦葉と由紀は大学の同級生で、過去に因縁を持つ間柄。彼女は戸惑いながらも迦葉に接見希望を申し出て、ついに環菜と対面します。
「あの子はくせ者だよ。心が読めない」という迦葉の言葉に身構えながら、由紀は最初は公認心理師の立場として冷静に環菜を観察します。
環菜は「動機は自分でもわからないから見つけてほしいぐらいだと言った」と言いました。そして「私、嘘つきなんです」とも言います。
迦葉の言葉通りに環菜は感情の起伏が激しく、本心を全くみせない女性でした。
由紀と迦葉、それぞれが環菜との接見や手紙のやり取りを進めていき、2人が環菜から聞いた話の内容を突き合せますが、つじつまの合わない部分があることに気づきます。
「環菜は本当のことを話していない」と由紀は考えました。それを踏まえて、由紀と迦葉は環菜や彼女の父親の那雄人の知人らから家庭環境について話を聞くようにしました。
環菜は小学生の頃から、画家である父親の絵のモデルをしていました。環菜は美しい少女でしたので言い寄る生徒もいたそうです。
接見で環菜の自嘲気味な男性関係を聞き、由紀は思わず「あなた、本当に好きになった人とつきあったことはある?」と尋ねました。
由紀の言葉に環菜は「ゆうじくん……。」とつぶやき、涙を流して取り乱しました。
その様子を呆然と見るしかない由紀でしたが、環菜が本当に好きだったと思われる「ゆうじくん」が環菜の心の傷を解く鍵だと気付きます。
しかしその後、環菜の周囲を調べていくうちに、由紀自身の忘れようとして閉じ込めたはずの過去と対面することになりました。
その思い出したくもない記憶は、庵野迦葉との出会いと別れにも繋がり、未だに夫・我聞に秘密にしていることがさらに由紀を責めます。
まとめ
映画『ファーストラヴ』は繊細な女性心理を描いた心理的サスペンス映画です。
「女子大生の父親殺害事件はなぜ起こったのか?」そんな疑問から始まって、環菜と由紀が感じた‟気持ち悪さ”を追究してみました。
事件そのものはあっけないほど単純な結末を迎えます。ですが、謎が解明されるまでの間で明らかになる家庭の秘密が、社会にはびこる根深い問題を投げかけてきます。
家庭内の何気ない無神経な行動や言葉が、幼い子供たちの心を傷付けているかもしれないということも認識できました。
このように、切実な親子間のトラブルが描かれてる作品ですが、ラストの環菜と由紀の様子に女性の強さも垣間見えます。そして、何もかも包み込んでくれる優しさを持った真壁我聞という存在に、こんな男性もいるんだと救われることでしょう。