連載コラム「銀幕の月光遊戯」第57回
香港映画『淪落の人』が全国順次公開中!
不運に見舞われ失意の中にいる2人が出会い、互いの人生でかけがえのない存在となっていく姿を、新鋭・オリヴァー・チャンが温かい眼差しで描く感動のヒューマンドラマです。
人間にとって本当の幸せとはなんなのか? 香港の四季とともに描かれる人生の四季の物語に涙腺を刺激されずにはいられません。
CONTENTS
映画『淪落の人』の作品情報
【日本公開】
2020年公開(香港映画 2018年)
【原題】
淪落人(英語タイトル:Still Human)
【監督】
オリヴァー・チャン
【脚本】
オリヴァー・チャン
【キャスト】
アンソニー・ウォン、クリセル・コンサンジ、サム・リー、セシリア・イップ、ヒミー・ウォン
【作品概要】
オリヴァー・チャンのデビュー作。『メイド・イン・ホンコン』などの作品で知られる映画監督フルーツ・チャンがプロデューサーを務めます。
香港を代表する俳優のひとり、アンソニー・ウォンがノーギャラで主演を務め、香港電影金像奨をはじめとする数々の主演男優賞を受賞した『淪落の人』。
この作品は、第38回香港電影金像奨で最優秀主演男優賞のほかに、最優秀新人監督賞、最優秀新人賞(クリセル・コンサンジ)を受賞。
第14回大阪アジアン映画祭で観客賞を、第21回ウディネ・ファーイースト映画祭ではゴールデン・マルベリー賞とブラック・ドラゴン賞も受賞しています。
サム・リー、セシリア・イップといった実力派俳優の円熟した演技もみどころのひとつです。
映画『淪落の人』のあらすじ
不慮の事故で半身不随となり、車椅子生活を余儀なくされた中年男リョン・チョンウィン。
離婚した妻は再婚して北京に住み、一人息子はアメリカの大学で医学を学んでいます。妹のジンインとは関係がうまくいっているとはいえず、人生に希望を抱けないまま、ただただ時をやり過ごす日々。
唯一の友達であるファイは元同僚です。ひとり大陸から香港にやってきて右も左もわからなかった時にチョンウィンが親切にしてくれたことを今でも恩義に感じているファイは、定期的に訪ねて来てはいろいろと身の回りの世話してくれます。
海外の大学に通う一人息子が時たまテレビメールをしてきてくれるのがチョンウィンの唯一の楽しみでした。
チョンウィンを世話していた住み込み家政婦が急にやめてフィリピンに帰ってしまったため、彼は新たな家政婦を迎えることになりました。
フィリピンからやってきたエヴリンという女性は元看護師だそうですが、広東語が話せません。
世話人に文句の電話を入れると、介護までやってくれる人はなかなか見つからないのだと言われ、渋々彼女を受けいれたものの、掃除が苦手な彼女にチョンウィンはついイラついてしまいます。
チョンウィンの片言の英語と、スマホの翻訳機能で2人はなんとか意思疎通をはかっていました。
始めこそぎくしゃくしていた2人ですが、エヴリンから「広東語を教えてほしい」と言われ、チョンウィンも次第に心穏やかになっていきます。
ある日、人に迷惑をかけているだけの自分が情けないとチョンウィンが泣き出すと、エヴリンは、「人生は説明できないことばかり。不運でした。でもあなたは悪くない。車椅子にすわるしかないけれど、心持ちは自分で選べる」と一生懸命に励ますのでした。
チョンウィンは、エヴリンが写真家の道を閉ざされたものの、今でも心の中で夢を追っているのを知り、彼女の夢を叶える手助けをしてあげたいと考えるようになります。
彼は彼女に一眼レフのカメラをプレゼントするのですが……。
映画『淪落の人』の感想と評価
香港を代表する俳優と新人の競演
他者への敬意と思いやりを持つことが、どれほど人生を輝かせ、人の心にどれだけの歓びを誘うのかということをしみじみと味わせてくれる珠玉の作品です。
『淪落の人』は2017年の第三回“劇映画初作品プロジェクト”の入選作品で、オリヴァー・チャンが脚本・監督を務めました。
人生にとって大切な“希望”というものをテーマに”香港の今“を見据えながら、ユーモアを交えて描ききる手腕は、これが長編デビュー作とは思えないほど堂々たるものです。
工事現場で事故に遭い、全身麻痺状態になってしまった初老の男性リョン・チョンウィンを演じるのは、アンソニー・ウォン。
猟奇殺人鬼からやくざのボス、警察署長まで幅広い役柄を演じてきた香港を代表する映画俳優のひとりです。そんな彼がノーギャラで出演をOKし、今までにない役柄に挑戦。安定感と温かみのある愛すべきキャラクターを生み出しました。
一方、フィリピンから来た家政婦・エヴリンを演じたのは、クリセル・コンサンジです。
舞台経験はあったものの映画は初出演という彼女、アンソニー・ウォンという大物にも全く気後れしなかったといいますが、実は香港の芸能界についてあまり詳しくなかったということが幸いしたようです。
最初は決していい出会いとはいえなかったチョンウィンとエヴリンが次第に寄り添い、気持ちを通わせていく様をアンソニー・ウォンとクリセル・コンサンジが絶妙のハーモニーを響かせて演じています。
フィリピンの出稼ぎ家政婦に焦点をあてる
フィリピン人の出稼ぎ家政婦といえば、シシンガポール人の一家とフィリピン人の家政婦との心の交流を描いたシンガポール映画『イロイロ ぬくもりの記憶』(2013/アンソニー・チェン)が思い出されます。
香港でも、こうしたフィリピンを中心とする出稼ぎ家政婦は社会にとって必要不可欠な存在となっています。アンソニー・ウォンが本作にノーギャラで出演を決めたのは、出稼ぎ家政婦に焦点をあて、物語の主役にすることに意義を感じたことが理由の一つだといいます。
彼女たちは雇い主にクビにされてしまうと、フィリピンに帰るしかなく、雇い主に命運を握られているという非常に立場の弱い人々で、露骨な差別を受ける場面も映画には描かれています。
しかし『淪落の人』は、彼女たちをただ悲劇の人々として捉えるのではなく、彼女たちの生きがいや、個々の考え方といった部分にも焦点をあてて描いています。
日曜日になると街の公園や広場で、フィリピン人家政婦たちが仲間と休暇を楽しむ姿は香港では日常の風景となっており、『淪落の人』でもエヴリンには4人の仲間ができます。
フィリピン人出演者4人のうち3人は素人を起用したそうです。4人とも同じくらい台詞も多いのに不自然な感じがしないのは監督の演技指導の賜物でしょう。
彼女たちがエヴリンのお祝いに豪華な衣装を着て街に繰り出すエピソードの顛末は、ユニークかつ心に染み入るものとなっています。
真の「幸福」とは?
アンソニー・ウォン扮するチョンウィンは不幸な事故で半身不随となり、多くのことを諦めざるを得なくなりました。
そんな彼の事情は、さりげなく過去のシーンがインサートされることで観客に伝えられます。
一方、エヴリンは過去のシーンは出てこず、彼女がフィリピンからかかって来る電話に応えている様子などから推測できるように描かれています。
彼女の場合、暴力を振るわれるという最悪の事情は勿論のこと、家父長制度の中で損なわれる女性の人権問題を浮かび上がらせます。母親ですら彼女を労働力としか考えていません。
そんな問題を抱えた2人ですが、オリヴァー・チャン監督は2人の出会いが起こした幸福の形を説得力ある形で提示します。
人の気持ちを思いやれること、大切な人に幸せになってほしいと願うことこそが、人間にとって最高に幸福なことだと映画は伝えてくれるのです。終盤の2人のやり取りは涙なくして観ることはできないでしょう。
チョンウィンの住む巨大団地は見ようによっては監獄のようですが、その色合いは優しく、見上げると団地と団地に囲まれた四角い隙間からは美しい青空が見えています。
同じ風景も心の持ち方で随分違って見えてくるものです。映画は明るくポジティブにその姿を映し出しています。
まとめ
『淪落の人』が2017年、第三回“劇映画初作品プロジェクト”から生まれたことは前述しましたが、このプロジェクトからは過去にも『誰がための日々』(2016/ウォン・ジョン)、『G殺』(2018/リー・チョクバン)など優れたインディーズ作品が生まれています。
また、2020年3月に開催された第15回大阪アジアン映画祭にて公開された『私のプリンス・エドワード』(2019/ノリス・ウォン)、『散った後』(2020/チャン・チッマン)も同プロジェクトから生まれた作品でした。
アンソニー・ウォンは2014年の民主化活動「雨傘運動」への支持を表明したことで、中国資本がなければ成立しなくなっている香港映画界から事実上追放されてしまいました。
かつて栄華を誇った香港映画は死に絶え、今、もっとも香港映画らしい香港映画は『淪落の人』のような若手作品にあるとアンソニー・ウォンは発言しています。
そのような事情の中、本作が第38回香港電影金像奨でアンソニー・ウォンが最優秀主演男優賞を受賞したのを始め、最優秀新人監督賞、最優秀新人賞(クリセル・コンサンジ)と3部門の受賞を果たしたことは大変意味のあることでしょう。
香港社会の現実を見据え、香港に住む人々の生活や心情を、これまでの香港映画的なエンターティンメントの世界とは一味もふた味も違う作風で表現する若き作り手たち。そんな新しい香港映画の動きから目が話せません。
映画『淪落の人』関西での劇場上映情報
【2020年4月3日(金)〜】
シネ・リーブル梅田
▶︎シネ・リーブル梅田公式HP
【2020年4月11日(土)〜】
京都シネマ
▶︎京都シネマ公式HP
【近日上映】
元町映画館(神戸)
▶︎元町映画館公式HP
(そのほかの地域の劇場情報は『淪落の人』公式HPをご確認ください)
香港映画『淪落の人』は全国順次公開中