連載コラム「銀幕の月光遊戯」第23回
映画『エマの瞳』が2019年3月23日(土)より新宿武蔵野館、横浜シネマ・ジャック&ベティほかにて全国順次公開されます。
『エマの瞳』はイタリアの名匠シルヴィオ・ソルディーニ監督の最新作。
2017年に第74回ヴェネチア国際映画祭で世界初上映され、日本でも「イタリア映画祭2018」で、大好評を博しました。
満を持してのロードショーとなります。
視覚障碍者の女性と、人間関係に深入りしない男性。ふたりの出会いと恋の行方を描いた大人のラブストーリーです。
CONTENTS
映画『エマの瞳』のあらすじ
イタリア、ローマ。
広告業界で働くテオは、グレタという恋人がいるにもかかわらず、人妻とも関係を持っていました。
グレタからは一緒に住もうと誘われていましたが、恋人とも愛人とも適度な距離を置き、真剣に向き合おうとしないテオにその気はありません。
賑やかなパーティーの最中、テオの妹から電話がかかってきます。父親が亡くなったというその報せにテオは沈黙します。
グレタから電話の内容を尋ねられても、「妹から電話があった」としか応えません。どうやら自分の家庭のことをあまり話したくないようです。
妹に葬儀には出られないと告げると、妹は立腹し、電話は切れてしまいました。
暗闇の中を白杖で進むダイアログ・イン・ザ・ダーク(DID)のワークショップに参加した彼は、そこでアテンドスタッフとして働いていた盲目の女性・エマの声に魅せられます。
たまたま婦人服の店でパーソナル・ショッパーと一緒のエマを見かけたテオはDIDで出会ったよね、と声をかけます。
その時の状況を説明すると、エマは、「ああ、あのセクシーヴォイスの人ね」と言って思い出してくれたようでした。
彼女がオステオパシー(理学療法士)だと聞いたテオは早速診察室を訪ねます。施術をしてもらい、彼女を食事に誘いました。
テオは急速に彼女に惹かれていき、何度も会うようになります。グレタとの約束があったにもかかわらず、エマが植木を観に行くのに付き合うのを優先します。
不思議なことに彼女といると、これまで誰にも話したことがなかった自分の家族のことも素直に話すことが出来るのでした。
エマは16歳の時に視力を失ったのだそうです。フランス人の男性と結婚していましたが、今は別れて一人で暮らしています。
エマも、親切なテオに次第に好意を抱き始めていました。
しかし、ある日、スーパーで買い物をしていたテオとエマの前にグレタが現れ、テオを罵り始めます・・・。
映画『エマの瞳』の感想と評価
二人が出会うダイアログ・イン・ザ・ダーク=DID”とは?
冒頭、真っ黒な画面に、人の声だけがかぶさります。
映画のオープニングで、まだシチュエーションがよくわからない画面に、声や音がかぶさることはよくありますが、それにしても黒い画面がやたら長く続くと思い始めた時、それが、“ダイアログ・イン・ザ・ダーク=DID”を現す場面だとわかってきます。
“ダイアログ・イン・ザ・ダーク=DID”とは、日常生活のさまざまな事柄を、暗闇の空間で、聴覚や触覚など、視覚以外で“見る”ワークショップです。
1988年にドイツの哲学博士、ハイネッケ氏の発案から生まれ、これまで世界41カ国以上で開催。日本でも20万人以上が体験しています。
エマは“ダイアログ・イン・ザ・ダーク=DID”で、アテンドスタッフとして働いているという設定で、ここでテオとエマは、互いの声に強い印象を持ちます。
ラストもまた、ダイアログ・イン・ザ・ダーク=DID”の場面となります。オープニングで映し出されたシーンが再びエンディングにも登場するのはよくあるパターンですが、画面が真っ黒というのはそうあるものではなく、実験的なユニークさを感じさせます。
不器用な人々を暖かく見守る視点
テオは典型的なプレイボーイタイプで、最初はいつもの恋愛遊戯と同じ感覚でエマに近づきますが、やがて、彼女の人柄に惹かれ始めます。
恋愛も遊び感覚で、一定の距離以上は誰も近づけなかったテオが、エマとエマの友人と触れ合ううちに、人間らしい心を取り戻していく姿が描かれていきます。
植木を観に行ったり、スーパーで買物をしたりするだけの触れ合いが、多幸感溢れる瞬間として画面から伝わってきます。
それはテオとエマに扮するアドリアーノ・ジャンニーニとヴァレリア・ゴリノという名優の力に寄るところが大きいのですが、時に人間だけに焦点をあわせ、周りの風景を淡くぼかす撮影方法の成果でもあるのでしょう。
本作は実にシンプルでオーソドックスな恋愛映画と言えます。
多くの恋愛映画がそうであるように、本作もまた、二人の関係はすんなりとはいきません。二人の前に立ちはだかるのは、テオが幼い頃に経験したことによる人間不信の感情です。
これ以上最悪のことはないと思われる状況で逃げ出したテオは、最低の男と呼ばずにはいられませんが、見かけとは違い、人との(特に女性との)関係をうまく育めない彼の事情は伝わってきます。
一方のエマは、失明や離婚などのつらい経験をしながらも、オステオパシー(理学療法士)として生計を立て、自立し、恋愛にも積極的です。
エマがフランス語を教えている17歳の少女が中盤に登場しますが、彼女は視力を失い、希望を失い、全てに噛みつかないではいられない存在として描かれています。それはかつてのエマの姿の投影でもあるのでしょう。
そんな少女が最後に大きな役割を果たすのですが、それぞれのキャラクターに優しい視点が向けられ、作り手の真摯な態度が伝わる暖かな作品となっています。
変化するフレームの長さ
オープニングとエンディングを実験的と書きましたが、もう一つ、本作は面白い試みをしています。
映画のフレームがところどころで変化するのです。テオとエマが植木を観に行く場面で、フレームは少し横に長くなり、さらに幅の広いカットへと移行します。
しかしその場面が過ぎるとまた元のフレームとなり、スーパーでの場面に移ると再びフレームは横に長くなっていきます。
フレームの大きさが途中で変わるといえば、グザビエ・ドランの『Mommy/マミー』(2015)が思い出されます。
アスペクト比1:1の正方形の画面が、幅の広いカットに劇的に変わり、強烈な印象を残しましたが、本作はどちらかといえば、するすると静かに控えめに変化していきます。テオとエマの二人のアプローチにも似た動きといえるでしょうか。
これらは、二人の気持ちの高まりや歓びを、一方で、哀しみや絶望を、少しでも表現しようとするための実験的な試みといってもよいでしょう。
もっと光を、もっと陰影を、もっと風景を、もっと風を、もっと空気を! 彼と彼女を取り巻くあらゆるものを取り込みたい! そんな思いが、そうした試みの中に見え隠れしているのです。
まとめ
シルヴィオ・ソルディーニ監督は、家族旅行からはぐれ、ひょんなことからベニスを一人旅することになった主婦を描いたハートフルコメディ『ベニスで恋して』(2000)などの作品で知られています。
2013年、視覚障碍者10人の生活を負ったドキュメンタリー映画『多様な目』を撮り、この時に盲目の人々と触れ合った経験が『エマの瞳』を構想するきっかけとなったそうです。
盲目の人物を映画は極端な例でしか描いていない、と気付いた彼は、目の見えない友人たちの多大な助言と協力を得て、この恋愛映画を作り上げたのです。
エマを演じたヴァレリア・ゴリノは、二度のヴェネチア国際映画祭女優賞を受賞するなど、イタリアが誇る名女優として活躍する一方、最近では監督としても活動を始めています。
実際の視覚障碍者が受ける「方向感覚と移動性の向上」の講習を受講するなどして完全にエマになりきりました。
テオを演じたのは、『スウェプト・アウェイ』(2002)などで知られるアドリアーノ・ジャンニーニです。
ともすれば、共感を得にくいキャラクターと判断されがちなテオですが、アドリアーノ・ジャンニーニは、深い悩みと温かみを持った人間味のある人物像を作り上げました。
エマの友人、パッティ役のアリアンナ・スコンメーニャにも是非注目してみてください。
この陽気な友人がいることで、どれほど作品が明るく爽やかになったことでしょう!
『エマの瞳』は、3月23日(土)より新宿武蔵野館、横浜シネマ・ジャック&ベティほかにて全国順次公開されます。
次回の銀幕の月光遊戯は…
次回の銀幕の月光遊戯は、2019年3月23日(金)より新宿k’s cinema他にて、全国順次公開されるベトナム映画『漂うがごとく』を取り上げる予定です。
お楽しみに!