連載コラム『増田健の映画屋ジョンと呼んでくれ!』第6回
この世には見るべき映画が無数にある。あなたが見なければ、誰がこの映画を見るのか。そんな映画が存在するという信念に従い、独断と偏見で様々な映画を紹介する『増田健の映画屋ジョンと呼んでくれ!』。
第6回で紹介するのは、世界の巨匠・北野武第5回監督作、ビートたけし名義では第1回監督作の『みんな~やってるか!』。
「これが北野武の映画?」「関係者が封印を望む映画だ」といった噂話が飛び交う一方、「凄すぎるコメディだった…」「人生で最高に面白い映画、これを超える作品をまだ見てない!」など、評判は都市伝説の域に達している問題作です。
そして”ビートたけし”と”北野武”を語る上で最重要作品だと断言します。ご覧になれるチャンスがあれば見逃すな、トンデモない体験になる!とお約束しましょう。
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CONTENTS
映画『みんな~やってるか!』の作品情報
【製作】
1994年(日本映画)
【監督・脚本・出演】
ビートたけし
【出演】
ダンカン、結城哲也、南方英二、白竜、大杉漣、ガダルカナル・タカ、そのまんま東、上田耕一、左時枝、小林昭二、横山あきお、絵沢萌子、寺島進、不破万作、及川ヒロヲ、松金よね子、芦川誠、津田寛治、宮路年雄、岡田眞澄
【作品概要】
1994年に完成しロンドン映画祭で披露され、翌1995年日本で劇場公開された、『その男、凶暴につき』(1989年)から『アウトレイジ 最終章』(2017)まで様々な作品で知られる、北野武(ビートたけし)監督のナンセンス・コメディ映画。
主演のダンカンほか”たけし軍団”メンバー、結城哲也ほかチャンバラトリオ、Vシネマで有名な白竜に北野武映画の常連の大杉漣と寺島進、芦川誠に津田寛治らが出演。
『ウルトラマン』(1966~)のムラマツキャップ役の小林昭二、にっかつロマンポルノから一般映画にドラマと幅広く活躍の絵沢萌子、映画や舞台にバラエティ番組でも人気の岡田眞澄など、様々な出演者が印象に残る役で登場します。
映画『みんな~やってるか!』のあらすじとネタバレ
いきなり、”マイアミ特捜隊「嵐の季節」”の文字が画面に登場、タイトルが違う!とつっこみが入ります。『特捜刑事マイアミ・バイス』(1986~)なんてドラマがありますが、特に関係ありません。
ポルシェに乗った男が、道端の女に声をかけ車に乗せます。そして男が女に「カーセックスしよう」と、どストレートに告げると、女はあっさり受け入れました…。
何の事はない、今までの映像はアダルトビデオです。見ていた朝男(ダンカン)、手っ取り早く女性と関係を持つには車が必要だと悟ります。そしてようやく、本作のタイトルが登場します。
実に安易な発想ですが、時は昭和とバブルの雰囲気が残る平成初期、そんなモンだと許して下さい。早速自動車販売店に行き、カーセックス向きの車を求める朝男。
自動車販売店のディーラーは色々と朝男に協力しますが、朝男の予算はたった20万円。あっさり軽自動車のお買い上げとなりました。
手狭な軽自動車でマネキン相手にシュミレーションした結果、これで完璧と自信を持つ朝男。身もふたもないセリフで女性を誘いますが、成功する訳ありません。
車を買って何でモテないと悩む朝男。カッコいいオープンカーにしようと悟った瞬間、ダンプカーが彼の車を引き潰します。
朝男は祖父の協力を求めます。祖父の腎臓と肝臓を売り払った金を持ち、自動車販売店に向かう朝男。
こうしてオープンカーを手に入れたものの、売りつけられたのはボロ車。サギと叫んでもディーラーに逃げられ、廃車寸前の車は叩き売るしかありません。
そこで停めてあった車を盗み、喜び運転する朝男。見かけた女性をナンパしようとしますが、ブレーキが利かず女性を引いてしまいます。
ハンドルまで外れ、暴走した車は看板を突き破って停まります。車から降りた朝男が見上げると、空には旅客機が飛んでいました。
懲りない朝男、旅客機のファーストクラスならスチュワーデスさんがヤらせてくれると、平成初期でも昭和でもあり得ぬ妄想を抱きます。
ファーストクラスに乗るには金が要る、と朝男は考えます。ならば銀行強盗するしかない、とロクでもない事を考えますが、いくら馬鹿でもお巡りさんからピストルを奪うのは無理、と悟った朝男。
そこで『キューポラのある街』(1962)でお馴染み、川口市の鋳物工場に就職、そこでピストルを作ろうと考えた朝男。工場の社長(横山あきお)は外国人労働者を雇っており、外国語の会話に戸田奈津子の字幕が付きました。
工場で真面目に働き、社長とおかみさん(絵沢萌子)が夜励んでいる姿を覗き、夜間密かに作ったピストルがついに完成します。
以上、すべて妄想です。それでも朝男は川口市に向かいます。つまずき肥え桶に顔を突っ込んでも先に進んでいると、目の前に車が停まりました。
車から降りた血塗れのヤクザ風の男(寺島進)は、瀕死の状態で朝男に車とピストルを預かってくれ、と頼んで倒れます。
実にあっさり銃と車を手に入れた朝男は銀行に向かいます。ところがそこは2人組が強盗中、諦めて去る朝男。
次の銀行に強盗に行けば窓口で番号札を渡され、お次の銀行は警官だらけ。その次の銀行で皆を監禁するつもりが、朝男だけが締め出される始末。
銀行窓口でのあの手この手で振る舞っても相手にされず、昭和の某重大事件の手口を真似ても上手くいきません。
夜間銀行に忍び込もうと試みまても、何をやっているのやら。そんな朝男が目を付けたのは、大金を持ち歩き商品を買い付ける事で当時話題の人、城南電機の宮路社長(宮路年雄)です。
朝男は宮路社長の後を付けますが、同じ目的の泥棒だちが時空を越えゾロゾロ付いてきた結果、強奪は果たせません。
旅客機の乗客の二枚目俳優なら、乗り合わせた女性客に体を求められるはず。どんな妄想だ!と、見ている我々の方がつっこみたくなりますが、ともかく女性とヤるため俳優を目指す朝男。
とある劇団の新人俳優オーディション会場にまともな志望者はおらず、隣のスタジオで撮影中の黒澤組の映画に出演の、ロシア語でしゃべるトスカルビッチ(岡田眞澄)が会場に紛れ込んでたりと、審査員の関口(白竜)は頭を抱えます。
そこに現れたのが朝男。しょーもない一発芸で合格した朝男は、撮影現場でイキがり訳の判らぬ業界用語や何やら口にしますが、戸田奈津子の字幕付きですからご安心下さい。
撮影現場を右往左往し邪魔する朝男は、『座頭市』の撮影現場でヘマをした結果、監督(上田耕一)に座頭市の代役に抜擢。殺陣のシーンを目を閉じて演じろと求められ、間違えて肥え桶とひしゃくを振り回す大立ち回りを演じる朝男。
名誉挽回しようと、朝男は火事のシーンに挑みます。今度も目を閉じて水と間違え油を被った朝男は、全身火だるまになる始末。
それでも生命力だけは強いのか、家に帰った朝男が次に目を付けたのは徳川埋蔵金。埋蔵金を掘るジイさんを手伝いに行きます。
坑道に入って掘り進む朝男とジイさんはガス爆発に巻き込まれます。爆発で洞窟に潜んでいた原始人が何か叫んで逃げますが、これも戸田奈津子の字幕付きでした。
散々な目に遭ってもあまり懲りない朝男。どういう発想なのか、今度はセスナに乗れば女性とヤれると妄想します。
そこに車に乗った瀕死のヤクザ風の男(また、寺島進)が現れ、朝男に持っていた麻薬の袋を託して倒れました。
手に入れた麻薬を裏社会の男に売りつける朝男。取引相手は陳博士(そのまんま東)にヤクが本物か試させます。白い粉を一気飲みしてぶっ倒れる博士。
大金を手に入れ空港に現れた朝男は、首を吊ろうとしている”「生きてこそ」航空”のパイロット(ガダルカナル・タカ)に搭乗を申し込みます。
『生きてこそ』(1993)は、飛行機に乗るには縁起でもない映画です…。承知したパイロットは、一升瓶で酒を飲みつつセスナを操縦しました。
セスナで怖そうな男、殺し屋の宍戸ジョーと乗り合わせた朝男。パイロットは何を勘違いしたのか、機内サービスを求めた朝男に熱いパフォーマンスを披露します。
パイロットが飛び降りたと勘違いした朝男と殺し屋は、パラシュートを巡り争います。なぜかあっさり殺し屋を始末する朝男。
ジョーの衣服を身に付けた朝男は到着した空港で、彼を殺し屋だと信じるヤクザ(不破万作)らに出迎えられました。
こうしてヤクザの赤岩親分(結城哲也)と対面した朝男は、空中に投げた500円玉に弾を命中させる、拳銃使いの達人(大杉漣)との腕試しを強要されます。
何を誤ったのか、ヤクザの1人を射殺そた朝男。しかし殺した相手は親分の命を狙う裏切者です、流石は殺し屋ジョーだ、と赤岩親分に感心された朝男。
何がどうなって、こんな事態に巻き込まれたのやら。朝男のスケベな欲望が満たされる日は、本当にやって来るのでしょうか…。
映画『みんな~やってるか!』の感想と評価
当時を知る者も記憶の糸を手繰り寄せねば理解できぬ描写や、昭和(平成ですが…)だから許された描写の数々。この映画を若い世代や海外の北野映画ファンは、どんな顔をして見るのでしょうか?
多少なりとも当時の雰囲気と、なぜこんなギャグが登場したか理解頂けるよう、あらすじネタバレは工夫して書いたとご理解下さい…。
テレビのコントの延長でまるで学芸会。悪ノリの極み…、そんな感想にも納得です。しかし本作の前に発表された北野武映画は『ソナチネ』(1993)、海外で彼の評価は高まりつつあった時期です。
映画俳優としての実績も重ね、1995年公開のサーバーパンクSF映画『JM』でキアヌ・リーブスと共演。彼は海外の映画人に出演、共演を望まれる存在になっていました。
そんな折に誕生した『みんな~やってるか!』を自滅行為、狂気の沙汰だと思った方も多数いました。一方で公開当時、映画評論家の淀川長治は「斎藤寅次郎、あるいはマック・セネットの再来」だと本作を絶賛しています。
斎藤寅次郎はサイレント時代から1960年代までコメディ映画を撮り続けた、「喜劇の神様」と呼ばれるスラップスティックコメディの達人。
同時に彼は『キング・コング』(1933)がヒットすれば、短編喜劇映画『和製キング・コング』(1933)を作る、フットワークの軽さの持ち主です。
マック・セネットも「喜劇王」と呼ばれたコメディ映画監督で、チャップリンを見い出したプロデューサーとしても有名。『ぼくの伯父さん』(1958)のジャック・タチ監督など、後の多くの喜劇映画人から敬愛された人物でした。
映画とは大人たちが心血を注ぎ完成させる芸術である一方、他愛なく時事のネタを盛り込み軽く描いた、消耗品として消費される娯楽でもありました。その役割はやがてテレビに移行しますが、映画には軽い娯楽商品の一面も存在します。
しかしギャクやナンセンスの作家は、非日常の世界を追求するあまり精神そ消耗し、時に疲れ果て燃え尽きてしまう例も多数知られています。
斎藤寅次郎はプライベートでは猥談で周囲を沸かせ、映画監督引退後は趣味のマラソンに没頭し余生を過ごします。マック・セネットの偉大な活動期間は約25年、55歳で半引退し周囲から尊敬される、悠々自適の80年の人生を送りました。
熱心に映画に取り組み、プラーベートの人生でも達人だった斎藤寅次郎とマック・セネット。対して北野武は、本作製作・公開時にどんな姿勢で映画に向き合い、そんな彼を日本映画界はどう眺めていたのでしょう。
映画監督”北野武”の苦悩
漫才師として爆発的人気を獲得、1980年代にはコメディアンとしてピンでの活動が増えていたビートたけし。俳優としての活動も高く評価され始めています。
そして当初は主演での参加で、深作欣二監督作として企画された『その男、凶暴につき』(1989)。深作監督が都合により降板し、ビートたけしが監督を務めることになります。こうして、映画監督”北野武”が誕生しました。
芸人が映画を監督する事を危ぶむ声もありましたが、映画は手堅くヒットし高い評価を獲得します。2作目『3-4X10月』(1990)で1作目の映像世界はさらに発展を遂げますが、興行的には振るいません。
3作目『あの夏、いちばん静かな海。』(1991)でテイストの異なる作品に挑戦、淀川長治ら多くの映画評論家からも高く評価されます。そしてこの作品の音楽で久石譲と出会いますが、興行的にはやはり苦戦しました。
4作目は『ソナチネ』(1993)でバイオレンス映画に回帰、海外で高い評価を獲得しますが、製作費からみると興行的に大失敗、という数字を残しています。
当時の日本映画界に視点を移しましょう。映画業界はテレビ登場以来、斜陽産業と呼ばれていましたが、ついに大手映画会社の倒産と再建が起きる大変な時期を迎えていました。
映画会社は自社資金でリスクの高い映画製作は出来ず、1970年代から媒体とのメディアミックスで映画を製作・宣伝し興行するスタイルが登場、1980年代には出資者を集める「製作委員会」方式の映画製作が主流になり始めます。
詳しく語りませんが、1990年前後には大手映画会社などに所属する映画業界関係者たちは、自分たち主体の映画作りは、絶望的になったと痛感していました。
映画監督もTV・CMやインディーズ映画からデビューする者が増え、俳優・タレントなど知名度のある者が監督し、それがヒットする映画も現れます。タレント映画監督は製作側に歓迎されても、多くの映画業界人の羨望、嫉妬の的であったのは想像に難くありません。
「オイラの映画を試写室で見ていた奴が、『たけし、映画を判ってないなぁ~』とか言ってやがるんだよ」
「それがロビーで会ったら、『たけしさん、素晴らしい映画でしたねぇ~』とか言いやがるんだよ。嫌になっちゃうよね」
当時このような発言をラジオ番組か何かで、ビートたけしが発言したと記憶しています。毒説が持ち味の彼ならではの創作ネタかもしれませんが、当時彼が映画界で置かれた状況を正直に語ったものと思われます。
浅草で芸人を志す前、若松孝二の映画に参加し学生演劇に参加するなど、試行錯誤していたビートたけし。彼の映画への想いは間違いなく本物です。
しかし日本映画業界には、彼は「タレント監督」の1人に過ぎないと見る向きがありました。「タレント監督」が観客を呼べるのは話題を集める1作目だけ、そう言い切る人物も多数いました。
実際北野武映画も2作目『3-4X10月』は興行的に苦戦しました。この作品が公開された年の9月、究極の「タレント監督」映画、桑田佳祐監督の『稲村ジェーン』(1990)が公開されます。
監督名が”ビートたけし”である理由
『稲村ジェーン』は大ヒットを記録しました。翌年に『あの夏、いちばん静かな海。』を監督した北野武が、この作品を大きく意識しているのは間違いありません。
奇抜な衣装やパフォーマンス、ミュージックビデオなど映像的な物への関心が高い桑田佳祐。しかし彼は後に「この作品の出来に内心自信が持てず、後ろめたかった」と告白しています。
自身をミュージシャンと自覚している彼は、映画はライブ同様の一つのイベント、ファンやスタッフとの出会いの場であり、『稲村ジェーン』は大成功を収めた、満足すべき”打ち上げ花火”と理解していたのでしょう。
成功に溺れず、冷静に映画と距離を置き、以降は自身の音楽活動に専念した桑田佳祐。しかし”北野武”として映画の道を目指すビートたけしは違いました。
興行的成功を収めようと、あえて『稲村ジェーン』に挑んだ『あの夏、いちばん静かな海。』は観客を集められません。ならばと自身のスタイルに回帰した次作『ソナチネ』は、興行的に惨敗します。
現在我々はこの2本の映画が北野武映画の評価を、国内外で確立した作品だと理解しています。しかし当時の北野武にとっては、日本映画界に自分の興行的価値を認めさせようと奮闘し、果たせずに終わった映画でした。
デビュー作から4作目まで試行錯誤を繰り返した北野武。5作目の『みんな~やってるか!』は、開き直ったかのように「タレント監督」、”ビートたけし”の世界を映画で描きます。
正直、当時のビートたけしのテレビでの活躍や流行、時代の雰囲気を理解しないと何が面白いのか理解できぬギャグが多数あります。松本人志が名づけ親と言われるAV女優、松本コンチータの出演も紹介すべきだったでしょうか。
テレビのお笑い番組を振り替えると、ドリフターズの『8時だよ!全員集合』(1969~)の人気は、ビートたけしらが出演した『オレたちひょうきん族』(1981~)に敗れました。
ドリフの作り込まれた「映画的」コントより、アドリブなど即興性・ハプニングやリアクョンを楽しむ『~ひょうきん族』の笑いに、当時の人々は軍配を上げました。しかしドリフのコントは現在再評価され、様々な形で見られています。
一方ライブ感が強い『~ひょうきん族』は、ネタやノリが受け入れられた背景、登場人物の当時の関係性が理解しないと笑いにくい、時を経て一つの作品として鑑賞するには厳しい作品だと言えるでしょう。
当時の芸人”ビートたけし”の世界を映画に移した作品が『みんな~やってるか!』。現在この作品を見た方が、当時の観客以上に困惑するのも当然です。
しかし淀川長治は本作を。ギャグシュチュエーションを積み重ねる、サイレント映画時代のスラップスティックコメディ映画と同じスタイルと看破しました。
そして映画的な作風を否定し、テレビ番組のノリを持ち込んだようで、同時に過去の映画への思慕…『座頭市』や任侠映画、『キューポラのある街』やロマンポルノ映画へのオマージュあふれる作品です。
かつて本作を「お笑い自体も馬鹿にし、ギャグもいい加減に作ったら、とんでもない前衛的映画になった」と語っている北野武。しかし同時に映画を馬鹿にしたようで、かえって映画への深い愛情がにじみ出た作品になりました。
そして、”世界のキタノ”が誕生した
若き日に試行錯誤した上で芸人の道を選び、芸人を経て映画監督になった北野武には、映画を神格化し絶対視する者が持たぬ、冷めた客観的な視点も持ち合わせているようです。
現在本作を鑑賞しておそらく一番評判が悪いのは、チャンバラトリオが絡むヤクザたちが抗争するシークエンスでしょう(何かと汚い”ハエ男”の方が苦手ですか?)。
しかしこの構図と出演者がやっている事は、後の『アウトレイジ』(2010)シリーズと同じ。今回改めて鑑賞して、まさしくそうだと再確認しました。
コントも映画も達観すれば、イイ歳の大人たちが繰り広げる「ごっこ」遊びに過ぎません。ヤクザ映画は製作現場で俳優やスタッフが、真剣に「ごっこ」を繰り広げて完成し、それに観客は熱狂しているのです。
あえて言うと『アウトレイジ』は、名立たる俳優たちが異様なテンションで、大声で怒鳴り合う世界です。チャンバラトリオの繰り広げる狂態と何が違うのでしょう。
しかし『アウトレイジ』の世界を、俳優たちは演じがいのある非日常の世界として楽しみ、観客も喜んで鑑賞します。ドラマ『半沢直樹』(2013~)は、『アウトレイジ』的世界の舞台を会社に移し、映像化した作品と言えるでしょう。
「ごっこ」としての映画の究極形は、ヒーロー・怪獣映画です。現実にヒーローや怪獣が存在する訳がありません。「スター・ウォーズ」やアメコミ映画がどんなに真剣な物語を創造しても、「ごっこ」によって生まれた世界だと誰もが知っています。
大人の「ごっこ」であるお笑いの世界の第一人者”ビートたけし”が、映画監督”ビートたけし”となり、開き直って悪ふざけの限りを尽くした本作。
映画もお笑いも同じ「ごっこ」世界のはず。しかし、どうして日本の映画界の人間も観客も、自分のお笑い「ごっこ」は認めても、映画「ごっこ」は認めないのか…。そんな怒りに似た感情が、彼の中に渦巻いていたのでしょう。
それでもなお、本作には彼が「ごっこ」だと理解しているはずの、映画への深い愛情が満ちています。たがが映画と知りつつ、されど映画のこだわる彼の胸中には、映画への愛憎が渦巻いていたのでしょう。
1994年8月、ビートたけしは原付バイクの自損事故を起こし、後遺症が残る重傷を負いました。テレビへの復帰は1995年3月。この期間中に『みんな~やってるか!』は海外映画祭で上映され、日本で劇場公開されました。
映画監督・北野武の置かれた状況と、本作と自損事故を結び付けて考えるのは短絡的でしょう。それでも、結び付けざるを得ない何かがあるのです。
事故からの復帰後、映画監督北野武の名は海外で高く評価され、日本映画界も手のひら返しのように彼を「日本を代表する映画監督」に祭り上げます。次作『キッズ・リターン』(1996)は、カンヌ国際映画祭の監督週間正式出品作品となりました。
こうして我々が知る映画監督”北野武”が誕生しました。その後も数々の映画を監督し、彼が本作でギャグの形でオマージュを捧げ、後に映画化した『座頭市』(2003)は観客からも支持され、北野武映画最大の興行的成功も収めます。
しかし次作『TAKESHIS’』(2005)、その次の『監督・ばんざい!』(2007)はアプローチは違えど共に自身を描くメタな作品。その次の映画『アキレスと亀』(2008)は苦悩する芸術家の姿を自ら演じた作品でした。
後に彼はこの時期を芸術性を求め、また日本で評価されなくなった事実に苦しむ、自分にとって一番気の沈む最低の時期だと振り返っています。
クリエイター、特に大人でありながら究極の「ごっこ」を演じるコメディアンにとって、自身の行為を自問自答する姿は、実は危険な状況かもしれません。
コメディアンだけでなくギャグ漫画家も、負のスパイラルにはまるとスランプに陥り、精神的に落ち込んだあげく、自滅の道を選ぶ悲劇的事例も我々は記憶しています。
彼らの作品を楽しむ我々としては、優れたクリエイターたちが負のスパイラルを乗り越え、時に彼らが芸に過度にこだわらず、「人生の達人」として生きてくれる事を願うばかりです。
まとめ
ご紹介した『みんな~やってるか!』が、実にハチャメチャな映画であり、同時に映画監督・北野武にとって、重要な映画かお判り頂けましたか。
映画監督である自身と向き合った後、北野武は『アキレスと亀』の次に誰もが、何より自身が楽しむ事ができるヤクザ「ごっこ」映画、『アウトレイジ』を2010年に監督し興行的成功も収めます。
ここまでお付き合い頂けた読者は、この「ごっこ」という言葉はクリエイターへの最高の賛辞と理解して頂いているでしょう。
さて、かつて北野武がライバル視し、厳しい評も寄せた『稲村ジェーン』。しかし彼は音楽クリエイターとしての桑田佳祐を大いに評価し、互いに敬意を抱く関係を築いています。
そして彼がドン底と語った時期に製作した『監督・ばんざい!』は、松本人志監督の『大日本人』(2007)と同じ日に劇場公開されました。
彼の第1作『大日本人』は「タレント監督」映画のお約束に従い、『監督・ばんざい!』以上の興行成績を収めました。お笑いの世界をビートたけし同様熟知している松本人志は、映画もコント同様大人の「ごっこ」だと正しく理解していたのでしょう。
『大日本人』が「ごっこ」映画の究極の形、特撮ヒーローものであったことも、テイストがどこか『みんな~やってるか!』に似ているのも、2人が本質的に同じタイプの人間である結果といえます。
その後3本の映画を監督し、芸術性を意識した作品や観客の支持を狙う作品に挑んだものの、北野武映画同様の苦戦を強いられた松本人志。
彼はここで映画と距離を置き、クリエイティブな才能を別の分野で発揮する道を選び、その後の活躍は誰もがご存じでしょう。松本人志と北野武も、そんな互いを認め合う関係を築いています。
映画監督の道を究めようと挑み続けた北野武。彼は自分には出来ぬ、映画から離れる決断を下せた桑田佳祐と松本人志に、ある種の敬意を抱いているのかもしれません。
映画のデジタル化が進んだ現在、映画ファンは今もフィルム撮影にこだわる映画監督として、クリストファー・ノーランやクエンティン・タランティーノの名をあげるでしょう。
しかしもっと身近に同じこだわりを持つ映画監督がいます。それが北野武。現時点最後の監督作品『アウトレイジ 最終章』まで、全ての作品が35㎜フィルムで撮影されています(近年の作品は一部デジタル撮影も併用)。
今や無駄が多くコストもかかる、フィルムでの映画撮影という究極の「大人のごっこ」にこだわり、それに挑むことが可能な唯一の日本人映画監督は、北野武かもしれません。
デジタル化により映画が簡単に、様々な人物が昔よりは気軽に映画監督になれる現状を、映画監督”北野武”はどう考えているのでしょうか。
かつて自分を認めようとしなかった日本の映画業界が、あっさりフィルムでの撮影や上映を放棄した姿を、芸人”ビートたけし”はどう眺めたのでしょうか。
『アウトレイジ 最終章』以降執筆現在まで、彼は映画を監督していません。こんな現状に嫌気がさしたのでしょうか。
無論それだけが理由では無いでしょう。しかし自身をすり減らして映画に向き合ってきた北野武の沈黙に、怖いような悲しいような何かを感じてしまいます。
1994年の自損事故で彼が命を失っていれば、『みんな~やってるか!』が彼の最後の作品になっていました。北野武&ビートたけしと映画との物語は全く別の物となり、日本映画に対する海外からの評価も大きく変わっていたはずです。
自分自身に悩み、負のスパイラルに落ち込み苦しんでいる方。あなたが重要視している物は、実は「ごっこ」に過ぎないのかもしれません。
どうかそんな時期をやり過ごせる、「人生の達人」を目指して下さい。まさかこんな教訓を、ビートたけし監督作『みんな~やってるか!』が教えてくれるとは。
映画はそれに関わった人物の人生と重ねると、新たな意味を持つ場合があります。決して本作を、「今じゃコンプライアンス上許されない、昭和(製作されたのは平成です…)のノリのトンデモ映画」の一言で片づけないで下さい。
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増田健(映画屋のジョン)プロフィール
1968年生まれ、高校時代は8mmフィルムで映画を制作。大阪芸術大学を卒業後、映画興行会社に就職。多様な劇場に勤務し、念願のマイナー映画の上映にも関わる。
今は映画ライターとして活躍中。タルコフスキーと石井輝男を人生の師と仰ぎ、「B級・ジャンル映画なんでも来い!」「珍作・迷作大歓迎!」がモットーに様々な視点で愛情をもって映画を紹介。(@eigayajohn)