連載コラム『タキザワレオの映画ぶった切り評伝「2000年の狂人」』第8回
2022年1月28日(金)よりファーストシーズン全12話が一挙配信されたNetflixドラマシリーズ『今、私たちの学校は…』。
ゾンビウイルスが広がった学校内に閉じ込められ孤立した高校生たちが生き残るために死闘を繰り広げるNetflixオリジナルの韓国ドラマ。
配信後3日間で視聴1億2,479万時間を記録、世界29か国で1位を獲得しました。
昨年配信されたNetflix『イカゲーム』のヒットを受け、世界中で韓国ドラマへの期待が高まっています。
今回は既に配信から1ヶ月が経ったNetflixドラマ『今、私たちの学校は…』のシーズンまとめをネタバレありでご紹介致します。
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CONTENTS
ドラマ『今、私たちの学校は…』の作品情報
【原題】
지금 우리 학교는
【監督】
チョン・インソル、
【脚本】
イ・ジュギュ、キム・ナムス
【出演】
パク・ジフ、ユン・チャオン、チョ・イヒョン、パク・ソロモン、ユ・インス、イ・ユミ、キム・ビョンチャル、イ・キュヒョン、チョン・べ
【作品概要】
2009年から韓国のネイバーウェブトゥーンで正式に連載が始まったwebマンガを原作としたNetflix実写ドラマシリーズ。
ドラマ『今、私たちの学校は…』のあらすじ
エピソード1
虐められっ子のジンスは、不良グループからのリンチを受け、ビルの屋上から突き落とされます。
病院で重篤状態の彼のもとに駆けつけた父親、イ・ビョンチャン。
「どうしても奴らに復讐したかった」
再び不良グループのもとへ復讐に向かおうと暴走する我が子にビョンチャンは聖書で殴りつけ撲殺し、遺体をスーツケースに仕舞い込んで病院から連れ出しました。
別の日、他の掃除当番からひとり残されたヒョンジュはみんなが帰ったことに気が付き、何の気なしに理科室を散策。
女子生徒ヒョンジュは学校の科学室に科学教員のビョンチャンが実験していたマウスに噛まれてしまいます。
それを見たビョンチャンは彼女が息子と同じウイルスに感染したとわかり、彼女を監禁。
2年生のチョンサンはチキン店を営む母の店で、オンジョ、ギョンス、イサクと夕食を食べていました。
男子生徒スヒョクは、女子生徒のウンジを不良グィナム達による性的暴力から助けようとするも、「断ったらもっといじめられてしまうから」として彼女はスヒョクを頼りませんでした。
その頃、感染したヒョンジュが科学室から脱出。教室で倒れ保健室から病院へと運ばれます。
ヒョンジュに噛まれた保険の先生がソンビ化。生徒たちを襲いはじめ、感染は学校中へ瞬く間に広がっていきました。
エピソード2
チョンサンは感染拡大のパニックからオンジョを庇いながら、2年5組の教室へ避難。
ギョンス、ジュニョンナヨン、スヒョク、デス、ウジンと合流します。
隠し持っていたスマホで警察へソンビ騒ぎを通報しますが、イタズラ電話だと思われてしまいます。
その頃ビョンチャンは取り調べを受けており、ゾンビウイルス感染の発端について警察に明かしていました。
虐められ弱者のままでいる息子を助けるために瀕死の状態のジンスに闘争本能を活性化させるウイルスを注射していたのです。
5組の担任、パク先生は事を穏便に済ませようとする校長の思惑に反して、何があっても生き延びるよう校内放送で呼びかけました。
体育教員のコンス先生が教室内に逃げ込んでくるも、彼はすでに噛まれており暴走。生徒たちは教室を出て科学室へと移動します。
しかし、避難する途中にオンジョの親友、イサクが感染、凶暴化した末に窓から落下した彼女をチョンサンが殴って落としました。
その後消火用ホースをロープ代わりにして、科学室の窓から2階下の放送室へと移動、パク先生と合流します。
エピソード3
腹痛を理由に早退していた女子生徒のヒスは、公衆トイレで赤ん坊を出産。一度は赤ん坊を放置しようとするも、ゾンビパンデミックを目の当たりにし、再び赤ん坊を抱きしめて一緒に逃げました。
手に怪我を負っていたギョンスは、個人の安全を最優先しようとする自己中心的な女子生徒、ナヨンと口論になります。他のみんなはギョンスの肩を持ちますが、感染の疑いを考慮し、ギョンスのみ放送室の隣室に一旦隔離することになりました。
隔離から30分経過するも発症の徴候は見られず、生活保護受給者であるギョンスへの差別的な発言を責められたナヨンは隔離中のギョンスに謝りに行くも、再び口論になります。
ナヨンに激怒したギョンスは鼻血を出し、感染の徴候が見えました。しばらくして凶暴化したギョンスをチョンサンが誘導し、窓の外へと落としました。
仲の良かったギョンスを失い、チョンサンたちが悲観に暮れていると、学級委員長のナムラがナヨンの不審な動きを告発。
ギョンスに謝りに行くと見せかけて彼の傷口にゾンビの血を塗りつけていたのです。
生き残った生徒たち全員から「人殺し」と人格否定されたナヨンは、放送室から泣きながら逃走。ゾンビのいる外へひとり飛び出した彼女のあとをパク先生が追いかけていきました。
エピソード4
高校でのパンデミック騒ぎを聞いたチョンサンの母は、息子を心配し学校までやってきます。しかし既にゾンビとなったギョンスに襲われ感染してしまいました。
ゾンビウイルスの感染拡大は市内全域に広がっていました。
取り調べを行っていた刑事のジェイクは、警察署からビョンチャンを連れ出そうとします。
しかし、想像以上の感染拡大を目の当たりにしたビョンチャンは、ヒョサン高校の科学室にある自分のPCにウィルスの情報とパンデミックから逃れる手がかりが入っていることを告げ、ジェイクの身代わりとしてゾンビの餌食になってしまいました。
いじめを苦に屋上から投身自殺を図ろうとしていたウンジは、グィナムらが撮影した動画が朝9時に予約投稿されていると知り、生徒たちのスマホが集められている職員室へ向かいます。
途中ゾンビに襲われ感染するも、人間としての意識を保っており、一心不乱にスマホを破壊していきました。
同じ頃、外部への連絡手段となるスマホ目当てに窓から職員室へと侵入したチョンサンとスヒョクは、ウンジに遭遇。
半ゾンビ化し襲ってきたウンジから逃げるためにチョンサンとスヒョクは別々に逃げます。
チョンサンが校長室へ逃げ込むと、グィナムが校長を殺害しているところを目撃。
証拠として動画を撮影したチョンサンはゾンビだけでなくグィナムからも追いかけられることになります。
オンジョの父、ナム・ソジュはレスキュー隊員であり、その頃パク市長たちを市庁舎から救出する任務の最中でした。
ソジュたちはヘリで救助され、対策本部兼避難所が設置された刑務所に隔離されることになります。
エピソード5
チョンサンは図書館に逃げこみ、本棚の上でグィナムと取っ組み合いになります。
そしてスマホをグィナムの左目に叩きつけて潰し、下へ突き落とします。グィナムは苦しみながらゾンビたちに襲われました。
その頃、ヒョサン市の惨状を抑えるため政府は戒厳令を発令。
対策本部の司令官チン・ソムは誤情報の拡散を防ぐため市内のインターネットをシャットダウンさせてしまいます。
チョンサンは緊急通報を試みるも繋がらず、保健室へ避難してきたアーチェリー部の主将、ハリと不良生徒のミジンもPCで外の状況を確認しようとするも、ネットが繋がりませんでした。
警察署から脱出したジェイクは、新米警官のホチョルと出会い、チョンサンの母親が経営していたチキン店に避難します。
そこで発見したのは、生まれたての赤ちゃんと、自分の身体ををドアに縛りつけたままゾンビ化したヒスでした。
放送室に戻って来たスヒョクは、スマホを取りに行った後チョンサンとはぐれてしまったことをみんなに話します。
オンジョたちは科学備品室にあったドローンを使い、チョンサンが音楽室に避難しているのを映像で発見します。
その後外の様子を見ようとドローンを学校の外まで飛ばすと、ジミンは校門近くに停車したトラックの中で両親がゾンビ化しているのを発見してしまい絶望します。
チョンサンが去った後ゾンビに襲われ、図書室に残されたグィナムは、自我を保ったまま意識を取り戻します。ゾンビへの免疫を付けた彼は不死身の半ゾンビとなり、チョンサンを殺害しようと音楽室に向かいます。
エピソード6
オンジョたちは、ゾンビが音に反応して襲ってきていたことに気付き、校内放送を利用し校舎の左側にゾンビを集め、その隙に右側からチョンサンのいる音楽室へ向かいます。
スヒョクは半ゾンビ状態のグィナムを見て、彼が理性を保ったままチョンサンを殺そうとしていることを知ります。
スヒョクと彼を助けに来たナムラはグィナムと乱闘になり、スヒョクがグィナムを窓から突き落としました。
音楽室でチョンサンと合流した一行は、ナムラがグィナムに噛まれていることに気付きます。
しかしナムラもゾンビ化せず、人間の理性を有したまま、グィナムと同様に半ゾンビになりました。
ナムラに好意を寄せていたスヒョクは、ナムラと手を繋ぎ、異変があれば自分が真っ先に食われる状況にしてみんなを説得します。
ナムラの容態を心配しながら、みんなは拾ったビデオカメラで自分たちの両親への最後の言葉を録画していきました。
一方、ミジンとハリたちは、弓でゾンビを撃退しながらホットラインがあるアーチェリー場へ避難。電話をかけようとするも、やはり外部と繋がりませんでした。
市長と共に刑務所で隔離されているソジュは施設から抜け出し、オンジョのいる学校へ助けに向かいました。
ドラマ『今、私たちの学校は…』の感想と評価
服従をテーマにした集団心理シミュレーション
エピソード1冒頭のシーンでは、牧歌的な学生生活とその影に潜む陰湿ないじめ、人間関係が説明的に描写されます。
この後ゾンビパンデミックが起こるとは夢にも思わぬ高校生たちの日常を爽やかに描きながらも、序盤においてその後の展開を示唆するような、またはエピソード全体に横たわるテーマの根幹を匂わせるような雰囲気が漂っていました。
避難先として後でチョンサンたちが使用することになる放送室では、放送部が校内放送を行なっています。
その日の話題はアメリカの心理学者による初対面の男女48人を集めて行った心理実験について。
内容の詳細はカットされていますが、その後の展開の伏線として推察すると、これはミルグラムの服従実験でしょう。
被験者を教師と生徒の役に振り分け、テストで間違えた生徒に教師が罰を与えるというもの。
教師役がどこまで命令に従って罰を与え続けるのかによって指示に従う人間の心理を検証した実験で、平凡な市民が一定の条件下では冷酷で非人道的な行為が行えてしまうことを証明しました。
本作においては、ゾンビウイルス感染拡大から逃れ、狭い空間に籠城した少人数グループ内の心理描写にそれを見出すことができます。
全員の生死に関わる選択を意思決定するだけでなく、感染者と見なしたものを見捨てる、殺すなどの決断を瞬間瞬間で迫られるというサバイバル自体が一種の監獄実験のようであり、集団心理の働きによって、残酷な行動に出てしまったり、集団の中でポジションが自然と決まってくるシチュエーションを描いていました。
潜在的な恐怖が先立ってしまい、普段は頼り甲斐のある人物が頼れなくなったり、反対にクラスの全員から馬鹿にされているような人物の意外な特技がサバイバルの役に立ったり、など、極端な状況下において、カースト的な関係性に逆転が生じるなど、連続ドラマとして面白い展開が予想されます。
しかしながら全12話の大半を占める校内の移動(避難)において活躍し、集団の統率するのは、イケメン枠のスヒョクであり、リーダーの立ち位置が状況によって変わることはなく、ナムラが彼と恋仲になったことでサブリーダーポジション的立ち位置で活躍する展開に意外性はありません。
元々不良とつるんでいたが今は厚生しようとしているという描写が弱いせいで、スヒョクは一貫して有能な完璧超人に見えます。
スヒョクはオンジョとチョンサンとの三角関係に巻き込まれるも、ナムラと両想いになることで、オンジョは自然とスヒョクを諦めていきます。
完璧なスヒョクに見合う存在として結ばれるナムラは、ゾンビと戦えるほどフィジカルが強く、頭も切れるという、スヒョク以上の完璧超人。
元不良と優等生の生徒会長という「意外な」組み合わせは本作においては完璧超人同士、カースト上位同士の釣り合った関係性にしか見えず、本作の恋愛ドラマにはゾンビサバイバル同様の先の読めないハラハラする展開はありませんでした。
つまりこれは行動を共にする少人数のサバイバルチーム内の心理ドラマをキャラクターの属性に分けて描こうとした結果、それが展開の都合上、自然とスクールカーストの縮図になってしまったのだと考えられます。
作り手が意図した格差社会の反映は物語には反映されたものの、キャラクターに負わせた展開は結果的にこうなってしまっただけなのではないでしょうか。
魅力的なキャラクターはスヒョクやナムラに集中しており、みんなの足を引っ張り危険に晒すようなナヨンにばかりヘイトが溜まるなど、生き残って欲しいと思う人物とフラストレーションが溜まる人物に二分されてしまったのは結果として失敗でした。
ジャンルに寄っ掛かった弱点
誰が生き残るか分からないサバイバルドラマは最後まで緊張感が途切れることなく、良かれと思った行動がかえって裏目に出たりと期待を裏切る展開が二転三転することで、結末まで目が離せませんでした。
これはゾンビを扱った作品に共通する感想です。
本作にも当てはまる感想なので、楽しめることには間違い無いのですが、言ってしまえばそれはジャンルそのものが持つポテンシャルを指しています。
本作にゾンビモノであるが故の面白さがあったかと言われれば正直微妙なところ。
現実にウイルスパンデミックが起きている状況下において、ゾンビパンデミックという極端な戯画化は、現実のコロナを矮小化する機能しか果たしていません。
現実のコロナウイルスは感染経路について自覚することがほぼできずに発症。対するゾンビウイルスは、感染の瞬間が目に見え、ゾンビから逃げる・安全な場所に避難するなど、ある程度予防の余地があります。
現実のウイルスの方が根絶困難かつ感染特定が厳しいという厄介な相手なのに対し、本作のウイルスは感染の特定も予防策に関しても物理的な対策が有効である。これは作劇上の明確な弱点となっています。
「一度感染が広がればもはや止めることは出来ない」というゾンビパンデミックの不可逆性を描いた結果、街ごと爆撃という最終手段がもたらされるのは、物語を畳む手段として妥当でした。
しかし、ごく一部の感染者に対し「半ゾンビ化」という例外を作ったのは結果、続編への色気ともとれるご都合主義に見える。コロナウイルスの存在は劇中、司令室のやりとりの中で示唆されており、本作はポストコロナの世界観を構築しながらも、現実問題への言及、フィクションならではの工夫やこだわりを感じさせませんでした。
反対に本作が注力したとされるのは、大人に見捨てられた高校生たちが「もう大人は信用しない」と言って自分たちで助かる手段を尽くす模様です。拾ったビデオカメラで両親への思いを録画する様子や軍に見捨てられたと悟り絶望するシーンは真に迫っており、その強烈さから2014年のセウォル号沈没事故を連想させます。
助かる手段も分からぬまま、生き残るために集団行動をする中で、この手のジャンルお約束の『ミスト』(2007)や『日本沈没』のようなシチュエーションになり、この手のジャンルお約束のみんなの足を引っ張って無駄な死者を出す人物が登場します。作戦が上手くいかなかったり、より不利な状況に陥る原因を作る迷惑なキャラクターは、フラストレーションを溜め、視聴者のヘイトが集中します。本作においてはナヨンがそれに当たり、彼女は登場してから最後まで視聴者から恨まれる役割のみを与えられているようで、かえって不憫に見えるほどでした。
広大なセットで繰り広げられるワイヤーを駆使したアクロバティックなアクションは、リアリティラインを乱暴に越えてくる痛快さがあり、ゴア描写もゾンビジャンルとして、韓国作品として見ごたえのあるレベルでした。
しかしストーリー進行に関しては、ヘイトを溜めるキャラクターしかり、各話約1時間全12話の長さを感じさせるものでした。
自覚的に引用される『新感染』にも共通する鈍重なストーリーの原因は、極端にウェットな作風にあります。
どの作品においても、”ゾンビ=大切な人を失う悲哀の物語”という図式に基づいて話を練っているせいで、誰かがみんなのために犠牲になる・大切な人がゾンビ化して悲しむ・大切な人を殺してしまい悲しむといった定型のウェットな展開を重ねることでしか、興味を惹きつけておらず、一度感情移入出来ず、冷めた目で見てしまうと繰り返しの展開をくどいと感じてしまいます。
ウェットな方向に向き合い過ぎたのはNetflix映画『アーミー・オブ・ザ・デッド』も同様であり、昨今のゾンビジャンルに共通するアプローチの失敗であったと思われます。
ゾンビサバイバルという飽和したジャンルの中では、よっぽどオリジナリティあふれる魅力がないとブレイクスルーにはなりませんし、十分な評価は出来ないでしょう。
まとめ
服従と抗えない潜在意識、集団心理の恐怖などテーマは素晴らしかったものの、ゾンビジャンルにしたせいで、ジャンル的お約束や定番の展開を優先せざるを得なくなり、ラストが消化試合のようになってしまいました。
最大の欠点は長いこと。この内容は6話くらいで決着をつけるべきでしょう。
クリフハンガーをたくさん設け、話数を稼いだせいで、間延びした箇所が多いです。それを「イッキ見に適したコンテンツ」と言い換えることも出来ます。夢中になって表示が出ると同時に「次のエピソードを観る」ボタンを強めに押してしまう魔力は十分にあります。
毎話毎話、先の読めない展開、いつ誰が死ぬか分からない緊張感を持続させ、観客の興味を持続させたという点を取り上げて褒める事はできません。それはゾンビドラマのポテンシャルからして当然のことであり、むしろ評価したいのはゾンビのゴア描写以上に生々しい高校生同士の人間関係とサバイバルとを共存させたところ。
彼らの仲間意識、恋愛感情は、極端な状況下でのみ関係性が担保されるという吊り橋効果の恩恵を受けています。いつゾンビに襲われ、誰が死ぬか分からない緊張感以上に、その脆弱な関係性上で綱渡りするような微妙な人間関係が生き生きとしており、興味深いものがあります。
ゾンビジャンルとして見ると分が悪い本作ですが、ストーリー展開のみならず、役者陣の鬼気迫る演技含めて一定水準以上の面白さがあるドラマなのは疑いようがありませんでした。
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タキザワレオのプロフィール
2000年生まれ、東京都出身。大学にてスペイン文学を専攻中。中学時代に新文芸坐・岩波ホールへ足を運んだのを機に、古今東西の映画に興味を抱き始め、鑑賞記録を日記へ綴るように。
好きなジャンルはホラー・サスペンス・犯罪映画など。過去から現在に至るまで、映画とそこで描かれる様々な価値観への再考をライフワークとして活動している。