SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2022国際コンペティション部門観客賞受賞のセシル・デュクロック監督作品『彼女の生きる道』
2004年に埼玉県川口市で誕生した「SKIPシティ国際Dシネマ映画祭」は、映画産業の変革の中で新たに生み出されたビジネスチャンスを掴んでいく若い才能の発掘と育成を目指した映画祭です。
第19回目を迎えた2022年度は、3年ぶりにスクリーン上映が復活。7月21日(木)から27日(水)までの期間は、オンライン配信も行われていました。
今回ご紹介するのは、国際コンペティション部門観客賞を受賞したセシル・デュクロック監督のフランス映画『彼女の生きる道』です。
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映画『彼女の生きる道』の作品情報
【日本公開】
2022年公開(フランス映画)
【英題】
Her Way
【監督】
セシル・デュクロック
【キャスト】
ロール・カラミー、ニッシム・レナード
【作品概要】
『彼女の生きる道』は、息子の学費を稼ぐため、人の2倍も3倍も働く気丈な女性の生き様を讃えた人間ドラマです。
主人公マリーを演じたのは、『My Donkey, My Lover & I』(2020)で受賞を果たした昨年に続き、本作の演技で2年連続セザール賞の主演女優賞にノミネートされるなど、現在のフランス映画界を牽引する活躍を見せるロール・カラミー。
本作が長編初監督となるセシル・デュクロックが監督を務めます。SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2022国際コンペティション部門観客賞受賞作。
セシル・デュクロック監督のプロフィール
映画監督、脚本家。
2011年の短編『世界中がジュ・テーム』で監督デビュー。同作はカンヌ映画祭ではユニフランス特別賞受賞しました。その後、『Back Alley』(2014)でカンヌ映画祭批評家週間とサンダンス映画祭に入選し、2015年にセザール賞最優秀短編賞も受賞。
また「The Bureau」「Call My Agent!」などのテレビドラマの脚本を手掛け、2020年にはOCS制作のテレビ番組「Opera」で脚本、制作総指揮、監督を担当。『彼女の生きる道』が初長編監督作となりました。
映画『彼女の生きる道』のあらすじ
マリーは、娼婦の仕事に誇りを持つシングルマザー。仕事を愛し息子のアドリアンを愛して日々過ごしています。
ある時、アドリアンが学校を退学となりました。彼女は料理に興味を持つ息子をトップクラスの調理師学校に入学させようとします。
専門学校に面接に行きますが、多額の学費が高い障壁となりました。
学資ローンなども考えますが、自由業という彼女の職業のため、融資案件も通りません。
せっかく合格した一流の調理師学校にアドリアンを通わすため、困ったマリーは売春を斡旋する店で働き出します。
期日までに学費を納めなければアドリアンの入学は取り消されてしまいます。
一生懸命に働くマリーですが、それでもまだ指定の学費には足りません。
マリーは次第に追い詰められていきました。
映画『彼女の生きる道』の感想と評価
やる気がなく自堕落に生きる息子アドリアンを愛しているシングルマザーのマリー。
彼に社会から認められる仕事に就いて欲しく、料理好きの彼を一流のシェフにするため、調理師学校への入学を希望します。
面接などの難関を乗り越えてやっと合格した学校で、マリーたち母子に待っていたのは莫大な学費の納入でした。
マリーの職業は娼婦です。安定性のない自由業なので銀行はお金を貸してくれません。
学費を稼ぐために、仕方なくマリーは今まで以上に仕事に励むこととなります。
娼婦という仕事は、女性が身体一つで稼ぐ最後の手段とも言え、暗いイメージがつきまといますが、マリーは誇りを持って仕事をしています。
生きるため、息子を育てるため、娼婦という仕事に従事するマリーからは、例えようもない逞しさがあふれています。
ですが、強いマリーにも、ひとり息子に弱いという一面がありました。
息子のアドリアンの将来について彼と話すとしょっちゅう口論となります。
そこには、チャーミングで生命力にあふれる行動派の娼婦に反するように、息子の将来を気遣う優しい母の姿がありました。
仕事に精を出す娼婦のマリーと息子のために社会と戦う母のマリー。2つの顔の女性を見事に演じ切るロール・カラミーに注目です。
まとめ
SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2022国際コンペティション部門において、観客賞に輝いた『彼女の生きる道』をご紹介しました。
普通の女性以上に逞しいマリーですが、彼女は自分の息子に人並以上と言える強い愛情を持っています。
本作を手がけたセシル・デュクロック監督も以下のようにコメントしています。
マリーは経済的に苦しい身ですが、自由な女性です。学校を退学になり、母親にお金がないからという理由で、息子は自分の将来を選べない運命だという社会的決定論を拒絶する女性です。彼女はそれを受け入れません。だから、彼女は戦うのです。彼女自身の手段で。
無慈悲な社会と彼女自身の手段で戦うというマリー。これがタイトルの意味でもあるのです。
わが身を犠牲にしても、息子のために戦うというマリーの強い決意が作品から満ち溢れ、楽しい楽曲とともにインパクトの強い作品となりました。