SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2022・国内コンペティション長編部門
SKIPシティアワード受賞作『JOURNEY』!
肉体から意識を解放することが可能となった近未来で、生きることの意味という普遍的な問いと真正面から向き合った、霧生笙吾監督による哲学的SF映画『JOURNEY』。
SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2022・国内コンペティション長編部門にてワールド・プレミア上映された本作は、同映画祭にて見事SKIPシティアワードを獲得しました。
名作SF映画へのオマージュも垣間見せつつも、60分という尺の中に「短くも長い旅路」が凝縮されている本作。
本記事では、映画『JOURNEY』の魅力をご紹介いたします。
【連載コラム】『2022SKIPシティ映画祭【国際Dシネマ】厳選特集』記事一覧はこちら
CONTENTS
映画『JOURNEY』の作品情報
【日本上映】
2022年(日本映画)
【監督・脚本】
霧生笙吾
【キャスト】
宮﨑良太、伊藤梢、森山翔悟、みやたに、山村ひびき、廣田直己、富永諒、神崎みどり、うつみ敦士
【作品概要】
肉体から意識を解放することが可能となった近未来で、生きることの意味という普遍的な問いと真正面から向き合った哲学的SF映画。霧生笙吾監督は武蔵野美術大学造形学部・映像学科の卒業制作として本作を手がけた。
SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2022・国内コンペティション長編部門にてワールド・プレミア上映され、SKIPシティアワードを獲得した。
霧生笙吾監督プロフィール
武蔵野美術大学造形学部・映像学科卒業。
在学中は実写映画のみならず写真、アニメーション、CGなどを制作。3年時から本格的に実写映画の制作を開始する。過去2作はいずれも短編作品であり、卒業制作として制作した本作が初めての長編作品となる。
現在はフリーで新たな映画の制作と、企画の開発を行っている。
映画『JOURNEY』のあらすじ
肉体から意識を解放することが可能となった近未来。
宇宙飛行士になることをあきらめ地球で働く慶次は、心を病む妻の静と暮らしていた。
ある日慶次は新たな宇宙開発の噂を聞き、静は意識のみの存在に憧れを抱き始める……。
映画『Journey』の感想と評価
「journey」という短くも長い旅路
travel、trip、voyage、tourといった「旅」を意味する英単語の中でも、「長い旅」「旅程、行路」「遍歴」といった意味を持つjourney。その言葉はフランス語のjour(単位としての日)やJournée(一日の間、日中、昼間)に由来しているとされ、元々の意味も「一日の旅」「一日の仕事」を指していたそうです。
現代の視点から見ると「“長い旅”っていうと、一週間とか一ヶ月とかもっと長い時間なのでは?」とも感じてしまうjourneyの原義ですが、交通手段も現代よりはるかに少なく、当時の医療技術をはじめ、様々な事情から人々の平均寿命も全く違った過去の時代の人々にとって「一日がかりの旅」は非常に苦労と危険の多い“長い旅”であったはずです。
「一日」という短くもあり、長くもある時間の旅……そんな意味を持つjourneyという言葉は、主人公・慶次とその妻・静という個人間のごく小さな関係性、そして「意識と記憶が泡のように浮かび消える宇宙」「それらをつなぐ光の仕組み」という壮大な関係性の両者が交差することで物語が紡がれてゆく映画『JOURNEY』にふさわしいタイトルといえます。
空虚と無限の性質を同時に持つ宇宙に対し、ある怪奇幻想作家は「一にして全、全にして一」という表現を用いたことがありますが、本作では「一日の旅」というタイトルの字面だけでは判断できない、果てしない旅の光景が待ち受けているのです。
「おお、愛しうる限り愛せ」が失われた世界で
本作の挿入歌として使用されている、「ピアノの魔術師」と称された19世紀の音楽家フランツ・リストによるピアノ曲「愛の夢(三つの夜想曲)第三番・変イ長調『おお、愛しうる限り愛せ』」。歌曲として作られた三曲をピアノ曲へと編曲したものであるものの、リスト自身は「夜想曲」として扱っていたといわれる作品です。
なお夜想曲とは、性格的小品(ロマン派および前後の時代、自由な発想で作られた短いピアノ曲)の一種であり、夜の美しさや儚さ、切なさを叙情的に奏でる作品としても知られています。
第三番の基となった歌曲に存在した、19世紀の詩人フェルディナント・フライリヒラートによる詞。『おお、愛しうる限り愛せ』という字面だけでは「恋愛を美しく歌った作品なのか?」と勘違いしてしまいそうですが、実際の詞は人間の生と愛の関係性を描いた内容となっています。
おお 愛しなさい、君が愛せるだけ!
おお 愛しなさい、君が愛したいだけ!
その時は来る、その時は来る
君が墓の前に立って歎く時が
主題部分にて歌われるその詞には、死といういずれ訪れる終わりを解した上で、限りある生を「他者を愛す」という行為に尽くすことを尊ぶ、人間の生そのものへの愛が伝わってきます。
しかし、少々捻くれた捉え方をすると「人間の生が限られたものであるからこそ、その一生を愛に尽くす」「では、もし“死後の世界”といえる世界の存在が証明され、死が“終わり”でないと証明された時、人間の生と、生に依存する愛は成立するのか?」という問いも、『おお、愛しうる限り愛せ』の詞から想像することも可能です。
映画作中で描かれる、肉体から意識を解放することが可能となった近未来。「積極的選択としての死」を否定し得る死への恐怖が失われてしまった世界で、果たして生、そして愛は、人間を人間として縛り付けることができるのか。
映画『JOURNEY』は、その問いを模索する旅路でもあるのです。
まとめ/「実験」の果てに辿り着く先
jour(単位としての日)やJournée(一日の間、日中、昼間)から生まれ、「一日の旅」そして「長い旅」という意味を持ったjourney。
その言葉は、かつての人々が日没と夜明け、昼と夜という異なるもの=「他者」の関係性から「日」という概念を生み出し、自身らが現在立つその時間を認識していたことの表れでもあり、その「日」という概念が今日まで残り続けているからこそ、journeyという言葉も用いられ続けているのかもしれません。
では、もし夜明けや昼を生み出す光が失われたら。比較するための「他者」が失われたことで、闇が作り出す日没や夜の意味が失われたら……「長い」「短い」といった時間を知ることができなくなった時、人間はそこに立っていられるのか。
そうした様々な思考の実験が同時に進行し、交差してゆく果てに、思いがけない結末へとたどり着く映画『JOURNEY』に、観る者は必ず驚かされるはずです。
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ライター:河合のびプロフィール
1995年生まれ、静岡県出身の詩人。
2019年に日本映画大学・理論コースを卒業後、映画情報サイト「Cinemarche」編集部へ加入。主にレビュー記事を執筆する一方で、草彅剛など多数の映画人へのインタビューも手がける(@youzo_kawai)。