「ミッドウェイ海戦」に至るまでの経緯とは?
ハリウッドが誇る“破壊王”ローランド・エメリッヒが太平洋戦争において日米、運命の決戦となった「ミッドウェイ海戦」に至るまでの経緯を日米双方の視点で描いた映画『ミッドウェイ』。
太平洋戦争における一大海戦を日米双方の視点で開戦後の一連の出来事を通し、「ミッドウェイ海戦」に至るまでとその結末を描いています。
エド・スクレイン、パトリック・ウィルソン、ウディ・ハレルソンなど実力派俳優陣に加え、日本から豊川悦司、浅野忠信、國村隼らが出演している本作。今回は、「ミッドウェイ海戦」に至るまでの劇中の出来事の詳細と背景を解説します。
映画『ミッドウェイ』は、2020年9月11日(金)よりTOHOシネマズ日比谷他全国ロードショーです。
映画『ミッドウェイ』のあらすじ
1937年、駐在武官として日本に滞在していた海軍将校、エドウィン・レイトン(パトリック・ウイルソン)は任期を終え、帰国しようとしていました。
日米海軍の親交を深めるため、催されたレイトンら帰国する米海軍将校の送別会でレイトンは日本帝国海軍総司令官、山本五十六(豊川悦司)と言葉を交わします。
レイトンは山本が日本国内で米国を敵視し、会戦の風潮が大きくなる中、会戦に慎重なことを知ります。
また、その中で山本はレイトンにあまり日本を刺激しないように米本国で発言を頼み、レイトンも山本の意を受け、尽力を約束します。
しかし、2人の思いとは裏腹に4年後の1941年、太平洋戦争が勃発することとなります。
1941年12月7日
アメリカ海軍、空母エンタープライズの操縦士、ディック・ベスト(エド・スクレイン)は哨戒飛行を終え、着艦する際に訓練と称し、エンジンを切り、フラップを使用せずの着艦を行います。
そのことを上官、ウェイド・マクラスキー(ルーク・エヴァンス)に知られ、続く哨戒飛行から外されます。
その頃、ハワイ州オアフ島、真珠湾に突如、日本軍の戦闘機が襲来、攻撃を開始します。
太平洋艦隊情報部に着任していたレントンはその知らせを聞き、自宅から基地へと向かいます。
日本軍の攻撃が止み、そのあとには破壊された艦船や基地施設、兵士たちの死体が残され、地獄のような様相を呈していました。
アメリカ海軍太平洋艦隊司令長官、キンメルはレントンから事前に日本軍の攻撃を示唆されていました。
しかし、その話に取り合わず、攻撃を防げなかったことの失態を認識し、更迭を覚悟しており、レントンに後任の司令長官には強く警告することを勧めます。
真珠湾攻撃の知らせを聞いたベストは太平洋上に潜伏しているであろう日本軍の艦隊を攻撃するべく出撃します。
しかし、日本軍の艦隊は見つかりませんでした。真珠湾に帰港したエンタープライズの甲板からベストは変わり果てた基地の姿を目にします。
その後、妻、アン・ベスト(マンディ・ムーア)の無事を確認。しかし、友人が沈没した戦艦アリゾナに乗っていたことを知り、回収された友人の遺体を目にし愕然とします。
数日後、真珠湾l攻撃に沸く、日本軍本営に向かった山本は山口多聞(浅野忠信)から真珠湾攻撃を指揮した南雲忠一(國村隼)が米軍に対しより深刻な打撃を与える機会をあえて逃がしたことを話し、南雲の更迭を進言します。
しかし、山本は真珠湾攻撃の立役者として名が知れた南雲を更迭することは海軍内でも不興を買い、一丸となって戦いができなくなるため処分を下すことができません。
また、本営は真珠半攻撃で米海軍に対する打撃は十分と考え、以降、陸軍主体の戦闘に切り替える決定をします。
本営の決定に不満を感じながらも、次の機会に米海軍に決定的な打撃を与えるため、山本は山口に次の作戦、ミッドウェイを標的にした作戦の立案を指示します。
米海軍大将チェスター・ニミッツ(ウッディ・ハレルソン)は大統領命令を受け、新たな太平洋艦隊司令に就任します。
ニミッツはレントンに日本海軍の次の目標を探るよう指示しました。
開戦前の日米関係
この当時の日本は日露戦争以降、欧米の注目を集め、それと同時に強く警戒されていました。
このことにより、欧米列強との国力を埋めるべく、何より資源の確保が急務でありその焦りが、中国への侵略を強行させ、国際社会から強い反感を買ってしまいます。
しかし、その勢いはとどまることなく1937年、日中戦争が勃発します。
本作『ミッドウェイ』は日中戦争が勃発し、約1年が経過した1938年から始まります。
この頃、日米は東南アジアでの覇権を争うようになっており、互いに開戦を意識していました。
それに備えるかのように、日米は互いの領事館に駐在武官を派遣し、情報収集を行います。
本作ではパトリック・ウィルソン演じるレイトンが日本で担っていた任務がその情報収集だったようです。
真珠湾攻撃
1941年12月8日、日本はアメリカに宣戦布告、マレー半島に駐留するイギリス軍を標的としたマレー作戦に次いでアメリカ、ハワイ州オアフ島、真珠湾の米海軍基地を攻撃します。
当時、真珠湾は米海軍の一大拠点であり、日本海軍では長く、反撃で発生する被害が甚大になることから直接攻撃を戦略に組み込んでいませんでした。
しかし、本作で豊川悦司が演じた山本五十六が連合艦隊司令長官に就任すると、山本が論じていた短期決戦の観点から、海上戦力の壊滅を目的として、開戦と同時に敢行されました。
山本は國村隼が演じた、南雲忠一を指揮官とした第一航空艦隊を派遣、赤城、加賀、蒼龍、飛龍、瑞鶴、翔鶴から発艦した航空機による攻撃隊により真珠湾の基地施設を攻撃します。
これにより、米軍は甚大な被害を被ります。
奇襲攻撃という日本軍の作戦の特性もありますが、この時、米軍は何の抵抗もできず、一方的にやられてしまいます。
これには諸説ありますが、米政府は真珠湾攻撃を事前に察知していたものの、世論を開戦へと誘導するため、敢えて攻撃させた陰謀論や察知していたものの攻撃目標が分からなかったなどが挙げられています。
本作ではレイトンが日本の空母を太平洋上で見失い、当時の太平洋艦隊司令、キンメルに忠告をしたにもかかわらず、キンメルが真剣に取り合わなかった場面が描かれていますが、そのことも一因に挙げられると思われます。
なんにせよ、米国はこれにより海上戦力の多くを失います。
また、真珠湾での出来事は米国全土に衝撃を与え、日本への戦意を高める事となりました。
しかし、山本の思惑は真珠湾攻撃で米海軍を決定的打撃を与える事を目的としており、損害も覚悟の上でした。
ですが、この山本の考えを理解していなかった南雲は米軍に大きな打撃を与えた上、自軍の損害がほとんどないことに満足し、二次攻撃を具申する将校らを無視し、日本に帰還します。
本作で浅野忠信演じる山口多聞もこの時、作戦に参加しており、南雲に具申を行っています。
本営での会議に臨む山本に南雲の不満を漏らす山口の場面がありましたが、この会話の裏にはその背景を基に描かれています。
マーシャル・ギルバート諸島機動空襲
ウッディ・ハレルソン 演じるチェスター・ニミッツは太平洋艦隊司令に就任したのち、真珠湾攻撃を免れた空母3隻、エンタープライズ、ヨークタウン、レキシントンを基軸に日本軍への反抗作戦を実施します。
この時、攻撃目標にしたのが、日本が占領して軍事拠点となっていたマーシャル諸島及びギルバート諸島でした。
ニミッツは日本との戦力差を考慮し、奇襲により基地施設を空爆、その後、撤退する一撃離脱の電撃作戦を計画します。
作戦は成功し、米軍は基地施設と多くの航空機、停泊中の艦船に損害を与えます。
ですが、日本軍の反撃や悪天候により、米軍も多くの航空機、艦船を失い、物的には大きな戦果を得たとはいいがたい結果となりました。
しかしながら、真珠湾以降、敗戦続きだった米軍にとっては貴重な勝利を得ることとなり、軍全体の士気を大きく上げることができたとともに、航空機部隊は実戦経験を積むことができました。
これこそがニミッツの目的であったとされています。
ドゥーリトル空襲
ドゥーリトル空襲は太平洋戦争において、米軍が初めて日本本土の攻撃に成功した空襲です。
この名称は、空襲を行った米陸軍の爆撃機部隊を率いていたジミー・ドゥーリトルにちなんで命名されました。
本作では、ドゥーリトルをアーロン・エッカートが演じています。
開戦後、太平洋の大半の制海権を手にした日本軍は米軍が制海権を有する海域から爆撃機を往復させることはできないと考えていました。
しかし、米軍は太平洋から飛び立った爆撃機を帰還させることなく、日本を攻撃したのち、中国へ不時着させ、乗員を回収する言わば、片道切符の作戦を立案します。
この作戦を決行するうえで米軍参謀本部が選んだのは数々の航空機レースで優秀な成績を収め、陸軍航空部において随一の操縦士、ドゥーリトルでした。
この作戦は一見単純なようですが、重たい爆撃機を滑走路の短い空母から発進させた事例がなく、入念なシミュレーションと訓練により、見事、ドゥーリトルは空母からの爆撃機発進を成功させます。
また、爆撃を行った後の生還が約束されない危険な任務であり、参加した80人の内、10人は帰還することができませんでした。
しかし、参加した兵士たちの多くはドゥーリトルを慕い、作戦に志願しています。この空襲による日本軍の損害はそれほど大きくはありませんでしたが、与えた影響は非常に大きいものでした。
山本はこの空襲により以降、同様に空襲を行われ、本土での被害が拡大する危機感を抱き、ミッドウェイへの侵攻を急ぐ事になったともされています。
また、日本の軍部も山本が提唱するミッドウェイ侵攻計画に対し消極的でしたが、ドゥーリトル空襲を受け、以降の同様の空襲を防ぐため、太平洋の制海権の完全な獲得、米海軍の空母を撃滅するべく、ミッドウェイへの進攻を許可することとなります。
ある意味では、ミッドウェイ海戦を引き起こすきっかけとなった出来事といっても過言ではないのかもしれません。
珊瑚海海戦
珊瑚海海戦は当時、オーストラリア領であったポートモレスビー(現在のパプアニューギニアの首都)攻略を目指し、日本海軍が侵攻、これを阻止するべく米海軍は機動部隊を派遣し起こった戦いです。
この海戦は空母から発進した航空機同士で戦闘が繰り広げられ、両軍が互いの艦船を見ることなく行われた史上初の海戦となりました。
結果は日本軍が敗退し、太平洋戦争においてこの珊瑚海海戦以降、各地で敗戦を喫し続けることになります。
本作においては戦い自体は取り上げられず、日本海軍の目的がミッドウェイである事に気が付くきっかけとして扱われています。
この海戦で、情報戦においても後手に回っていた米軍が日本軍の暗号を解読し、先手を打つことができました。
ミッドウェイ海戦
本作においてのクライマックスであり、タイトルの由来にもなっている海戦です。
この海戦は北太平洋のほぼ真ん中、ハワイ州に近いミッドウェイ諸島に建設された米軍の航空機基地への攻撃、奪取を目的とし、日本海軍が艦隊を派遣、それを阻止しようとする米海軍と激突した戦いです。
日本軍はミッドウェイ諸島奪取により、太平洋での制海権を確固たるものにしようとしており、まさに、日米の命運を分ける戦いとなりました。
米海軍は先の珊瑚海海戦で勝利を収めたものの、空母レキシントンを失い、ヨークタウンも中破、航空戦力が主体となった海戦において、空母はエンタープライズとホーネットの2隻で戦うことを強いられます。
対して日本海軍は赤城、加賀、蒼龍、飛龍の4隻の空母を要する先遣艦隊を派遣、後発の主力部隊には戦艦 大和をはじめとした多くの艦船が控えていました。
本作では、この、米海軍の圧倒的に不利な状況を、決戦を控えたエンタープライズ艦内に流れる重苦しい空気で描いていました。
この後、中破したヨークタウンが応急修理を終え、戦列に参加しますが、戦力差は依然開いたままでした。
こうして、1942年6月5日に日本海軍によるミッドウェイ諸島の基地施設への航空機爆撃によりミッドウェイ海戦の火ぶたは切って落とされます。
ミッドウェイ諸島への攻撃を成功させた日本軍ですが、基地への損害が想定より少なく、二次攻撃の準備を行います。
その間、ミッドウェイ基地を飛び立った航空機の攻撃を受けますが、護衛の戦闘機により撃退します。
その後、散発的に行われる米軍の航空機による攻撃を退ける中、日本軍は米艦隊の存在を知ります。
そこで、先遣艦隊を率いる南雲は米艦隊を攻撃するべく二次攻撃に向け、爆弾を積載中の航空機に魚雷への装備変更を指示します。
この指示がミッドウェイ海戦における日本軍敗北の一因となります。
この時、迫る米艦隊に焦った日本軍は取り外した爆弾をそのままに、作業甲板に放置していました。
この放置した爆弾は後に襲来したベストやマクラスキーらのエンタープライズからの攻撃隊により被弾した際、爆弾に引火し、各空母に甚大な被害がもたらされます。
本作中でベストが赤城に爆弾を投下する場面が描かれていましたが、実際、上記の理由によりその一撃で撃沈しています。
ちなみに、珊瑚海海戦で中破したヨークタウンをニミッツが視察する場面が描かれていましたが、ヨークタウンも赤城同様、一発の爆弾を被弾していましたが沈没はおろか自力で真珠湾に帰還しています。
日米で空母の構造の違いもありますが、この状況が短時間で3隻の空母を失う結果になったことが察せられます。
その後、山口が指揮する空母飛龍は被害が少なく、直ちに反撃を実施し、米海軍の空母 ヨークタウンを大破させますが、米軍による二次攻撃により飛龍も撃沈、日本軍は4隻すべての空母を失います。
米軍は日没も近く、夜間の戦闘には不利な空母主体の艦隊編成を考慮し、ミッドウェイ海域からの後退します。
戦艦大和に座乗する山本は、米艦隊を追って夜間戦闘を実施を検討しますが、錯綜する情報、混乱する艦隊司令部の様子、待ち伏せの可能性などから、追撃を断念、撤退を決意。こうしてミッドウェイ海戦は幕を閉じます。
この海戦は戦力的に有利であったはずの日本海軍が敗北を喫した理由としては、米艦隊が向かっていることに察知できなかった情報戦による敗北、艦隊の練度不足などが挙げられますが、決定的なのが状況を楽観視した誤った命令、混乱した指揮命令系統などが後の戦史研究で挙げられています。
まとめ
本作、映画『ミッドウェイ』は太平洋戦争でも激戦となった「ミッドウェイ海戦」に至るまでの経緯を描いています。
改めて、「ミッドウェイ海戦」までの経緯を読み解いてみると、日米ともにそれぞれに苦しい状況から勝利を収めるため、一手一手を絞り出していたことが感じられます。
本作でローランド・エメリッヒが表現したかったのはそんな戦いに身を投じた人々の思いだったのかもしれません。
それは年表や戦史研究による研究結果からでは到底、分かりえないことであり、太平洋戦争の出来事が、最早「歴史」の中に消えていこうとする現代だからこそ輝くのであり、そして、決して忘れてはならないことに違いありません。