町田そのこの原作小説を成島監督が映画化した『52ヘルツのクジラたち』
2021年本屋大賞を受賞した町田そのこの小説『52ヘルツのクジラたち』を、『銀河鉄道の夜』(2023)『八日目の蝉』(2011)『いのちの停車場』(2021)『ファミリア』(2023)の成島出監督が、杉咲花主演で映画化しました。
自分の人生を家族に搾取されて生きてきた三島貴瑚は、ある事情があって東京から海辺の街の一軒家へ引っ越します。そこで母親から虐待され、声を発することのできない少年と出会いました。貴瑚は少年との交流を通し、かつて自分の声なきSOSに気づいて救い出してくれたアンさんとの日々を思い起こします。
貴瑚はアンさんと知り合ってどのように救ってもらったのでしょうか。またどうして一人で海辺の街へ引っ越してきたのでしょう。そこには悲しい事情がありました。
杉咲花が心の傷を持つ貴瑚を演じる映画『52ヘルツのクジラたち』をネタバレ有でご紹介します。
映画『52ヘルツのクジラたち』の作品情報
【公開】
2024年(日本映画)
【原作】
町田そのこ:『52ヘルツのくじらたち』(中央公論新社)
【監督】
成島出
【脚本】
龍居由佳里
【脚本協力】
渡辺直樹
【トランスジェンダー監修】
若林佑真
【キャスト】
杉咲花、志尊淳、宮沢氷魚、小野花梨、桑名桃李、金子大地、西野七瀬、真飛聖、池谷のぶえ、、余貴美子、倍賞美津子
【作品概要】
原作は、2021年本屋大賞を受賞した町田そのこの同名小説『52ヘルツのくじらたち』。タイトルの意味は、他のクジラが聞き取れないほど高い周波数で鳴く、世界で1頭だけの孤独なクジラのことです。
タイトルが示している切ない内容の物語を、『銀河鉄道の夜』(2023)『八日目の蝉』(2011)『いのちの停車場』(2021)『ファミリア』(2023)の成島出監督が映画化しました。
主演は、『法廷遊戯』(2023)や『市子』(2023)などの話題作の主演が続く杉咲花。共演に志尊淳、宮沢氷魚、小野花梨などが顔をそろえました。
映画『52ヘルツのクジラたち』のあらすじとネタバレ
大分県のある海辺の街。
東京からやって来た三島貴瑚(杉咲花)が祖母が住んでいたという一軒家に住むようになりました。
貴瑚は家の修繕を近所の村中工務店に頼みました。そこで同年代の村中真帆(金子大地)から、街で自分が噂されていることを聞きます。
やるせない気持ちで堤防から海を見つめる貴瑚。ある男性のことを思い出していると、急に雨が降って来ました。
急いで帰る途中、お腹の傷が急に痛みだして思わずうずくまります。そこへ髪の長い少年(桑名桃李)が傘をさしかけてくれました。
貴瑚は自分も少年もずぶ濡れなのに気が付き、自分の家へ少年を連れていきました。少年にシャワーを浴びさせようと服を脱がせると、体中傷だらけでした。
見てはいけないものを見せたことに気が付いた少年は、降り続く雨の中、貴瑚の家を飛び出していきました。
少年のことを探す貴瑚は、村中からその子の母親が働いている店を教えてもらい、会いに行きました。少年の母・品城琴美(西野七瀬)は派手な性格で高校を卒業すると家を出ていき、最近子連れのシングルマザーとして街へ戻って来たと言います。
店の休憩時間に、貴瑚が琴美に子どものことを尋ねると、「うちに子どもはおらん」と言い放ちました。どうやら少年は琴美から邪魔者扱いされ、虐待を受けているようです。
少年の話から、貴瑚は母親にぶたれ続けた自分の少女時代を思い出しました。「誰か助けて」と心の中で叫んでいたあの時の小さな自分のことを……。
そんなある日、あの少年が貴瑚の家にやって来ました。喜んだ貴瑚は少年と波止場へ行き、貴瑚の一番大事な人から教えてもらったという、52ヘルツのクジラの話をします。
52ヘルツで鳴くクジラはあまりの高い鳴き声のせいで、どんなに頑張って鳴いても、他のクジラにはその声が聞えません。だから52ヘルツのクジラはいつもひとりぼっちなのでした。
貴瑚は話終えると、「あんたも同じじやないの? わたしもそうだった」と少年に言いました。「でもね、たった一人だけ、私の声を聴いてくれた人がいたんだ」と、語り出しました。
3年前
18歳の貴瑚は自宅で寝たきりの義父の看病をしていました。ある日、義父は食事中に誤嚥性肺炎をおこして入院します。病院で医師から説明を聞いた母は、いきなり怒り出し、「あんたのせいだ。あんたが看病を怠ったからだ。お前が死ねばよかったんだ」とそばにいた貴瑚を殴りつけます。
ショックを受けた貴瑚はそのまま街へ出ていき、死ぬつもりでふらふらとトラックの前に飛び出そうとします。そこへ、通りかかった一人の男性が助けてくれました。
彼の名前は岡田安吾(志尊淳)。一緒にいた学校のクラスメイトだった牧岡美晴(西野七瀬)が、彼を仕事先の先輩で、アンさんと呼んでいると、紹介してくれました。貴瑚の様子がおかしいことに気が付いた美晴は、アンさんと一緒に貴瑚を居酒屋に連れていき、悩みを聞き出しました。
学校卒業後自宅で義父の看病をしていて、義父の病気が悪化したら、母に死ねと言われたと言う貴瑚。アンさんは、「家族はときには呪いになるから、もう離れた方がいいんだよ」と、優しく貴瑚を諭します。
まず家を出て新しい人生を生きてみようというアンさんの提案に、貴瑚は初めて希望をみた思いがしました。貴瑚は自活できるよう身辺整理をし、アンさんに付き添ってもらって、家に戻って母に自立する決意を告げました。
その帰り道、貴瑚は悲しみに耐えられなくなり、大泣きします。アンさんは「貴瑚の心の声が僕には聞こえたよ」と、言いました。そして、貴瑚に聞かせてくれたのが、携帯に保存していた52ヘルツのクジラの鳴き声でした。
「寂しくて、悲しくて、死にそうな時に、僕はこの声を聴くんだ」と、アンさんは言って、貴瑚にこの鳴き声の音声データをプレゼントしてくれました。
少年との絆
貴瑚は少年の境遇が心配で、琴美のもとを再び訪れ、少年を引き取りたいと申し出ます。少年をムシと呼んで邪魔者扱いしていた琴美は、「勝手に連れていけばいい」と言いました。
貴瑚は自分の家に連れてきた少年に何と呼んで欲しいかと聞きました。彼は「52」と紙に書きます。そして母の琴美以外に「ちほちゃん」という親類がいることが、筆記で会話してわかりました。
貴瑚が少年改め52と暮らし始めて間もなく、大きなキャリーバッグとともに、親友の美晴が貴瑚の家にやって来ました。突然東京からいなくなった貴瑚を心配し、やっと探し当てたと言います。
「アンさんと何があったの?」問いかける美晴に、貴瑚は語り始めました。
映画『52ヘルツのクジラたち』の感想と評価
物語が提示する社会問題
ある海辺の街で出会った、自分の人生を家族に搾取されてきた女性・貴瑚と、母に虐待され「ムシ」と呼ばれていた少年。
過去の自分を見ているようで、少年の心のSOSに気が付いた貴瑚は彼をほっておけませんでした。少年のそばにいようと決意した貴瑚の胸に、かつての恩人‟アンさん”の姿が浮かびます。
育児放棄や幼児虐待の被害はどちらも自ら助けを呼べない、幼い子どもたちがほとんどです。そして加害者は血を分けた本当の母親の場合も多いと言います。
ケースバイケースでさまざまな事情もありますが、現実にも虐待を受け続けた子どもが死亡する事件が後を絶たず、子どもたちからのSOSが届きにくいのかが分かります。
声にならない声をしっかりと聞いてあげること。小さなサインを見逃さないこと。これらが被害者を救うのに大切だとわかります。
アンさんの抱える悩み
52ヘルツで鳴くクジラの話をして貴瑚の傷ついた心を癒してくれたアンさんですが、実はアンさんも人には言えない悩みを持っていました。
アンさんは、トランスジェンダー男性(出生時に割り当てられた性別が女性で、性自認が男性の人)だったのです。
アンさんは貴瑚のことは大好きなのですが、堂々と愛を告白して一緒にはなれません。貴瑚を愛しているという新名主税に彼女を守ってもらおうとするのですが、アンさんと貴瑚の深い友情を知って嫉妬に狂った新名主税は、アンさんを毛嫌いします。
アンさんの秘密に気が付いた新名主税が貴瑚にその秘密を暴露し、アンさんは自殺します。貴瑚はアンさんの心の声を聴いたようで、どうしようもない絶望の淵に立たされます。
アンさんの心のSOSは、52ヘルツで鳴くクジラの話と被ります。高音で悲し気なクジラの鳴き声は、心からのSOSを知っている人でないと聴くことは出来ないのかもしれません。
人に分かってもらえない心からの危険信号を感知できるのは、同じ苦しみを持つ人であり、真の優しさと強さを持っている人だと言えます。
本作ではアンさんを演じるのは志尊淳。俳優の若林佑真がトランスジェンダー監修として「アンさん」に向けたアドバイスは、彼に「髭」をはやすことでした。
こっそりと性転換し、自分の秘密を知られたくないアンさんの男性としての象徴は「髭」だったのでしょう。
優し気な表情の志尊淳が髭を生やして好演する「アンさん」には、トランスジェンダーの心の叫びが含まれていたのです。
まとめ
本作のタイトルは、「他のクジラが聞き取れないほど高い周波数で鳴く、世界で1頭だけの孤独なクジラ」のことです。
叫んでも誰にもそのSOSの声が届かず孤立した日々を過ごす人々。本作では、主人公の三島貴瑚と少年、そして貴瑚の心の叫びに気が付いて助けたアンさんこと岡田安吾でしょう。
作品では貴瑚の心の傷とアンさんとのことが描かれた過去と、海辺の街で出会った少年との現在の話が交互に描かれています。
過去から現代へと時が流れる中、SOSを発信する小さなクジラから成長し、仲間の声を聞き分けられるようになった貴瑚は、大きな成長を果たしたと言えます。
彼女を演じた杉咲花のピュアな表現力と、アンさんこと岡田安吾を演じる志尊淳が持っている、男性とも女性とも見れる爽やかな魅力が充分に活かされた作品でした。