ホン・サンス監督と何度もタッグを組んだクォン・ヘヒョを主演にむかえた監督長編第28作目
映画監督のビョンスは、娘のジョンスとともに旧友ヘオクの所有するアパートを訪れます。
そのアパートは、地下がへオクの作業場、1階がレストラン、2階が料理教室、3階が賃貸住宅、4階が芸術家向けのアトリエになっています。
映画は4つの章に分かれ、階を1つ上がるごとに物語が展開していきます。
ドラマ『冬のソナタ』(2002)のキム次長として知られ、ホン・サンス監督作には、『夜の浜辺でひとり』(2017)、『それから』(2017)をはじめ多数の映画に出演するクォン・ヘヒョが、『それから』(2017)以来の単独主演を務めます。
映画『WALK UP』の作品情報
【日本公開】
2024年(韓国映画)
【原題】
Walk Up
【監督・製作・脚本・撮影・編集・音楽】
ホン・サンス
【キャスト】
クォン・ヘヒョ、イ・ヘヨン、ソン・ソンミ、チョ・ユニ、パク・ミソ、シン・ソクホ
【作品概要】
ホン・サンス監督の長編第28作目であり、『それから』(2017)以来に、クォン・ヘヒョが単独主演を務めました。
他のキャストには、『イントロダクション』(2021)のパク・ミソ、シン・ソクホ、『あなたの顔の前に』(2021)のイ・ヘヨン、『小説家の映画』(2022)のソン・ソンミ、チョ・ユニとホン・サンスの映画に出演してきたキャストが登場します。
精力的に活動し続けるホン・サンス。本作は、サン・セバスチャン国際映画祭に出品され、本作の後も、『IN WATER』(2023)、『IN OUR DAY』(2023)と制作し、最新作『A TRAVELER’S NEEDS』(2024)で、第74回ベルリン国際映画祭で銀熊賞(審査員大賞)を受賞します。
映画『WALK UP』のあらすじとネタバレ
1階
映画監督のビョンス(クォン・ヘヒョ)は、娘のジョンス(パク・ミソ)を連れてインテリアデザイナーとして活躍する旧友ヘオク(イ・ヘヨン)が所有するアパートを訪ねます。
1階のアパートで3人は食事をします。ビョンスが娘のジョンスは大学で美術を学んでいたことを話し、インテリアの仕事に興味を持っているからヘオクに話でも聞けたらと連れてきたと言います。
ヘオクがインテリアの仕事に興味があるのかと尋ねると、「インテリアの仕事についてよく分かっている訳ではないけれど、人とたくさん会う仕事だと思って興味がある」と話します。
「私は少し内気なところがあるから、人と会う仕事で改善されるかもしれない」と続けます。ワインを飲もうとヘオクはレストランで働くジュール(シン・ソクホ)に持ってくるように声をかけます。
“ジュール”という名前を不思議がるビョンスとジョンスにヘオクは、「好きな作家の名前だからジュールと呼んでほしい」と言われたと話します。
ワインを飲んでまどろんだビョンスとジョンスに、ヘオクはアパートを案内すると言います。
地下1階はヘオクの作業部屋だと言います。「作業をするというより休むための部屋」と話すと、ヘオクは料理教室のある2階に向かいます。
料理教室に客の姿がありますが、料理教室を開いているソニ(ソン・ソンミ)の姿が見当たりません。仕方なくそのまま3階に上がります。
3階には外国で暮らしていたカップルが住んでいると言いますが、その2人の姿はありません。2人がいなくてもいつも出入りしているし、夜も鍵をかけないでいるとヘオクが説明するとビョンスは「珍しいな」と驚きます。
屋根裏部屋のような4階は作業部屋になっており、画家が住んでいましたが、家賃を滞納し、今度引っ越すと言います。
4階から続く屋上を見たビョンスは、作業部屋と言わずこのようなところに住みたいと話します。そんなビョンスにヘオクは「監督が住むなら家賃は半額でいい」と話します。
地下1階
ヘオクの作業部屋に移動した3人はお酒を飲みながら談笑しています。その中、ジョンスは抜け出し外の空気を吸いに行きます。
そこには、1階のレストランで働くジュールが煙草を吸っていました。煙草を忘れてしまったジョンスは、ジュールから煙草を一本もらいます。
ジュールはヘオクについてジョンスにアドバイスします。「いい人だけれど人を選ぶ。言うことを素直に聞く人か、成功している人にしか興味がない」と言うのです。
煙草を吸い終えたジョンスが地下1階に戻ると、ビョンスがギターを弾いていました。そして電話が来て外に出ると、「この近くに住む映画監督に呼び出されたからちょっと出ても良いか」と聞きます。
ビョンスが出かけ、ヘオクと2人きりになったジョンスは気まずそうな表情を浮かべますが、ヘオクは映画監督としてのビョンスを誉めます。
すると、「皆映画監督としての父しか知らない、本当の父はそんな人じゃない」とビョンスは言い始めます。かつては家庭的だった父が、いつしか女を作るようになり家に帰ってこなくなった、そして別居……と、本当の父は臆病だと言うのです。
そんなジョンスにヘオクは「誰もが表の顔と裏の顔がある、でも裏の顔だけが本当とは限らないでしょう」と言います。「あなたは家での監督が本当の姿だと信じているのね」とすら言います。
互いに酔いが回ってきた頃ジョンスは、「酔っているからという訳ではないですが、何でもしますので働かせてください。決して裏切らないから仕事を教えてください」と頼み込みます。
そんな話をしながら時間が経っていき、「30分か1時間くらいで帰る」と言ったビョンスですが、一向に帰ってくる気配がありません。ジョンスは仕方なく追加のお酒を買いに近くのコンビニに向かいます。
映画『WALK UP』の感想と評価
“老い”への視点
クォン・ヘヒョ主演、4階だてのアパートを舞台に紡ぎ出される4つの物語。
『それから』(2017)以来のクォン・ヘヒョ主演作となった本作ですが、ホン・サンス自身を彷彿させるような映画監督の主人公が主軸となっている映画も『それから』以来といえます。
また、『正しい日 間違えた日』(2015)以降ホン・サンスのミューズとなったキム・ミニですが、『草の葉』(2018)、『逃げた女』(2020)以降は物語の主軸ではなくなり、『WALK UP』では出演もしていません。
男女の恋愛を描いてきたホン・サンスの作風も、ここ数年では変化しています。ホン・サンスはメディアの前で作品について語ることは少なく、解釈も全て観客に委ねていますが、ホン・サンス自身の年齢の変化が作風にも影響しているのではないでしょうか。
老いが描かれるようになったのは、『川沿いのホテル』(2018)からです。自分の死を意識した詩人の男性が主人公になっています。
『川沿いのホテル』と対をなすのは、『あなたの顔の前に』(2021)です。アメリカで長く暮らしていた女優が韓国に帰還し、家族と会う姿が描かれます。
女優は、病気により死を意識し、帰国しましたがそのことを誰にも告げません。
『逃げた女』(2020)は、話の主軸に現れてこなかった、監督自身を投影したかのようなキャラクターですが、『WALK UP』では久しぶりに主軸として描かれていますが、そこには“老い”という新たな要素が加わっています。
ビョンスとソニ、ビョンスとジヨンの生活が描かれる様子は、『正しい日 間違えた日』や『次の朝は他人』(2011)などの反復を感じさせますが、反復とはまた違うパラレルワールドのような感じを受けます。
ソニとの生活では、病気により菜食中心の食生活をしているビョンスが描かれ、ジヨンとの生活では肉を食べる姿が描かれており、対照的な姿と言えます。
しかし、肉を食べていても、ジヨンはビョンスに高麗人参を買ってきて「これで元気をつけて」と言われており、そこに“老い”が感じられます。
欲望のままだったかつての男女関係とは違う、成熟した男女の関係性がそこにはあります。しかし、その中にもホン・サンス監督らしいままならぬ男女のダメさが残っているのです。
必ずしも自身を投影したわけではないとホン・サンス監督は以前から言っていますが、クォン・ヘヒョ演じる映画監督のビョンスはホン・サンスと思わず重なるところのあるキャラクターです。
娘のジョンスは、外で恋人を作り家に帰ってこなくなり、そのまま別居状態だと言います。その言葉を聞いてホン・サンスとキム・ミニの関係性を想起した人もいるでしょう。
また、回顧上映が行われていることや、原作ありきの映画は作らない、映画の資金繰りに苦労している姿など監督の本音もこもっているのでは、と思う言葉の数々。
そのような絶妙なリアルさを交えつつユーモアを感じさせる軽妙さがホン・サンス監督独特の味になっています。
まとめ
ホン・サンスの映画において興味深いのは、不在がもたらすものとも言えます。
象徴的なのは、『逃げた女』(2020)において、キム・ミニ演じる主人公が「5年で一度も離れたことがない」と言う夫の姿が一度も見えないことでしょう。
『WALK UP』においても、そこにはいない誰かのことを会話している場面がいくつもあり、不在がもたらす人々の関係性が映し出されます。
中でも印象的なのは、ビョンスが映画会社に向かって残された娘のジョンスがヘオクと話す場面です。
その前にジョンスはジュールと共にそこにはいないヘオクの話をしていました。その後ヘオクのいるところに戻ってきて、ビョンスがどこかに行ってしまいます。
残されたヘオクとジョンスは初対面であり、世代も違います。それ故に2人の間には何とも言えない気まずさが漂っています。
そんな2人がお酒を飲むことで気まずい空気がほぐれてきます。しかし、ジョンスにとっては父で、ヘオクにとっては友人の映画監督であるビョンスに対する評価は大きく異なり、2人の考えは真っ向からぶつかります。
意見の対立により、再び気まずさが漂ってきたところに、ジョンスはヘオクに「あなたのもとで働かせてほしい」と唐突に言い始めます。
ホン・サンスの映画に他愛もない話とお酒はつきものですが、他愛もない話のようでそこには絶妙な気まずさが内包されています。お酒の勢いで言ってしまった本音や、脈絡のない唐突な発言は、私たちのリアルな会話に近しいものを感じます。
そのようなリアルさと監督独特の映画的なあざとさが織り混ざった味わい深さに観客は虜になってしまうのです。