監督・白石和彌×主演・草彅剛が贈る復讐の時代劇!
『凪待ち』(2019)『死刑にいたる病』(2022)などのヒット作を手がけてきた白石和彌監督が、『ミッドナイトスワン』(2020)の草彅剛を主演に迎えて初の時代劇に挑んだ映画『碁盤斬り』。
古典落語『柳田格之進』を題材に、冤罪によって娘と引き裂かれた男の武士の誇りをかけた復讐の物語を描き出した本作。脚本は、白石監督とは『凪待ち』以来のタッグとなる加藤正人が執筆しています。
本記事ではネタバレあらすじの紹介とともに、映画を考察・解説。
主人公・柳田格之進が復讐の果てに悟ってしまう仇・柴田兵庫の「無念」と、彼が決意した「決着のつかない旅」の意味を探ります。
CONTENTS
映画『碁盤斬り』の作品情報
【日本公開】
2024年(日本映画)
【監督】
白石和彌
【脚本】
加藤正人
【音楽】
阿部海太郎
【キャスト】
草彅剛、清原果耶、中川大志、奥野瑛太、音尾琢真、市村正親、斎藤工、小泉今日子、國村隼
【作品概要】
『孤狼の血』(2018)『凪待ち』(2019)『死刑にいたる病』(2022)など数々の話題作・ヒット作を手がけてきた白石和彌監督の初の時代劇映画。
古典落語『柳田格之進』を題材に、冤罪によって娘と引き裂かれた男の武士の誇りをかけた復讐の物語を、『ミッドナイトスワン』(2020)で第44回日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞した草彅剛を主演に迎えて描き出します。
主人公の一人娘を演じた清原果耶をはじめ、中川大志、奥野瑛太、音尾琢真、市村正親、斎藤工、小泉今日子、國村隼などが出演しています。
映画『碁盤斬り』のあらすじとネタバレ
春、江戸。貧乏長屋で一人娘のお絹と二人で暮らす浪人・柳田格之進は、篆刻の仕事で細々と生計を立てながら生活していました。また彼は、囲碁の優れた打ち手でもありました。
ある日、吉原遊廓の女将・お庚から篆刻の報酬として一両を受け取った帰り、格之進は質・両替商「萬屋」の主人・源兵衛と碁会所で出会います。賭け碁で常連たちを負かせては馬鹿にする源兵衛の姿を見て、格之進は普段はしないはずの賭け碁で彼と勝負します。
正々堂々と打ち続ける格之進に、源兵衛は次第と苦しみ出しますが、勝負はまだこれからという時に格之進は投了を宣言。一両を置いて立ち去りました。
その後、源兵衛は店で「質草だった高麗井戸茶碗が、手元に戻ったら破損していた」と言いがかりをつけ弁償を求めてきた武家人とトラブルになり、あわや刃傷沙汰に。しかし偶然通りすがった格之進が仲裁に入り、茶碗の目利きをすることでその場を収めました。
「借りを作っては後で集られる」という番頭・徳次郎の進言を聞き入れ、源兵衛は仲裁の礼として十両を渡そうとするも、格之進は「受け取る謂れはない」と頑なに受け取りません。
源兵衛は以前の囲碁の勝負で、格之進が「わざと」投了した理由を尋ねます。「かつて囲碁の勝負で嫌な思いをした」という格之進は、世知辛い世の中において、せめて囲碁だけでも正々堂々と嘘偽りなく打ちたいのだと明かしました。
姑息に他者を貶める、自身の囲碁の打ち方を反省した源兵衛は「自分が勝ったら十両を受け取ってほしい」という条件のもと、再戦を申し込みます。快く聞き入れた格之進との勝負は、お互いが正々堂々と偽りのないものとなりました。
再戦の結果は格之進の勝利に終わりましたが、以来二人は心から良い勝負をすることができる「碁敵」として、たびたび会っては囲碁を楽しむ仲となります。
守銭奴で他者に厳しい商人と有名だった源兵衛は、格之進の影響からか心を改め、商人としても「正々堂々と嘘偽りのない商い」に努めるように。その結果、萬屋は以前よりも繁盛するようになりました。
また源兵衛は、自身の遠縁でもある店の手代・弥吉に「商いを考えるのにも役立つ」と格之進から囲碁を習うよう勧めます。当初は好意を抱いていたお絹に会う口実に習い始めた弥吉でしたが、筋を褒められるほどに上達を続け、格之進も仲睦まじい二人の恋を見守っていました。
十五夜。源兵衛から月夜の宴へ招かれた格之進は、そこでもひと勝負を打ちます。勝負にのめり込みながらも源兵衛は、伊勢屋から返済のあった用立て金・五十両を弥吉から受け取りました。
ところが勝負の途中、格之進を訪ねる者が店に現れます。それは、以前まで格之進が進物番を務めていた彦根藩の藩士・梶木左門でした。
かつて格之進は「狩野探幽の掛け軸を盗んだ」というあらぬ嫌疑をかけられ、藩を追われました。しかし事件の真犯人は、囲碁の勝負で格之進を逆恨みしていた藩士・柴田兵庫であり、彼は格之進に濡れ衣を着せ、貶めるために掛け軸を盗んだのです。
またあろうことか、兵庫は自身が懸想していた格之進の妻に「夫の潔白を証明してやる」と脅し、最後には無理矢理行為に及んでいたことも、兵庫の中間の証言によって明らかに。そして格之進の妻はその出来事の後、琵琶湖に入水し亡くなっていました。
兵庫は罪を裁かれる前に出奔し、現在は中山道を進みながらも賭け碁でその日暮らしをしているとのこと。左門は「殿も帰参を求めている」と伝えますが、冤罪と妻の死の真相に感情を抑えられない格之進はその申し出を拒みました。
その翌日。源兵衛が弥吉から預かったはずの五十両が、どこにも見当たりません。源兵衛が五十両を預かった夜、部屋には囲碁を打つため同席していた格之進しかいなかったことからも、徳次郎は彼が五十両を盗んだのではと疑います。
格之進は亡き妻の仇・兵庫を討つべく江戸を発とうとしていましたが、徳次郎に命じられ五十両の行方を尋ねてきた弥吉に「無礼者」と怒りを露わにします。
再びあらぬ嫌疑をかけられるも、その嫌疑を晴らすことも五十両を渡すこともできない格之進は、お絹の世話をお庚に託してひとり切腹しようとします。
しかし「汚名と母の無念を遺し死んではならない」と思うお絹は、自分自身を遊郭へ売ることで五十両を工面し、母の仇討ちも成し遂げてほしいと父・格之進に訴えました。
事情を聞かされたお庚は、その年の大晦日までに五十両を返し身請けができたら、お絹を遊女として店には出さないこと。しかし約束が破られた時には容赦をしないことを格之進に告げます。
お絹がその身を犠牲にして工面してくれた五十両を、格之進は弥吉に渡します。そして「もし消えた五十両が見つかった時には、お前と主人である源兵衛の首を刎ね、もらい受ける」と弥吉に約束させました。
格之進が五十両を渡してきたと聞かされた源兵衛は「たとえ盗んでいても、あの方を責める気はない」と徳次郎と弥吉を叱り、慌てて彼が暮らす長屋に向かいましたが、そこに父娘の姿はありませんでした。
映画『碁盤斬り』の感想と評価
真実は「白黒」では決着できない
映画前半部にて、自身の冤罪は兵庫の謀略であったこと、そして自身の妻の自死には兵庫が深く関わっていたことを知った格之進。映画後半部は、そんな格之進による仇討ちの過程が描かれていきますが、再会した兵庫からは仇討ちの道理を揺らがせる言葉をぶつけられます。
不正の告発を続けていた格之進は多くの者に恨まれ、同様に恨みの矛先を向けられていた格之進の妻は、兵庫に愚痴をにこぼしていた……白に対する黒のように、全く逆の真実を告げる兵庫。
のちに「格之進に藩を追われた者のために、掛け軸を盗み金に換えた」という兵庫の言葉は真っ赤な嘘であったと描写されるため、彼が語った格之進の妻にまつわる真実も、格之進の心を動揺させるための嘘だったと捉えたらそれまでと言えます。
しかしながら「掛け軸を盗み金に換えた」は嘘だったものの、兵庫が語った藩を追われた者たちの恨みは、格之進自身が吐露した葛藤の通り真実だったかもしれない。
また格之進の妻が自死した原因も、「兵庫に脅され、襲われたから」と「夫の代わりに向けられた人々の恨みに堪えかねたから」の両方が真実だったのではないか……兵庫が死んだ時点で、黒澤明の時代劇映画『羅生門』のように、真実は藪の中なのです。
そもそも、本作の原作にあたる古典落語『柳田格之進』が「碁盤を斬ることで『白黒をハッキリつけ、罪を罰する』とは異なる『赦し』という選択の大切さを説く」という人情噺である点からも、兵庫の言葉を白か黒か・嘘か否かだけで断ずる自体が野暮なのかもしれません。
兵庫の「無念」さえも果たそうとする理由
格之進は兵庫を介錯することで、彼との因縁に決着をつけます。しかし五十両の嫌疑を晴らし終えてお絹の身請けも叶った後、彼は「金がほしい」という理由から左門に頼み、狩野探幽の掛け軸をもらい受けました。
なぜ格之進は、金が必要だったのか。その答えは「兵庫が嘘とはいえ『藩の追われた者たちのために掛け軸を売った』と言った時、自分はうれしかった」という彼の言葉から窺うことができます。
兵庫の言葉は確かに嘘だったが「藩を追われた者を助けたかった」という思いだけは、心からの本音だったのでないか。掛け軸を盗んで濡れ衣を着せたのは個人的な感情だけでなく、藩を追われた者たちに代わっての彼なりの「仇討ち」であった可能性も、兵庫以外に否定はできません。
そして掛け軸を売ることができなかったのは、賭け碁でのその日暮らしとなり、決して楽な生活ではなかったが故に手放せなかったという兵庫の覚悟の弱さ……ある意味では、兵庫が生前果たせなかった無念なのではないか。
自身の人生を滅茶苦茶にした兵庫に対する、あまりにもお人よしな解釈。しかし「己の信ずる清廉潔白を追うばかりに、道理の正しさによって他者の人生を滅茶苦茶にしてきた」と考えている格之進は、兵庫さえも己の清廉潔白さの犠牲者の一人だと捉えたはずです。
「藩の追われた者たちのために掛け軸を売った」という、兵庫が「嘘」としてしか語ることのできなかった無念を、生き残った自分が果たす……そのために、格之進は左門に「金のため」と掛け軸をもらい受けたのではないでしょうか。
まとめ/「白黒」で断じた者たちのもとへ
映画のラストシーンにて、お絹と弥吉の婚礼を見届けた格之進は「打ちかけ」であった源兵衛との囲碁の勝負を再開することなく、ひとり旅路を歩んでいく姿が映し出されます。
果たして彼は、どこへ向かったのか。その答えは作中で明確には描かれていませんが、格之進が「藩の追われた者たちのために掛け軸を売った」という兵庫の無念を果たそうとしているのならば、やはり各地で暮らす「藩を追われた者たち」のもとであることは明らかでしょう。
一人一人を訪ねては、掛け軸を売った金を渡し、詫びる。下手をすれば訪ねた先で「仇討ち」をされる可能性もある、非常に危険な旅です。
しかし、真実あるいは人の道が、決して白黒だけで断ずることはできないものだと、その身をもって痛感している格之進は、それ故に「自身が断じてしまった者たちへの償いという、決着のない旅に出る」という選択をとりました。
そして、そんな彼の覚悟の証こそが、碁盤斬りを経た後に源兵衛との勝負を再開しなかった理由……「白黒で物事を断ずる、自身の精神ひいては罪の象徴でもあった囲碁を、二度と打たない」という行動なのです。