映画『Maelstrom マエルストロム』は2024年5月10日(金)よりアップリンク吉祥寺にて公開!
2002年にNYの美術大学を卒業した直後、交通事故で脊髄損傷という大怪我を負った映画作家・アーティストの山岡瑞子。映画『Maelstrom マエルストロム』は彼女が大混乱(マエルストロム)の中で自身を見つめ、再生していく姿を綴ったセルフ・ドキュメンタリーです。
山岡監督がい5年半の歳月をかけて完成させた本作は、キネマ旬報ベストテン・文化映画部門で5位に選出されました。
今回の劇場公開を記念し、映画『Maelstrom マエルストロム』を手がけた山岡瑞子監督にインタビューを行いました。
「このままでは自分が死んでいく」という切迫した感情に駆り立てられ、その過程の中で“人生”というもの全てを描くと思い至った映画制作について、貴重なお話を伺えました。
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自分自身が終わったら、全てが終わる
──山岡監督は本作を5年半の歳月をかけて完成されましたが、作品制作のため表現者として自己と向き合い続ける行為を5年半も続けることは、並大抵のことではありません。その作品制作の原動力を、改めてお聞かせください。
山岡瑞子監督(以下、山岡):自分でも、本来の自分らしさを忘れてしまいそうになるんです。事故に遭ったのが2002年で、事故以前となるともう20年以上前の話になりますから。
また、事故に遭い麻痺を抱えた身で帰国後の日本での日常生活に埋没する中で、事故以前にアーティストを目指して一生懸命育ててきた世界に対するアンテナが、どんどん失われていることを感じました。このままでは「自分が死んでしまう」と思いました。
自分自身が未来を諦めたら、本当に全てが終わる。「生きてはいるけれど、人生は終わっている」という状態にはどうしても陥りたくなかった。ですから『Maelstrom マエルストロム』は、結論が見えないまま、とにかく作らなくてはという気持ちで作り始めました。
この映画を完成させなかったら、私は事故に負けたことになる。それまでもずっと大変だったのに、事故なんかに本当に負けたくなかったんです。そして、事故以前に考えてきたことも全てが“なかったこと”になるのが、とにかく怖かったんです。
今まさに溺れている私が、いつか陸に這い上がれるかも知れない。そしてこの映画が完成する時は、自分が前に進めた時だ、と思いながら制作を続けました。
“人生”というもの全てを描く
──本作では山岡監督が事故に遭われる以前、そして事故に遭われて以降の自己の“生”がいかに流れ続けてきたのかが描かれる一方で、ご自身が生きる中で見送ってきた人々の“死”も描かれています。
山岡:脊髄損傷者のためのNPO法人でお仕事をさせてもらっていた頃は、常に死を意識していました。
他界された会員の方のお名前やデータを「退会者」として会員リストから削除する作業を任されていたのですが、その時が、一番辛い時間でした。再生医療が実現し症状が改善することを待ち続けていたのに、それが叶わずに、静かに消えていく命が大勢いることを、職場に行く度に痛感させられました。
当時の自分は怪我を負ってからまだ日が浅い身でしたが、「これは20年後か30年後の自分の未来なのではないか」と何度も考えました。もしかしたら近い将来、脊髄損傷は治る怪我になるかも知れません。でも、それだけを待っていて、おばあちゃんになってから3メートルほど歩けるようになったとしても、私の人生は決して戻ってこないですから。このまま流されていたら後悔するのではないか。脚の自由を失っただけのことで、全てを失っていいはずがないと思いました。自分の人生を取り戻すために、作品制作を再開することを決意しました。
そうしてカメラを常に持ち歩くようになったんですが、撮影を続ける中で職場の上司が突然亡くなったり、父が病で倒れたりといった出来事が、思いがけずに起こりました。
父は私が幼少期からずっと、悩んで苦しんでいる姿だけを見てきましたが、その後私が時間をかけながらも、美術の世界へと戻った姿は結局、見られませんでした。父は病室へ見舞いに来て申し訳なさそうにしている私に「何を言ってるの。いいんだよ」と、温かい言葉をかけてくれました。
その様な大きな喪失があり、この映画は怪我をした私の個人的な感情といった小さい問題だけでなく、“人生”というもの全てを、私が出会ってきた人たち、また、怪我をして静かに亡くなっていった人たちが、確かにそこに生きていたことを伝えなくてはならない、と思ったんです。
「それぞれのやり方で逃げろ」
──本作を一本の映画として完成させるにあたって、特に意識されたことは何でしょうか。
山岡:やっぱり私は、私自身の視点のことしか語れないんです。
私が怪我を負ったのは頚椎の一番下の部位だったんですが、より上の部位だったら両足だけでなく両手も動かなくなっていました。ただ、私より症状が重くても、私以上に怪我を受け入れている方もいらっしゃいます。
物事の捉え方は結局、人によって違います。ですから、私が唯一語ることができるのは「私はこう感じています」という一個人の捉え方だけであって、自分が見聞きしてきたこと、考えてきたことしか伝えられない。ましてや「車椅子生活者の代表」みたいな認識は全くありません。
去年の12月の横浜シネマリンでの先行上映の時、諏訪敦彦監督とトークショーを行ったのですが、その際に諏訪監督は「それぞれのやり方で逃げろ」という言葉を伝えて下さいました。
それは、ジャン=リュック・ゴダールが『勝手に逃げろ/人生』(1979)を制作した当時のインタビューの際口にしたという「それぞれのやり方で、自分の人生を救え」という言葉だそうで、「そうだ。まさに制作中、誰からも助けが望めない状況で、一人陸を探して溺れていた自分が考えていたことだ」と、とても共感しました。『Maelstrom マエルストロム』を完成させ、自分の人生を前に進めることが、私なりの自分の救い方だったんです。
山岡:「この属性を持っているのなら、あなたはこうすればいい」という記号的で、システマティックにしか物事を捉えない人も多いのかなと思います。
障害者ということで立派に描き過ぎることも、逆に軽く扱うことも、記号的にしか個人を見ていないのかなと思います。未来のことは、誰にも分かりません。誰もが事故で身体の自由を奪われかねないことを認識していれば、色々なことが変わるのではないでしょうか。
怪我をした位置でできることとできないことが明確になり、それを否が応でも受け入れなくてはなりません。そんな現実を私たちは生きていて、誰もが得た命を懸けて一生を生きていることは、障害の有無に関係ないと思います。
新しく出会った人は車椅子に座っている私しか知りません。自分なりに必死に生きていた日常がどんどん過去のものになり、自分自身ですら忘れてしまうことが怖かったので、事故前から今に至るまで持っている素材全てを一つのタイムライン上に乗せて、一人の人間として描きたかったんです。
“続き”ができることの大切さ
──山岡監督にとって、映画を含めたアートとは一体何でしょうか。
山岡:自分が見聞きし、考えたことを伝え「どう思いますか、皆さん」と問いかけることが、アートの役割だと思っています。
誰にでも起こり得る不条理に遭った人間が、それでも“続き”が生きられることの大切さも問いたかったです。
自分が語れること、伝えられることの全てを、どうすれば一つの作品に込められるのかと自分なりに試行錯誤しているうちに、完成までに5年半もかかってしまいました。
映画の序盤と終盤とでは、同じ人間なのに、年を重ねていく中で、周囲に対する考え方がささやかですが、確実に変わっていきます。注意深く視聴していないと気づけない変化なのかもしれませんが、そこにこそ“人生”が描かれているんだと思います。
インタビュー/河合のび
山岡瑞子監督プロフィール
1998年渡米。2002年Pratt Institute(NY)卒業直後、事故に遭い帰国。中途障害者・帰国者の立場からの制作方法を模索する。2016年、バルセロナで初短編ドキュメンタリー制作。
BankART AIR 2021への参加を経て、2022年に初長編ドキュメンタリー映画『Maelstrom マエルストロム』完成。ピッツバーグ大学Japan Documentary Film Award2022を受賞。
同作はその後も第23回ニッポン・コネクション他、オーストリア・ウィーンで開催されたJapannual 2023など国内外の映画祭で上映され、2023年12月に横浜で先行上映。さらに第97回キネマ旬報文化映画ベスト・テンで第5位に選出された。
2023年度ACYアーティスト・フェロー。
映画『Maelstrom マエルストロム』の作品情報
【日本公開】
2024年(日本映画)
【監督・撮影・編集・ナレーション】
山岡瑞子
【撮影】
本田広大、平野浩一、高橋朋子
【音楽】
オシダアヤ
【作品概要】
映画作家・アーティストの山岡瑞子が自分と対峙して制作したセルフ・ドキュメンタリー。
作品の切実で繊細な表現が多くの観客の心を揺り動かし、ピッツバーグ大学Japan Documentary Film Award 2022、東京ドキュメンタリー映画祭2022、ニッポンコネクション2023などに選出され、2023年12月の横浜での映画上映とアート作品のエキシビジョンも好評を博しました。
キネマ旬報ベストテンでは文化映画部門で5位に選出されています。
映画『Maelstrom マエルストロム』のあらすじ
2002年6月のはじめ、NYの美術大学を卒業した山岡瑞子はあと1年間滞在する予定でしたが、自転車で銀行に向かう途中、交通事故に遭います。
事故により脊髄損傷の大怪我を負い、のちに帰国。それまでの時間が存在しない場に戻った時、何がその人らしさをつなぎ止めるのか……。
山岡は大混乱(マエルストロム)の中、変わってしまった日常の記録を始めます。
事故前の自分とつながり直し、探している場所に辿り着けることを祈りながら……。
編集長:河合のびプロフィール
1995年生まれ、静岡県出身の詩人。
2019年に日本映画大学・理論コースを卒業後、映画情報サイト「Cinemarche」編集部へ加入。主にレビュー記事を執筆する一方で、草彅剛など多数の映画人へのインタビューも手がける(@youzo_kawai)。