乾いた心に奇跡の雨は降り注ぐのか……自然通して見る、社会の滞り。
今回ご紹介する映画『渇水』は『死刑にいたる病』(2022)、「孤狼の血」シリーズなどを手がけた白石和彌監督による初のプロデュース作品。
根岸吉太郎作品、宮藤官九郎作品など多くの話題作で助監督を務め、キャリアを積んできた高橋正弥が監督を務めます。
『渇水』は1990年の文學界新人賞を受賞し、第103回芥川賞候補にもなった作家・河林満による短編集に収録された小説が原作。同短編集は、「死」をテーマにした3つの小説で構成されています。
「停水執行」を担当する市の水道局職員・岩切俊作が、訪問先で出会った育児放棄寸前の幼い姉妹との関わりから、自身が抱える家庭の問題とその根源となる心と向き合う姿を描いています。
映画『渇水』の作品情報
【日本公開】
2023年(日本映画)
【監督】
高橋正弥
【原作】
河林満
【脚本】
及川章太郎
【キャスト】
生田斗真、門脇麦、磯村勇斗、山崎七海、柚穂、宮藤官九郎、宮世琉弥、吉澤健、池田成志、篠原篤、柴田理恵、森下能幸、田中要次、大鶴義丹、尾野真千子
【作品概要】
主人公の岩切俊作役を『湯道』(2023)、「土竜の唄」シリーズの生田斗真が務め、岩切の職場の後輩・木田役を「東京リベンジャーズ」シリーズ、『最後まで行く』(2023)などの話題作に出演し注目されている磯村勇斗が演じます。
その他の共演に幼い姉妹の母・小出有希役を、『世界は今日から君のもの』(2017)、『止められるか、俺たちを』(2018)の門脇麦が演じ、岩切の妻を『そして父になる』(2013)の尾野真千子が務めます。
映画『渇水』のあらすじとネタバレ
梅雨が明けてから1ヶ月、日照りが続きとうとう県は給水制限の発令を出します。
幼い姉妹が自転車に乗って市民プールに来ますが、金網越しに見えるプールには水がなく、休館になっていました。二人は金網をよじ登って中に入ると、姉は水のないプールで泳いだり、アーティスティックスイミングの真似をし始め、妹も一緒になって遊びます。
市役所の水道課で「停水執行」を担当している、岩切と後輩の木田は水道料金を滞納している家庭に出向き、納入するよう促しますが、応じなければ供給栓を閉めて行きます。
その日の1軒目として、無職で求職中の伏見という男の家を訪問します。電気代は支払っているらしく、部屋からはエアコンの冷気がしました。
岩切はそのことを指摘して、水道料金を支払うよう言いますが、伏見は「雨が降らなきゃ水道局もお手上げだろ。水なんかタダでいい」と嫌味を言い放ちます。
二人が次に向かったのは、シングルマザーの小出有希が暮らす借家。彼女は窓を開けはらった縁側でスマホをいじっています。
岩切は水道料金の徴収に来たと告げますが、彼女は今は支払えないと軽くあしらいます。岩切がスマホのことを指摘すると、彼女は「これは商売道具だから」と言い訳をしました。
仕方ないという表情で岩切は木田に「停水執行」と指示します。そこにプールに出かけていた姉妹が帰ってきて、不安げに二人を見つめます。
姉妹を見た岩切は「こういうところは見せたくない」と停水をやめ、1週間後にまた来ると告げて、小出の家を後にしました。
木田は伏見の言ったことを思いだし、太陽も空気もタダなのに、水だけタダじゃないのは腑に落ちないと口にしますが、岩切は「水道はタダじゃない」と諭します。
映画『渇水』の感想と評価
『渇水』にはいくつかの社会問題が登場します。ネグレクトや単身高齢者の生活、就職問題などです。その社会背景を水道局の業務や、水の流れを通して描かれていました。
映画作中、自然界にあるものは「タダにするべき」と、訴えるような場面がありました。しかし、冷静に考えれば安心安全な水を供給するには、管理するための設備にお金がかかります。
そんなライフラインに関する意識の中で、水道というのは電気やガスよりも軽視されていることも否めないようです。
水の重要性は命にも直結しており、料金滞納で停止させられるのは一番最後です。しかし、電気とガス、携帯の支払いを優先し、なぜか水道代は滞納する不思議があります。
それは水が人が作り出すものではなく、自然からの恵みであり、いつまでも絶えることがないという、根拠のない安心感から派生しているからだとも言われています。
しかし、料金が払えず電気もガスも止まり、水道まで止められるケースもあり、「当たり前」に使えるものではないのが現実です。
水の流れで表す生活の営みと人間関係
小出姉妹に関しては近所からの見守りの目もありましたが、恵子は母を否定されていると感じてしまい、激しい拒絶へと変わります。高齢者宅にも行政が訪れていると推察できますが、水道課の職員に威嚇するほどなので、行政に対して何か不信感があったのだろうとわかります。
結局、助けを乞う相手を失った小出姉妹は、母親から裏切られると路頭に迷います。そして、意固地なために行政からの助成を受けられない、高齢者の姿も見て取れました。
水道局の職員も人間ですから、支払い義務の優先順位をないがしろにし、解決策を講じない市民に怒りも覚えます。そして逆に弱者に介入できないジレンマも感じています。
本作は雨不足でダムが渇水していく様を人の心に例える内容でした。人と人との関わりや営みを水の流れに例え、感情のもつれや不平等や不親切が雨不足に例えられます。雨の不足が水の流れを止め渇水するのと同じで、不信によって人の心は枯渇するそんな悪循環を例えていました。
また当たり前のように使っている水道は、雨が降らなければ供給もできなくなり、料金が滞っても供給は止まります。家族や人間関係も同じように、幸せが当たり前に続くとは限りません。仕事や経済的な面からも左右されます。貧しくても愛情や人情で乗り越えられる場面もあるでしょう。
たゆまぬ「生」と未来への希望
岩切と恵子も情けに背を向けた瞬間から、歯車が狂い始めたように感じます。何度も救済を受けるチャンスがあっても、意固地な心が自分の首を絞めていくように見えました。
岩切は親からの愛を知らずに大人になり、和美との出会いで家庭の営みを知ります。ところが心に刻まれた歪みは、子供の誕生で不安を生みました。
有希も両親に恵まれず、夫にも裏切られるという不遇さです。それでも育てようとする有希を恵子は信じます。恵子はその母から裏切られ岩切のように、苦悩する大人になってしまう予感もありました。
人間関係の問題はお互いの歩み寄りでしか解決できません。岩切は有希の一言で自らを省み、和美の気持ちを理解して大切なものを失わずに済みました。
ところが恵子と久美子はどうでしょうか?原作の姉妹は線路に寝そべり、自殺を図ってしまうという結末でした。
恵子は久美子に「2人で奇跡は起こせる!」と言って、プールに飛び込みます。それは生きながらのことなのでしょうか、それとも死んで生き返ったらという意味なのでしょうか。
原作は「死」をテーマにしているといわれておりますが、映画は「生」をテーマに幼い姉妹が生きて奇跡を起こす、明るい未来であることを祈ってやみませんでした。
まとめ
映画『渇水』はレアな問題点に着目しているのではなく、一般的な公共料金の滞納からそれぞれの事情や言い訳を紐解き、なぜそうなってしまったのかと深掘りできるのが見どころです。
問題なく公共料金を支払えた生活から、生活困窮者になり二進も三進もいかない人生はあり得ます。しかし、そうなった時にどう行動できるのかで人生の流れは変わります。
生田斗真が演じる“岩切”の業務は「給水停止」を執行するのではなく、水道管理をするための利用料金を徴収することです。
しかし、支払えない家庭に対し容赦なく、給水停止を執行しなければなりません。相談できるシステムがあったとしても、利用者側に聞く耳がなければ行使もできません。
また、公私に関わらず助けたい側の“配慮”のなさが、せっかくの好意を無駄にしている場面も描かれていました。
そんなコミュニケーションの滞り問題は、自分の育った境遇や環境がそうさせていましたが、状況を変え問題と向き合えるヒントも示していました。ルールと称し強制執行できるのであれば、最悪な状況が分かった時点で強制的に救済もできるということです。
本作は命に密接している“水”と無慈悲とも捉えられがちな、停水執行という職務に携わる職員を通し、人間同士の交流こそが不幸を幸福に変えることを描いています。
公共料金を支払えないという現状そのものが、家庭や個人が何らかの問題を抱えていると捕えられ、本当に苦しんでいる市民を救済できると、シンプルに伝えていました。