江戸末期、東京の片隅には
貧しくても活き活きと前を向いて生きる人々が暮らしていた
今回ご紹介する映画『せかいのおきく』は、『北のカナリアたち』(2012)、『冬薔薇(ふゆそうび)』(2022)の阪本順治監督のオリジナル脚本作品です。
舞台は“安政の大獄”などで歴史の大きなうねりの中にあった幕末の江戸。貧乏長屋に暮らす声を失った武家育ちの娘・おきくと紙屑拾いの中次、下肥買いの矢亮の3人が織り成す青春物語です。
物語のほかにも注目してほしい特徴的なテーマとして、「SDGs」に特化した江戸の背景です。本作では江戸の町の循環型社会が描かれており、撮影に関しても環境に配慮した取り組みが行われました。
映画『せかいのおきく』の作品情報
【日本公開】
2023年(日本映画)
【監督・脚本】
阪本順治
【キャスト】
黒木華、寛一郎、池松壮亮、眞木蔵人、佐藤浩市、石橋蓮司
【作品概要】
阪本順治監督のオリジナル脚本作品『せかいのおきく』。元武士の娘おきく役には、『小さいおうち』(2014)でベルリン国際映画祭の銀熊賞を受賞した黒木華が務めます。
おきくに思いを寄せる青年中次を演じた寛一郎は、おきくの父を演じた佐藤浩市と親子初共演となります。中次の兄貴分である矢亮役には『シン・仮面ライダー』(2023)の池松壮亮が務めます。
その他の共演に阪本順治監督作『冬薔薇(ふゆそうび)』(2022)にも出演している真木蔵人、近年も多くの話題作に出演する、演技派俳優の石橋蓮司が脇を固めます。
映画『せかいのおきく』のあらすじとネタバレ
安政5年晩夏、寺の裏の厠で糞尿を汲んで桶に集める男がいます。下肥(しもごえ)買いを生業にしている矢亮です。
あいにく雨が降り出し、弥助が厠の庇で雨宿りをしていると、紙屑拾いの中次も駆け込みます。そして、寺子屋で読み書きを教えている師匠のおきくもやってきました。
矢亮はおきくの顔を知っていて、名前を思い出そうとしています。中次とおきくの2人は紙問屋で見かける顔見知りです。
矢亮が「次郎衛門長屋のおきくさんだ」と大声で叫ぶと、おきくはこんなところで名前で呼ぶなと怒ります。体が冷えてきたおきくは用を足したくなり、2人に厠を離れるよう言います。
矢亮は中次に紙屑など売っても割に合わんだろうと、下肥買いの相棒がいなくなったから一緒にやらないかと誘いますが、中次はやりたくないと拒みます。
それでも結局、中次も矢亮の相棒になり町中の厠から、糞尿を回収して買取ると売るために、郊外の農村まで水路と荷車を使って運びました。
安政5年秋、降り続いた長雨のせいで、江戸木挽町の次郎衛門長屋は厠から糞尿があふれ出て、悪臭が立ち込めていました。住人たちは大家を責め立て大騒ぎしますが、家賃も払わない住人に言われる筋合いはないと返されます。
元武家の娘だったおきくが「うちはきちんと納めてます」というと、住人たちはおきくの父・源兵衛に代弁を頼みますが、「乾くのを待つしかないな」と呑気に答えます。
そうこうしているうちに矢亮と中次がやってきて、あふれ出た糞尿を集め始めます。2人の働きで片付きますが、厠の前には住人たちの列ができます。
するとそこに役人の侍が源兵衛を訪ねます。2人は旧知の様子ですが、侍は源兵衛に書状をそっと手渡します。
『せかいのおきく』の感想と評価
持続可能な循環社会だった江戸の町
映画『せかいのおきく』の阪本順治監督がこの作品に込めた思いは、「世界に発信できる映画」です。プロデューサーの原田満生が京都の太秦で、映画を撮ってみたいという希望から端を発し企画書を制作しました。
その内容が“SDGs”にフューチャーしたもので、“サーキュラー・バイオエコノミー”「化石燃料に頼らない、循環させる形での経済活動」に着目した内容でした。
阪本監督は時代劇を手掛けるのも、“啓蒙的”な要素のある作品も初めてで、戸惑いはあったようですが、企画書に“江戸時代”の事例が書かれてあり、制作に挑むきっかけになったと語ります。
幕末の江戸は幕府の経済事情もひっ迫し、庶民が貧しい生活を強いられていました。自然発生的にリサイクルやリユースといった発想が進化して、循環型の社会経済になっています。
中次が行っていた“紙屑拾い”は、その紙屑を漉きなおし再生紙を作り、矢亮の汲み取った糞尿は畑の肥料となって、野菜を育てその野菜を人々が食べて排泄物として出す。このような循環です。
孫七が死人が土に還ると言った考え方も、究極的なSDGsといえるでしょう。人間も自然の中で生かされ、自然に還っていくという摂理です。
矢亮の着ていた衣類はつぎはぎだらけの物でしたが、これを“襤褸(ぼろ)”といいますが、布の切れ端を縫い合わせ、破れては補修していったものです。
また、布は貴重だったので庶民は着物を何枚も持っていません。そこで古着を売り歩く古着屋から購入したり、修繕して長く着ていました。
この映画は全9章からなる短編が1本になったモノクロ映画ですが、章の区切りがカラーで現れます。本作はセットや衣装のリユースやリサイクルされた物で、その色合いや風合いを知ってもらうためなのでしょう。
矢亮の襤褸やおきくの着物の色合いがわかります。そして、汚いとか古臭いという印象が払拭され、芸術性のある美しさすら感じるはずです。
矢亮達が集めていた糞尿に関しても、リアルな音に加え章の区切りでカラーになります。「食生活の違っていた日本人の排泄物とは・・・?」そういう観点で見ると面白味がわきます。
“せかい”が動き始め、人の価値観にも変化
日本に“世界”という言葉が入ってきたのは、中国から漢詩が入ってきた時代ですが、概念は「世の中」や「世間」という狭いものでした。
ところが幕末に日本が開国路線に動いたことで、その「世の中」が未曾有的に拡大したということが伝わります。
源兵衛は攘夷派の藩に仕えていたのでしょう。来航する外国船を目の当たりにし、世界に目を向けるよう助言し、武士の身分をはく奪され、命をも奪われたのだと推測します。
「安政」は幕閣内に開国派と攘夷派との対立がありました。井伊直弼による“安政の大獄”では、開国に関する政府の考えに反する藩を弾圧するなど、疑心暗鬼に暗躍していました。
しかし、世の中が変われば恋愛も変わり、身分を越えておきくは中次に恋をし、中次は学びで世の中を変えたいと思い始めます。
ラストのおきくと矢亮、中次が林道を歩くシーンで「青春だなぁ」というセリフが出てきます。確かに3人の青春そのものに見えるシーンですが、時代的になんとなく違和感を感じました。
ところが“青春”という言葉は元は春を示す言葉で、中次が「青春だなぁ」と言ったのは「春だなぁ・・・」と季節の陽気を指していたのです。
つまり、季節感と若い男女の生きる時期を「青春」という言葉で表しているのだとわかりました。3人は明治維新の動乱に向かいますが、困難を乗り越えた3人はたくましく乗り越えていくでしょう。
まとめ
映画『せかいのおきく』は、江戸庶民のたくましい暮らしを通し、人情味あふれる人間愛に包まれた映画でした。
おきくが声を失ったことで、おしゃべりだった矢亮の言葉数が減ったり、話せるのに自分の気持ちを体いっぱいで表現した中次、子供たちのおきくを慕う行動、ご近所さんの優しさにも心を打たれます。
江戸時代の庶民の生活が「持続可能な社会への開発」へのヒントになるのではなく、そもそも日本の庶民が実行していたという、原点に目を向けた映画でした。
文明開化によって忘れ去られた、自然への敬意と庶民の知恵がいっぱい詰まっています。そして、何よりも思い出してほしいのが、人々のたゆまぬ優しさと生きるたくましさです。
『せかいのおきく』はどんな未来が待ちうけても、自然と共存する知恵と工夫、助け合い思いやる気持ちがあれば、生き抜いていけるというたくましさを教えてくれました。