連載コラム「B級映画 ザ・虎の穴ロードショー」第89回
深夜テレビの放送や、レンタルビデオ店で目にする機会があったB級映画たち。現在では、新作・旧作含めたB級映画の数々を、動画配信U-NEXTで鑑賞することも可能です。
そんな気になるB級映画のお宝掘り出し物を、Cinemarcheのシネマダイバーがご紹介する「B級映画 ザ・虎の穴ロードショー」。第89回は知る人ぞ知るトンデモホラー映画『ザ・ベイビー 呪われた密室の恐怖』。
映画業界が低迷していた1970年代、その状況を打開するためテレビ放送用の映画、「テレビ映画(TVM)」が盛んに作られました。
優れた作品が完成すれば、海外では劇場公開される事例もあり、その代表作といえばスティーヴン・スピルバーグ監督の『激突!』(1971)。当時の日本でも、アメリカ製TVMが盛んに放映されていた一方で、劇場未公開映画がテレビ放映される例も増えました。
ただ、そうした映画を無防備にお茶の間で見ていたら、トンデモな内容で視聴者が唖然とさせられるという悲喜劇も。そんな問題作の1つであり、今や本国アメリカでカルト映画扱いされている衝撃の作品『ザ・ベイビー』を紹介します。
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CONTENTS
映画『ザ・ベイビー 呪われた密室の恐怖』の作品情報
【公開】
1973年(アメリカ映画)
【原題】
THE BABY
【監督】
テッド・ポスト
【製作・脚本】
エイブ・ポルスキー
【キャスト】
アンジャネット・カマー、ルース・ローマン、マリアンナ・ヒル、デヴィッド・マンジー、スザンヌ・ゼノア、マイケル・パタキ
【作品概要】
母親と姉たちに溺愛され、成長しても「“ベイビー”=赤ん坊」として育てられた青年。そして彼に近づいた者の中には、姿を消した者もいます。この異様な事態を知った女性ソーシャルワーカーは彼を救おうと行動しますが……。
監督は『続・猿の惑星』(1970)、クリント・イーストウッド主演の『奴らを高く吊るせ!』(1968)や『ダーティハリー2』(1973)を手がけたテッド・ポスト。主演を戦争アクション映画『魚雷特急』(1968)や、本作と同じくテッド・ポスト監督のTVM『狙われた五人の美女』に出演した(1971)に出演したアンジャネット・カマーが務めました。
インパクトが強すぎる母親役は、アルフレッド・ヒッチコック『見知らぬ乗客』(1951)やTVM『変態犯(別題:変質犯テリー 殺人コレクターの甘いうずき)』(1973)のルース・ローマン。
『ゾンゲリア』(1981)や『ロッキー4 炎の友情』(1985)、『ロッキーVSドラゴ ROCKY Ⅳ』(2021)など多数の映画に出演のマイケル・パタキのほか、『スキゾイド』(1980)のマリアンナ・ヒル、TVM『二つの顔を持つ女 整形美女の復讐』(1973)のスザンヌ・ゼノアらが共演。
そして“ベイビー”を『史上最大のスーパー・チャンピオン』(1973)や『チャーリー』(1992)のデヴィッド・マンジー(デビッド・ムーニー)が演じます。
映画『ザ・ベイビー 呪われた密室の恐怖』のあらすじとネタバレ
福祉事務所に勤めるアン・ジェントリー(アンジャネット・カマー)は、赤ん坊を映した写真の数々を眺めていました。その中の1枚に、赤ん坊の姿をした青年を映した写真がありました……。
アンはワズワース夫人(ルース・ローマン)の住居を訪ねます。快く出迎えた夫人に、自分はこの家の担当に望んでなりました、同僚から話を聞き皆さんの力になりたいと考えました、と告げるアン。
家族構成を聞かれた夫人は、娘2人と息子のベイビーがいると答えます。ベイビーの本名を聞かれた長女のジャメイン(マリアンナ・ヒル)は、弟の本名は“ベイビー”だと答えました。
ワズワース家はジェメインも妹アルバ(スザンヌ・ゼノア)も定職に就かず、収入の多くをベイビーに与えられる補助金に頼っていました。それでも何とか生活してると夫人は説明します。
ワズワース夫人の夫は、ベイビーが生まれた後に家を出て行方をくらましていました。夫人だけでなくジェメインもそんな父を弱い男と軽蔑していました。
アンが市の福祉事業の担当者として、ベイビーに会いたいと言うとジェメインは厳しい表情をします。しかし夫人は喜んでアンをベイビーの部屋に案内します。
その部屋のベビーベットの中で、赤ん坊の服を着た青年ベイビー(デヴィッド・マンジー)が眠っていました。こわばった笑顔でベイビーを見つめるアン。
ジェメインはベイビーにスプーンで食事を与えます。乳児のように喜んで食べるベイビーを見たアンは、自分も彼に食事を与えたいと言いました。食事を食べさせるアンの姿を、ジャメインは冷たい目で見つめます。
筋肉が衰えぬよう息子の足をマッサージする夫人に、アンはなぜ正常に発育しているのに歩けないのか尋ねます。夫人はそれに答えず、警戒した様子で週に3回も訪問したアンにその理由を聞きました。
ベイビーに非常に関心がある、彼は良い子だと答えたアンはロサンゼルスの福祉事務所に勤めていました。彼女の上司フォーリーはアンが緊急の案件よりも、ワズワース家に時間を割き過ぎていると注意します。
ワズワース家には問題があると答えた彼女に、フォーリーは我々は時には妥協も必要と告げました。しかしこの件で我々は妥協し過ぎている、無関心でいるのは過失だと反論するアン。
上司は過去にワズワース家を担当したソーシャルワーカーからは何も報告は無いと告げます、1人だけ問題視した担当者がいましたが、その人物は突然姿を消していました。
警察も事件性は無いと判断していると上司は言いますが、アンはこの件は自分には重大な問題だと強く訴えます。
今日もワズワース家を訪ねたアンは、ベイビーと遊んで過ごします。彼は私の行動に良く反応すると喜ぶアンに、弟の不始末の世話は自分の役割だと冷たく言い放つジェメイン。
そこに現れたアルバは、昼寝の時間だと言って嫌がるベイビーを連れて行こうとします。ベイビーはアンから離れようとしませんが、あの人が許さないと告げたアルバはベイビーを彼女から強引に引き離します。
あまりいて欲しくないのか、ジェメインはアンを家から送ると提案します。彼女からプライベートを聞かれたアンは表情を曇らせ、夫ロジャーは優れた建築士だったと過去形で答えます。ジェメインから自分の事を話さないと指摘されたアンは、平凡に暮らしているだけと告げました。
ジャメインからの誘いを断ったアンは、ベイビーの知能や身体的反応を調べたのか尋ねます。赤ん坊の時以来、検査は受けていないと答えたジャメイン。
ジェメインはアンを警戒しているようです。その日自宅に戻ったアンは、義母の前で夫の写真をスライド(映写機で拡大投影した写真)で夜遅くまで見ていました。
夫は素敵な人物だったが、なぜこんな事に…と語ったアンの口を塞いだ義母は、涙ぐんで彼女を抱きしめます。アンは夫の身に起きた事に深く責任を感じているようです。
ある夜、ワズワース家の母娘はベビーシッターにベイビーの世話を任せ外出します。泣いているベイビーの世話をしていた彼女は、思わずベイビーに求められるまま自分の胸を吸わせました。
その姿を帰宅したワズワース夫人が目撃します。釈明するベビーシッターをふしだらな女と決めつけ、激しい暴行を加えた夫人。
娘たちはこの件は口外するな、表沙汰になれば罪に問われるのはお前だと脅してベビーシッターを追い出します。この光景を目にしたベイビーは泣き叫んでいました。
アンがワズワース家を訪ねると、家にはベイビーとアルバがいるだけです。敵対心を露わにしたアルバの発言から、ベイビーは不始末をすると折檻されているとアンは気付きます。
アルバが離れた隙に、彼女はベイビーが立てるか試そうとします。そこに帰宅したワズワース夫人が現れました。ぜひ彼の身体能力をテストし、ベイビーの可能性を引き出すべきだと主張するアンに冷たい目を向ける夫人。
今のままで幸せとアルバは言い、夫人はベイビーに人並みの能力と可能性があれば母親の自分が気付くはずと主張します。アンが彼を施設に入れ教育の機会を与える事を考えるべきだと提案しても、夫人は聞く耳を持ちません。
夫人はならばベイビーに能力があるか証明しろとアンに告げます。アンは遊びに誘いベイビーを反応させようとしますが、夫人を目の前にしたベイビーはなぜかいつもの活発な姿を見せません。アンは引き下がって帰りました。
アンが去った後、アルバは牛追い棒(先端を当てると電気ショックが与えられる棒)でベイビーを突き、立つと危険だと叱って折檻します。やり過ぎだと止めた姉のジェメインに、ムチで打つよりましと答えるアルバ。
ベイビーに対する暴行にワズワース夫人は怒り、奪い盗った牛追い棒をアルバに突き付けます。そして夫人は娘たちに、ベイビーはクローゼットに閉じ込めるよう言いました。
その夜、安らかに眠るベイビーの前にジェメインが現れます。そして服を脱ぎ捨て、ベビーベッドに入り弟に添い寝するジェメイン……。
特別支援学校を訪れたアンは、ベイビーに関する資料を学校の責任者に見せました。彼は母と姉の偏愛に支配され、あれでは生きたまま葬られる、なんとか学校で受け入れて欲しいと訴えます。
彼が正常だというなら歩けず話せない理由が理解できないと告げた責任者に、アンは発育を抑圧する外的な圧力が加えられた結果だと説明しました。
ワズワース家の子供たちは父親が異なり、その父親は皆出て行った。夫人は男に対する怒りを家族唯一の男性ベイビーにぶつけているのだ、と説明するアン。
事実なら問題は深刻だと語った支援学校の責任者は、夫人が母親の適正を持たないなら公的後見人制度が利用できるとアドバイスします。
しかし家庭内での虐待の明確な証拠は無いとアンは打ち明けます。そして支援学校の責任者との面会の機会を設けますが、当日夫人とベイビーは現れません。
アンが電話しても夫人と話せません。しかも夫人はアンの上司フォーリーに苦情を申し立てていました。フォーリーも支援学校の責任者も、残念だがこの件から手を引くようアンに告げました。
怒ったアンがワズワース家を訪れると夫人が現れます。担当から外されたはずだ、とあしらう夫人に支援が必要なのはあなた自身だと告げるアン。
2人の娘もアンに敵対的な姿勢を見せます。自分は法律を武器にあなたたちと戦う、と宣言したアンは公的後見人事務所が夫人を徹底的に調べると告げました。
アンの追求に動じず、実際はお前自身の欲望で動いているだけだ、ベイビーはお前の手には入らない。なぜなら自分たちは家族だと言い放つ夫人。
アンは夫人に法廷で会おうと告げ、ワズワース家から立ち去りました……。
映画『ザ・ベイビー 呪われた密室の恐怖』の感想と評価
奇怪で悪夢のような映画です。日本ではテレビ放送で初公開された本作は、アメリカ本国のレイティングはPG指定で、直接的な暴力・エロ描写は控え目です。
しかし物語の展開は救いがたく、「控え目」と紹介した描写の背後に何が行われたかを察するのは容易で、不快な気分になる方もいるでしょう。本作を無防備に、どんな作品か理解せずにお茶の間で鑑賞した人の心中をお察しいたします。
人間は異常な心理状態に陥る場合がある。それは遺伝的・先天的要因ではなく、精神的・肉体的虐待が与えるトラウマ(心的外傷)からも生み出される。
20世紀に入って本格的に発展を遂げた精神医学は、1950年代には試行錯誤を繰り返しながら進歩し、世間からも認知される存在になりました。同時に、それが小説や映画に登場するキャラクターの描写に取り入れられ始めます。
1960年には『サイコ』、『血を吸うカメラ』といった映画が誕生。以降「サイコホラー」「サイコスリラー」と呼ばれる作品が続々誕生します。
一方で精神医学はまだ発展途上で、それを題材とした作品は現在の目から見ると極端であったり、誤解や偏見に基づいたとしか思えぬ描写も多数見受けられます。
もっともこの題材はジャンル映画を作る側には、都合の良い設定を与えてくれる便利な存在でした。1960~1980年代のホラー映画や小説、怪奇マンガには「見世物小屋感覚」で作られたものも多数あると言って良いでしょう。
あまりにご都合主義的な二重人格・記憶喪失描写が登場したり、極端に暴力的な倒錯した人物が登場したり……『ザ・ベイビー』もそういった作品の1つかもしれません。
ところが本作には、描きたい残虐・エロ描写の原因として異常な精神状態を利用した、多くのジャンル映画と異なる凄みが存在します。それゆえ『ザ・ベイビー』は現在も多くの人々を魅了しているのです。
登場人物全員、歪んでます
日本ではテレビ放送で初公開され、TVMの1つと紹介される事が多い本作ですが、厳密にはアメリカ本国で1973年に劇場限定公開された作品です。
当時ドライブインシアターなど、エクスプロイテーション映画を専門に上映する映画館向けの映画として製作された本作、それゆえ刺激的な題材を扱った作品として企画されました。
後年アメリカで販売されたBlu-rayの特典によると、本作製作の中心人物は監督のテッド・ポストではなく、製作・脚本を務めたエイブ・ポルスキーだと明らかにされています。
エイブ・ポルスキーは本作の監督をテッド・ポストに依頼しますが、説得に1年を費やしたと言われています。おそらくテッド・ポストはリスキーな映画を手がけることを躊躇したのでしょう。
『ザ・ベイビー』に登場する主要人物は、全員異常性を持つ人物として描かれました。観客はベイビーの救世主と信じたソーシャルワーカーのアンが、誰より闇の深い人物と知り驚愕することになります。
ベイビーを支配するワズワース家の3人の女も、三者三様の形でベイビーを愛していた……それは歪んだ愛情というより執着と呼ぶべきものですが……そんな人物として描かれています。
観客は映画が描かぬ部分で、3人の女がどんなおぞましい行為をしたのかは観客の想像に委ねられます。アンの前任のソーシャルワーカーが姿を消したのも実は……と映画が描かぬ部分に真の恐怖が存在する、と言えるでしょう。
今となっては確かに古さを感じる映画ですが、本作を鑑賞したジャンル映画ファンは「トンデモない物を見た」と大いに満足するはずです。
そして冷静に本作を振り返ると、各キャラクターの性格描は極端に類型的で、ストーリー展開も当時のジャンル映画にありがちな強引さを持ったさくひ評する事も可能でしょう。
それでも多くのファン、映画評論家が本作を魅力的なカルト映画と認めています。その理由を解説していきましょう。
時代が生んだ説得力を持つ恐怖
本作の舞台はロサンゼルスですが同じ街では1969年、カルト集団のマンソン・ファミリーが悪名高い“シャロン・テート殺害事件”を起こします。
同じ西海岸のサンフランシスコでは、1968年から1974年にシリアルキラーによる未解決劇場型犯罪“ゾディアック事件”が起きます。この事件をモデルに映画『ダーティハリー』(1971)が製作されました。
現実世界の異常な犯罪が世間を震撼させ、それが精神医学への関心を高めた時代です。同時にこの時代は60年代から盛んになったカウンターカルチャーが限界を見せつつある時代でもあります。
ドラックの使用が人間の可能性を広げる希望は失われ、その乱用は人間の精神や人格を破壊するとの認識が広まります。人の心は壊れる、あるいは壊せるものとの理解が定着していきました。
また女性解放運動(ウーマンリブ運動)は、フェミニズム運動に発展し男女平等の思想は広まります。その結果女性の社会進出も盛んになります。
が同時に、女性が男性に代わって社会の指導的役割を果たせば、世界はより健全で平和な社会になるという希望は失われます。実際に女性が指導的立場に立つと男性同様に、また中には男性支配の構造に打ち勝とうと努力した結果なのか、男性以上に支配的なリーダーに変貌し君臨する事例を見せつけられました。
結局性差ではなく、支配構造そのものが暴君を生むことに人々は気付かされます。『ザ・ベイビー』の劇中でマイケル・パタキがウーマンリブ運動を揶揄する発言をするのも、そんな時代の現れでしょう。
さて本作をエクスプロイテーション映画、つまりホラーやポルノ映画に仕上げるなら、イーストウッド映画や西部劇などで活躍したテッド・ポストは監督に不向きと言えます。本作をご覧になれば、監督はベイビーの母親のワズワース夫人を、西部劇に登場する家長的父親像に重ねて描いたと気付くでしょう。
夫が姿を消した夫人は家族をまとめようと力強く、マッチョな男性のイメージそのままに振る舞います。結果娘たちはそれぞれ歪んだ人格を持って成長し、そして一番の犠牲者は息子のベイビーになります。
監督は彼女や2人の娘をホラー映画にありがちな怪物的人物や、セクシー要素を前面に出した姿で描きません。ワズワース家の人々がベイビーを奪い返そうとアンの家を襲撃する姿を、西部劇の同様のシーンに見立てる事も可能です。
これらが本作に一般的ジャンル映画は異なる、理不尽な設定に見る物語に説得力を与えました。エイブ・ポルスキーはそれを狙って、テッド・ポストを監督に起用したのでしょうか。
まとめ
1960年代から1980年代にかけて日本で流行した怪奇マンガや、後にレディースコミックに発展する成人層をターゲットにした少女マンガのような、スキャンダラスな題材を扱う映画『ザ・ベイビー 呪われた密室の恐怖』。
しかし本作には単なる見世物趣味にとどまらぬ、説得力のある骨太の設定とストーリーが存在します。それが観客に映画の背景にある物への想像をかき立て、公開時不入りだった本作はテレビ放映・ビデオソフト化を通じ人気を高めます。
本作を監督したテッド・ポストについて、出演したマリアンナ・ヒルは後に崇拝に近い評価を与えた証言を残しています。確かに監督はその言葉に相応しい映画を完成させたと言えるでしょう。
現在、我々は家庭内の虐待などのトラウマが人の心を傷付け、精神を破壊する事実を理解し、またそんな人物が様々な事件を起こした事例を多数知っています。
1970〜1980年代のホラー映画ブームの際、映画に様々な「異常犯罪者」が誕生しました。しかしその多くは説得力の持たない、フィクションの世界にしか存在しえない怪物として描かれます。
『ザ・ベイビー』はアメリカでの劇場公開時、そして日本でテレビ放送された際には単なる見世物趣味のキワモノ映画と考えられていました。
しかし単なる悪趣味に収まらぬ本作の人物描写と設定は、実は説得力を持つものだと多くの人が気付きます。やがて本作は古典的カルトホラー映画の一つの地位を獲得します。
本作に登場したワズワース家は、ベイビーに与えられる補助金を頼って生活していました。この設定も今や格差社会となった日本に住む我々には、説得力あるものに感じられるでしょう。
ホラー映画はフィクションの恐怖を描くものですが、真の恐怖は怪物ではなく人間の壊れた心の中に誕生します。そして人間の心が家庭の中で壊される悲劇は多数存在しています。
真の恐怖は家庭の中にこそ存在する。『ザ・ベイビー』はそれを我々に見せつける、悪夢のような映画なのです。
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増田健(映画屋のジョン)プロフィール
1968年生まれ、高校時代は8mmフィルムで映画を制作。大阪芸術大学を卒業後、映画興行会社に就職。多様な劇場に勤務し、念願のマイナー映画の上映にも関わる。
今は映画ライターとして活躍中。タルコフスキーと石井輝男を人生の師と仰ぎ、「B級・ジャンル映画なんでも来い!」「珍作・迷作大歓迎!」がモットーに様々な視点で愛情をもって映画を紹介。(@eigayajohn)