西部開拓時代の移民が過酷な旅から抱く疑心を描いた作品
今回ご紹介する映画は、“現代アメリカ映画の最重要作家”と評されている、ケリー・ライカート監督の『ミークス・カットオフ』です。
ケリー・ライカート監督は『First Cow』(2020)を、第70回ベルリン国際映画祭コンペティション部門にてノミネートされ、ニューヨーク批評家協会賞(NYFCC)では作品賞を受賞しました。
新天地を求める白人の3家族は西部へ向かうため、近道を知っているというガイドのミークを雇います。
しかし、目的地に到着する2週間を過ぎても、それらしい場所にたどり着かず、3家族は次第にミークに不信感を抱きはじめます。そこへ新たな疑心のきっかけとなる人物が…。
CONTENTS
映画『ミークス・カットオフ』の作品情報
【公開】
2021年(アメリカ映画)
【監督】
ケリー・ライカート
【脚本】
ジョン・レイモンド
【原題】
Meek’s Cutoff
【キャスト】
ミシェル・ウィリアムズ、ブルース・グリーンウッド、シャーリー・ヘンダーソン、トミー・ネルソン、ニール・ハフ、ポール・ダノ、ゾーイ・カザン、ウィル・パットン、ロッド・ロンドー
【作品概要】
映画『ミークス・カットオフ』は、ケリー・ライカート監督と『ウェンディー&ルーシー』でも脚本を担当したジョン・レイモンドのタッグで描く、実在した移民ガイドのスティーブン・ミークの実話を基にした、西部開拓時代の過酷な移民の物語です。
主役のエミリー・テスロー役にはケリー・ライカート監督作品『ウェンディ&ルーシー』にも出演し、『マリリン 7日間の恋』(2011)でマリリン・モンローを演じてアカデミー賞ノミネートされた、ミシェル・ウィリアムズが務めます。
スティーブン・ミーク役は『13デイズ』でジョン・F・ケネディを演じ、『スター・トレック』(2009)などにも出演したブルース・グリーンウッドが演じ、ソロモン・テスロー役には『ウェンディ&ルーシー』にも出演し、韓国出身のアメリカ移民を描いた映画『ミナリ』に出演した、ウィル・パットンが演じます。
映画『ミークス・カットオフ』のあらすじとネタバレ
1845年、オレゴンカントリー(ウィラメットバレー)への移住が盛んになり、テスロウ、ホワイト、ゲイトリーの3家族も新天地を目指し移動していました。
家財道具を載せた“ワゴン”と呼ばれる幌牛車と3家族が川を渡ると、彼らは川の水を汲み、洗い物を済ませ、若い男が倒れた古木に”LOST(迷子)”と文字を刻むと、進路を進めるために出発します。
野営をした翌朝、ホワイト家は息子のジミーが、聖書を朗読することから始まります。テスロー家は簡単な朝食をとり、ゲイトリー家のトーマスは焚火の始末をします。
小さなテントから初老の男が出てきて、朝日を浴びながら伸びをします。彼は3家族がガイドとして雇った、スティーブン・ミークです。
ひび割れた広大な荒野を一行は移動し始めます。ミークは弟のジョーが避難した洞窟で、ヒグマと遭遇し、格闘した話をジミーにしています。
外は嵐、洞窟には眠っているヒグマ・・・、進んでも退いても「死」しか予感できない、そんな状況下で果敢に闘って、生き延びた話です。
次の野営地に到着し陽が落ちた頃、エミリー・テスローは夫ソロモンに、男たちで何を話し合っていたのか聞きます。
トーマスがミークについて、わざと自分達をさまよわせているのではないかと、疑い始めていると言います。
その頃のアメリカ西部では、イギリス人とアメリカ人が領土争いをしていたため、移民たちの入植を阻止しようと、イギリス人がミークを雇っているのではと疑いました。
そもそも不信の原因はミークが当初、2週間で目的地に到着すると説明したにもかかわらず、すでに5週間も経っていたからです。
移民家族は高地砂漠を延々と歩く過酷な旅となり、水の不足が深刻になりはじめていました。
岩陰で休憩する一行は野営を組むか、先を進むか話し合いミークと意見が分かれます。少しでも先に進みたい一行ですが、ミークは近くに見えそうな岩山も実際は遠いと反対します。
水があるかもしれないという可能性に、進むことに決めた一行は出発します。水が必要なのは人間だけではなく、荷を運ぶ牛や馬にも与えなければ、死んでしまうからです。
ホワイト家の夫人グローリーは、夫のウィリアムに食事を勧めますが、彼は食料を温存するため食べようとしません。そんなホワイト家にエミリーは、パンのおすそ分けをします。
ミークはゲイトリー夫妻に、コロンビア川周辺での毛皮商は、ビーバーを乱獲したため衰退したと話します。
トーマスはがっかりしますが、ミークは大地の恵みはビーバーだけではないと、新天地には金になる資源があると、期待するように言います。
次の日、テスロー夫妻は牛の負担を軽くするため、ワゴンの荷物を減らしていきます。道なき道の石をどけて歩くジミーに、エミリーは水を与えます。
そして、自分も水を飲もうと水筒に口をつけようとした時、遥か岩山の上に馬に乗った人影をみつけました。
その時ミークは一行から離れていませんでした。家族たちは彼は逃げたと思い、トーマスがミークは戻って来ないだろうと疑い始めると、ミークは水場を発見して帰ってきました。
一行の期待は勇み足に終わります。ミークが発見した湖の水は、動物すら飲まないアルカリ性だったからです。
湖の前でソロモンは北に行き、コロンビア川の移民団と合流することを提案します。しかし、ミークは西あるいは南への移動を主張しました。
結局、ミークは解雇され北へ向かうことに決まり、男たちは水を探しに出かけてしまいます。
夕方、残った女たちが焚き木拾いをしていると、エミリーの目の前に先住民が立っていました。彼女が岩山で見た白い馬もいたので、同じ人間だと思います。
エミリーは動転して野営に戻ると、慌ててショットガンを持ち出し、空に向かって威嚇射撃します。
その晩、エミリーは先住民についてミークに報告します。ミークは先住民の特徴を聞き、それは攻撃的な部族のカイユースではないかと言います。
映画『ミークス・カットオフ』の感想と評価
2021年に本作を含む初期の4作が『ケリー・ライカートの映画たち 漂流のアメリカ』と題され劇場公開されました。
女流監督でアメリカ西部を舞台にした作品といえば、アカデミー賞にもノミネートされた『パワー・オブ・ザ・ドック』(2021)のジェーン・カンピオン監督がいます。
そして、カンピオン監督は『ピアノ・レッスン』(1994)で、ニュージーランドの先住民族とのラブストーリーも描いています。
女性監督の目線で描かれる先住民族との関係は、暴力と偏見がいかに無意味であるかを象徴しているように感じます。
そして、男性がいかに武勇伝をステータスとして、重んじているのかを伝えています。
西部開拓時代に実在した「スティーブン・ミーク」
映画『ミークス・カットオフ』の「Meek’s Cutoff」とは“ミークの分かれ道”と言う意味です。それが何を意味したのか考えていきます。
オレゴントレイルとは、ミズーリ州からカンザス州、ネブラスカ州、ワイオミング州、アイダホ州およびオレゴン州にまたがる、冒険家や移民たちが開拓した経路です。
1830年代には毛皮交易で栄え、ミークも猟師で生計を立てていました。ところが1930年代後半には乱獲が横行し、毛皮となるビーバーも絶滅の危機に・・・ミークは失業していました。
1840年代に開拓集団が到着するようになると、オレゴンは領地の争奪で、アメリカ人とイギリス人が争っていました(オレゴン協会紛争)。
そんな時、オレゴン東部の地理に詳しいミークは、オレゴンカントリーへ移住をする人々をガイドする役目となりました。
すでに多くの人々が正規のオレゴントレイルを通って、コロラド川周辺の地域に入植をしていきましたが、ミークは到着してもそこにはすでにめぼしい資源はないとわかっていました。
また1945年、オレゴントレイルでは白人を狙った先住民の虐殺が噂されていたため、ミークはあえて別のルートを切り開こうと考えます。
その出発点となったのは「ベール」という地域で、これが「ミークス・カットオフ」の由来となります。
北西の正規ルートへ行く大きなグループと、ミークの提案に同意し西へ向かう小さなグループとで分かれます。
彼らの過酷な旅はミークの発見したアルカリ湖(ハーニー盆地)で、新たな明暗を分けます。移民たちはミークの意見を聞かなくなり、進路を北に変えました。
北に向かっている途中、ジミーが金の粒を発見します。ジミーは青いバケツを持っていましたが、そこに留まっていればバケツ一杯の金が発掘できたという、「ロストブルーバケットマイン」という伝説が実際に残っています。
ミークは南の進路にこだわっていましたが、後にカリフォルニアでゴールドラッシュが起こるので、その伏線とも見ることができます。
先住民による道案内も史実にあり、彼に毛布と引き換えに水場の案内を頼んでいます。この作品のラストシーンの先には「デシューツ川」が見えてくるはずです。
希望の旅から疑心暗鬼の旅へ、本物のリーダーとは?
ミークはエミリー達に嘘をついてまで、ウィラメットバレーまでの新しいルートを開きたかったのか?あるいは南の地に新天地を探しに行くつもりだったのか?
この作品では史実にはない、ミークの野望も見え隠れします。彼は猟師であり探検家でもありました。そうであれば、名を残す偉業を成し遂げたかったとも思えます。
しかし、彼の嘘やその場しのぎの強引な行動に、次第にリーダーとしての資質が問われるようになり、移民者達からの信頼が失われました。
現代社会の中でも経営者の判断ミスで、大きな損失を出すことや、プロチームの監督であれば采配次第で、ゲームの行方が変わったりもします。
何かあれば責任が問われ、時と次第によってはリーダーが交代します。この旅でいえばミークからソロモンへと変わります。
ミークは何者かもわからない先住民に対し、ただの怯えから暴力をふるい、白人の正義をふるいかざすだけでした。
彼は先住民に「敬意を払え」と叫びますが、勝手に侵攻してきた白人こそが、彼らに敬意を払うべきなのです。
また、根拠のない先住民に対する偏見で、若い夫婦を怯えさせ混乱させました。しかし、本物のリーダーがソロモンともいえません。
女に意見や決定権がない時代、エミリーは野蛮な態度の先住民に、信頼にも似た期待を込め、親切に接し食べ物や水を与え、まず自分達の“誠意”を示しました。
エミリーは理屈ではなく、道理としてその土地で暮し、地理もわかる者に対して、真摯に理解しようと努力し、先住民の男に道案内を期待しました。
ミークへの不信以上に生命への不安と恐怖があり、その恐怖は先住民の男も同じだと感じたからです。
そんなエミリーに対してソロモンは、ただの好き嫌いで判断していると思っています。彼は先住民を利用しようとしただけで、エミリーのような誠意がなかったからです。
ラストでは男がエミリーの裁縫道具とスキレットを持ち、黙って先を歩いて行きます。その前の2人のアイコンタクトには、信頼関係が築けた・・・そんな雰囲気が漂っていました。
まとめ
映画『ミークス・カットオフ』は実在したスティーブン・ミークと、ソロモン・テスロー一行との史実を基に、過酷な移動の旅を描きました。
そして、未知で過酷な状況の中、不安を払拭しチームをまとめて、最善な方へと導くリーダー力についても描かれています。
エミリーには大変な時には「お互い様」という気持ちや、郷に入っては郷に従うという概念がありました。
知ったかぶることや人を下に見る、偏ったプライドがいかに人を危険にさらすのかを伝えています。
作品では旅の結末は描かれませんでしたが、史実には多くの犠牲をはらいつつも、目的地に到着したとあります。それには先住民の助けもあったとありました。
処世術にはいろいろありますが、自業自得でいうならば人に善くしておけば、悪いようにはならない、そのことを教えてくれた作品です。
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