連載コラム『タキザワレオの映画ぶった切り評伝「2000年の狂人」』第10回
『別離』(2011)、『セールスマン』(2013)でアカデミー賞外国語映画賞を二度にわたり受賞したイランの巨匠、アスガー・ファルディ監督の最新作『英雄の証明』。
借金苦にあえぐ男に突然舞い込んだ苦境打開のチャンスを描くサスペンス映画です。
社会に渦巻く歪んだ正義と不条理を突きつける本作は、世界中で高く評価され、第74回カンヌ国際映画賞にてグランプリに輝きました。
手にした金貨を巡る男の選択が思いもよらぬ社会現象を巻き起こし、大事件をも招き起こしてしまう予測不可能なストーリーが注目の映画『英雄に証明』をご紹介いたします。
映画『英雄の証明』は2022年4月1日(金)よりBunkamura ル・シネマ、シネスイッチ銀座、新宿シネマカリテほか全国順次公開。
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映画『英雄の証明』の作品情報
【公開】
2022年(日本公開)
【原題】
GHAHREMAN
【監督】
アスガー・ファルディ
【出演】
アミル・ジャディディ、サハル・ゴルデュースト、マルヤム・シャーダイ、アリレザ・ジャハンディデ、サレー・カリマイ、モーセン・タナバンデ、サリナ・ファルハディ
【作品概要】
「別離」『セールスマン』(2017)でアカデミー外国語映画賞を2度受賞するなど世界的に高い評価を受けるイランの名匠アスガー・ファルハディーが手がけ、2021年・第74回カンヌ国際映画祭でグランプリを受賞したヒューマンサスペンス。
映画『英雄の証明』のあらすじ
イラン南西部に位置する古都シラーズで生まれ育った元看板職人のラヒム・ソルタニは、3年前に借金を全額返済できなかったことにより投獄され、服役していました。
2日間の休暇を得て一時的に釈放されたラヒムは、金の貸主である離婚した元妻の兄、バーラムと和解し、訴えを取り下げてくれるよう嘆願しに行きます。姉のマリとその夫、ホセインの家に居候し、元妻との間にもうけた息子、シアヴァシュとも再会するラヒムでしたが、金銭トラブルによる深い恨みを抱かれているバーラムとの交渉は難航してしまいます。
数日前にラヒムの現在の婚約者であるファルコンデが、17枚の金貨が入ったバッグを偶然拾っており、彼女からそれを返済のあてにしようと提案されていました。借金を返済すればその日にでも出所できるラヒムにとって、それはまさに神からの贈り物のように思えました。
しかし、他人の金貨を我が物にすることに後ろめたさを感じたラヒムは、本来の持ち主に金貨を返そうと決意します。落とし物の張り紙を作って刑務所の電話番号を書き添えました。
2日間の休暇を終えたラヒムは、塀の中へ舞い戻っていきました。しばらくすると刑務所内で労働に励んでいたラヒムのもとに、金貨の落とし主の女性から電話がかかってきます。
姉夫婦の家にやってきたその女性は、「絨毯を織って、家族に内緒で貯めた金貨だった」と説明し、マリから金貨とバッグを受け取りタクシーで立ち去っていきました。
このラヒムのささやかな善行は、思いがけない大反響を呼び起こします。刑務所の幹部たちからは「表彰ものだ」「見上げた行動だ」と褒め讃えられ、メディアからの取材が殺到。
テレビ局のインタビューに応じた所長は、「真面目で正義感にあふれ、頼りがいもある実直な男だ」とラヒムの人柄を絶賛。
自らもカメラの前に立ったラヒムは、たちまち借金で投獄されているにも関わらず金貨を持ち主に返した“正直者の囚人”という美談の英雄となりました。
後日、特別休暇を与えられて刑務所を出たラヒムは、チャリティ協会のイベントに出席。吃音症の息子シアヴァシュのスピーチも聴衆の涙を誘い、借金苦にあえぐラヒムのために3400万トマンの寄付金が集まりました。
出所後の就職先も斡旋してもらったラヒムは、未来への希望に胸をふくらませるが、まるで悪徳債権者のように扱われた貸主のバーラムは頑なな態度を崩しませんでした。
新たな就職先のビルを訪ねたラヒムは、人事部長から意外な言葉を投げかけられます。ラヒムの行いが作り話ではないかという噂を耳にしたため、金貨の落とし主を連れてきて事実を証明しないと採用できないというのです。
困惑するラヒム。SNSを介して急速に広まったその噂の影響でテレビ出演が突然キャンセルされ、ラヒムを絶賛していた刑務所の幹部からも疑いの目を向けられることに。
落とし主の名前も連絡先もわからないラヒムは、やむなくファルコンデを“落とし主の女性”に仕立てて再び人事部長に就戦を懇願するが、取り合ってもらえません。
やるせない苛立ちを募らせたラヒムは、バーラムこそが悪い噂を流した張本人だと思い込み、彼が営む小さな印刷屋に押しかけて乱闘騒ぎを起こしてしまいます。
さらに、バーラムの娘ナザニンがその一部始終を撮った動画を公開したことで、ラヒムはチャリティ協会や刑務所の幹部から見放されてしまいました。
周囲の思惑や誹謗中傷に人生を狂わされ、“美談の英雄”から“嘘つきの詐欺師”へと転落したラヒムに待ち受けている運命とは…。
映画『英雄の証明』の感想と評価
本作で描かれる、服役中に与えられた刑務所を出るために奮闘する数日間の休暇とは、ラヒム・ソルタニという男の人生のごくわずかな一部分にしか過ぎません。
しかしながら、この数日間において、長い人間生活の営みで幾度となく訪れる人生の浮き沈みを凝縮したかのような天国と地獄をラヒムは味わうことになります。
利他的な行いによって人々から賞賛を受け、人生をやり直すチャンスが舞い込んで来たかと思えば、些細なつまずきにより、それまで以上の喪失を味わう。人生において緩やかに繰り返されるそれが刹那的に追い打ちを仕掛けてくるとき、人は己の人生の実態に触れたかのような気分に襲われます。
本作のラヒムの行いの中で、最も純粋であった拾った金貨を持ち主に返す選択には、彼自身崇高であったと胸を張れたことでしょう。
しかしその前後に位置する行いにおいて、彼は一度借金返済のあてにするつもりで貸主に連絡しており、全額に満たないとして一度断られた上で「正直に」持ち主へと届けるのです。
更に持ち主に返した後は、「借金で服役している囚人が拾った大金を持ち主に返した」という美談に仕上げるため、脚色と言う名の嘘で自身を着飾って見せます。
本作の秀逸さは、このラヒムの置かれたシチュエーション、内向的な展開に広がりを見せる心理的なサスペンスにあります。
金貨を持ち主へ返したことを称賛された当初は「当たり前のことをしたまでだ」と謙遜して見せるラヒム。
彼の善良な行いを世間に広めようとする声は、その慎ましさに共感しやすい普遍的な物語を与えようとするのです。
ポスト・トゥルースを描く現代劇
訴えられ、投獄されるまでに至るラヒムとバーラムの間で起こったトラブルの経緯は劇中で説明されません。
これはつまり、顛末について説明的な背景を一切明かさずラヒムという人物を「不幸な善人」と捉えるべきか「嘘つきの悪人」なのか、見方を提示しないことによって、サスペンス劇としての構造を生み出していたことを意味します。
個人の心情や感情に訴えかける美談や声明が重視されるポスト・トゥルースの時代において、飾らないラヒムの些細な”善行”は、消費しやすい「物語」として、彼を囲う刑務所の看守、ボランティア団体、メディアによってパッケージングされていく。
本作は、情報のあり方、その是非を問うと同時に、一過性のニュースに人生を犠牲にされる男の悲哀を描いた作品です。
SNSやメディアにおいて、「金貨を返した」という見出しを目にすれば、自動的にラヒムは善人扱いされ、一度「本当は金貨を返していない」という見出しが広まれば、真偽を確かめる時間すら惜しむ大多数の人々によってラヒムのイメージは、悪人へと切り替わってしまいます。
自身のポジティブキャンペーンの波に乗っかった社会復帰を目指す奮闘は、自らの過去によって、または客観的な事実を差し置いたキャッチーな物語を称揚する社会によって行く手を阻まれてしまうのです。
本作の舞台であるイラン社会においても、日常生活に占めるソーシャルメディアの影響は甚大であり、曖昧な情報を鵜呑みにされた人々によって、ラヒムに対する印象は二転三転していきます。本作はポスト・トゥルースのイラン社会だからこそ、個人対社会のサスペンス を展開出来たのです。
ここで言うポスト・トゥルースとは、ネガティブキャンペーンを目的とした虚偽の羅列を意味しません。
ラヒムに対するバーラムの個人的な怨恨がラヒムの悪い噂の流布の根源にあるとは言え、悪い噂の一部には、客観的根拠に基づく正当な事実が含まれているからです。
そして何よりラヒムを追及するバーラムには、被害者の立場という大義名分があります。
自己肯定感にまつわる普遍的な物語
ラヒムのポジション・キャンペーン、(嫌な言い方をすれば)感動の材料になり得る、吃音の息子にスピーチをさせるという行動は、ラヒム自らが考案した事ではありませんでした。
結果的にそれは多くの賛同を得て、借金返済のための募金活動として成功を収めました。
しかしながら息子の健気さ(と受け取られるもの)を感動として消費する狡猾さには、ラヒム自身も嫌悪感、過剰な拒否反応を示します。
彼にとってはその嫌悪こそが息子への純粋な愛情の表出であり、それは世間体や対人関係すらもおざなりにするほど。
父親の釈放を嘆願する息子、シアヴァシュの映像を無理やり撮られたラヒムは直ぐにそれを消去するよう、自身の協力者に殴りかかるまでの過激な行動に出るのです。
自身の善行を得意げに語ろうとしやい謙虚さを取り上げてラヒムを「お人好し」と形容できる一方で、相容れない実情に対しては激しい暴力で反応してしまう、人物像は矛盾するようです。
しかし一見矛盾するような行動に出てしまう人間の真理をラヒムを通して描いているのだとすれば、本作の登場人物は非常に実在感があると言えます。
本作は、表層的であるが故に首尾一貫性のあるような人物描写を否定した上で、ラヒムという多面的な人間を描いているのです。
ラヒムという人物の中に多様性を見出すことで、行動を正当化しようとする動機が、バーラムとの衝突にあることが分かります。
被害者の立場を有するバーラムに対し、ラヒムは分が悪く、公の場においては勝ち目がありません。そんなラヒムには過去の行動を反芻して後悔する暇すらなく、ただ自らの容量の悪さを呪うしか出来ないのです。
本作で最も共感出来る瞬間が、ラヒムが始末の悪い思いをするシーンに込められています。
周囲の人の変化についていけない自分への悔しさ、損な役回りを演じるしかない自らの人生を顧みて憐れむ、自己憐憫だけが最終的に自分自身を救済する。救われる手立ての無い残酷な社会を受け入れることで自分だけが浄化される。
本作は終盤において、逆説的な形で人生に煮詰まっている人を救い出す希望を提示して見せたのです。
分かりやすい結末を提供しない本作のテーマには、啓示的な解釈を持ち込むことも出来れば、敢えてそうしないという選択も出来るため、登場人物の背景同様に多義的な解答を抱いた作品でもあると言えます。
まとめ
アスガー・ファルハディ監督最新作『英雄の証明』は、崩壊と新体制樹立を繰り返す情勢の不安定なイランで生まれた不条理な人間ドラマでした。
物語は容量が悪いという自覚を持つ誰しもが共感しうるもので、善悪が矛盾した存在として第三者的に描かれる主人公の曖昧さにも感情移入する事が出来ます。
それでいて報われない物語が観客に対し逆説的に希望を与え得ることを証明した作品でもあります。
本作のテーマは、社会と個人の両方に向けられた懐疑性。
社会にとって「真実」とは、左耳から右耳へと通り抜けてしまうほどに着飾らない平凡なものに過ぎず、その訴求力の脆弱さゆえに埋没し、殺されてしまうもの。
実存を離れた美しい物語だけその美しさを称賛されることで、それが記憶に蓄積されない真実として更新されていく。
個人とはもはや繰り返される真実の更新を傍観するだけの犠牲者としか成り得ない存在なのか。本作は主人公、ラヒムを通して多義的な疑いの目を社会と個人の両方に向けていくのです。
映画『英雄の証明』は2022年4月1日(金)よりBunkamura ル・シネマ、シネスイッチ銀座、新宿シネマカリテほか全国順次公開。
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タキザワレオのプロフィール
2000年生まれ、東京都出身。大学にてスペイン文学を専攻中。中学時代に新文芸坐・岩波ホールへ足を運んだのを機に、古今東西の映画に興味を抱き始め、鑑賞記録を日記へ綴るように。
好きなジャンルはホラー・サスペンス・犯罪映画など。過去から現在に至るまで、映画とそこで描かれる様々な価値観への再考をライフワークとして活動している。