連載コラム『のび編集長の映画よりおむすびが食べたい』第1回
「Cinemarche」編集長の河合のびが、映画・ドラマ・アニメ・小説・漫画などジャンルを超えて「自身が気になる作品/ぜひ紹介したい作品」を考察・解説する連載コラム『のび編集長の映画よりおむすびが食べたい』。
その記念すべき第1回は、2022年1月14日(金)より全国ロードショー公開を迎える映画『クライ・マッチョ』です。
名優にして名匠クリント・イーストウッドの監督・主演作であり、落ちぶれた元カウボーイと両親との関係と生き方に悩む少年との旅を通して、互いの人生と生きる上で必要な“本当の強さ”の意味を描いた『クライ・マッチョ』。
監督デビュー50年・監督作40作目となる記念碑的作品である本作で、イーストウッドは何を描こうとしたのかを、彼がかつて監督・主演を務めた“ある映画”とともに考察・解説していきます。
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CONTENTS
映画『クライ・マッチョ』の作品情報
【日本公開】
2022年(アメリカ映画)
【原題】
Cry Macho
【監督・製作】
クリント・イーストウッド
【脚本】
ニック・シェンク、N・リチャード・ナッシュ
【キャスト】
クリント・イーストウッド、エドゥアルド・ミネット、ナタリア・トラヴェン、ドワイト・ヨアカム、フェルナンダ・ウレホラ
【作品概要】
名優にして『許されざる者』『ミリオンダラー・ベイビー』など数々の名作を手がけてきた映画監督でもあるクリント・イーストウッドの、監督デビュー50年・監督作40作目となる記念碑的作品。
主演・監督を兼任するイーストウッドが本作で演じたのは、落ちぶれた元カウボーイ。とある出来事を機に出会った、両親との関係と生き方に悩む少年との旅を通して、互いの人生と生きる上で必要な“本当の強さ”とは何かを本作は描き出す。
40年前から検討されていた原作の映画化に、イーストウッドが満を持して向き合った、まさに彼の集大成といえる作品となっている。
映画『クライ・マッチョ』のあらすじ
アメリカ、テキサス。ロデオ界のスターだったマイクは落馬事故以来、数々の試練を乗り越えながら、孤独な独り暮らしをおくっていた。
そんなある日、元雇い主から、別れた妻に引き取られている十代の息子ラフォをメキシコから連れ戻すという依頼を受ける。
犯罪スレスレの誘拐の仕事。それでも、元雇い主に恩義があるマイクは引き受けた。
男遊びに夢中な母に愛想をつかし、闘鶏用のニワトリとともにストリートで生きていたラフォはマイクとともに米国境への旅を始める。
そんな彼らに迫るメキシコ警察や、ラフォの母が放った追手。
先に進むべきか、留まるべきか?
少年とともに、今マイクは人生の岐路に立たされる──。
映画『クライ・マッチョ』の感想と評価
イーストウッドが“記念碑的作品”で描くものは?
俳優として、『荒野の用心棒』(1964)『夕陽のガンマン』(1965)『続・夕陽のガンマン』(1966)などの西部劇、名匠ドン・シーゲルと組んだ『真昼の死闘』(1970)『アルカトラズからの脱出』(1979)そして大人気シリーズとなった『ダーティ・ハリー』(1971)など映画史に関わる数々の名作に出演。
そして『恐怖のメロディ』(1971)での監督デビュー以来、『許されざる者』(1992)『マディソン郡の橋』(1995)『ミスティック・リバー』(2003)『ミリオンダラー・ベイビー』(2004)『J・エドガー』(2011)『アメリカン・スナイパー』(2014)『ハドソン川の奇跡』(2016)『運び屋』(2018)……やはり数え切れないほどの名作を手がけてきたクリント・イーストウッド。
もはや「生ける伝説」「生ける映画史」の一人である彼にとって、映画『クライ・マッチョ』は監督デビュー50年・監督作40作目にあたる記念碑的作品。同時に、40年前に検討されていたものの「主人公マイクを演じるには若過ぎた」という理由で一度は主演を断った原作小説の映画化企画に、イーストウッドが満を持して向き合った作品でもあります。
かつて自身の実年齢や役を演じる上での“格”を理由に出演を断わったものの、40年もの間心の片隅にあった……まさに“心残り”な企画だったからこそ、節目を迎えたイーストウッドが映画化に臨んだといえる『クライ・マッチョ』。
しかしながら、本作のあらすじや作品紹介文などで明かされている『クライ・マッチョ』のテーマの一つ……「老人と少年の間に生まれる絆と、絆を通じてもたらされる互いの人生の決断」を聞いた時、イーストウッドを知る者であれば誰もが“あの映画”を思い出したはずです。
それは、作品そのものがクリント・イーストウッドにとっての“人生の決断”であった映画『グラン・トリノ』(2008)です。
『グラン・トリノ』──“実質的な俳優引退”のその後
参考映像:映画『グラン・トリノ』(2008)予告編
映画『グラン・トリノ』は、妻に先立たれた後も朝鮮戦争時の記憶に囚われ続ける老人ウォルトと、ギャングに命令され彼の愛車「グラン・トリノ」を盗もうとしたモン族(ベトナム・ラオスなどの山岳地帯に住む民族。インドシナ戦争・ベトナム戦争時にフランス・アメリカの反共工作に協力したことでベトナム戦争後の共産政権の虐殺対象となり、多くのモン族がアメリカなどに亡命した)の少年タオの心の交流と描いた作品。
同作の結末にて、第二の故郷アメリカで懸命に生きようと決意した少年の未来のために、朝鮮戦争時に犯した己の罪を償うために老人がたどり着いた人生の決断は、映画を観た多くの人々の記憶に焼きつきました。
また『グラン・トリノ』は2008年の劇場公開当時、イーストウッドが「今後は監督業に専念し、役を探すなど積極的に俳優業を行うのはやめる」という俳優業の実質的な引退宣言を発言した作品としても知られています。
ところがその後、イーストウッドはロバート・ロレンツ監督作『人生の特等席』(2012)にて主演を務め、『グラン・トリノ』公開から10年後にあたる2018年には自身の監督作『運び屋』でも、麻薬の運び屋をしていた退役軍人の主人公を演じました。
無論、先の俳優引退宣言はあくまで“実質的”なものであり、上記の2作品もイーストウッドがさまざまな要因や事情をふまえた上で「自身が演じるべき役であり作品」と判断したからこそ、主演を務めたという点は否定できません。
しかしその判断は一方で、長年“俳優”として活躍し続けてきたイーストウッドの“弱さ”が垣間見えた結果とも捉えられるのではないでしょうか。
イーストウッド自身の“弱さ”と再び決着をつける
『グラン・トリノ』の主人公ウォルトは自動車の街デトロイトで自動車組立て工を50年勤めたがゆえに“古き良きアメリカ”を、朝鮮戦争に出兵したがゆえに“罪深きアメリカ”を知る年老いたアメリカ人です。
同作で描かれた彼の人生の決断とその行動は、現役を退いた世代が未来を担う世代を生かすためのものであると同時に、罪深きアメリカのせいで移民になったにも関わらず“ここ”で生き抜こうとするモン族の少年=新たなアメリカ人を生かそうとした結果でもあります。
その“継承”の物語は、ハリウッドで長年活躍する中で異なる形であれど古き良きアメリカ/罪深きアメリカを知り、若き世代の俳優たちに未来を託そうと考えつつあった当時のイーストウッドの姿にも重なります。
だからこそ、『インビクタス/負けざる者たち』(2009)の公開当時にイーストウッド自身が「戻ってくることもあるかもしれない」と発言していたとはいえ、『グラン・トリノ』の監督・主演は彼の俳優としての人生の決断そのものであり、彼の俳優引退作になると誰もが確信していたはずです。
しかし、彼はその後も映画に出演し続けた。それはイーストウッド俳優として長年活動し続けてきたがゆえの葛藤であり、誰よりも自身が「俳優クリント・イーストウッド」であると自覚しているがゆえの葛藤……「俳優クリント・イーストウッド」であるがゆえの弱さがもたらしてしまったのではないでしょうか。
そうした弱さが垣間見えたイーストウッドが、『運び屋』以来の監督・主演作として制作した『クライ・マッチョ』。その作品キャッチコピーは「いま、本当の強さの意味を問う」となっています。
強さを描く物語のほとんどは、強さと表裏一体である弱さも同じく描いてきました。『クライ・マッチョ』も、その例外ではありません。
イーストウッドが自身の俳優としての人生の決断を投影した『グラン・トリノ』と同じ「老人と少年の間に生まれる絆と、絆を通じてもたらされる互いの人生の決断」というテーマを、本当の強さを、彼は自身の節目と重なる主演・監督作『クライ・マッチョ』で再び描こうとした。
それは『クライ・マッチョ』の主人公マイクの弱さを通じて、『グラン・トリノ』以降に現れた「俳優クリント・イーストウッド」であるがゆえの弱さを描こうとしたこと。
そして、『クライ・マッチョ』はイーストウッドが自らの弱さと向き合おうとした作品であり、『グラン・トリノ』で果たせなかった「俳優クリント・イーストウッド」との決着に再び臨んだ作品でもあることを意味しているのです。
まとめ/その決着は“決別”となるのか?
本作の原題『Cry Macho』は日本語で訳すと「男らしく泣け」。
「macho」は、日本では「筋肉質な/筋骨隆々な」の意味で捉えられがちですが、英語圏では「男らしさ/男らしい価値観」といった意味で用いられることが多く、時には「女尊男卑」と訳されるなど「時代錯誤の価値観/支配的で攻撃的な価値観」の意味合いで使用されることもあります。
「男らしさという時代錯誤」……その言葉は、落ちぶれた元カウボーイである主人公マイク・マイロはもちろん、もはや現代では時代錯誤としか思われない古き良きアメリカを知り、誰よりも“映画の中”で生きてきた俳優クリント・イーストウッドに突き刺さります。
しかしながら、一見無情にもとれるその言葉は、マイクとイーストウッドそれぞれが自身の弱さを再認識するためには欠かせないものであり、だからこそ二人は互いにその弱さを受け入れ、その裏にある“本当の強さ”を知ることになります。
『Cry Macho(男らしく泣け)』という原題には、そうしたマイクとイーストウッド双方の弱さと本当の強さに基づく人生の決断……自らが時代錯誤であり弱さを持つ人間であるのを知り、その悲哀とともにどう向き合い、どう生きてゆくべきかという問いと答えが込められているのです。
監督デビュー50年・監督作40作目にあたる記念碑的作品『クライ・マッチョ』で、イーストウッドが再び試みる「俳優クリント・イーストウッド」との決着。
その決着が“決別”となるのかは定かではありませんが、少なくとも本作を観ることで、イーストウッド自身の新たな人生の決断に立ち会うことはできるはずです。
次回の『のび編集長の映画よりおむすびが食べたい』も、ぜひ読んでいただけますと幸いです。
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編集長:河合のびプロフィール
1995年生まれ、静岡県出身の詩人。2019年に日本映画大学・理論コースを卒業後、2020年6月に映画情報Webサイト「Cinemarche」編集長へ就任。主にレビュー記事を執筆する一方で、草彅剛など多数の映画人へのインタビューも手がける。
2021年にはポッドキャスト番組「こんじゅりのシネマストリーマー」にサブMCとして出演(@youzo_kawai)。