「時代のせいにするな、己の“好き”を貫け!」
映画『HOKUSAI』は、約1年の公開延期で、5月28日(金)に劇場公開されました。
監督は『相棒 劇場版IV』(2017)、『劇場版 シグナル』(2021)、「探偵はBARにいる」シリーズの橋本一が務めます。青年期の北斎について資料がゼロレベルだったことで、創作意欲が増したと話す橋本監督。
企画から脚本までを行った河原れんは、本作で北斎の娘“お栄”役を演じています。青年期もさることながら、老年期の資料も少ないと言われる葛飾北斎。
青年期と老年期の2つで構成した理由を、原石から天才に化ける瞬間が好きで、苦悩し葛藤する過程で、原石が天才になる瞬間の醍醐味を描きたかったと語りました。
葛飾北斎や美人画の大家・喜多川歌麿、役者画の大家・東洲斎写楽などが、一斉風靡した江戸後期には、1790年「寛政の改革」の“改め印制度”が発令され、表現者たちの自由が抑圧され、創作が厳しい時代でした。
映画『HOKUSAI』の作品情報
【公開】
2021年(日本映画)
【監督】
橋本一
【脚本】
河原れん
【キャスト】
柳楽優弥、田中泯、玉木宏、瀧本美織、津田寛治、青木崇高、辻本祐樹、浦上晟周、芋生悠、河原れん、城桧吏、永山瑛太、阿部寛
【作品概要】
青年期の北斎を演じるのは、『誰も知らない』(2004)が第57回カンヌ国際映画祭のコンペ部門に出品され、当時14歳で日本人初、史上最年少で男優賞を受賞した柳楽優弥が務めます。
老年期の北斎を演じたのは、ダンサーとして世界で活動をしていた経歴の田中泯です。田中は『たそがれ清平衛』(2002)が初の映像作品で、この作品で日本アカデミー賞の最優秀助演男優賞と新人俳優賞を受賞し、以後役者として『隠し剣 鬼の爪』(2004)、『八日目の蝉』(2011)と話題作に多く出演。
映画『北斎漫画』のあらすじとネタバレ
炎天下、汗だくで必死な眼をする少年が、棒切れを使って地面に子犬を描いています…。
太平の世の江戸には、独自の町人文化が開花していました。
例えば美女や歌舞伎役者を描いた浮世絵、戯作と呼ばれる通俗小説などが、庶民のささやかな娯楽でした。
しかし、その自由な時流によって、徳川の威信が揺らぎ、幕府の威厳が崩れる基は“娯楽”で、世の中を堕落させる害悪の対象として、絵師や戯作者、版元に厳しい弾圧がかけられました。
そんな江戸の不衛生な下町の裏路地の長屋では、若き北斎が筆を振るっていました。
彼は勝川春章に師事し、春朗の名で絵師をしていましたが、狩野派や唐絵にまで興味を示したため破門されています。
北斎は被写体を忠実に描き、画の腕は確かでしたが、鼻っ柱が強く誰に対しても、強気で人の言いなりになるのが嫌いな男です。
壱の章
書店“蔦屋耕書堂”の富士紋ののれんがひるがえり、与力を引連れた役人が、客でにぎわう店内に押し入ってきました。
“御用改め”今でいう家宅捜索です。展示してある浮世絵や読物本は与力たちに踏みつけられ、客は外へ追い払われ、抵抗する店の使用人は容赦なく暴行されます。
役人は店主蔦屋重三郎に禁制されている、洒落本や浮世絵を出版し、乱れた風俗を世に広めているという罪で、身上半減(財産没収)を申しつけます。
店内は破壊され、商品等の半分以上を没収され、店先で焼失させられてしまいます。
重三郎は飄々とした人柄でありますが、その様子を険しい表情でみつめ、無言ながら心は怯むことなく、新たな抵抗を心に誓います。
滅茶苦茶にされた店内で重三郎は、喜多川歌麿の美人画を拾い上げます。
「こんなになっちまっても、ちっとも色気は失っていねぇ」と、傑作の持つ底力を語ります。そして、この一件を“ありがたい”とつぶやきます。
瑣吉(さきち)が不思議そうにみつめると、出る杭が打たれるってことは、耕書堂が版元として頭1つ、出ているという証をもらったようなものと、前向きに語ります。
さらにこの先の動向も注目されるはずだから、ますます自分の目利きを証明する好機と捉え、ほくそ笑む重三郎でした。
重三郎は吉原の遊郭に足を運びます。その一室を歌麿は住居兼工房にしていました。
歌麿は女郎をモデルに絵を描いていましたが、重三郎に気がつくと文机をアゴで指し、完成した絵を見せます。
重三郎は満足げな顔をして、それを受けとると部屋を出ようとしますが、歌麿は錦屋に良い目をした“麻雪”という花魁の噂を聞き、気になるといいます。
重三郎は麻雪でも京女でも、連れてくると言い残しますが、その麻雪は画のモデルなら断るといいます。絵師は礼儀知らずだからというものです。
彼女は“山猿”とあだ名をつけた絵師のモデルになったが、目の前にずっと立たせたり、わけの分からぬことを言いながら、覆いかぶさって絵を描く行儀知らずだったと話します。
店に戻り、このことを瑣吉に話すと、心当たりがあるように頷き、“勝川春朗”のことだろうと、耕書堂でも何枚か描かせたことがあると、絵を探し出して見せます。
腕は良いが描きたくないものは描かない、描きたいものはとことん…と、気難しくてめんどくさい絵師だと話します。
重三郎は春朗の絵を見ながら興味を抱きます。ところが瑣吉は今は勝川から破門されていると言います。
露店で絵を売る北斎でしたが、憮然と座っているだけなので人は素通りするだけです。そんな北斎が長屋に帰ると、中に人の気配を感じます。
戸を開けるとそこには北斎の絵を見る重三郎がいました。北斎が用件を聞くと重三郎は、暮らしぶりや瑣吉から聞いたあれこれを訊ねます。
そして、北斎に耕書堂で絵を描けば、(売れっ子に)育ててやると誘います。ところが北斎は「人から指図されて仕事するのは性に合わない」と断ります。
重三郎は少し思案し「なるほど」というと、兄弟子を殴った理由を訊ね、北斎はその兄弟子が自分の絵に筆を入れ、台無しにしたからだと答えました。
答えを聞いた重三郎は微笑みながら北斎の家をあとにします。
ある日、露天商から帰った北斎は、富士の紋入りの紙包みがあるのをみつけます。中には小判が入っています。
北斎が不愉快な顔をしながら耕書堂にくると、店番をしていた瑣吉が予想していたかのように、「ひさしぶりだな。旦那様かい?」と聞き、重三郎は吉原にいると教えます。
北斎が通された部屋には、重三郎と歌麿、モデルをする麻雪がいました。
憮然と突っ立っている北斎に、酒や豪華な食事を勧めますが、酒は飲まない、贅沢な食べ物も口に合わないと拒否します。
そんな北斎の様子をみた歌麿は「坊さんみたいだな。だからおまえの(描く)女は色気がないんだ」と言い放ちます。
さらに下手ではないのですが、目に映るものをそのまま似せて写してるだけで、色気が無いと言い切られました。
北斎は一度は部屋を出て行こうと襖を開けますが、重三郎は逃げるのかと挑発し、歌麿から襖を閉めるよう促され、そのまま座り込みます。
歌麿は麻雪を後ろを向かせ、襟足から背中をだすように下げると、鏡を覗かせるポーズをとらせ、その姿を見るわけでもなく、すらすらと紙に描き始めます。
翌日、北斎は再び金を返しに蔦屋を訪れます。
番頭の傍ら読物書きをしていた瑣吉は、遊郭に歌麿を住まわせているおかげで、店は火の車、瑣吉の書いた原稿は読んでももらえないとぼやきます。
北斎が金をさしだすと、「おまえさんは絵を描かないつもりかい?」と聞かれ、北斎はしばし漫然としてしまいます。
思い立った北斎は4枚の女絵を描き上げ、重三郎の前に差し出しますが、重三郎は絵に目を通すと「どういうつもりだ?」と聞きます。
あっけにとられた北斎は、歌麿よりも上手く描けたはずと口走り、重三郎から勝ち負けで絵を描いているのか?何のために絵師になったと聞かれます。
北斎は絵師なら下っ端からでも這い上がれるからと答え、呆れた重三郎は「いいか、絵は世の中を変えられるんだぞ」と言い残し、部屋から出て行きます。
その日から北斎の創作への苦悩が始まります。
映画『HOKUSAI』の感想と評価
映画『HOKUSAI』の見どころは、新感覚の時代劇を視覚化させるをコンセプトに作られ、カメラワークに工夫が施され、あでやかなセットを平面で見せるのではなく、あらゆる角度から撮影することで、奥行きのある映像になっていたところといえます。
薄暗さの中の“明と暗”の部分もただ暗いだけではなく、その奥に見えるあでやかさが、実際の時代の光加減に、近いのではないかと思わせます。
ただ近代的な技術を駆使しただけではない、計算しつくされている美しさがありました。
また、北斎や他に登場する歌麿や写楽の浮世絵に関しても、実際の彫り師、刷り師の手によって復元されました。
クライマックスに登場する『男浪』『女浪』は、東京藝術大学の指導員によって描かれ、本物にこだわり抜かれています。
さて、葛飾北斎は90歳まで生きたとはいえ、何度も放浪の旅をし不在の時も多く、浮世絵師として開花し活躍したのは壮年に入ってからです。
その頃のエピソードはさまざまあったでしょうが、ほとんどが謎のままです。
本作が描くのは絵師として活躍した時代がすっぽりと抜け、無名の時代と歌川広重や国芳、国貞に取って代わっていく晩年の北斎と、資料がほとんどないといわれる期間です。
制作側の想像の部分が多いとはいえ、年表と作品を照らし合わせ綿密に練り上げられ、登場人物達との関係性にも違和感が感じないほど、自然にまとめ上げられていたと感じました。
青年期の無名時代は個性豊かなアーティストが活躍していました。そのアーティストを出演者たちは、彼らの個性と負けず劣らずの演技で表現しています。
“波”を自分の人生や世を示すように、自らのオリジナルテーマにした青年期の北斎の歩みは、柳楽優弥の目力や本人の経験、気質からもにじみ出ていたように見えます。
イメージ通りの“藍”をみつけた時の北斎の歓喜の舞は、ダンサーならではの田中泯の凄みのある表現に、北斎が憑依したようでした。
これこそ北斎というイメージは、負けず嫌いで、人の言うことを聞かないという気性は、彼の飛躍を遅らせたかもしれませんが、その分生きる時間を与えました。
もう少し素直に生きられたなら……とも思いますが、反抗しその結果苦労を重ねて開花させた北斎の才能は、まさに富士や北極星のごとく不動の人気につなげる、糧であったと言えるでしょう。
まとめ
映画『HOKUSAI』自体も困難を乗り越え、ようやく公開に辿りつきました。本作に限らず、映画そのものが公開中止や延期を余儀なくされ、試練と向き合う世の中にぶつかりました。
とくに『HOKUSAI』の制作関係者は、北斎の生きた時代と照らし合わせ、苦汁を強く感じていたと察します。
しかし、逆に北斎から時代や環境のせいにするな!と、檄を飛ばされ勇気をもらったのではないかとも想像できます。
世界中の人々が我慢を強いられ、ささやかな娯楽(映画)さえも自由に観に行けない時がくるとは、想像もしていませんでした。
しかし、同じことが過去にも現実にありました。このことは試練にぶつかった現代の人たちに勇気を与えるでしょう。
つまり、人々が元気を失いかけた「今だから」この映画を観る意味と価値が見出せます。北斎が観たかったという、誰にも指図されない世が今だからです。
眼に見えないウィルスという驚異には、万全の対策が必要ですが、娯楽を描いても裁かれる時代ではありません。
心までもウィルスの驚異に負けないために、エンターテイメントが存在します。私たちは不遇のせいにすることなく、娯楽を楽しめばいいのです。