映画『his』は2020年1月24日(金)より新宿武蔵野館ほか全国公開!
かつて恋人だった男性二人の8年ぶりの再会と恋愛の行方を物語の中心に据えつつも、セクシャル・マイノリティの人々と地域共同体の共存、「家族」という社会形態の変化と弊害、子どもにとっての「親」と「親権」の意義など社会的・普遍的テーマをも描いた長編映画『his』。
2019年には『愛がなんだ』『アイネクライネナハトムジーク』などが公開され“恋愛映画の旗手”と称される今泉力哉監督が、同性同士の恋愛を初めて“主題”として描こうと試みた作品でもあります。
友情と愛情の間で自身のセクシャリティに揺れ動く二人の男子高校生の姿を描いたドラマ『his〜恋するつもりなんてなかった〜』の“その後”の物語である本作。
このたび映画の劇場公開を記念して、今泉力哉監督にインタビュー。本作を監督するにあたっての思い、“理解者”と“当事者”それぞれの視点、“当たり前”の光景から浮かび上がってくる他者との関わり方など、など、多くの貴重なお話を伺いました。
CONTENTS
“今までにないもの”を
──本作を制作される中で、現在の社会において「セクシャル・マイノリティ」と呼ばれる方たちへの認識の変化はありましたか。
今泉力哉監督(以下、今泉):自分自身の中でセクシャル・マイノリティの方たちへの思いが本作の制作の中で大きく変化したわけではありませんけど、それまで知らなかったことを知ることができたのはよかったですね。
たとえばある時、本作の制作を知った方から「今泉監督はインターセックスの方たちをどのように認識されていますか?」と聞かれたことがあったんです。当時の僕はその言葉を知らなかったため不勉強を恥じたのですが、そういったインターセックスの方たちをはじめ、LGBTQという枠組みが作られたが故にそこから更にこぼれ落ち、つらい思いをされている方たちが存在するのだと知ることができました。
また『パンとバスと2度目のハツコイ』(2018)や『mellow』(2020)などのように、僕は本作以前の作品の中で“同性愛”を群像劇の一部として、当たり前の出来事として描いてきているんです。何故そうしていたのかというと、それらを作品の主題として扱うことの方がある意味では差別的に見えてしまうからであり、だからこそ「僕は“題材”としては同性愛を描かない」と長らく公言し続けていたんです。本作のお話を最初に伺った際にもそのことを伝えて、「やるからには、今までにない作品にしたい」と企画・脚本のアサダアツシさんたちに話したことを覚えています。
今泉:例えば本作の前日譚にあたるドラマ『his〜恋するつもりなんてなかった〜』に関しても、高校時代の迅は最初から同性愛者だったわけではなく、全5話を通じて自分の中にある同性への愛に気づいていきます。日本作品ではあまりみられないその物語に僕は興味を抱き、「それならやってもいいかもしれない」と思い制作に携わることにしたんです。
一方で、映画『his』のプロットから見えてきた「同性愛」「裁判」「子ども」「親権」といったキーワードに対しては、やはりトラビス・ファイン監督の『チョコレートドーナツ』(2012)が思い浮かんでしまって。その印象についても初期段階でアサダさんへお伝えしたんですが、彼は「『チョコレートドーナツ』の舞台は1970年のアメリカであり、現代の日本が舞台の本作とはやはり社会的な立ち位置も法律も大きく異なる」「また本作は“夫婦”の物語でもある」「表層からはそう見えるかもしれないが、映画を観終えた後にその印象を抱く方はいない」ととても丁寧に答えてくれました。僕はアサダさんのその答えに納得し、映画『his』も監督することに決めました。
“理解者”では捉えきれないもの
──本作は男性同士の恋愛を物語の中心に据えながらも、現在の日本社会が抱える諸問題、何よりも社会と個人の関わりという普遍的な課題も描いています。
今泉:これは少し語弊があるかもしれないんですけど、本作で描かれている出来事を非常に大きな問題、特殊な出来事として捉えていなかった気がするんですよね。あくまでどこにでもある、当たり前の出来事としてそれらを撮っていたんです。
先ほども「本作の制作を通じて自身の認識や感覚が大きく変化することはなかった」と話したように、僕は元からセクシャル・マイノリティの方たちに対して差別的な感情や偏見を持っていなかったので。それは身近に接しているから、関わっているからといった理由があるからではなく、「さまざまな出来事を通じて悩み、葛藤し続ける」という情動自体はどんな形の恋愛、あるいは人生であっても当たり前のこと、起こり得ることだと認識しているからだと感じています。
ただ劇中、娘・空の親権をめぐる裁判が終わった後、渚が弁護士の桜井に対して、自分がなぜあのような決断をしたかを端的に語る場面がありますよね。実はあの台詞を、僕はカットするべきじゃないかと撮影のギリギリまで悩み続けていたんです。「それは言葉にしなくともわかることなんじゃないか」「普段の会話と相まって、“台詞っぽい台詞”に聞こえてしまうんじゃないか」と。
ですが僕の提案に対し、渚役の藤原季節さんは「いや、僕自身はこの台詞を言いたい」「この台詞はあの立場の自分にしか言えないものであり、だからこそ言った方がいい」と答えてくれました。その言葉を聞いたのであの台詞を残すことにしたんです。
僕は確かにセクシャル・マイノリティの方たちに対する差別的な感情や偏見は抱いていませんが、問題の重さを深く理解できているわけではない。あまりにもそれらをフラットに捉え過ぎてしまっている。僕はあくまで“理解者”の側の人間でしかないんですよ。それも多分、“中途半端”な理解者。だからこそ“当事者”の人間が抱えるつらさを知った時、「そこまでなのか」と驚かされることもままあるわけです。
むしろ、“当事者”の人間を演じ続けていた役者さんたちの方が、そのつらさを実感を伴って理解できていることもある。だからこそ本作では、役者さんたちと相談しながら撮影を進めることを特に重視しました。
理想と現実の先にある希望
──渚のあの台詞には、不条理と不理解に満ち溢れている現実の社会を“個人”として、他者と関わり合う者として、これからも生きてゆくための“覚悟”も込められていました。
今泉:やはり、“視野”なんですよね。迅がかつての職場の同僚たちから同性愛について揶揄される場面でも描いているように、「揶揄する人がいる」と一度知ってしまうと「そういう人ばかりなんだ」と捉えがちになってしまう。ですが周囲の人々と関わり、思いやりや優しさを互いに受け取り合う中で“視野”が広がり、「そうではない人もいる」と次第に気づいていくんです。
その反面、「父親の渚と暮らすこと」あるいは「母親の玲奈と暮らすこと」が子どもにとっての理想なのか、子どもであり“当事者”の空が願う「両親、そして迅と自分の四人で暮らすこと」が本当の理想なのかと、それぞれの理想が大きく異なること、そして全員の理想が実現することはまずあり得ないことを現実が突きつけてくる。それを決して甘くは描きたくなかったし、一方で何かしらの希望も見出せるようにしたかった。そのバランスが非常に難しかったですね。
例えば玲奈に関しても、裁判を通じて理想と現実の違いに葛藤したことで少なからず変化します。その変化がのちに彼女がとった行動につながっていくんですが、それだけでも“希望”といえるんじゃないかと感じています。相手の全てを理解しようとすることの方がよっぽど嘘っぽいといいますか、「わからないけれど一緒にいる」「わからないけれど、ここは認めたい」と思いながら付き合っていく方が、相手にとっても自分自身にとっても一番優しいんじゃないかと。
“当たり前”からみえてくるもの
──年齢や世代に関係なく、相手の立場や心情を全ては理解できなかったとしても相手を受け入れること、あるいは尊重することができるということでしょうか。
今泉:ラストシーンで、とあることが起きて、大人たちはみな空の元に駆け寄ります。あの一連の流れについては、脚本はもちろん僕が演出したものではないんですよ。
劇中で描かれている出来事や人物たちの心情、作り手の頭の中での思考といった複雑な前提を超えて、「子どもが困っていたら助ける」「誰かが困っていたら助ける」という当たり前のことが目の前で起きた。「ああ、そういうことなんだな」と感じましたね。
そもそも本作の登場人物たちはみな優しいのに、自分に正直に生きようとして誰かを傷つけてしまうなど、各々の感情や理想のズレによって、多くの問題を生んでしまっている。迅と渚がかつて別れたのも、「相手に迷惑をかけるかもしれない」という心配と不安が最たる原因だったわけですし。「言葉にすれば解決していたのに」という出来事が多いんです。
ただ、そんな不器用な人たちが好きでもあるんですよね。人間らしい人たちを描くことに、僕はやはり興味があるので。
繊細さという強さ/弱さ
──今泉監督が先ほども触れられていた通り、迅は再会した渚やその娘・空との生活をきっかけに周囲の人々ともより深く関わるようになり、“視野”が広がっていきました。それが、のちに描かれる迅の“ある決意”へとつながるわけですね。
今泉:迅のその決意を目の当たりにし、それまで悩み続けていた渚は彼から勇気をもらいます。そしてそこで受け取った勇気が、裁判の中で渚が辿り着いた“ある決断”をもたらしたんです。
そうやって迅、渚、玲奈へと思いや行動がバトンタッチされていく様を一つの形として描けたことはよかったですね。自身と向き合った上で他者のことを思い、行動する人間の姿を見たからこそ、各々もまたそうあるべきだと思い行動しようとしたんです。
──人々の思いや行動のバトンタッチが本作の結末を生んだわけですが、一方でバトンタッチの原動力といえる思いやりや優しさが、多くの問題の原因である“ズレ”をも生んでしまっているのかもしれません。
今泉:思いやりや優しさというよりは、“繊細さ”と言った方がいいかもしれないですね。相手の心情や状況などに気づけてしまうからこそ、勝手に相手を気遣って行動し、結果的に空回りしてしまうといいますか。繊細でない方がうまくいくこともあるわけです。
だからこそバトンタッチが誰から始まったのかも定かではないし、そもそも本作の登場人物の多くが繊細だとも感じています。例えば迅と渚の場合、どちらがより繊細か、あるいはより図太いのかを判断することはとても難しい。それはお互いの繊細さの種類が異なっているからであり、その繊細さがお互いの強さであり弱さでもあるからです。その一口では語れない様が映画という形で表現することができたのは非常によかったですね。
そしてその微妙なニュアンス、あるいはバランスを描くにあたって、宮沢氷魚さんと藤原季節さんという二人の役者に迅と渚を演じてもらえたことも本当にありがたかったです。
インタビュー/河合のび
撮影/出町光識
今泉力哉監督プロフィール
1981年生まれ、福島県出身。2010年『たまの映画』で長編映画監督デビュー。2013年に『こっぴどい猫』がトランシルヴァニア国際映画祭で最優秀監督賞受賞。また2014年には『サッドティー』を公開、大きな話題となった。
2019年4月には『愛がなんだ』が公開され大ヒットを記録。さらに同年9月には伊坂幸太郎原作の『アイネクライネナハトムジーク』が公開された。
2020年には本作の他にも『mellow』や全編下北沢で撮影した『街の上で』などが公開予定。最新作は松坂桃李がハロプロオタクを演じる『あの頃。』(2021年公開予定)。
映画『his』の作品情報
【公開】
2020年1月24日(日本映画)
【監督】
今泉力哉
【企画・脚本】
アサダアツシ
【音楽】
渡邊崇
【キャスト】
宮沢氷魚、藤原季節、松本若菜、松本穂香、外村紗玖良、中村久美、鈴木慶一、根岸季衣、堀部圭亮、戸田恵子
【作品概要】
2019年には『愛がなんだ』『アイネクライネナハトムジーク』などが公開され“恋愛映画の旗手”と称される今泉力哉監督が、「同性同士の恋愛」を初めて“主題”として描こうと試みた長編映画作品。
かつて恋人だった男性二人の8年ぶりの再会と恋愛の行方を物語の中心に据えつつも、セクシャル・マイノリティの人々と地域共同体の共存、「家族」という社会形態の変化と弊害、子どもにとっての「親」と「親権」の意義など社会的・普遍的テーマを提示している。
主人公・井川迅役はドラマ「偽装不倫」で話題を集め、本作で映画初主演を果たした宮沢氷魚。そして迅の元恋人・日比野渚役を『ケンとカズ』『沈黙-サイレンス-』などに出演し、『すじぼり』にて連続ドラマ初主演を務めた藤原季節。さらに共演には松本若菜、松本穂香、鈴木慶一、根岸季衣、堀部圭亮、戸田恵子など老若男女の魅力的なキャスト陣が集結した。
映画『his』のあらすじ
春休みに江の島を訪れた男子高校生・井川迅と、湘南で高校に通う日比野渚。二人の間に芽生えた友情は、やがて愛へと発展し、お互いの気持ちを確かめ合っていく。
しかし、迅の大学卒業を控えた頃、渚は「一緒にいても将来が見えない」と突如別れを告げた。
出会いから13年後、迅は周囲にゲイだと知られることを恐れ、ひっそりと一人で田舎暮らしを送っていた。そこに、6歳の娘・空を連れた渚が突然現れる。
「しばらくの間、居候させて欲しい」と言う渚に戸惑いを隠せない迅だったが、いつしか空も懐き、周囲の人々も三人を受け入れていく。そんな中、渚は妻・玲奈との間で離婚と親権の協議をしていることを迅に打ち明ける。
ある日、玲奈が空を東京へと連れ戻してしまう。落ち込む渚に対して、迅は「渚と空ちゃんと三人で一緒に暮らしたい」と気持ちを伝える。しかし、離婚調停が進んでいく中で、迅たちは、玲奈の弁護士や裁判官から心ない言葉を浴びせられ、自分たちを取り巻く環境に改めて向き合うことになっていく……。
編集長:河合のびプロフィール
1995年生まれ、静岡県出身の詩人。2019年に日本映画大学・理論コースを卒業後、2020年6月に映画情報Webサイト「Cinemarche」編集長へ就任。主にレビュー記事を執筆する一方で、草彅剛など多数の映画人へのインタビューも手がける。
2021年にはポッドキャスト番組「こんじゅりのシネマストリーマー」にサブMCとして出演(@youzo_kawai)。