死を告げる鳥〈デス〉と母娘を通し描く別れ
余命わずかな15歳のチューズデー。その前に現れたのは、命の終わりを告げる鳥〈デス〉。
チューズデーは、母のゾラが帰宅するまで待ってくれるようデスを引き止めます。
しかし、帰宅したゾラはデスの存在に驚き、娘の死を受け入れるわけにはいかないと暴挙に出てしまいます。
A24が送る“死”という概念を〈デス〉という鳥を用いて可視化した新感覚の映画。監督を務めたのは、本作が初長編作となるクロアチア出身の新鋭ダイナ・O・プスィッチ。
インパクトのある〈デス〉のビジュアルは、コンゴインコをベースに、絶滅危惧種を含め様々な種類の鳥を掛け合わせて製作されました。
映画『終わりの鳥』の作品情報
(C)DEATH ON A TUESDAYLLC/THE BRITISH FILM INSTITUTE/BRITISH BROADCASTING CORPORATION 2024
【日本公開】
2025年(イギリス、アメリカ映画)
【原題】
Tuesday
【監督、脚本】
ダイナ・O・プスィッチ
【キャスト】
ジュリア・ルイス=ドレイファス、ローラ・ペティクルー、リア・ハーベイ、アリンゼ・ケニ
【作品概要】
様々な才能を発掘してきたA24製作で、クロアチア出身の新鋭ダイナ・O・プスィッチ監督が手がける新感覚映画。
チューズデー役を演じたのは、『恋人はアンバー』(2022)のローラ・ペティクルー。母親のゾラ役には、『おとなの恋には嘘がある』(2014)のジュリア・ルイス=ドレイファス。
〈デス〉のビジュアルは、コンゴインコをベースに、絶滅危惧種を含め様々な種類の鳥を掛け合わせて、有り得なくはない、ユニークな怪物としてCGで製作されました。
一般的にイメージされるような死神のビジュアルは恐ろしくゾッとするものですが、〈デス〉は確かに不気味な部分もありつつも、ユーモラスでどこか可愛らしい動きやキャラクターになっています。
映画『終わりの鳥』のあらすじとネタバレ
(C)DEATH ON A TUESDAYLLC/THE BRITISH FILM INSTITUTE/BRITISH BROADCASTING CORPORATION 2024
15歳の少女・チューズデーとその母・ゾラは2人で暮らしていました。
チューズデーは、自分の命がそう長くないことに気づいていました。
母のゾラは、看護師のビリーにチューズデーを預けるとすぐさま仕事だと言って出かけ、夜遅くまで帰りません。
そんなある日、チューズデーの前に奇妙な鳥がやってきます。
その鳥は〈デス〉で、地球上の様々な生物に命の終わりを告げていました。
チューズデーは、〈デス〉の存在を察したのか怯えた様子で咄嗟にジョークを言います。
すると、〈デス〉は愉快そうに笑います。その直後、様々な声が頭の中をこだまし、〈デス〉は苦しそうにうめき、体がどんどん小さくなっていきます。
チューズデーは手の平で小さくなった〈デス〉を包み込み、「深く息を吸って、吐いて」と声をかけてパニックになった〈デス〉を落ち着かせます。
落ち着いた〈デス〉は、チューズデーくらいのサイズまで大きくなり、チューズデーに人の言葉で話し、感謝を述べます。
驚きつつもチューズデーは名前を名乗り、〈デス〉に触ろうとします。
「私は不潔だ」と触らないほうがいいと言う〈デス〉に、チューズデーは流しの水をためて、ここで体を洗うように合図します。
水浴びをして綺麗になった〈デス〉は、チューズデーに感謝しハグをします。
チューズデーは、「殺さないで」と〈デス〉に言いますが、「それはできない」と言われてしまいます。
自分の死を覚悟したチューズデーは、母と話をさせてほしいと頼みます。
誰も言葉をかけようとしなかった〈デス〉に言葉をかけ、気遣ってくれたチューズデーのために、〈デス〉は待つことを了承します。
しかし、ゾラはチューズデーからの電話と分かっていながらも応答しません。
仕方なくチューズデーと〈デス〉はゾラが帰宅するまで待つことにします。
ユニークな〈デス〉とチューズデーは様々な話をし、共に時間を過ごします。
映画『終わりの鳥』の感想と評価
(C)DEATH ON A TUESDAYLLC/THE BRITISH FILM INSTITUTE/BRITISH BROADCASTING CORPORATION 2024
誰しもいつかは死が訪れます。そのことを分かっていてもそう簡単に受け入れられるわけではないでしょう。まさに本作における母・ゾラがそれを物語っています。
冒頭、チューズデーは足音で母・ゾラの気配を感じ取っていますが、ゾラはチューズデーと話すこともなくやってきた看護師のビリーにゾラを預けると家を出て行きます。
中盤で明かされますが、ゾラは仕事をしていませんでした。家の中の物を売って生計を立てていたようです。仕事をしていないのなら、チューズデーと過ごす時間はもっとあったはずなのに、ゾラはチューズデーと過ごしていませんでした。
看護師のビリーにも「もっとそばにいてあげて」と言われますが、ゾラはビリーの言葉が図星だったからか、仕事が忙しいと怒ります。
なぜ、ゾラはチューズデーのそばにいようとしなかったのか、それはチューズデーに死が近づいていることを認めたくなかった、病気で衰弱したチューズデーを見るのが辛かったからではないでしょうか。
子供が先に亡くなることは、どんな親にとっても辛く、受け入れ難いものです。それ故にゾラはチューズデーを避け、現実逃避していたのでしょう。
一方で、チューズデーはそんな母のことをどこかで分かっていたのでしょう。そして自分が長くないことも分かっていたはずです。
最初、チューズデーは〈デス〉に「殺さないで」と頼みますが、〈デス〉が「それはできない」と言うと、自分の死を受け入れます。しかし、ゾラが心の準備をできるのようにとゾラと話をするまで待ってほしいと頼みます。
チューズデーはゾラに電話をかけますが、ゾラは電話に出ようとしません。その姿からも現実逃避をしたいゾラの弱さが映し出されています。帰ってきたゾラにチューズデーが「私は死ぬの」と言っても本気にしません。
誰だって大切な人が今日死ぬと言う信じがたい現実を受け入れることはできないでしょう。本作の面白いところは、そこからゾラがとんでもない暴挙に出ることです。
チューズデーの死を受け入れられないあまり、〈デス〉を殺そうとした上に焼いて食べてしまうのです。それによりゾラ自身が〈デス〉の一部となりチューズデーのサポートを受けながら人々に命の終わりを告げる仕事を行います。
母娘の時間を取り戻し、生き生きし始めたゾラと対照的にチューズデーは衰弱して行きます。ゾラが命の終わりを告げた生き物や人々同様に、チューズデー自身も死が訪れるべき存在なのです。その運命はどう抵抗しても変わることはありません。
ゾラがその事実にはっきりと気づいたのは、〈デス〉と同化して様々な声が聞こえてくる中で、その声を振り払おうとした時に聞こえてきたチューズデーの息遣いでした。
息苦しそうに呼吸をしながら、深く息を吸って自分自身を落ち着かせていました。そうやって1人でチューズデーは自分の病や体と向き合ってきたのです。
それは、ゾラが見ようとしなかった、向き合ってこなかったチューズデーの苦しみ、孤独だったのです。
「もう安心していい、あなたの人生だから」死は安らかな眠りともいえます。
病と戦ってきたチューズデーに必要なのは、安息と自分がいなくなっても大丈夫だと思えることでした。
通り道しながらもきちんとゾラはチューズデーの死に向き合っていきます。
しかし、いざ死が訪れると、チューズデーのいない世界でゾラは生きる希望を見失ってしまいます。
そんなゾラのそばには、看護師のビリーが気遣ってそばにいました。
それだけではなく、ゾラに気を使って〈デス〉まで様子を見にきたのです。
チューズデーにとっての来世は、チューズデーがいない世界でゾラが生きていくことだと説きます。
ゾラの心の中でいつまでもチューズデーは生き続けるのです。神の救いでもない、来世の希望でもないけれど、それは確かで力強い生きる希望と言えるでしょう。
まとめ
(C)DEATH ON A TUESDAYLLC/THE BRITISH FILM INSTITUTE/BRITISH BROADCASTING CORPORATION 2024
クロアチア出身の新鋭ダイナ・O・プスィッチ監督による死への向き合い方を描いたユニークな映画『終わりの鳥』。
様々なテーマが内包された本作は、ケアの映画であり、父親不在の映画とも言えるでしょう。
語られていない母娘の背景は推測することしかできませんが、母親1人で娘の緩和ケアと生計を担うのは精神的にも経済的にも難しいでしょう。
その状態に対し、現実逃避をするしかないゾラの弱さは彼女だけの問題でしょうか。
また、母親は当然のようにケアすることを求められる、世間一般の認識もバイアスとなってゾラを見てはいないでしょうか。
そのような社会問題への視座をもっと切り込んでも良かったところかもしれないですが、本作はあくまで母が娘の死を受け入れ、きちんと別れをすることにフォーカスしているような印象があります。
しかし、死や大切な人との別れは、語られ続けてきたテーマでありますが、そのなかで新たな視線で描いた手腕は見事です。
ダイナ・O・プスィッチ監督の今後の作品に期待が高まりますね。