ユダヤ人絶滅政策を決定したヴァンゼー会議を実際の議事録をもとに映画化
1942年1月20日、ベルリンのヴァンゼー湖畔にある大邸宅にて行われた“ヴァンゼー会議”。
ヴァンゼー会議では、国家保安部長官のラインハルト・ハイドリヒによって招かれたナチス親衛隊や事務官らが顔を揃えました。
会議の議題は、ユダヤ人問題の最終的解決について。最終的解決とは、ヨーロッパにいるユダヤ人を計画的に抹殺することを意味していました。
『ヒトラーのための虐殺会議』は、ヴァンゼー会議に実際に参加していたアドルフ・アイヒマンが記録した議事録を基に映画化されました。
監督を務めたのは、『Möbius』(1992)で映画監督デビューし、劇映画を手がけたのち、テレビ映画を中心に制作してきたマッティ・ゲショネック。
2010年に制作した『Boxhagener Platz』以来となる劇映画となった本作は、ヴァンゼー会議の80年後の2022年に制作されました。
CONTENTS
映画『ヒトラーのための虐殺会議』の作品情報
【日本公開】
2022年(ドイツ映画)
【原題】
Die Wannseekonferenz
【監督】
マッティ・ゲショネック
【キャスト】
フィリップ・ホフマイヤー、ヨハネス・アルマイヤー、マキシミリアン・ブリュックナー、ファビアン・ブッシュ、ペーター・ヨルダン、アルント・クラビッター、フレデリック・リンケマン、トーマス・ロイブル、マルクス・シュラインツアー、ジーモン・シュバルツ、ラファエル・シュタホビアク
【作品概要】
テレビドラマ『フロイト -若き天才と殺人鬼-」(2020)のフィリップ・ホフマイヤーが、野心的なラインハルト・ハイドリヒを見事に演じました。
他のキャストは、『100日間のシンプルライフ』(2018)のヨハネス・アルマイヤー、『ありがとう、トニ・エルドマン』(2016)のトーマス・ロイブル、『ヒトラー 〜最期の12日間』(2004)のファビアン・ブッシュなど名優らが緊迫感あふれる会議の様子を再現しました。
映画『ヒトラーのための虐殺会議』のあらすじとネタバレ
1942年1月20日、ベルリンのヴァンゼー湖畔にある大邸宅。
国家保安本部長官のラインハルト・ハイドリヒ(フィリップ・ホフマイヤー)に招かれたナチスの親衛隊と事務次官らが会議のためにやってきます。
ルドルフ・ランゲ親衛隊少佐(フレデリック・リンケマン)は、東部前線で、ユダヤ人の大量処刑に関わり出世をし、オスラント全権区保安警察・保安司令部代理として会議に参加することになります。
同じく、ユダヤ人の大量処刑の実務経験者であるカール・エバーハルト・シェーンガルド親衛隊准将(マキシミリアン・ブリュックナー)に、会議にやってくる高官らについて、少佐は説明を受けます。
シェーンガルド准将は、高官の中でも注意すべき人物は、ユダヤ人にまつわる法律の草案者であるヴィルヘルム・シュトゥッカート内務省次官(ゴーデハート・ギーズ)だとランゲ少佐に説明します。
それぞれの事務次官らは、自分の管轄のことについてしか念頭になく、自分の管轄内の問題が解決するのであれば、条件次第で保安警察が何をしようが目をつむる所存でした。
しかし、内務次官は、保安警察が我が物顔で省庁の権限を侵害することに危機感を示し、大学も出ていないラインハルト・ハイドリヒ長官についてもあまりよく思っていません。
その頃、秘書と共に会場の準備をしていたアドルフ・アイヒマン親衛隊中佐(ヨハネス・マイヤー)のもとに、ハインリヒ・ミュラー親衛隊中将(ジェイコブ・ディール)がやってきます。
座席を見渡すとミュラーは、気に食わない次官を下座の席に移動させ、最終チェックを行なっています。
一番最後に、ハイドリヒ長官が到着し、会議の前にマルティン・ルター外務省次官補(ジーモン・シュヴァルツ)とランゲ少佐を呼び出し、ユダヤ人の処刑の状況について細かい数字を聞き出します。
そうして、始まった高官15名と秘書1人による会議。主な議題は、“ユダヤ人問題の最終的解決”についてです。
まず、資料をもとにヨーロッパ全土のユダヤ人の人数の把握と、収容先や処刑などにおける現状について話が始まります。おおよその数をもとに、全ユダヤ人の人口は1,100万人だと言います。
映画『ヒトラーのための虐殺会議』の感想と評価
ヴァンゼー会議の恐怖
ヴァンゼー会議から80年後となる2022年に制作された『ヒトラーのための虐殺会議』、日本公開はちょうど会議が行われた1月20日となりました。
淡々と進められる会議の中で話し合われているのは、ユダヤ人問題の最終的解決についてでした。ユダヤ人が虐殺されることは当然のように話し合われ、その点について異議を唱える者は一人もいません。
問題となっているのは、既に手がいっぱいのユダヤ人たちを、“誰が主体”で、“どのように”処理をするのか、ということでした。
更に、ユダヤ人たちから奪った資産は、“誰のもの”で“どう活用するか”が論点となっています。奪われていく側に対する考えは一切ないのです。
東部戦線で行われたユダヤ人への大虐殺は、ユダヤ人処理に関する一種の治験のようなものでしかありません。
その報告書などをもとに、親衛隊の幹部らは、射殺は効果的ではないという判断にいたり、他の処刑方法を考えるよう命じます。そうして幾つかの実験を経て、ガスによる処刑法を生み出したのです。
射殺は弾などのコストや、打ち続けることによる身体的、精神的なダメージがかかってきます。ガス室を収容所に設備し、処刑される側と、処刑する側の接触を避けるなど、処刑する側の負担軽減を念頭に置いています。
ホロコーストを題材にした多くの映画に描かれている通り、ヴァンゼー会議後、収容所が完成すると、ユダヤ人らが移送されてきます。
そして到着したユダヤ人たちを職人など労働できる人材とそうではない人材にわけ、手持ちの荷物は全て回収されます。労働者に振り分けられなかったものたちは、シャワーを浴びると案内された部屋、すなわちガス室ですぐに処刑されてしまいます。
ユダヤ人らを死体処理から工事、記録係など様々な労働力に分け、親衛隊の統率のもと収容所内は合理的に管轄されていきます。
そのような恐ろしい大量虐殺がいかにしてまかり通ってきたのか、このヴァンゼー会議を通して考えるべきなのではないでしょうか。
このような恐ろしいことができるなんて…と思うかもしれませんが、会議に集まった人々も、実際に収容所でユダヤ人虐殺に直接加担した人々も皆、私たちと同じ人間なのです。
普通に食事をし、生活をしている、私たちと何ら変わりません。
会議に集まった事務次官らは、それぞれの長官の意を忖度し、身のある会議の結果にしなくてはならない立場にあります。
自分の所属する省庁にとって美味しい条件であれば、親衛隊の蛮行にも目を瞑り、自分たちに関係のない問題には関与もしようともしないのです。
ユダヤ人大虐殺の事実
そんな中、ヴィルヘルム内務省次官は、親衛隊が省庁の仕事の権限を奪うことに対し、異を唱えます。しかし、それは自分の権威が侵害されることに対する危機感であって、ユダヤ人が殺されることに関して反対しているわけではないのです。
それでも、ドイツ国籍のユダヤ人と他の国のユダヤ人は意味合いいが違うと捉えている節はありました。実際にユダヤ人であっても、結婚相手がユダヤ人ではない場合収容所に移送されても処刑は免れたケースなどもありました。
また、ヴィルヘルム内務省次官は、混血の人などには、断種手術をするのはどうかと提案します。
断種とは、手術により子孫を残すことのできない体になることです。断種は、実際にナチスドイツ統制下において精神患者などを対象に行われていました。
『ある画家の数奇な運命』(2020)でも、精神異常者と認定された主人公の叔母は入院されてしまうます。その後、断種を行うか、収容所に送るか迫られ、叔母は収容所送りになりガス室で亡くなりました。
ユダヤ人大虐殺に対する罪は、実行した者だけの罪ではありません。自らの立場を守ために、ユダヤ人大虐殺にGOサインを出した者らも同罪なのです。
多くの忖度と、私利私欲と無関係ではないのです。ユダヤ人大虐殺は、決して異常な指導者が一人で始めたものではないのです。一般市民らも加担したという事実に目を向け、描こうとする映画もここ近年で増えてきました。
ノルウェーの映画『ホロコーストの罪人』(2021)では、ナチス親衛隊ではなく、ノルウェーの秘密警察らが忖度し、ユダヤ人の移送を推し進めました。ユダヤ人の移送に協力的であった市民もいたのです。
セルゲイ・ロズニツァのドキュメンタリー映画『バビ・ヤール』(2022)においても、市民らがユダヤ人が移送されることに対し、協力的であった様子を浮き彫りにします。
そもそもことの発端となったのは、撤退したソ連の秘密警察が、遠隔で爆弾を爆破したことでした。ソ連の秘密警察によるものであったのは明らかであるのに、疑いの目はユダヤ人に向けられたのです。
ヴァンゼー会議の中の発言にも出てきますが、ドイツが征服したヨーロッパの国々の多くは、ユダヤ人の移送に対し、容認の姿勢をとっています。
実際に行われたヴァンゼー会議を通し、改めて私たちは負の歴史と、現代社会について考えて守るべきなのです。
まとめ
1942年、すでにユダヤ人迫害は始まっており、特に東部戦線では、移送されどこかにたどり着く前にその場で射殺されてしまうという恐ろしい処刑が行われていました。
本作は、戦場のシーンや、射殺など残酷な描写は一切出てきません。しかし、その背後には生々しい戦争の残酷さ、悍ましさが感じられます。
野心家であり、ユダヤ人の迫害と殺害に置いて中心的な存在であったラインハルト・ハイドリヒ長官は、ユダヤ人問題だけでなく、自分の統治下であるチェコでのレジスタンスに手を焼いていました。
そしてヴァンゼー会議が行われた年の5月にハイドリヒ長官レジスタンスによって襲撃され、病院で治療するもその後命を落とします。
ハイドリヒがなくなったかたといってユダヤ人への迫害がおさまるということはありません。ユダヤ人への迫害は、確かに親衛隊がおし進めていたものでしたが、それに対し異を唱えるものはいないどころか、協力的ですらあったのです。
それはドイツ国内だけの問題ではありません。レジスタンスをはじめ、ユダヤ人を匿った人も多くいる一方で、ユダヤ人を密告したものもいました。ユダヤ人に関与して自分たちも罪をかぶせられることを恐れたのかもしれません。
収容所で行われていることを記録し、命懸けでホロコーストを脱出し、世界にその事実を知らしめた2人の姿を描く、『アウシュビッツ・レポート』(2021)では、すぐにでも収容所を襲撃して、ユダヤ人の処刑を止めてくれと訴えても、収容所への襲撃は行われませんでした。
しかし、彼らが命懸けで届けたレポートによって、2万人以上のハンガリー系ユダヤ人がアウシュヴィッツに強制移送されるのを阻止することができました。
収容所の実態を知ってもなお、連合軍の国々がユダヤ人を積極的に受け入れたり、収容所への襲撃をしなかった背景には、逃れてきたユダヤ人によって国内の不満が政治に向いてしまったり、戦況が悪化するのを恐れたという背景のあるのかもしれませんが、結局ユダヤ人を見捨てたことには変わりないのです。
現代社会においてもなお、紛争により国を追われた難民は年々増加しています。ウクライナへのロシアの侵攻も第二次世界大戦から80年以上経ったというのに何も学んでいない社会の姿を、私たちは目にするのです。