イタリア・ホラーの生ける伝説の初期代表作『ダリオ・アルジェント 動物3部作』が2024年11月一挙上映
今回ご紹介する映画『わたしは目撃者』は、ジャッロ映画の巨匠ダリオ・アルジェントが1969年にデビュー作『歓びの毒牙』で成功させ、続く2作目の長編映画になります。
そのダリオ・アルジェント監督はのちに、『サスペリア』(1977)、『サスペリア2』(1978)を全世界でヒットさせ、イタリアを代表する映画監督として、今もなお先鋭的な映画製作に取り組んでいます。
1970年代前半の若かりしダリオ・アルジェントが発表した、3本の初期代表作は原題に動物の名が含まれていることから「動物3部作」(アニマル・トリロジー)と呼ばれています。
今回ご紹介する『わたしは目撃者』の原題は「Il gatto a nove code」直訳すると「九尾の猫」で、盲目の元新聞記者アルノと現役新聞記者のジョルダーニが、近隣の科学研究所で守衛が暴漢に襲われ、その後次々に起こる殺人事件の謎を解き、犯人に迫るサスペンス・スリラーです。
映画『わたしは目撃者』の作品情報
【公開】
1970年(イタリア・西ドイツ・フランス合作映画)
【原題】
Il gatto a nove code
【監督/脚本】
ダリオ・アルジェント
【キャスト】
ジェームズ・フランシスカス、カール・マルデン、カトリーヌ・スパーク、ピエル・パオロ・カポーニ、ホルスト・フランク
【作品概要】
デビュー作の成功で勢いに乗るアルジェント監督は、多くの資本金を得て本作に取り組み、アイデアや素材を惜しみなく投入し映像化します。監督の十八番である容疑者の心理表現と、残忍性の高い殺害方法がこの作品で確立したと言えます。
新聞記者のジョルダーニ役には、『続・猿の惑星』(1970)のジェームズ・フランシスカスが演じ、盲目の元新聞記者アルノに『欲望という名の電車』(1952)の名優カール・マルデンが務めます。
また、1960年代のイタリア映画に多く出演し、大人気となったフランスの名優カトリーヌ・スパークが共演しています。
映画『わたしは目撃者』のあらすじ
盲目の元新聞記者のフランコ・アルノは、たった1人の身内である姪のローリーと暮し、クロスワードパズル作家として生活しています。
ある夜、アルノとローリーが夜の散歩をしていると、家の近くで停車している自動車の中から、不穏な会話をする2人の男と遭遇します。
アルノは会話の内容が気になり、ローリーに男の顔を確認させます。運転席にいた男の顔はわかったが、もう1人は見えなかったと言います。
アルノがクロスワードパズル作りをしていると、外から大きな物音が聞こえ、窓から確認しようとしますが、ローリーは就寝してしまったため、様子を知ることができませんでした。
翌朝、散歩中のアルノが家の向かいにある、テルジ研究所にさしかかると、慌てた様子で車から降りる男性とぶつかります。
アルノが盲人だと気づいた彼は謝罪し、研究所で守衛が暴漢に襲われた事件があり、取材にいくところだと話します。彼はジョルダーニと名乗り現場へ向かいました。
テルジ研究所は遺伝子に関わる分野で、最先端の研究をしている施設ですが、研究所から盗まれたものなどが一切ないという、不可解な点がありました。
警察の捜査が終わり研究所の所長室には、ブラウン、カラブレシ、カソーニらと研究員とテルジ所長の娘アンナが集められ、捜査報告では窃盗の被害はなかったとして、一件落着とされます。
カラブレシの研究室に婚約者のビアンカが訪ねてきます。しかし、彼は夕刻に接客があると言い残し出かけてしまいます。
ところがカラブレシは待ち合わせた駅のホームで、進入してきた列車に轢かれ、死亡する事故が起きてしまいます。
その場には別の取材で集まっていたカメラマンがおり、その1人がその瞬間を激写します。翌朝の新聞には、ジョルダーニが書いた記事と共に、その写真が掲載されます。
新聞を持ってきたローリーは記事の写真を見て、あの晩、運転席にいた男であるとアルノに教えます。驚いたアルノは記事を書いた記者の名前を聞き、ローリーを連れ新聞社へ出向きます。
アルノはジョルダーニと面会し、新聞の写真はトリミングしたものだろうと言います。ジョルダーニはやけに詳しいアルノに驚くと、失明する前は自分も記者だったと話します。
カメラマンに電話をかけ確認させると、アルノが指摘した通り写真にはカラブレシを突き落す瞬間の人物の手が写っていました。
ジョルダーニは拡大した写真を用意しておくよう言い、アルノと一緒にカメラマンを訪ねますが、カメラマンは既に何者かに絞殺され、写真とネガは持ち去られていました。
映画『わたしは目撃者』の感想と評価
原題の「九尾の猫」から解読できること
『わたしは目撃者』の原題は「Il gatto a nove code」を直訳すると「九尾の猫」です。
アメリカの小説家エラリイ・クイーンの小説に、1949年に発表された同名の長編推理小説があります。
しかし、この小説は映画の原作ではありません。小説では無差別な連続殺人事件を描き、“九尾の猫”の意味は犯人を“猫”に例え、“九尾”は殺された被害者の数です。
『わたしは目撃者』の尻尾の意味は事件解決に導くヒントの数ようです。「尻尾を掴む」という言葉の“尻尾”は、人に言えない秘密や悪事を指します。猫は尻尾を触られるのを非常に嫌うので、“猫”が犯人というのは同じです。
犯人は事件に関わるヒントには触れられたくないので、この原題になったのでしょう。そして、映画・小説共に殺人に至るまでの過程に多くの“秘密”が隠されています。
小説で事件解決に動いているのは、刑事の父子です。本作で事件解決に奔走するのは、若き新聞記者と老いた盲目の元記者なので、キャラクター設定が似ており、殺害方法にも着想を得ているようです。
アルジェント監督はエラリイ・クイーンのファンを公言しています。したがってインスパイアされていることは大いに考えられ、リスペクトを込めて本作に反映しているようにも思えます。
なぜ、そう思えたのかは、小説「九尾の猫」にも映像化の企画が持ち上がったものの、陽の目をみなかったという経緯があるからです。
サスペンスにおける「遺伝子」というアイテム
サスペンス物でよく登場する「遺伝子」すなわちDNAは、主に被害者や犯人を特定するため、調べる手段として登場します。
ところが本作では遺伝子の研究によって、どんなことが解明され、どのように活かされるのか?あるいは研究結果によって利害関係も生じるのか?そんな位置づけがされています。
遺伝子というのは1人1人違った設計図を持ち、それが代々受け継がれていくものです。家族間で顔立ちや体型、性格などが似ているというのはDNAによるものです。
しかし、『わたしは目撃者』でのDNAの扱われ方は、問題作とも捉えかねないギリギリを描いている作品かもしれません。
昨今では“多様性”という概念によって人権が守られますが、本作の公開当時1969年では、世間の反応はどうだったのか、そこが気になる点でもあります。
まとめ
『わたしは目撃者』は盲目の元新聞記者が、記者としての経験と直感を活かし、目が見えない弱点を逆手に、先回りするかのように犯人を追い詰めます。
目が見えないから目撃者になり得ない…という発露ではなく、積み重ねた経験によって、事件性を察知したり、目に見えない心理を読み解くのです。
また、本作はスプラッター映画にもカテゴライズされますが、残忍性ありきの殺人というよりは、人間による人の心の闇を表す演出ではないでしょうか。
そして、他の見どころとして『わたしは目撃者』でもヒロインの洗練されたファッションや、クラシカルな自動車などイタリアならではの見どころがあり、今観ても新しさを目撃できるでしょう。
1960年代のスプラッター映画監督として、代表格となるダリオ・アルジェント監督の初期作が、『ダリオ・アルジェント 動物3部作』として、2024年11月8日(金)より新宿シネマカリテ、菊川Strangerほかで順次公開予定です。