世界中の映画監督に影響を与え、今もなお、多くの映画ファンから愛されているキューブリック
映画『現金に体を張れ』『2001年宇宙の旅』『シャイニング』など、様々な作品を世に送り出した20世紀を代表する監督のひとり、スタンリー・キューブリック監督。
キューブリック監督は、数々の逸話や作品で描かれたテーマ、徹底してこだわりを見せた作品製作により、数多くの映画監督をはじめ、その後の映画や文化に絶大な影響を与えています。
そんな彼が、『2001年宇宙の旅』を製作後、アンソニー・バージェスの同名小説を読み、その興奮からすぐ脚本を執筆し、製作した作品『時計じかけのオレンジ』をご紹介します。
CONTENTS
映画『時計じかけのオレンジ』の作品情報
【公開】
1971年(アメリカ映画)
【原題】
A Clockwork Orange
【監督】
スタンリー・キューブリック
【キャスト】
マルコム・マクドウェル、パトリック・マギー、ウォーレン・クラーク、ジェームズ・マーカス、マッジ・ライアン、マイケル・ゴヴァー、マイケル・ベイツ、エイドリアン・コリ、アンソニー・シャープ
【作品概要】
1962年に出版されたアンソニー・バージェスの同名小説をスタンリー・キューブリックが、製作、脚本、監督を務めて映画化。原作者のアンソニー自身が“危険な本”と語った世界観をキューブリックは見事に映像にしています。
特に有名なシーンには、主人公アレックスが心酔するベートーベンの第9交響曲、また強姦する場面に流れる『雨に唄えば』などの音楽を効果的に使用しています。撮影はジョン・オルコット、美術はラッセル・ハッグとピーター・シールズ、音楽はウォルター・カーロス、編集はビル・バトラーが行なっています。
映画『時計じかけのオレンジ』のあらすじとネタバレ
近未来のロンドン。秩序は乱れ、治安は悪化し、性道徳は退廃していました。
そんなロンドンでギャングをしていて、セックスと暴力とベートベンのみに生きがいを感じる15歳の少年アレックス(マルコム・マクドウェル)。彼をボスとして、ピート、ディム(ウォーレン・マクドウェル)とジョージ(ジェームズ・マーカス)の4人は、その夜も街で暴れまわっていました。
彼らは手始めとして、酒ビン片手に橋の下で酔っ払っている1人の老いた浮浪者を、ステッキや棍棒で袋叩きにし、一方的な暴力を行使し、爽快になったアレックスは別の獲物を求めて街を歩きます。
荒れ果てたカジノでは、別の少年ギャング集団が、1人の女性に暴行をしていると、アレックスたちは殴り込み、敵の一味のボスに傷を負わせます。
さらに、アレックスたちは、スポーツカーで街を突っ走ります。郊外の邸宅にやってきた彼らは、覆面をつけ、押し入り、そこの住人である、作家のアレクサンダー(パトリック・マギー)の眼前で彼の妻を陵辱します。
満足して、バーに戻ってきた彼らは、ミルクを片手に一休みします。しかし、ピートと些細なことで喧嘩し、決別します。
こうして一晩は終わり、帰宅したアレックスは、大好きなベートベンの第九交響曲を聴きながら幸せそうな顔で眠りにつきます。
ある日、ディムとジョージはアレックスに反抗します。そして、猫を多頭飼いしている老婆の家に押し入った際、アレックスを裏切り、警官に引き渡します。
刑務所でアレックスは、聖書を読む模範囚でした。刑務所長は刑期の短縮と引き換えに、最新療法の実験体第1号となることを提案します。
その新治療法は、凶悪犯罪者の人格を人工的に矯正するルドヴィコ療法と呼ばれるものでした。一刻も早く出所したかったアレックスは、その要求を快諾します。
アレックスは、連日、薬剤を注射されうえで衝撃的で過激なフィルムをみせられ、そのショックから暴力やセックスが耐えられない肉体に改造されてしまいます。
その実験中に彼の大好きなベートベンが大音量で流されたことで、曲を聴くだけで激しい吐き気を催すようになってしまいます。
ついに治療結果を政府の偉い方にお披露目する日がやってきます。舞台に上がったアレックスは、1人の男に暴力を振るわれます。
アレックスは、殴り返そうと試みますが、激しい嘔吐感で、一方的に殴られてしまいます。また、セックスに対しても、音楽に対しても同様に吐き気を催し、嫌忌してしまいます。
おとなしい無害な人間となったアレックスは釈放され、家に帰ると家族は、彼に無関心になっていました。
そのうえ、アレックスの部屋には、ジョーという得体の知らない男が入り込んでいたため、家を出るしかありませんでした。
アレックスが街を放浪していると、2人の警官に捕まってしまいます。それは、かつて彼を裏切ったディムとジョージでした。
アレックスを憎んでいた2人は、森に彼を連れ込み、ひどく暴行します。
映画『時計じかけのオレンジ』の感想と評価
世界中の映画ファンを魅了し、様々な物議を生んできた稀代の映画監督スタンリー・キューブリック。
これはミュージカル・コメディだ!
1968年公開の『2001年宇宙の旅』後、完璧主義者と名高いキューブリックがセッティング、撮影、編集、音楽、ありとあらゆる構成を入念に、そして緻密に計算してつくった作品です。
そんな徹底されたショットと、そのシークエンスに組み込まれる音楽は、人間の本能の根幹に訴えかける映像体験となっています。
分類として一般に1963年の『博士の異常な愛情』、『2001年宇宙の旅』(1968)と並んでSF作品に数えられる本作ですが、キューブリック監督によるミュージカルコメディ作品だとも考えられます。
ヘンリー・パーセルの作曲した「メアリー女王の葬送」は、エレクトリック・サウンドにシンセサイザー処理されて、物語は始まります。
荘厳なテーマのなか、主人公アレックスのアップ・ショットが映しだされ、ストーリーは進み、別の少年ギャングとの抗争では、ロッシーニの「泥棒カササギ」序曲が軽やかで華やかな旋律を奏でます。それに合わせ、アレックス一味は敵ギャングを殴り、投げ飛ばします。
さらに、アレクサンダー邸の襲撃では、誰もが心踊るミュージカル『雨に唄えば』(1953)の「Singing in the rain」をジーン・ケリーのように歌いながら、不条理な暴力を行使します。
既成音楽を大胆にアレンジし、アレックスの心情や動きに合わせて編集された本作は、キューブリック監督の前衛ミュージカルとなっています。
人間の機械化と社会の暴力性
また、この『時計じかけのオレンジ』には、キューブリック監督作品の多くで表現されている「人間の機械化」、「人間社会の野性、暴力性」をテーマにおいています。
「人間の機械化」は、60年代には『2001年宇宙の旅』、80年代には『フルメタル・ジャケット』でも、テーマとして取り扱われています。
『2001年宇宙の旅』では、人工知能のHALが人間に羨望して、意図的殺人という超暴力を行使することで、究極の人間化を果たします。これは「人間の機械化」を、機械が人間化することで逆説的に表しています。
『フルメタル・ジャケット』では、『時計じかけのオレンジ』と反対の構図で、落ちこぼれの青年たちが訓練により、国家利益のために殺人マシーンになります。
本作『時計じかけのオレンジ』では、アレックスがルドヴィコ療法により、生の衝動、野性を去勢する「人間の機械化」を果たしますが、結局、最後には野性と暴力性を取り戻してしまいます。
それは、キューブリック監督による人間と社会の本質を皮肉ったニヒリズム的サタイアなのでしょう。
アレックスが暴力を振るわなくなれば、社会が彼に暴力を行使します。
つまるところ、人間社会はいくら暴力を排斥しようが、暴力は無くならず、暴力が暴力を生む合わせ鏡であるという、キューブリック監督からのメッセージなのです。
この暴力と性を扱ったテーマ性から、『時計じかけのオレンジ』は、若者を中心に社会現象ともいえる、カルト的人気を得ることになります。
そのため、批評家や新聞紙から多くの批判を受けることになります。しかし、キューブリック監督の狙いは、そこにあったとされています。
観客に、この緻密に計算された暴力的な空想劇を体験させることで、自己の本性を認識させようとしているのです。
この暴力的な作品を愉しんでしまった観客は、その意味を自らに問うことになります。
アレックスを客観的に鑑賞していたら、アレックスは自己の投影であることを認識させられ、自分の現実へと引き戻されることになるのです。
暴力を超えたカタルシス
キューブリック監督は「ニューズウィーク」誌に、このように話しています。
「みんな偽善的な態度を取るけれど、みんな暴力に惹かれているというのが実情である」
現在でも、この作品に対する否定的な意見はあります。
この作品が暴力的であると主張している人こそ、キューブリック監督の思惑に、見事に踊らされているのかもしれません。
キューブリック監督は以下のように語っています。
「生々しい暴力と性描写が、単なる露骨な表現にならないように努めた。暴力に様式を与え、バレエのように見せるため、スローモーションと高速度撮影を用いた。毎秒2コマで撮ることで、乱痴気騒ぎを演出し、スローモーションを使うことで、浮かんでいるような動きをだした」
そんな観る人に衝撃を与え、驚愕させた暴力シーンには、キューブリック監督の拘りが伺えます。
また、キューブリック監督は、ルドヴィコ療法によってアレックスが矯正されるシーンを撮るために、発達心理学を徹底的に勉強したそうです。
心理的条件付けの丹念なリサーチを行い、パブロフの実験のような古典的研究や、第二次世界大戦時にロシア人により行われた条件反射トレーニング、B・F・スキナーの研究などを調べたとされます。
このようにして製作された『時計じかけのオレンジ』は、バージェスのリズムある複雑な言葉遊びを視覚化し、多様な撮影の工夫により、本来なら露骨な性描写と暴力描写を、人間社会の本質と個人の自由を迫害する政府を描く社会政治学的テーマに昇華させ、暴力を超えたカタルシスに満ちた作品に仕上げています。
まとめ
完璧主義者として有名なキューブリック監督の意欲作『時計じかけのオレンジ』は、様々な工夫や、社会を俯瞰してみる多角的視点、皮肉たっぷりのブラックジョークが詰まっており、至極感嘆します。
ここには記してないですが、マーケティングなどもキューブリック監督自らが行い、面白く興味深い逸話が数々あり、現在でも、多くの映画ファンに愛され、議論されています。
このミュージカルコメディ映画は、きわどく、不謹慎で、愉しく、奥深く、人間らしい展開に、キューブリック監督の中核となる「人間と社会の暴力性と善悪の所在」というテーマにより、観るものを深く考えさせる作品となっています。