生まれ変わっても、あなたに逢いたい
「愛する人にもう一度逢いたい」という想いが起こした“奇跡”によって紡がれる数奇で壮大なラブストーリー映画『月の満ち欠け』。
原作は、佐藤正午の同名ベストセラー小説。主人公の小山内堅を演じる大泉洋をはじめ、有村架純、目黒蓮(Snow Man)、菊池日菜子、伊藤沙莉、田中圭、柴咲コウと豪華キャストが出演しています。
本記事では、映画『月の満ち欠け』の結末・ラストシーンにクローズアップ。
本作の終盤で描かれた「月」と「映画」のつながりを連想させる映画オリジナル演出、そしてラストシーンにて「月が綺麗ですね」という有名な文言を登場させた本当の意味を解説・考察していきます。
CONTENTS
映画『月の満ち欠け』の作品情報
【公開】
2022年(日本映画)
【原作】
佐藤正午『月の満ち欠け』(岩波書店刊)
【監督】
廣木隆一
【脚本】
橋本裕志
【出演】
大泉洋、有村架純、目黒蓮(Snow Man)、伊藤沙莉、田中圭、柴咲コウ、菊池日菜子、小山紗愛、阿部久令亜、尾杉麻友、寛一郎、波岡一喜、安藤玉恵、丘みつ子
【作品概要】
佐藤正午の同名ベストセラー小説を原作に、「愛する人にもう一度逢いたい」という想いが起こした“奇跡”によって紡がれる数奇な愛の物語を描く。
妻子を亡くし数奇な運命に巻き込まれる主人公・小山内堅役を大泉洋、その妻・小山内梢役を柴咲コウ、娘・小山内瑠璃を菊池日菜子が演じる。
さらに物語の鍵を握る、小山内の娘と同じ名前を持つヒロイン・正木瑠璃役を有村架純、正木瑠璃と許されざる恋に落ちる大学生・三角哲彦役を目黒蓮(Snow Man)、正木瑠璃の夫・竜之介役を田中圭、小山内瑠璃の親友・緑坂ゆい役を伊藤沙莉がそれぞれ演じる。
監督には『あちらにいる鬼』『母性』と2022年に立て続けに監督作が公開される廣木隆一。また脚本を『そして、バトンは渡された』(2021)の橋本裕志が担当する。
映画『月の満ち欠け』のあらすじ
仕事も家庭も順調だった小山内堅(大泉洋)の日常は、愛する妻・梢(柴咲コウ)と娘・瑠璃(菊池日菜子)の二人を不慮の事故で同時に失ったことで一変。深い悲しみに沈む小山内のもとに、三角哲彦と名乗る男(目黒蓮)が訪ねてくる。
事故に遭った日、小山内の娘が面識のないはずの自分に会いに来ようとしていたこと。そして彼女は、かつて自分が狂おしいほどに愛した“瑠璃”という女性(有村架純)の生まれ変わりだったのではないかと告げる三角。そんな信じ難い話に、彼を拒絶する小山内。
その数年後、今度は瑠璃の親友であった緑坂ゆい(伊藤沙莉)から突然の連絡を受ける。「瑠璃が高校時代に描いていた肖像画を探してほしい」と。
その肖像画には、三角にそっくりな男性が描かれていた……。
《愛し合っていた一組の夫婦》と、《許されざる恋に落ちた恋人たち》。全く関係がないように思われたふたつの物語が、数十年の時を経てつながっていく。
それは「生まれ変わっても、あなたに逢いたい」という強い想いが起こした、あまりにも切なすぎる愛の奇跡だった──。
映画『月の満ち欠け』結末・ラストシーンを解説・考察!
「人生を回想させられる道」を歩む
映画終盤、かつて亡くなった娘・小山内瑠璃(菊池日菜子)の親友である緑坂ゆい(伊藤沙莉)、そして瑠璃の「生まれ変わり」だというゆいの娘・るりとの面会後、小山内堅(大泉洋)は青森県・八戸に向かう帰りの新幹線に乗るために駅へを向かいます。
その道中を歩いてゆくうちに、堅は「とある人々」を次々と目にしていきます。
婚礼衣装姿の新婚夫婦。泣く赤ん坊を大事そうに抱えあやす両親。ランドセルを背負った小学生の女の子と手をつなぐその両親。そして、高校生に見える制服姿の少女とその母親……。
堅が帰路へと歩む道を通り過ぎてゆく人々を見て、多くの方が「堅と梢の夫妻、そしてその間に生まれた娘・瑠璃の人生を時系列順に回想させられている」と想像したのではないでしょうか。
進んでゆけばゆくほど時間は経過し、その経過の中で出会った人々の人生を具体的な「映像」として目撃する。それは、映画作中で描かれてきた月の満ち欠けの光景はもちろん、三角晢彦(目黒蓮)は8mmフィルムカメラで自ら撮影した、堅はゆいに譲ってもらえた旧式のビデオカメラで見直した「映像」……「映画」の原理の本質と深くつながっています。
映画──生と死が繰り返される上映
「発明王」ことトーマス・エジソンとそのチームが1880年に「キネトスコープ」を発明し、「映画の父」ことリュミエール兄弟が1895年に「シネマトグラフ」を発明して以来、2022年現在に至るまでに無数の作品が制作され、無数の人々が観続けてきた映画。
そもそもなぜ、人は映画に惹きつけられ、作ることも観ることもやめられないのでしょうか。
映画はそれ以前に発明された写真同様、被写体となる人々は、カメラによって撮影されたその瞬間に「過去の時間を生きる人間」……より極端に言い換えれば「死者」として、フィルム(または印画紙)の映像内に記録されることになります。
ただ、映画が写真と異なるのは、映画館などでの上映を行うたびに、映像内に記録された死者たちは「動く姿」を通じて息を吹き返し、映画の上映が終わった瞬間に再び死者へと戻る……それを幾度となく繰り返せるという点です。それは、映画を含む映像を観る際に「再生」という言葉が用いられ続ける理由にもつながっています。
上映を通じて、映画内に記録された人々の生と死が繰り返される。
それもまた、タイトルにもある「月の満ち欠け」とよく似た性質であり、原作小説にはなかった「堅がビデオカメラに遺された映像を見直したことで、在りし日の妻子の姿、そして妻・梢が秘め続けていた秘密を知る」という映画オリジナル展開が追加されたのは、月の満ち欠けと映画の性質がよく似ていること、何より人々が映画を求め続ける理由を、より明確に描きたかったからではないでしょうか。
まとめ/「月が綺麗ですね」に惹かれる理由
八戸へと戻った堅は、老齢の母・和美(丘みつ子)の介護士を務める荒谷清美(安藤玉恵)とその娘・みずきに迎えられます。そしてその後の車中、堅は「ホテルのどら焼きの思い出」と「何気ない仕草」からみずきこそが亡き妻・梢の生まれ変わりではないかと感じ始めます。
それらも映画オリジナルの展開として描かれていますが、何よりも重要だったのは、清美が同場面で口にした「月が綺麗よ」というセリフだったといえるでしょう。
「月が綺麗ですね」……文豪・夏目漱石が英語教師時代に「I love you.」をそう訳したという「俗説」で知られる文言の引用と思われる、彼女のセリフ。それは、原作小説では「堅と交際中」という設定であった清美が、堅を少なからず慕っているということを「娘・みずきに対して言った」という体で描いた「匂わせ」の表現とともとれます。
なお、小説・映画ともに「繰り返される生と死」、そして言い換えとしての「不死」の象徴して描かれる月ですが、現存する日本最古の物語と見なされている『竹取物語』や世界各地の神話群など、古来の人々が連綿と語り伝えてきたイメージでもあります。
「決して死なないから」ではなく、「生も死も存在するが、それを絶え間なく繰り返すからこそ、この世から決して消えることもない」という意味合いで「不死」の象徴として描かれる月。
それを愛する人とともに見ることの意味を、かの漱石は「I love you.」への「月が綺麗ですね」という訳に込めた……そんなロマンある空想を掻き立てられるからこそ、人々は「俗説」と言われてもその文言に惹かれるのかもしれません。
そして映画『月の満ち欠け』がラストシーンでその文言を登場させ、車内から夜天を仰ぎ見る堅の姿、そして美しい満月を映し出したのも、ある文豪の逸話からの引用を通じて、はるか昔から人々が「月」に馳せてきた想いの正体を描きたかったのだと推察できるのです。
ライター:河合のびプロフィール
1995年生まれ、静岡県出身の詩人。
2019年に日本映画大学・理論コースを卒業後、映画情報サイト「Cinemarche」編集部へ加入。主にレビュー記事を執筆する一方で、草彅剛など多数の映画人へのインタビューも手がける(@youzo_kawai)。