「大切にされずに育った人を救うのは、“人”」
ジェーン・カンビオンが描く、シンプルな発想と愛
今回ご紹介する映画『ピアノ・レッスン』は、ジェーン・カンピオン監督が女性として初めて、第46回カンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞し、第66回アカデミー賞で主演女優賞・助演女優賞・脚本賞の3部門を受賞した、ラブストーリー作品です。
舞台は19世紀半ばのニュージーランド。エイダはニュージーランドの入植者スチュワートに嫁ぐために、娘フローラと一台のピアノとともに、スコットランドから旅立ちます。
口がきけないエイダにとってピアノは、感情を解放させるのに大切なものでした。しかし、迎えにきたスチュアートは重すぎることを理由に、ピアノを浜辺に置き去りにしてしまいます。
先住民族のベインズはスチュアートに、自分の土地とピアノを交換してほしいと提案し、彼は了承してしまいます。ベインズはエイダにピアノのレッスンをしてくれることを条件に返すと言いますが……。
映画『ピアノ・レッスン』の作品情報
【公開】
1994年(オーストラリア映画)
【監督・脚本】
ジェーン・カンピオン
【原題】
The Piano
【キャスト】
ホリー・ハンター、ハーヴェイ・カイテル、サム・ニール、アンナ・パキン、ケリー・ウォーカー、ジュヌヴィエーヴ・レモン、トゥンギア・ベイカー、イアン・ミューン
【作品概要】
ジェーン・カンピオン監督は本作で、カンヌ国際映画祭の女性監督初のパルムドールを受賞。以後、カンヌ国際映画祭やヴェチア国際映画祭で審査員なども務め、2021年には12年ぶりの長編映画『パワー・オブ・ザ・ドッグ』が、ヴェネツィア国際映画祭で銀獅子賞を受賞しています。
エイダ役のホリー・ハンターはコーエン兄弟の『赤ちゃん泥棒』(1987)の主演で注目を集め、本作では各世界映画祭で女優賞を受賞しています。彼女は本作の脚本に心底ほれ込み、カンピオン監督に猛烈な出演交渉をし、ピアノが弾けることも功を奏して主演の座を得ました。
共演に『バグジー』(1991)のハーベイ・カイテルがベインズ役、「ジュラシック・パーク」シリーズのサム・ニールがスチュワート役で出演、娘フローラ役のアンナ・パキンは、当時11歳でアカデミー史上2番目の若さで助演女優賞を受賞し、後に「X-MEN」シリーズなど人気作で活躍しています。
映画『ピアノ・レッスン』のあらすじとネタバレ
1852年のスコットランド。6歳で話すことを一切やめたエイダは、父親の決めたニュージーランドに入植している縁談相手の元に、娘のフローラと自分の魂ともいえるピアノと共に旅立ちます。
ニュージーランドに到着した日は悪天候に見舞われます。雇われた船乗り達の力でなんとか2人は上陸します。
荷物やピアノは海岸に乱雑に置かれ、1人の男が悪天候で今日は迎えは来ないだろうと、一緒に北の土地に行くか聞きます。強気なエイダは、「原住民に丸茹でされる方がマシ」と断ると、2人を放置したまま戻ってしまいます。
エイダはフープスカートをテント代わりにして、浜辺で一夜を過ごします。翌朝、夫となるスチュワートが、複数の原住民を連れて到着します。
エイダを見たスチュアートは、小柄で虚弱そうだと仕事仲間のベインズに言います。
スチュワートは荷物の運搬を指示しますが、ぬかるんだ山道を行くにはピアノは重すぎると、海岸に置いていくしかないと言います。
エイダはフローラを介してピアノを運ぶよう何度も頼みますが、聞き入れてはもらえませんでした。エイダは崖の上から、浜辺のピアノをみつめるしかありません。
エイダは結婚式を拒み、写真だけを撮ることにしますが、写真に入れてもらえないフローラは不機嫌です。彼女はスチュアートの叔母に、母エイダと父親のなれそめを話します。
そして、エイダが言葉を失ったのは、結婚式の日に夫が雷に打たれて死んだからと、作り話をして同情を誘います。
写真撮影を終えたエイダは乱暴に衣装を脱ぎ、雨が降りしきる窓の外を恨めし気にみつめ、海岸のピアノのことを思います。
翌日、スチュワートはマオリ族の土地を買い付けに、数日留守にすると出かけます。エイダはベインズの住んでいる小屋へ行き、ピアノのある海岸まで連れて行ってほしいと頼みます。
ベインズは急な申し出に断りますが、エイダは小屋の前を離れす、根負けしたベインズは海岸まで連れて行きます。
エイダは愛おし気にピアノを弾き、フローラは音色に合わせて踊ります。ベインズはピアノを弾くエイダとその旋律の美しさに心を奪われます。
ある日、ベインズはスチュワートに、土地とピアノを交換しないかと取引を持ちかけます。ベインズはピアノを習いたいからだと言いだします。
エイダのスチュワートへの怒りは激しいものでしたが、彼は「犠牲に耐えるのが家族だ」とエイダに怒鳴り、ベインズにピアノのレッスンをするよう言い渡します。
ピアノは海水や潮風にさらされ、ベインズの家に運ぶ途中で落とされたりします。ピアノが無事であると思っていないエイダは、レッスンすることを拒みます。
ところがベインズは調律師を雇い、ピアノの音階を整えエイダを迎える準備をしていました。フローラがピアノを弾くとピアノは元の状態に。驚いたエイダも弾いて確かめます。
エイダはベインズに弾いてみるよう促します。しかし彼はピアノを弾く気はなく、エイダがピアノを弾くのを聴いていたいだけでした。
何回目かの訪問でベインズは突然、ピアノを弾くエイダの首筋にキスをします。驚くエイダに彼は新たな取引を持ちかけました。
それはピアノを弾くエイダに、“してみたいこと”があるという要望でした。鍵盤の数だけ引き受けてくれれば、最後にはピアノはエイダの元に戻るというものです。
ピアノを取り戻したいエイダはこの取引を受け入れます。そして、回を重ねていくうちにベインズの要望は、エスカレートしていきます。
スカートを捲し上げさせたり、鍵盤の数を多くし服を脱ぐよう求め二の腕に触れたり……添い寝をさせたりしました。
ベインズのことを野蛮で無知な男と見ていたエイダでしたが、ベインズの気持ちをもてあそぶようになり、ゲームのような取引を楽しむようになっていました。そして、エイダは鍵盤10本で身体の関係を許します。
その様子を板壁の隙間からフローラは覗き見し……意味もわからず、無邪気に真似をして遊んでいると、スチュワートにふしだらだと叱られます。
フローラはレッスン中、外に締め出されていたため、エイダに対して不満を抱いていました。フローラはスチュワートに、ベインズはレッスンもせず、エイダの演奏を聞いているだけだと話します。
ところが次のレッスンの日にベインズの家に行くと、ピアノが持ち出されるのを見て彼女は驚きます。
ベインズはエイダに“淫売”にしてしまっては恥だと、ピアノは返すと言いました。その言葉にエイダの心は乱れ、戸惑いますがピアノと共に家へ帰ります。
エイダは家に運び込まれたピアノに触れながら、1本の鍵盤に記されたベインズからのエイダへの思いを表わすメッセージを見つけます。
映画『ピアノ・レッスン』の感想と評価
エイダと“ピアノ”を繋ぐもの
エイダは6歳で言葉を話さなくなりました。その理由は彼女自身も覚えていません。
しかしエイダが口をきかない様について、彼女の父親は「暗い才能」と評し「息を止める決心もしかねぬ」とさえ考えていると冒頭の場面で明かされる点からも、エイダが口をきかない理由は彼女の生まれつきの障害ゆえとも、彼女の“頑なな心”ゆえとも受け取れます。
ともあれエイダの人生には、常に暗い影があったように感じます。
調律師がエイダのピアノを“ブロードウッドの上物”と語っていることからも、彼女は裕福な家庭の生まれの女性であるのがうかがえます。エイダには母はおらず、口のきけない彼女を哀れむように、父親はピアノを買い与えたのでしょう。おそらくそれ以降、彼女はピアノと共に家にひきこもって成長したのではと想像できます。
そうだとしたら話す相手もなく、言葉の必要性が皆無になったとも言えます。彼女の感情はピアノの旋律によって表現され、やがてピアノがエイダの一部となり魂と化しました。
ピアノが“壊れている”=“自分は壊れている”、だから生きていても仕方がない……ベインズと一緒にいられることを願ったはずなのに、旅立った日にエイダはピアノと共に海へ身を投げます。
その瞬間の彼女はまだ眠った状態=睡眠時遊行症(夢遊病)が現れている状態であり、それが本当の自分の意志なのか、無意識の中の意識なのかは定かではありません。
また睡眠時遊行症は幼年期に発症しやすく大人が発症するのは稀であること、その原因の一つにはストレスが含まれていることからも、エイダは子供の頃から大人になるまで、さまざまなストレスを抱えながらも生きてきたこともわかります。
また、睡眠時遊行症には通称“セクソムニア”といわれる、無意識に性的行為を行ってしまう症状もあるといいます。フローラの誕生にはそういった要因があるのかもしれません。
エイダはフローラに言葉は発せなくても、脳に直接語りかける“能力”があると話しています。スチュワートも実際、エイダの言葉を脳で聞いたと言っていました。
エイダとドイツ人教師は意識の中で通じながらも、無意識なエイダと性行為し妊娠させたことで、望まない“結婚”を迫られ拒絶したと想像できます。
エイダはそのドイツ人教師にSOSを求め、拒絶されたと感じたでしょう。それ以降、精神のバランスは悪くなる一方だったはずですが、“話せなくても構わない”という、スチュワートに救いがあると本能的に考えたのかもしれません。
しかし結果的には、自分の魂ともいえるピアノをないがしろしたスチュワート。それはエイダをないがしろにしたのと等しく、それゆえに彼女は彼に心を開かなかったのです。
そして、壊れた自分はピアノと同様、重いお荷物にすぎないと、ベインズとフローラのために死を選んだといえます。しかし、ピアノを葬ることでエイダ自身が甦生に目覚めました。
なぜ、ベインズに心を開いたのか
ベインズは文字も読めない、無教養な男でしたが人の心の機微は読める人でした。長旅の上、荒波の中到着したエイダが疲れ切っていることも、ピアノが彼女にとって命のように大切であることを理解します。
ピアノを大切に扱おうとしたベインズの行動は、エイダ自身を大切に扱ったことと同じで、本当の意味で言葉を発しなくても、自分のことを愛してくれる存在だと気づきます。
ピアノのレッスンと称して、彼女の心と身体を解放したのがベインズでした。スチュワートもエイダから好かれていないと感じている間は、身体の関係を強要せず、彼女の気持ちを尊重していました。
しかし、全ては最初のピアノへの扱い次第だったのかもしれません。彼女が大切だと思うもの全てを大切と感じたのが、ベインズだったからです。
彼女が一瞬死を選んだのは、愛する人達への“犠牲”という思いの選択でしたが、運命共同体ともいえるピアノと決別することで、エイダは生きて生まれ変わる希望を掴みました。
まとめ
映画『ピアノ・レッスン』は、ピアノのレッスンを重ねていくことで、彼女が本来の自分を取り戻していく奇跡を描いた物語でした。
それは19世紀では理解されにくい病症で隠され続け、信じた人物からも裏切られ、悪循環が重なっていく悲劇の女性を通し、経済的な豊かさや文字が読めるという知識よりも、心を読み取る能力が病める人を救うということを伝えていました。
人は自分は“大切にされている”と感じることで、家族や関わりのある人たちを大切にしたいと思えるものです。
医学が発展し病症の原因が改名された現代にあっても、人に理解されない悩みを抱えている人は多くいます。解明されればされるほど、人との関わり方が希薄になり、遠い存在になり追いつきません。
本作はその皮肉さを強く感じさせ、逆にエイダのように救われる可能性があることも教えてくれました。