香港の名匠、ウォン・カーウァイ監督が大人の純愛を描いたラブストーリー
今回はトニー・レオンとマギー・チャンを主演に、家庭を持つ男女の不倫愛をプラトニックに描いた、映画『花様年華』をご紹介します。
『恋する惑星』(1994)、『ブエノスアイレス』(1997)のウォン・カーウァイ監督と、多くのカーウァイ監督の作品で撮影を手掛けた、『ばるぼら』(2020)のクリストファー・ドイルのコンビが、1960年代の香港の空気感を微細に再現します。
舞台は1962年の香港。新聞社の編集者をするチャウと、商社で社長秘書をするチャン夫人は、同じアパートに同じ日に引っ越し、隣人同士になります。
チャン夫人の夫は海外出張が多く、チャウの妻は夜勤が多い、互いにすれ違いがちな夫婦でしたが、円満な家庭を築くべく努力をする中、互いのパートナーが不倫関係にあると気づきます。
映画『花様年華』の作品情報
【公開】
2000年(香港映画)
【監督・脚本】
ウォン・カーウァイ
【原題】
花樣年華(英題:In the Mood for Love)
【キャスト】
トニー・レオン、マギー・チャン、レベッカ・パン、ライ・チン、スー・ピンラン
【作品概要】
ウォン・カーウァイ監督作品に多数出演する、トニー・レオンは本作でカンヌ国際映画祭で男優賞を受賞しました。
ダブル主演のマギー・チャンはウォン・カーウァイ監督の『いますぐ抱きしめたい』(1988)、『欲望の翼』(1990)の出演を機に演技派女優の頭角を現し、本作を含む5作品で、香港電影金像奨の最優秀女優賞を獲得しました。
映画『花様年華』のあらすじとネタバレ
「女は顔を伏せ、近づく機会を男に与えるが、男には勇気がなく、女は去る」
1962年の香港。スエン夫人の家に内覧に来たチャン夫人は、その部屋を間借りするとに決め帰宅します。
一足遅れで新聞社で編集をするチャウも訪ねました。スエン夫人は隣人のクウ家の部屋が、一室空いているはずと教え、チャウはクウ家の一室を間借りします。
チャン夫人とチャウは同じ日に引越しをし、こうして隣人同士となりました。
2人とも既婚者でしたが、パートナーは出張や夜勤で不在がちでした。世話好きなスエン夫人のおかげで、家族ぐるみの付き合いができ、親しくなるのに時間はかかりませんでした。
チャンの夫が再び長期出張に出る日、彼女は“ハンドバック”を2つ買ってきてほしいと頼みます。秘書をしている社長の妻と愛人の分です。
チャウは妻と旅行をするため休暇を取ります。2組の夫婦は仲睦まじい様子でした。
ある日、チャンは夫が日本で購入した、電気炊飯器を隣人たちに披露します。スエン夫人が“隣人のよしみ”で買ってきてほしいと頼みます。
夫人はチャウにも勧めます。チャウが炊飯器を受け取り、代金を払いにいくとチャンの夫は「奥さんからもらっている」と言われ、チャウは腑に落ちない気持ちになります。
ある日、チャンがクウ宅に新聞を借りに行くと、チャウが対応に出て自分の新聞を渡します。その時、彼は新聞の連載小説が好きで、小説家になりたかったと話します。
彼女も新聞の連載小説のファンで、お互い読書好きという共通点がありました。チャウから本を借りたチャンがそれを返しに行くと、クウ夫人がチャウ夫妻はケンカをして、数日帰っていないと伝えました。
原因はチャウの妻が臨時の夜勤で遅くなる、迎えに来なくていいと連絡したにも関わらず、彼は迎えに行き妻がその日、日勤でとっくに帰宅したと言われたからです。
チャンが通う屋台でチャウもその晩、同じ屋台で夕飯を済ませます。そして、チャウは同僚のピンから、妻が別の男と歩いているところを見たと伝えられます。
一方、チャンは出張から帰る夫に、スエン夫人やクウ家は外食で留守で、自分は残業で帰りが遅くなると電話しますが、クウに用事があるふりをしてチャウの部屋を訪ねます。
部屋からはチャウの妻が出てきます。「今日は早いのね」とチャンがいうと、体調が悪くて早退したと言い、早々にドアを閉めてしまいました。
チャンは夫が出張でいない日は、相変わらず屋台のテイクアウトで、夕飯を済ませていてチャウとすれ違うこともありました。
そんなある日、チャウはチャンをレストランに呼びだし、お願い事があると言います。妻にハンドバックを贈りたいから、彼女と同じものを買ってきてほしいというものです。
ところがチャンのハンドバックは、夫が日本で買ってきたもので、香港では手に入らないと言い、逆にチャンはチャウのネクタイは、どこで買ったかを聞きます。彼は妻が海外出張に行った時に買ってくるもので、香港では売っていないと言います。
チャンは同じネクタイを夫もしていると話し、チャウも妻がチャンと同じバックを使っていると話すと、彼女は「知ってる…。」と答え、互いのパートナーが不倫関係にあると、確信しました。
映画『花様年華』の感想と評価
映画『花様年華』はいわば、ダブル不倫を描いた物語ですが、その発端となる主人公の妻や夫の顔は一切出てきません。
後ろ姿や家具などで隠されていて、この2人がどのタイミングで深い関係になったのか、曖昧にしたままストーリーは進み、やがてチャウとチャンのプラトニックな恋愛に繋がっていきます。
主人公のチャウにはモデルとなった人物がいます。香港の短編作家のラウ・イーチョン(劉以鬯)です。
チャウの辿った経歴や足跡は、ラウ・イーチョンの経歴や足跡が参考になっており、エンドロールにも監督の次に名前がクレジットされています。
また、ラウ・イーチョンは小説「酒徒」を1963年に出版しますが、チャウが小説を手がけていた頃と重なり、この小説は本作の続編といわれる映画『2046』のアイデアに影響を与えています。
映画『花様年華』はカーウァイ監督の膨大な構想の一部で、『欲望の翼』(1990)の続編、『2046』(2004)の前編作品ともいわれ、この3作品をウォン・カーウァイ監督の「1960年代シリーズ」と呼び、作品には登場人物や設定の一部が受け継がれています。
これらのカーウァイ監督作品は、詩を読むようなストーリー展開、時間軸の組み合わせ方など、まるで村上春樹の小説を読んでいるような感じに陥ります。
また、村上春樹の詩のような文脈には、音楽が聴こえてくるような特徴があり、それをカーウァイ監督が詩的なモノローグと挿入曲の効果によって、体現化しているイメージがありました。
この感想もあながち間違いではなく、カーウァイ監督は実際に村上春樹からの影響も多大に受けていたようです。
2人の大きな秘密とは
チャウがアンコールワットの遺跡を訪れた時、みつけた穴に何かをささやいたのは、大木の幹に穴を掘って、秘密をささやき封じ込める行為と同じです。
彼の誰にも知られてはならない秘密とはなんだったのでしょう? おそらく彼女が「今夜は帰りたくない」と言った晩、2人は最初で最後に結ばれ、彼女はその時に彼の子を身ごもったのでしょう。
チャンがわざわざシンガポールに出向いたのは、チャウの子を出産したことを知らせるためだったと推察します。ところが幸か不幸か2人はすれ違い、再会しませんでした。
チャンは口紅の付いた吸い殻を残し、みつけたスリッパを持ち帰り、自分が来たことを知らしめ電話までしますが、チャウの子を出産したことは伝えられないまま帰国します。
チャウが香港に戻り、スエン夫人の家に母子が住んでいると聞いただけで、彼はチャンが自分との間にできた子と暮らしていると考えます。
なぜそう考えることができたのでしょう? チャウは日本に行った妻から手紙をもらいました。その手紙はチャウと別れ、チャンの夫と日本で暮らす・・・といった内容だったからではないでしょうか?
チャンにもそのことは伝わっていたでしょう。しかし、世間体を気にする彼女は自分たち夫婦が、破綻していることを誰にも知られたくなかったのだと察します。
だから、チャウから別れを切り出された時に、惨めさと寂しさから本気で泣いてしまったのです。一方チャウは、彼女を本気で愛していたため、全てを知っていながら知らないふりをしたのです。
チャンはスエン夫人の家に住んでいれば、いつかチャウが訪ねて来ると考えたのかもしれません。
しかし、それも憶測にすぎず、チャンがその子供を夫との子だと、言っていると考えたら、チャウは簡単には訪ねることはしないでしょう。
チャウがアンコールワットで、遺跡の穴にささやいたのは、その秘密をそこに封印したからです。
ただ、穴を土で埋めたのではなく、草であったことから、いつか彼女の口から語られるのを待つ、チャウの期待のようにも見えました。
チャウが書いた小説とはどんな物語か
映画の冒頭に出る「女は顔を伏せ、近づく機会を男に与えるが、男には勇気がなく、女は去る」これが小説の序文なのでしょう。
チャンは貞淑を保ちつつ、チャウを近づかせるような隙もみせますが、彼女自身に勇気がなく、結局はチャウの方から去ってしまいました。
最後の「男は過ぎ去った年月を思い起こす。埃で汚れたガラス越しに見るかのように。過去は見るだけで、触れることはできない。見える物はすべて幻のようにぼんやりと・・・」からは、美しい思い出を美しいままで終わらせる“男の美学”を感じさせます。
これは小説の締めくくりとなった一文だと推察しますが、鑑賞後、これは映画の中のラブストーリーなのか、小説の中のラブストーリーなのか、混乱してきます。
思えば「練習」と称した浮気を追求する場面や別れの場面は、まるで原稿用紙を書き直すかのようにも見ることができます。
また、お互いのパートナーが不倫関係にある・・・と、気づきながらもきっかけやタイミングがはっきりしないところは、小説初心者ならではの詰めの甘さともみれます。
そう考えると本作は、やはり小説の世界なのか、それとも現実のストーリーを描いたのかと、どちらともとれる作品でした。
まとめ
『花様年華』は1960年の香港が舞台となっていますが、登場するシーンは住まい、住まい近くの街角、職場、隠れ家・・・と限られ、それだけで1960年代を彷彿させているのが、カーウァイマジックです。
また、カーウァイ監督の得意とする、起承転結のない見せ方には、想像力を搔き立てられます。そこから幾通りもの解釈ができるところに醍醐味を感じます。
本作は「1960年シリーズ」の2作目として、完成された作品ではありますが、もし初見だった場合、『欲望の翼』からの続編で、『2046』への伏線作だと思って観ると、他の作品も必然的に観たくなります。
映画『花様年華』は普通のラブストーリーでは飽き足らない上級者向けのラブストーリーです。
表層的な愛情表現だけが愛ではないこと、“墓場まで持っていく”ほど秘密にしなければならない、大切な愛もあることを示していました。