韓国発のコミック「奇々怪々」の1編をアニメ映画化『整形水』
塗っただけで美しくなれる奇跡の「整形水」を手にした女性が、美しい姿へと生まれ変わったことと引き換えに体験する恐怖を描き出したホラー・アニメーション映画『整形水』。
「アニメ界のカンヌ映画祭」とも称される第44回アヌシー国際アニメーション映画祭をはじめ、第26回フランス・エトランジュ国際映画祭など全世界の映画祭で大好評を博し、ボストンサイエンスフィクション映画祭では最高アニメーション賞を受賞しました。
今回の考察記事では、現代社会に蔓延する外見至上主義(ルッキズム)と誰しもが陥る危険性のある落とし穴と本作が描いた恐怖の正体について考察します。
映画『整形水』の作品情報
【公開】
2021年(韓国映画)
【原題】
奇々怪々 整形水(英題:BEAUTY WATER)
【原作】
オ・ソンデオ・ソンデ(LINEマンガ『奇々怪々』内「整形水」)
【監督】
チョ・ギョンフン
【出演】
ムン・ナムスク、チャン・ミンヒョク、チョ・ヒョンジョン、キム・ボヨン、チェ・スンフン、キム・ソヒョン、カン・シヒョン、パク・ソングァン
【作品概要】
カートゥーンアーティストとして知られるオ・ソンデのWEB漫画『奇々怪々』における人気エピソード「整形水」を原作とした、韓国国内では初のWEB漫画原作による長編アニメーション映画作品。韓国国内でヒットしたのち、中国で爆発的な人気を博した。
塗ると美人になれる「整形水」を知った主人公が、美人へと生まれ変わったことで味わう恐怖を描き出す。
韓国国内での公開に合わせて、シンガポール・台湾・香港・オーストラリア・ニュージーランドと世界各地にて同時公開された。
映画『整形水』のあらすじ
どんな人間でも美しい容貌に変わることができる奇跡の水・整形水をめぐる物語。
自分の外見にコンプレックスを持つメイクアップアーティストのイェジは、担当する人気タレントのミリに侮辱され、周囲から笑い者にされ、怒りと苦しみを抱えていました。
両親にさえ怒りをぶつけるイェジのもとに、ある日、整形水のサンプルが届きます。
試しに整形水を使ったイェジは、自分の顔そのものが別人に変わっていることに気づきます。
やがて全身に整形水を浸して“完璧な美”を手に入れたイェジは、ソレと名乗り、新しい人生を歩みはじめました。
しかし、イェジ=ソレに襲いかかるのは、手に入れた“美”が失われることへの恐怖。
その頃、街では若い女性の連続失踪事件が起こっており……。
映画『整形水』の考察と解説
「美しさ」への執着と呪い
2021年に日本でも公開された本作は、ルッキズムの蔓延する社会とその社会によって歪められてしまった人格の変貌ぶりを整形のやりすぎという分かりやすい外見の変化で描いたアニメーションです。
本国韓国での公開時期は2020年9月と丁度ステイホーム、自粛の時期と重なっており、家で過ごす時間が増え外出時にもマスク着用必須と、人前で顔を晒す機会が減ったことにより美容整形の需要が以前より高まっていました。
整形水を使用した整形は現実のような術後のランニングタイムがなく、経過観察をせずに効果を手に入れることが出来るものの、これが現実よりも簡単に整形依存症へとおちいる落とし穴として機能していたのです。
コロナ禍による美容整形の需要拡大を見越してか、誰もが簡単に外見コンプレックスを解消できる世界を描いた作品の注目度も上がってきており、代表的な2作品が本作同様Amazonプライム・ビデオ配信中のオムニバスアニメ『ザ・ボーイズ ダイアボリカル』第4話「3D号室のボイド」。そしてディズニープラス配信のオムニバスドラマ『ジャスト・ビヨンド 怪奇の学園』第5話「本当の自分」。
特に「ザ・ボーイズ ダイアボリカル」の使用者の想像に応じて、体を変形させる活性化クリームは整形水の設定と非常に似通っており、自分が理想とする姿で知り合ったアパートの隣人同士が、「目の前の相手に良く思われたい」という思いは次第に逸脱していき、SNSで注目を集めるインフルエンサーとして「凡人には手の届かない非日常」を演じざるを得ない状況にまで追い詰められていく様子を描いていました。
SNSを通して不特定多数からの賞賛を欲するその承認欲求は、やがては本来こうなりたいと思っていた自身の理想像すら歪めていき、パーツごとに「美しい」とされる特徴のみが強調されたキメラ的な化け物へと成り果ててしまう、優等生だった女子高生がビューティーアプリによる整形を繰り返すうちに段々と知能が下がっていくという内面の変化まで描いたのが『ジャスト・ビヨンド 怪奇の学園』。
「ジャスト・ビヨンド 怪奇の学園」第5話「本当の自分」の場面写真
いずれも外見コンプレックスに悩む男女が他者からの賞賛によって承認欲求を満たしていくうちに、自己満足が醜悪な暴走を見せ、なりたいと思っていたはずの理想の外見は次第に客観性を失っていきます。それを加速させるのは、バズることで刹那的な万能感を与えてくれるSNSです。
『ジャスト・ビヨンド 怪奇の学園』の中で最も恐ろしい「外見の美しさを手に入れる代償として生来の美点を失う」という設定は本作『整形水』とも親和性が高く、長編アニメ映画化に際し原作から付け足された芸能界を舞台とする設定はここに機能します。
本作に登場する人気モデルであるミリは、自分に対しても他人にしても過激な外見至上主義を展開する人物。外側の美しさに固執するには内面を汚す必要があり、ルッキズムにこだわるために人間性を犠牲しているではないでしょうか。
主人公イェジにしても、生まれの不幸を親のせいにするほどに見下げ果てた人物で、共感を呼ぶ弱者ではありません。
整形に成功したら本人も明るくなり、外見差別により虐げられてきた苦労が報われるというようなカタルシスは生じ得ないだけでなく、美人に生まれ変わりソレとなっても、蓄積されたルサンチマンが解消されず、これまで損してきた人生を充足させようと今の見た目に見合う非日常を欲し浪費が加速していくのです。
ルッキズムが蝕むのは「個人にとっての幸福の追求すら外見の素晴らしさが全て」だと思わせてしまうほどに心を貧しくさせることだと気付かずに。
ジフンの正体が意味するもの
本作には整形依存が内面を蝕んでいくサイコホラーとしての側面の他にも、身体が変態する恐怖を描いたボディホラーの側面も当然存在し、連続女性誘拐事件の犯人であるジフンの存在が非常に象徴的です。
本作終盤でその正体が明かされる明かされるジフンは、自身の身体の至るところに気に入った顔のパーツを悪魔合体させており、原作に比べその数の多さからデビルマンのジンメンを思わせる異様な風貌が特徴的でした。
パーツを身体に貼り付ける文字通りのパッチワークは原作漫画からその設定を変更しなかったこともあり、『整形水』という作品において重要な要素であることが強調されています。加えて「女性から男性へのトランジション」もルッキズムをテーマにした作品にとって重要な要素の一つでした。
自意識と密接に関係するルッキズム(外見至上主義)とは、他者との熾烈な生存競争によるもので、背景にあるのは男女差別です。
ジェンダーバイアスに基づく、権力を有する男性に選ばれるため女性は魅力的な見た目をしていなけれらいけないという強迫観念は社会によるものであり、美人の姉と常に比較されてきたジフンは、女性の外見をジャッジする側(=男性)になることで社会に復讐しているのです。
本作のこの設定をボディーホラーモノでありがちな、性的倒錯者=サイコキラーというステレオタイプとも取れますが、作り手がジフンを通して描いていたのは、男性からのジャッジによって元来の理想像が複雑化した「美しさ」の矛盾とそれを追求した結果行き着いたものです。
原作との比較からジフンに与えられたテーマは、両性具有の肉体に求められる美しさと概念の変容。それはつまるところ、美しさの追求がゲシュタルト崩壊を起こした末に共通する身体的特徴を持つヒトの外見、人体の構造とはそもそも気持ち悪いものであったという真理に至るのです。
まとめ
ホラー映画のクリシェと言われるような、「あるある」要素のパッチワークで成り立つ本作は決してベタで塗り固められた凡作などではなく、社会問題や俗世的な欲望への訴求に加えてツイストのある展開が刺激的な傑作ホラーでした。
ただCGアニメーションとしての動きは発展途上を感じさせました。この特徴は作品にとってマイナスに作用しただけではありません。
表情の不自然さ、感情表現と動きに整合性が無かったりとアニメーションの少ない情報量を視聴者が脳内で補完する作業は逆にホラー作品としての異質さ、不気味さに効果的であったとも考えられます。
“整形大国”と呼ばれる韓国の闇を完成度の高いサイコホラーで描いた本作は、他国で作られた類似作品との共通点を見出し、そこから現代社会の病理を炙り出すことも出来ました。
タキザワレオのプロフィール
2000年生まれ、東京都出身。大学にてスペイン文学を専攻中。中学時代に新文芸坐・岩波ホールへ足を運んだのを機に、古今東西の映画に興味を抱き始め、鑑賞記録を日記へ綴るように。
好きなジャンルはホラー・サスペンス・犯罪映画など。過去から現在に至るまで、映画とそこで描かれる様々な価値観への再考をライフワークとして活動している。