出会いと別れ、心の物語を聞いた時、
記憶に深く刻まれた葛藤が動き出す……。
短編映画『ポラロイドカメラの使い方』(2004)で数々の映画賞を受賞し注目され、繊細な演出と映像で定評の高いキム・ジョングァン監督による映画『夜明けの詩』。
ジョングァン監督は日本でも人気の高い実写映画『ジョゼと虎と魚たち』(2004)を、2020年に韓国版としてリメイクしています。
小説家のチャンソクは滞在していたイギリスから、冬が残るソウルに7年ぶりに帰国し、レトロなコーヒーショップである女性と会います。
その後も大学時代の後輩、イギリスに発つ前に知り合ったカメラマンと再会を果たし、偶然入ったバーでは「その晩で店を辞める」というバーテンダーと出会います。
チャンソクは4人との語らいの中で、それぞれが心に抱えた葛藤と向き合っていると知り、自らの心の葛藤にも決着をつけようと決意を固めますが……。
映画『夜明けの詩』の作品情報
【日本公開】
2022年(韓国映画)
【英題】
Shades of the Heart
【監督・脚本】
キム・ジョングァン
【キャスト】
ヨン・ウジン、イ・ジウン/IU、キム・サンホ、イ・ジュヨン、ユン・ヘリ
【作品概要】
小説家チャンソク役には、映画『愛に奉仕せよ』(2022)やNetflixドラマ『39歳』などで知られ“ロマンス職人”の異名を持つヨン・ウジンが務めます。
第75回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品された『ベイビー・ブローカー』で知られるイ・ジウン/IUは、キム・ジョングァン監督のNetflix映画『ペルソナ -仮面の下の素顔-』(2019)に出演したのを縁に特別出演しました。
共演に日本映画『焼肉ドラゴン』(2018)で焼肉屋の店主役を演じたキム・サンホ、『声 姿なき犯罪者』(2022)のイ・ジュヨンが出演します。
映画『夜明けの詩』のあらすじとネタバレ
ミヨンは古いコーヒーショップの窓際で“生き急ぐ人の流れ”を眺め、なんの目的もなく時間を過ごしています。絶え間なく変わりゆく世の中で、この喫茶店だけは変わらず、彼女が“安心”できる場所でした。
退屈な時間でも穏やかになれる空間で、彼女は眠ってしまいます。そして、ふと目が覚めると目の前の席に、見知らぬ男性が本を読みながら静かに座っていました。
彼女は「あなたは誰?」と尋ねます。男性は読んでいた小説を閉じて、「可愛らしい寝顔でした」と言います。
焦った彼女は鏡で顔をみて恥ずかしそうにしますが、席ならいっぱい空いているのに、なぜそこにいるのか聞きます。
男性は「チャンソクです。はじめまして、ミヨンさん」と言います。ミヨンはふと我に返ったように、自分が待ち合わせしていたことを思い出します。
ミヨンは友人から変わり者だと思われていて、そんな彼女と気の合いそうなチャンソクを紹介すると言われ、喫茶店に来ていました。
彼女はチャンソクにアメリカに留学していたのか尋ねたり、チャンソクの顔を見て紹介してくれた友人の顔に似ていると言います。
何の本を読んでいたのか聞くミヨンに、チャンソクは“小説”だと答えます。ミヨンは「小説を読む人の気が知れない」と言い、その理由は“作り話を信じるから”と言います。
チャンソクは作り物の中にも、読む人の気持ちで“真実”が見えることがあると話します。ミヨンは“くだらない”という顔をして椅子にうなだれつつ、「何か面白い作り話をしてよ」と無茶ぶりをします。
チャンソクはアメリカ留学していた時に、大学の近くにある有名な高級ホテルへ、食事に行ったときのことを話します。
そのホテルへ、かつては上客だったものの、数年のうちに無一文になりホームレスに転落した男が訪れます。男は頭がおかしくなったのか「スイートルームに泊まる」と言い出します。
そのホテルに長年勤めるベルマンは、ホームレスとなったその男がかつての上客だとわかっていました。彼は男を丁重に扱い、スイートルームのある最上階まで案内しました。
最上階まで来ると、男は黙って立ちすくみます。そしてしばらくして、ベルマンとともにロビーへ戻ってきました……。
ミヨンはチャンソクの話に引き込まれ、ホームレスの男がどうなったのか彼に聞きます。すると彼は「作り話だからわからない」と答えます。ミヨンは“してやられた”という顔をして、ふてくされると再び眠ってしまいました。
チャンソクは「随分、長居してしまった。帰りましょう」と声をかけながらミヨンを見ると、彼女は老いた女性の顔になっていました。
チャンソクがミヨンの隣りに座ると、彼女は頭を彼の肩に預けました。そして、ミヨンのしわの多い左手の薬指には、指輪がありました。
チャンソクは回想します。父親がタバコのせいで亡くなったことから、自身が母とタバコをやめる約束をしたことを……。
映画『夜明けの詩』の感想と評価
生まれ、老い、病み、死ぬこと……
映画『夜明けの詩』は「老い」「死」「悲しみ」「喪失」をテーマに、チャンソクが4人の出会いと会話を通じて、自分の心と向き合う物語でした。
ジョングァン監督は「本作を観た観客が悲しみに浸ることはないだろう」と、インタビューで答えていました。確かに“悲しい”という感覚よりも、誰にでも起こりうる宿命であるという、一種の確認事項として見ることができます。
仏教では人生において免れない四つの苦悩として「生まれること」「老いること」「病むこと」「死ぬこと」をあげ、それを“生老病死”と説いています。
まさに本作はこの“生老病死”を描いていて、更に深掘りすると愛する者との別れ、憎しみ恨んだ相手と会うこと、心と体が思うようにならないジレンマなどの苦悩も同時に映し出していました。
しかし、その全てを受け入れた時に、クヨクヨと過去を振り返ったり、まだ見ぬ未来に期待をするのではなく、“今を誠実に生きる”大切さを描いていたと感じました。
誠実に生きる以外に、心の闇は明けないだろう……こう解釈したことで悲しみを感じなかったのだと思います。
“4つの苦悩”を語った登場人物達
“時間を失くした女”ミヨン
コーヒーショップで待ち合わせをしていたミヨンは、認知症を患ったチャンソクの母です。
彼女の中の“時間”はチャンソクの父と出会った頃にまで後退し、目の前にいた息子チャンソクも「恋人とよく似ているが、初対面の男性」という感覚で接する様子が描かれます。
「小説を読む人の気が知れない」という彼女のセリフは、「小説を書かせるために留学させたわけではない」……そんな恨み言にも聞こえてきます。
7年間も海外で暮らしていた親不孝息子の顔を忘れ、かつての記憶の中で生きるミヨン。若い頃の記憶の中で生きているので当初は若い姿で登場しますが、チャンソクを息子だと判断できた時、現実の老いた姿になります。
そして、息子が帰ってきてくれたのだと思い出し、再び夢の中に戻っていきました。
“想い出を燃やす編集者”ユジン
チャンソクの後輩ユジンは、年下の恋人と中絶した記憶を、思い出のタバコを吸うことで消し、チャンソクに話すことで前に進もうとしていました。
チャンソクの小説を半自伝的小説だと思ったユジンは、彼の抱いている苦悩や悲しみに触れ、自分の経験を話します。
それは子供を亡くし、愛するものを遠ざけた苦しみに共感した、ということではないでしょうか。そして、小説の主人公のように死んではだめだと訴えたように感じます。
“希望を探す写真家”ソンハ
奇跡を信じたソンハはカメラマンという、不安定な仕事で苦労をかけた上、がんを患った妻を失うことに、並々ならぬ恐怖を感じていました。
ソンハの妻が意識不明から回復したのは、一時的な“中治り”という現象だったと解釈できます。
ソンハがやるべきことは僧侶にアドバイスを仰ぐことではなく、妻の要望を聞き側にいてあげることだったと思います。
彼は結果的に、青酸カリで死ぬことは免れました。これがソンハにとって幸か不幸か、死に急いでいた彼の命題となりました。
“記憶を買うバーテンダー”チュウン
事故で記憶を失ったチュウンは、他人の思い出の記憶など、自分に置き換えることができないのに、なぜ彼女は買ったのでしょうか?
彼女は“面白い思い出”限定で記憶を買っていました。彼女の過去の思い出はすっかり消えてしまったけれども、聞いてきた面白い思い出の数だけ、彼女の未来は面白くなる可能性を秘めている……そう考えたのではないでしょうか?
彼女が薄暗い店を辞め、明るい世界で新たな詩を書く旅に出るような予感を残しました。
まとめ
『夜明けの詩』は、子供を亡くした小説家のチャンソクが、そのことをきっかけに妻との生活がうまくいかず、韓国に帰ってきたことから始まります。
彼は出会った4人との対話で「妻とやり直そう」と決心をしますが、電話で会話する妻の精神は崩壊しており、チャンソクに新たな試練が舞い降ります。
つまり、子を亡くした現実を受け入れ、妻とともに今を誠実に生きていれば、そうはならなかっただろうといえます。
出会った3人の女性からは、“if(もしも)”というワードは見当たりませんが、ソンハとチャンソクには“もしも”こうしていたら……未来は違ったという、明暗が見てとれます。
5人それぞれが葛藤を抱えていますが、女性には生きるための生命力、男性にはどこか弱くて儚いメンタルが垣間見えました。
キム・ジョングァン監督は『夜明けの詩』を通して、大変な時代を生きる人々に、希望や心の癒しを感じてほしいと、想いを込めて語っていました。