父と親友との交流を長い年月を通して描く雄大なヒューマンドラマ
イタリアの作家パオロ・コニェッティの世界的ベストセラー小説を映画化。
『ビューティフル・ボーイ』(2019)の監督・脚本を務めたフェリックス・バン・ヒュルーニンゲンが実生活でもパートナーであるシャルロッテ・ファンデルメールシュと共に共同監督、脚本を務めました。
『皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ』(2017)、『マーティン・エデン』(2019)のルカ・マリネッリがピエトロ役を演じ、『ザ・プレイス 運命の交差点』(2017)のアレッサンドロ・ボルギがブルーノを演じました。
都会育ちのピエトロは、休暇を過ごしていた山嶺の小さな村で牛飼いの少年・ブルーノに出会います。
互いに心を通わし、親交を深めていた2人でしたが、成長するにつれ距離ができ、親への反発から家を飛び出してしまったピエトロ。
時が流れ、父の悲報を受けピエトロは再びブルーノと再会します。大きくなって知った父の思い、そして自分自身の生き方……それぞれの人生を歩んでいくピエトロとブルーノの濃密な人生を雄大な自然を通して描いたヒューマンドラマ。
映画『帰れない山』の作品情報
【日本公開】
2023年(イタリア・ベルギー・フランス合作映画)
【原題】
Le otto montagne
【監督・脚本】
フェリックス・ヴァン・フルーニンゲン、シャルロッテ・ファンデルメールシュ
【原作】
『帰れない山』(著:パオロ・コニェッティ 訳:関口英子 新潮クレスト・ブックス)
【撮影】
ルーベン・インペンス
【キャスト】
ルカ・マリネッリ、アレッサンドロ・ボルギ、フィリッポ・ティーミ、エレナ・リエッティ、クリスティアーノ・サッセッラ、ルーポ・バルビエロ、アンドレア・パルマ、フランチェスコ・パロンベッリ、エリザベッタ・マッズッロ、スラクシャ・パンタ
【作品概要】
イタリアの作家パオロ・コニェッティの世界的ベストセラー小説を映画化、第75回カンヌ国際映画祭で審査員賞を受賞しました。
北イタリア、モンテ・ローザ山麓のアオスタ渓谷を中心に、トリノ、ヒマラヤ山脈で撮影し、撮影は『TITANE/チタン』(2022)でも撮影を務めたルーベン・インペンス。
『オーバー・ザ・ブルースカイ』(2012)で監督、脚本を務めた実生活でもパートナーであるフェリックス・ヴァン・フルーニンゲン、シャルロッテ・ファンデルメールシュが本作においても共同監督、脚本を務めました。
ピエトロ役は、『皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ』(2017)、『マーティン・エデン』(2019)のルカ・マリネッリ、ブルーノ役は『ザ・プレイス 運命の交差点』(2017)のアレッサンドロ・ボルギが務めました。
映画『帰れない山』のあらすじとネタバレ
ミラノの都会で育った繊細な少年ピエトロは、山の好きな両親に連れられ休暇を過ごしていた山嶺の小さな村で牛飼いの少年・ブルーノに出会います。
すぐに打ち解けた2人は、毎日のように山や川に出かけ親交を深めていきます。しかし、叔父夫婦のもとで暮らすブルーノには、牛の世話などしなくてはならない仕事が多く、叔母夫婦に呼ばれると家に帰らなければなりませんでした。
そして山で活発に遊ぶピエトロを見た父は、山登りにピエトロを連れて行くようになりました。
そしてある日、父はピエトロとブルーノを連れて山登りに行きます。クレバスを飛び越えたブルーノを父は褒め、ピエトロも飛べると声をかけますが、途中から具合が悪くなっていたピエトロは「僕は飛べないよ」と言います。
父は慌てて「大丈夫だ、高山病になっただけだ」と言いますが、その思い出はピエトロにとってトラウマのようになります。
また、ピエトロの母は、学校に行けず働くブルーノの境遇に学校に通わせてあげたいと思い、ブルーノの叔父夫婦に援助を申し出ます。しかし、ピエトロはミラノがどういう街か知っていたので、ブルーノが変わってしまうと母に反対します。
ブルーノはこの山にいた方がいいと言いつつも、両親がブルーノを息子のように可愛がることに嫉妬も感じていたピエトロは、ブルーノに「はっきり言った方がいいと思う、ここにいたいって」と言います。
ピエトロにそんなことを言われると思っていなかったブルーノはムッとして、「俺がずっとこの山にいたいと思っているというのか」と言い岩の上に立つと「俺はここを出ていくぞ」と大きな声で叫びます。
その出来事が幼い2人の間に距離を生じさせ、何の前触れもなく、出稼ぎに行っていた父親と共に出稼ぎに行きブルーノはピエトロの前から姿を消しました。その後10年余り2人が再会して話すことはなく、一度だけバーで顔を見かけただけでした。
思春期を迎える頃にはピエトロは父と山に登ることを拒否し、休暇の度に山嶺の小さな村の別荘に訪れることもなくなっていきます。そして大学を中退すると言ったピエトロは父と衝突し、家を飛び出してしまいます。
以来仕事を転々としながら生活しているピエトロの元に母から父が運転中に心筋梗塞を起こし亡くなったと連絡があります。そしてピエトロは10余年ぶりに山の別荘を訪れます。
そこにブルーノがやってきて再会を果たします。互いに違う道を歩んでいた2人でしたが、ピエトロの父との約束を果たすため2人は再び濃い時間を共に過ごすことになります。
『帰れない山』の感想と評価
それぞれの道を歩む
雄大なモンテ・ローザ山麓を舞台に、都会育ちのピエトロと山育ちのブルーノの2人の魂の交流、父との物語を描いた映画『帰れない道』。
世界の山々を旅していたピエトロは、ネパールで8つの山の話を聞きます。
8つの山とは古代インドの世界観で、「世界の中心には最も高い山、須弥山(スメール山、しゅみせん)があり、その周りを海、そして8つの山に囲まれている。8つの山すべてに登った者と、須弥山に登った者、どちらがより多くのことを学んだのでしょうか」というものでした。
原題の「Le otto montagne」も8つの山のことであり、この話からきているのでしょう。
ピエトロは、この話をブルーノにします。まさにブルーノが最も高い山を極める者で、ピエトロはその周りの山々を極めるの者というわけです。
最後ピエトロは、人生には帰れない山があるということを父から教わったと言います。最初に登った山、自分の人生を変えた山には二度と帰ることができず、他の山々をさまよい続けるしかないと言います。
一方、ブルーノは山を降りることができず一つの山を登り続け、共に生きるしかない山の民でした。しかし、その道に辿り着くまでに2人には様々な道のりがありました。
無邪気な子供の頃に出会った2人は空白の年月を経て、様々なことを乗り越え自分の道を見つけ出していきます。誰しもまっすぐ迷わずに歩いて行ける人はいません。
それに誰もが最初は一人で歩いているわけではないのです。その前を歩いている人がいるのです。それは、すなわち両親など子供時代に出会う先導者となるべき大人たちです。
大人になる過程で、先導者は役目を終え、そこから自分の道を歩き始めるのです。それがピエトロにとっての父の死であったのです。自身の父とは折り合いが合わなかったブルーノにとってもピエトロの父は、よき相談相手であり父親のような存在だったでしょう。
父の死をきっかけに再会したピエトロとブルーノでしたが、ピエトロは自分が父と会っていなかった期間にブルーノが共に過ごしていたことを聞き、自分が失った時間について考えていました。
しかし、ピエトロは父の死後山歩きを通して父と対話していくのです。父が何を考えて歩いていたのか、父の人生と自分の人生を見つめ、次第にピエトロは自分の生きる道を見つけていくのです。
一方、ブルーノもずっと山に住んでいたわけではありませんでした。父と共に出稼ぎに行ったブルーノは様々な国でブロック職人として働いていました。
ブルーノの叔父夫婦も農家を手放して山を降りているのです。ブルーノは山を降りて働き、やはり自分の生きる道は山だと確信したのです。山で牛を飼い、チーズを作る生活を始めた頃のブルーノは人生への希望に満ちていました。
しかし、その幸せは長くは続きませんでした。次第に経営が厳しくなっていったのです。借金がかさみ返す採算が取れずラーラとの口論は増えていきます。冬の時期は生きていくのが大変な自然環境で農業の経営が厳しいこの村で人がどんどんいなくなっているのにはそれなりの理由があったのでしょう。
ラーラは現実的で、子供のことを考えて実家に帰り職も見つけて環境に順応して生きていますが、ブルーノにはこうと決めた以上他の生き方は考えられませんでした。
ピエトロが最後にブルーノを訪れた時、自分は経営などは向いていないが、一人で山で生きていくことはできると言いました。どこまでそれを本気で思っているかはピエトロには分からなかったかもしれません。それでもブルーノが山を降りる気はないということだけは確かでした。
父、そしてブルーノを失ったピエトロはそれでも山を登り続け、さまよう旅人としてこれからも生きていくでしょう。しかし、二度と、最初に出会った山にも、大切な父、友にも出会うことはありません。
人生はそうして別れを経ても続いていくもので、誰もが自分の道を歩んでいるのでしょう。
まとめ
ピエトロの語りで、少年時代の思い出から始まり、子供時代のわだかまりが解け、大人になり自分の道を突き進んでいく、まさに“人生”を描いた濃厚な映画であり147分の尺以上の重みを感じさせます。
山を通して2人の男の生き様を描く映画ですが、誰もが自分の道、すなわち自分が向かうべき山に向かって突き進んでいるのが人生といえるのではないでしょうか。
多くの人は頂点を目指して歩くでしょう。しかし、頂上は決してゴールではないのです。何かに向かって突き進んでいざたどり着いてみると思ったようなものが得られなかった経験はあるかもしれません。
勿論達成感を得ることもあるでしょうが、全ての通過点で思うような成果を得られた人、そもそも辿り着けた人はそう多くないのではないでしょうか。途中で寄り道したり、引き返したり、トライするのが怖くて閉じこもったりもするかもしれません。
それでも向かい続けることが人生なのかもしれません。時には山を降りてもいい、逃げてもいい、全てを受け入れてくれる雄大さが山にはあるのではないでしょうか。
時に反発し、遠い存在に思えた親の背中も、自分が年を重ねると同時に小さく思えたり、見えていなかった親の気持ちを後になって知る、そんな経験は誰しもあるでしょう。また、親という先導者を失ってさまようこともあるでしょう。
それでも自分なりに向き合うことで、いつしか自分の道が開けていくのです。