人間の二面性に迫る天野友二朗監督の商業映画デビュー作
『自由を手にするその日まで』(2018)などインディーズ映画を手がけてきた天野友二朗の商業映画デビュー作『幸福な囚人』。
不妊症に悩み精神を患った妻を前に、自身も心を壊していく主人公の姿を厳しいタッチで描きます。人間の二面性にフォーカスした心理サスペンスです。
『地獄でなぜ悪い』(2013)『かば』(2021)の山中アラタが主人公の澤田役を演じます。
愛する妻を守ろうとしていたはずが、いつの間にか狂気を解放して転落していく男。彼がたどった運命とはいったいどのようなものだったのでしょうか。
映画『幸福な囚人』の作品情報
【公開】
2019年(日本映画)
【監督・脚本・作曲】
天野友二朗
【キャスト】
山中アラタ、児玉拓郎、小原徳子、百合沙、池田良、みのすけ、田山由起
【作品概要】
医学部出身という異色の経験を持ち、劇場公開もされた『自由を手にするその日まで』(2018)などインディーズ映画を手がけてきた天野友二朗の商業映画デビュー作。
抑圧された社会の中での人間の孤独や闇、愛、凶器をテーマにしてきた天野監督が、人間の二面性に迫った心理サスペンスです。
『地獄でなぜ悪い』(2013)『かば』(2021)の山中アラタが、狂気に取り憑かれた主人公の澤田役を熱演。
『卍』(2023)の小原徳子が、心を患った澤田の妻役を演じます。
映画『幸福な囚人』のあらすじとネタバレ
無口で不器用な会社員の澤田には、不妊症をきっかけにうつ病になった妻・和子がいました。澤田は妻を献身的に支えていましたが、自身も次第に精神を病んでいきます。
ある日、澤田の同僚として岸本という男が海外企業から転職してきます。彼は澤田とは対照的に自信に満ち溢れた性格でした。
岸本と親しくなった澤田でしたが、岸本の恋人に対する暴力性や猟奇的な一面を目の当たりにして驚きます。澤田は恐怖感を覚える一方で、危険な魅力を放つ岸本のカリスマ性に徐々に魅せられていきました。
澤田の脳裏には、父親から受けた虐待の思い出がフラッシュバックしていました。
ある日、澤田は岸本から副業を手伝ってほしいと呼び出されます。それは、DV被害を受けている女性の依頼に従い、その夫を殺すという恐ろしい仕事でした。
仕事をやり終えた澤田に、岸本は「こうやって殻を破っていけ」と話します。
その言葉に影響を受け、理不尽な話をする上司に向かって反発を口にした澤田は、オフィスの片隅に押しやられてしまいました。
映画『幸福な囚人』の感想と評価
悲しみのあまり狂気に陥ってしまった男とその妻の悲劇を描く心理サスペンス作品です。
人間の孤独や闇、愛、凶器を描いてきた天野友二朗監督が、商業デビュー作となる本作でも熱をこめて同じテーマを掘り下げて描いています。年若い天野監督とは思えないほど、一世代前かのように古風な社内風景や家の室内が描かれます。
主人公の澤田は冴えない会社員で、社内でも軽んじられている男です。彼の在籍する会社は、現在ではとても考えられないほどパワハラ、セクハラまみれで、ファンタジー感を醸し出しています。
澤田の愛する妻は子供を身ごもることができない体で、そのことに苦しんだ末にうつ病を患ってしまいます。自殺未遂を繰り返す妻を世話するうちに、澤田の心も当然のように病んでいきました。
彼には父から虐待を受けていた過去があり、妻に向き合う中で何度も辛い経験がフラッシュバックします。海外企業から転職してきた、自信に満ち溢れた岸本に澤田は心惹かれるようになりますが、岸本は実は恐ろしく残虐で猟奇的な男でした。
「お前が下手に出るからナメられるのだ」と叱咤する岸本の言葉は、昔父親が幼い澤田に言っていた言葉と重なり、彼はすっかり捕らわれてしまいます。
「本能のまま生きろ」という岸本の言葉に心をつかまれた澤田は、残虐に人を殺したり、不倫に走ったりと、奥底に隠れていた狂気を解放していきます。やがて「人生に溺れてしまわないように」と互いに固く抱き合ってきた澤田夫婦の関係にも、暗い影が差し始めます。
前半は、心が壊れゆく澤田夫婦の悲しみと、深い愛情がヒリヒリと描かれますが、次第に激しいバイオレンスシーンに圧倒される展開になっていきます。
悪鬼のごとく人間を殴り殺したあげくに解体し、血まみれで堂々と公道を歩く澤田。どこまでが現実で、どこからが幻想なのか境目がわからなくなります。
澤田の精神がすっかり壊れてから初めて、実は岸本そのものが澤田の幻影だったことが明かされます。
澤田を壊してしまった元凶は、彼の言葉にあった「幸福な囚人」にありました。世間一般の人たちのものさしに合わせて幸せを測ることから逃れられなかったことから、澤田も和子も心を病んでしまっていたのです。
また、幼い頃に暴力で抑え込まれた経験は深いトラウマとなり、澤田を再び不幸のどん底へと引きずりこんでいきます。児童虐待という罪の根深さに思わずうめいてしまう、つらい物語です。
まとめ
数々のインディーズ映画を手がけてきた天野友二朗監督の商業映画デビュー作『幸福な囚人』。
幾重にも絡まった悲しみの連鎖が、いつの間にか暴力の連鎖を生み、主人公の澤田を不幸のどん底へと突き落とします。
しかしながら、最後の最後に妻の真実の愛を確かめられた澤田、そして「目が覚めた」と言って全てを許して死んでいった妻の和子は、必ずしも不幸だとは言い切れません。
確かな何かをつかんで生を終えることができることは、やはり幸せと呼べるのではないでしょうか。
厳しく深い愛でつながった夫婦を演じた山中アラタと小原徳子の圧倒的な演技をじっくり堪能してください。