過酷な状況下に陥ってもなお、妻と息子を救ったのは多幸感いっぱいの父の笑顔。
今回ご紹介する映画『ライフ・イズ・ビューティフル』は、田舎からトスカーナ地方の小さな街に、叔父を頼りに出てきた主人公が、旅の途中で美しい女性教師と出会い、一目ぼれします。
やがて、女性教師も陽気で洒落の利いた主人公に惹かれ、2人は結ばれますが、時代は第二次世界大戦下で、戦況に暗雲が迫ってきます。
強制収容所へ送られたユダヤ系イタリア人の父子が、悲惨な状況に追い込まれます。幼い息子を守るため父は、そこに来た理由は“ゲーム”だと、明るく陽気な振る舞いで“嘘”をつき続けますが……。
映画『ライフ・イズ・ビューティフル』は、戦時下の家族愛を描いた珠玉の名作。第51回カンヌ映画祭でグランプリを受賞し、第71回アカデミー賞で主演男優賞など、複数の部門でノミネート及び賞を受賞しています。
CONTENTS
映画『ライフ・イズ・ビューティフル』の作品情報
【公開】
1998年(イタリア映画)
【監督】
ロベルト・ベニーニ
【脚本】
ロベルト・ベニーニ 、ビンセンツォ・セラミ
【原題】
La vita e bella
【キャスト】
ロベルト・ベニーニ、ニコレッタ・ブラスキ、ホルスト・ブッフホルツ、ジョルジョ・カンタリーニ、ジュスティーノ・ドゥラーノ、セルジョ・ビーニ・ブストリッチ、リディア・アルフォンシ、ジュリアーナ・ロヨディーチェ、アメリゴ・フォンターニ、ピエトロ・デ・シルヴァ、ランチェスコ・グッツォ、ラファエラ・レボローニ、マリサ・パレデス
【作品概要】
『ダウン・バイ・ロー』(1986)で注目を浴び、『ほんとうのピノッキオ』(2021)でゼベットを演じた、ロベルト・ベニーニが監督・脚本・主演を務めています。
ベニーニ監督の父は強制収容所にいた経験をしていて、それを元にロシアの革命家レフ・トロツキーが残した「人生は美しい」という言葉にちなみ、彼の「どんな状況下でも人生は、生きるに値するほど美しい」という信念に感銘を受け、脚本に着手したといいます。
見どころはトスカーナ地方の小さな街、アレッツォの古き良き街で、主人公が恋愛を成就させ、幸せな家庭を築く明るさと、“強制収容所”という死と背中合わせの状況で、生き抜くために息子や妻に起こした奇抜な行動です。
映画『ライフ・イズ・ビューティフル』のあらすじとネタバレ
「これからお聞かせするのは、私の物語である」
1939年、グイドは友人で詩人のフェルッチョと共に、北イタリアのトスカーナ地方の街にいる叔父を頼りに、田舎から出てきます。
途中、自動車のブレーキが故障して、修理をするため農家の敷地にいると、納屋の上から女性の悲鳴が聞こえ飛び降りてきます。彼女を抱きとめたグイドは、彼女の美しさに一目ぼれしてしまいます。
彼女は蜂の巣を駆除しようとして、足を刺されたと言うとグイドは、刺された箇所を口で吸って毒を抜いてあげました。
グイドは謝礼に卵をもらって叔父のジオがいる街へ向います。ジオはホテルで給仕長をしていて、彼のコレクション置場が間借りする家だと話します。
到着すると中から数人のならず者が飛び出してきます。グイドは警察に届けようと言いますが、ジオは大事にすればもっとややこしくなると、放っておくよう言うと、家の中にある調度品を使って、生活できるよう工夫して住むよう言ってホテルへ戻ります。
グイドは新しい街での暮らしにワクワクし、街の歴史的な建物を観てはしゃぎます。フェルッチョは内装業店に就職し、グイドは街で書店を開くため、申請しに市役所へ行きます。
ところが街で新たに店を開くには、申請から数年かかり、申請をするにも上司の認可がいると説明されます。
上司と呼ばれる役人は外出するところで、グイドの話にとりあってくれません。窓辺で落胆していると、置いてあった植木鉢が落ちて役人の頭に落ちてしまいます。
心配したグイドはあわてて駆けつけ、持っていた卵を彼の帽子に入れて謝ります。しかし、急いでる役人はその帽子を被り、生卵が割れて頭は卵まみれになり、怒り心頭で追いかけます。
グイドは自転車で逃走しますが、小学生を引率している女性と鉢合わせします。それは蜂に刺された女性でした。しかし、「やあ!お姫様。またお会いしましょう」とだけ言い残て逃げてしまいました。
翌日、グイドは広場で再び一目ぼれした女性を見かけます。彼女は同僚の先生と一緒ですが、そこに役所の男が親し気に車で近づき話しています。
グイドはフェルッチョの背後に隠れて様子を伺いながら、男がいなくなるとひょっこり彼女の前で「やぁ!お姫様!」と顔をだし驚かせます。
彼女はそんな彼のユーモアに好意的です。同僚が「“ドーラ”そろそろ行かないと」と、言うと「また、偶然お会いしましょう」と、学校へ戻ります。
ホテルでは常宿にしている医師レッシングが、大好きな“なぞなぞ”を考えてグイドに挑戦します。
彼が8日かけて考えた「あればあるほど“見えなくなる”もの」の答えは“暗闇”で、わずか5分で解いてしまいました。
そして、今度はグイドが「食事をしている7人の小人に、白雪姫が次に盛るのはいつ?」レッシングは問題を解くのに夢中になり、出された食事に手をつけません。
そこにローマから役人が宿泊に来ます。従業員は帰ってしまい戸惑いますが、高額なチップも欲しいグイドは気転をきかせ、レッシングがキャンセルした食事を、ローマの役人に提供します。
グイドの出した問題の答えは“7秒後”です。イタリア語で“秒”と“おかわり”は同じ発音をするからです。グイドはレッシングは医者だが、“なぞなぞに憑りつかれている”と言います。
ローマから来た役人は、ドーラの勤める小学校へ視察しに来た監督官でした。グイドは何やら考えを浮かばせます。
グイドは先回りし監督官のふりをして学校に行き、ドーラを驚かせます。他の教師には適当な質問をしながら、ドーラには日曜日の予定を聞くと、オペラ鑑賞へ行くと言います。
ドーラは役所の男ロドルフォの婚約者で、2人はオペラ鑑賞に来ていました。彼はオペラの後に知事と夕食だとドーラに言いますが、彼女は接待の付き合いはしたくありません。
劇場を出ると外は土砂降りの雨です。車を取りに行ったロドルフォよりも先に、グイドはフェルッチョの車で横付けし、ドーラは知らずにその車に乗り込みます。
グイドが運転しているとは知らず、自分の理想のデートを熱弁し、運転席を見るとグイドだと驚きます。グイドはドーラとの度重なる偶然は“運命”だと言います。
車を降りた2人は散歩をし、グイドはドーラと付き合いたいあまりに、隠した“イエス”の鍵が天にあるなら・・・と、合図すると鍵を落とす家の前で「(聖母)マリア!鍵を!」と叫びます。
さらに、チョコジェラードをいつ食べるか、ジェラード屋の前にいたレッシングと目が合うと、再びマリアに願います。するとレッシングが近づき、「7秒後だ」となぞなぞの答えを言ってドーラは驚きます。
グイドはドーラを家まで送ると、彼女への思いを告げて帰りました。
ジオのホテルで、ロドルフォの婚約パーティーが行われます。しかし、ドーラはごねて遅刻していました。グイドはドーラが婚約者とは知らず、すっぽかされたと笑います。
そこにジオが大変だとスタッフが呼びに来ます。ジオが可愛がっている白馬が、グリーンにペイントされ“ユダヤ人の馬め!”といたずら書きされていました。
グイドは単なる悪ふざけと、楽観的にたしなめますが、ジオは単なるなどではなく、そのうちわかる時が来る、覚悟しておけと忠告します。
パーティーが始まると、グイドは来場したドーラをみつけますが、ロドルフォとどこかへ行ってしまいます。
フロントにはベルリンから帰国命令のあった、レッシングがチェックアウトしています。
彼はグイドを最高の給仕と褒めます。そして、最後の問題に“名前を呼ぶと消えてしまう、私は誰?”と言い残してホテルを去ります。
ドーラのテーブルに“こんにちは、お姫様”と書かれたケーキが運ばれ、彼女はあたりを見渡しグイドを探しますが、ダンスタイムがはじまり一曲終わると、ロドルフォはドーラと結婚すると来賓たちに発表します。
グイドはショックで失敗を繰り返しますが、ドーラがいるテーブルでお菓子をこぼし、テーブルの下にもぐると、ドーラももぐるとグイドに「連れ去って」と言ってキスをします。
グイドはジオの白馬に乗って、ドーラのところに行き彼女を乗せて、パーティー会場から連れ去り、駆け落ちする形でグイドの恋は実り2人は結ばれました。
映画『ライフ・イズ・ビューティフル』の感想と評価
『ライフ・イズ・ビューティフル』では前半、イタリアの独裁者ムッソリーニの啓発ポスターが登場し、戦争の影が忍び寄っていることを伝えています。
ところがグイドのへこたれない恋心がコミカルで、その不穏さを一掃させていました。
日本人から見たイタリア人は、陽気で明るく大らか、愛情表現もストレートで情熱的なイメージがあります。グイドからはイタリア人の明るい民族性が感じられました。
ところがグイドは実際、“ユダヤ人”でした。小学校で「イタリア人の優秀さ」をスピーチするシーンはまさに魂はイタリア人?やや、皮肉も込められていたかもしれませんが、その特徴は伝えていたと感じます。
“ホロコースト”を題材にした映画は多くありますが、本作にはジョズエのように幼すぎて、その意味がわからないように、日本人の私たちも理解に及ばない“恐怖”と“悲しみ”を教えてくれます。
軍医が出した“なぞなぞ”が示していることとは?
ホテルの常連客だった、ドイツ人軍医のレッシングが、グイドに出したなぞなぞは3つあります。そこにはドイツ人の「ゲルマン民族の優秀性」を誇示した意味も見いだせます。
「広がれば広がるほど見えなくなるものは何か?」答えは“暗闇”ですが、ナチスドイツによるユダヤ人排除の暗闇が、広がっていると示唆することができます。
「私の名前を呼ぶと、その時に私はいない。私は誰か?」答えは“沈黙”です。声をだしたとたん沈黙は破られるという意味ですが、ユダヤ人はナチスによって黙らされる……とも取れませんか?
そして、最後の「デブで、醜くて、黄色。グワァグワァと鳴き、歩きながらウンチをする」これには答えがでてきません。したがってさまざまな解釈がされてきました。
戦争によってレッシングは精神に異常をきたし、さらになぞなぞに執着するようになった。や、この問題自体がユダヤ人を馬鹿にした表現で、グイドを助ける気などなかったという解釈がありました。
先の2問のなぞなぞの解釈が正しければ、レッシングは平時ではグイドに親しみを表わしていましたが、そもそも皮肉を込めたなぞなぞで、ドイツ人たる自分が優位だと思っていたと考えられます。
また、レッシングが戦況を知っていたとすれば、あのなぞなぞは「どの道、ユダヤ人は助からない」という最期通告を意味し、彼は最初から最後までナチズムだったと思えました。
「ヴェネチアで会おう」そこにあるものとは
グイドが脱走を試みる時、同室の捕虜に「ヴェネチアで会おう」と言います。ヨーロッパ各国にはユダヤ人の強制居住区域があり、イタリアはヴェネチアに“ゲットー(ghetto)”と呼ばれる区域がありました。
つまり、そこに行けばお互い無事が確認できるという意味です。19世紀末にはほとんどのゲットーは消滅していましたが、ヴェネチアはユダヤ人商人が暮すに都合の良い場所で、多くのユダヤ人が暮していたからです。
グイドの故郷はヴェネチアのゲットー地区だったのでしょう。トスカーナに来て解放された気持ちも束の間、戦争は彼の幸せな日々を奪いました。
まとめ
映画『ライフ・イズ・ビューティフル』は、大人になったジョズエが、悲惨で過酷なホロコーストの体験だったはずが、父の深い愛情のおかげで奇跡的な偶然を生み、命を懸けて自分と母に“生きる希望”という宝物を贈った物語でした。
いかに悲惨で過酷な状況であっても、楽しいことを考え続ければ、乗り越えられその先には美しい未来が待っていると、諦めない心の在り方を教えてくれます。
ナチズムの権力から逃れる映画『サウンド・オブ・ミュージック』(1965)も、前半は明るく楽しい日々から、戦争の影が色濃くなり、トラップ一家が歌うことで困難を乗り越えていく物語です。
事実をリアルに見せるよりも、グイドの生き方を通して見た時、戦争やホロコーストの恐ろしさがより一層強く感じ、悲しみがこみ上げてきます。
戦争やホロコーストといった最悪な状況は、映画のように回避するのは奇跡としか言えませんが、日常でおこる苦しみや困難は、ポジティブシンキングで乗り越えられると勇気をくれる作品であり、思想の恐ろしさを痛感させる映画でした。