生まれつきの聴覚障がいがある女性プロボクサーを岸井ゆきのが演じる!
『Playback』(2012)、『君の鳥はうたえる』(2018)などの三宅唱が、聴覚障がいがありながらプロボクサーとしてリングに立った小笠原恵子さんの自伝を原案に、主演に岸井ゆきのを迎えて16ミリフィルムで撮影した人間ドラマ『ケイコ 目を澄ませて』。
岸井ゆきのは、監督の三宅唱と共に撮影の3カ月前からボクシングのトレーニングを積んだといいます。
ジムの会長を三浦友和が演じ、その妻役を仙道敦子が演じています。
映画『ケイコ 目を澄ませて』の作品情報
【日本公開】
2022年公開(日本映画)
【監督】
三宅唱
【原案】
小笠原恵子
【脚本】
三宅唱、酒井雅秋
【撮影】
月永雄太
【キャスト】
岸井ゆきの、三浦誠己、松浦慎一郎、佐藤緋美、中原ナナ、足立智充、清水優、丈太郎、安光隆太郎、渡辺真起子、中村優子、中島ひろ子、仙道敦子、三浦友和
【作品概要】
聴覚障がいがありながらプロボクサーとしてリングに立った小笠原恵子さんの自伝を原案に、三宅唱が岸井ゆきの主演で撮ったヒューマンドラマ。
ボクシングジムの会長に三浦友和、その妻を仙道敦子が演じ、佐藤緋美、中原ナナ、渡辺真起子等が共演。
第72回ベルリン国際映画祭・エンカウンターズ部門に出品された他、各国の映画祭で高い評価を受けています。
映画『ケイコ 目を澄ませて』あらすじとネタバレ
小河ケイコは、 生まれつきの聴覚障がいで、両耳とも聞こえません。
再開発が進む下町の一角にある小さなボクシングジムはそんな彼女を受け入れ、日々鍛錬を重ねたケイコはプロ試験に合格。デビュー戦を勝利で飾り、第2戦を間近に控えていました。
ケイコは毎朝暗いうちに起き、10kmのロードワークをこなします。昼間はホテルの清掃の仕事をし、その後、ジムに出かけていきます。
弟と一緒に暮らしていますが、弟に対してはいつもつっけんどんな態度をとってしまいます。
試合の日がやってきました。ケイコは何度かパンチをくらいますが、わずかな差で勝利を収めます。
この日は母が試合を観るために田舎から出てきました。母が撮った写真は、ほとんどがブレていたり、床が映っていたりして、母が緊張して見ていたことが伺えました。
母と並んで踏切が開くのを待っている際、母は「いつまで続けるつもりなの?プロになれたことでもう十分すごいよ」と声をかけてきました。
言葉にできない想いがケイコの心の中に溜まっていきます。
ある日、会長のもとに、スポーツ紙の記者がケイコについて取材にやってきました。
「小河さんは才能がありますか?」と問う記者に会長は「才能はないなぁ。体も小さいし。でも彼女は人間としての性根がいいんですよ」と応えます。
その頃、ケイコはボクシングに対して迷いが生じていました。「一度、お休みしたいです」と書きとめた会長宛ての手紙をジムのポストに入れようとしますが、結局できません。
そんな折、会長の健康を理由にジムが閉鎖されることが発表されました。
トレーナーの林は、ケイコのことを受け入れてくれるジムを探すため、かたっぱしにボクシングジムに電話をかけていました。
会長が動いてくれたこともあり、あるジムから引き受けてもいいと言う返事がありました。
トレーナーと共に、ケイコがそのジムを訪れると、そこは最新の設備が揃った大規模なジムでした。iPadの音声入力を使い、ケイコに話しかける女性トレーナー。
ケイコは、iPadに「家から遠いので難しいです」と書き込みます。トレーナーの松本は「会長が動いてくれたんだぞ」と彼女を叱りますが、結局彼女はこの話を断り、松本を失望させます。
部屋に帰ると弟のガールフレンドのハナが遊びに来ていました。弟に教えてもらった覚えたての手話でケイコに挨拶をするハナ。いつも厳しい表情をしているケイコに笑みがこぼれます。
ケイコはジムで次の試合のための練習に励んでいましたが、会長が倒れたという報せが入ります。
命に別状はありませんでしたが、脳に腫瘍があり容態は芳しくありません。いつかこんな日が来るのではないかと思っていたと妻は語ります。
ある日妻が病室に着くと、既にケイコが見舞いに来ていました。妻はケイコがノートにミットの絵を描いているのを見て、ノートを見せて欲しいと頼みます。
それはケイコが毎日丹念に書きつけているボクシングの練習記録の日誌でした。
映画『ケイコ 目を澄ませて』解説と評価
映画は何かを書き付ける音が聞こえてくるところから始まり、フェードインしてノートにペンを走らせるケイコの横顔のアップ、次いで机に向かっているケイコの全身像に移ります。
部屋の外をパトカーが通る音が聞こえ、ケイコがグラスを取る音、氷をかじる音が響きます。
またジム行けば、縄跳びの音や、ミットに打ち付ける音、床がきしむ音などが響き渡っています。
ケイコにはこの音が聞こえないと考えると、この世界はなんとたくさんの音に溢れているのだろうという思いが湧き上がると共に、これらが聞こえない生活というものを強く意識させられます。
ケイコは朝起きる際、携帯のアラームと共に動き出す扇風機の風によって目を醒します。また、水道がきちんとしまっていなくて、流しから床に水を溢れさせてしまうエピソードが描かれますが、それは皿が水を弾く音が聞こえないので発見が遅れてしまったせいです。
弟との対話は手話で行われ、画面に字幕が出ます。彼女を熱心に指導してくれるトレーナーの松本は、ボードに字を書き彼女とコミュニケーションを取ります。
ケイコがリングに立つ時、ジャッジの声も聞こえなければ、トレーナーたちの声も聞こえません。
トレーナーとは何か合図のようなものを決めてはいるらしいのですが、それも肝心な時に機能するとは限りません。リングの上では彼女は完全に孤独な存在です。
このように、聴覚障がいであるということについての映像やエピソードが丹念に綴られていますが、本作はケイコがろう者だということを主題にしているわけではありません。
ケイコという女性の生き方と(それには勿論、彼女がろう者であることが関係するのですが)、彼女を取り巻く周囲の人々との関係、そして、ゆっくりと姿を変えて行く東京という町の光景を映し出すことが本作の主題なのです。
ケイコは厳しい表情をしていることが多く、ボクシングで相手と闘うだけでなく、常に何かと戦っているという印象を受けます。
ただ、映画は彼女がどういう理由でボクシングを始めたのか、どのような人生を歩んできたのか、また彼女が何に対して怒りを覚えているのかといったことを説明しようとはしません。
これは彼女が話をしないというからではなく(彼女が声を出すのは、ジムの会長夫妻に対して「はい」という小さな声を出す時だけです)、三宅唱監督作品の一つの特徴で、それは長編作品第一作の『やくたたず』から変わらないスタイルだと言えます。
人物の行動にカメラを向け、その行為を切り取り、すくい取ること、その映像の積み重ねから、観る者はスクリーンに映し出される人間を感じること、それが三宅唱の映画なのではないでしょうか。
ケイコの規則正しい生活とボクシングに打ち込む姿を見ていくうちに、彼女が、自身が通う荒川のジムの会長に全幅の信頼を置いているのが伝わってきます。
2人の間に流れる信頼関係は、決して言葉で確かめ合うものではなく、荒川の架橋の下で2人並んでシャドウボクシングをするシーンなどに現れています。
やがてジムが閉じられることになり、ケイコのためにトレーナーが奔走して、受け入れ先を探してくれますが、彼女は「家から遠いので難しい」と最新型のiPadに書き付けてその話を断ってしまいます。
彼女にとってボクシングはとても大切なものですが、あの古い荒川のジムも同じほど大切なものだったのでしょう。
いつも張り詰めた雰囲気のケイコが、就業中、ろう者の友人から声をかけられる時に浮かべる安堵したような微笑みや、ろう者の友人たちとだけでカフェで食事をし、その中で穏やかに座っているケイコの姿をとらえたロングショットが印象に残ります。
弟とは喧嘩腰での会話になってしまいますが、弟のガールフレンドに対しては心を許すケイコ。
3人が外に出て、ボクシングの身振りをしたり、ガールフレンドがHIPHOPなダンスをしているのをカメラを固定して引きで撮っているシーンは観ていて温かい気持ちになります。
この世界は厳しさで溢れていますが、一方で、世界には多くの優しさも存在する。『ケイコ 目を澄ませて』が描く世界はそうした世界なのです。
まとめ
ボクシングシーンだけでなく、1人の女性としてケイコが生きていく姿を、岸井ゆきのは全身で演じ、彼女がこれまで出演した作品とはまったく異なる表情を見せています。
ボクシングに命を懸けているといっても過言ではない彼女でも、怖いと感じ、距離を起きたいと悩む瞬間がある、そうした細やかな感情の機微が見事に表現されています。
会長を演じる三浦友和の包容力豊かないぶし銀の演技にも見惚れてしまいますし、ケイコの弟を演じた佐藤緋美と、そのガールフレンドを演じた中原ナナが、エドモンド・ヨウ監督の『ムーンライト・シャドウ』に続く恋人同士として出演しているのも嬉しくなります。
大手ボクシングジムにケイコたちが訪ねて行った時に渡辺真起子の顔が映った瞬間、その圧倒的な存在感にさすが、と唸ってしまったのは言うまでもありません。
そうした俳優たちと共に、目を奪われるのが、荒川沿いの景色です。ボクシングジム「拳闘会」がある路地に至るには小さな階段をおりなければいけません。
こうした風景は、小津作品や、時代劇に登場する長屋の場所として以前観たことがあるような既視感を覚えます。具体的な作品となると思いつかないのですが、この光景は何か懐かしく、とても大切な風景として記憶されている日本の原風景のようなものです。
ジムは会長の体の衰えが顕著になったことで閉じられてしまいますが、この場所もいつか再開発の対象になっていくのでしょうか。
人間がひとりひとり変わっていくように、町も徐々に姿を変えて行きます。
その光景を忘れず記憶しておこうとするかのように、ケイコがフレームから姿を消したあとも、エンドロールに重なって河川敷から見える電車や街の灯り、複雑に交差した高速道路といった風景が映し出されています。それらのショットがいつまでも続くようにと思わず願ってしまいました。