北陸の小さな街を舞台に、青年が掴む再生のキッカケ
孤独な青年が、新たな生活を始める事になった、名も無き北陸の小さな街。
さまざまな過去を持つ人々が「ささやかな幸せ」をテーマに繰り広げる、人間ドラマを描いた『川っぺりムコリッタ』。
仏教の時間の単位を表す仏語「牟呼栗多」が、タイトルの元になっている本作は「生と死」をテーマにした作品でもあります。
重いテーマを扱いながらも、優しい時間の流れる世界観が、独特の作風に仕上がっている、本作の魅力をご紹介します。
映画『川っぺりムコリッタ』の作品情報
【公開】
2022年公開(日本映画)
【原作・監督・脚本】
荻上直子
【キャスト】
松山ケンイチ、ムロツヨシ、満島ひかり、江口のりこ、黒田大輔、知久寿焼、田根楽子、山野海、北村光授、松島羽那、田中美佐子、柄本佑、薬師丸ひろ子、笹野高史、緒形直人、吉岡秀隆、早咲、矢野浩之、南條早紀、小西広一、谷井美夫、松島雄二、竹内笑愛、中川清明、蒲原弓子、舛田亮太、石黒史隆
【作品概要】
刑務所から出所し、名も無き北陸の小さな街で、新たな生活を始めることになった、孤独な青年の山田。
山田が住むことになった「ハイツムコリッタ」の住人達との交流を通して「ささやかな幸せとは?」を問いかける人間ドラマ。
『かもめ食堂』(2006)の荻上直子が、自身の原作小説を、自ら監督と脚本を手掛け映像化。
主役の山田を『デスノート』(2006)のL役でブレイクし、さまざまな映像作品で活躍する、実力派俳優の松山ケンイチが演じます。
山田の隣人島田を、幅広い演技に定評がある、個性派俳優のムロツヨシが演じる他、共演の満島ひかり、吉岡秀隆、緒形直人が、小さな街の住人を演じています。
映画『川っぺりムコリッタ』のあらすじとネタバレ
刑務所から出所後、北陸の小さな街で新たな生活を送ることになった山田。
小さな塩辛工場の社長、沢田に迎えられ、工場で働くことになった山田ですが、沢田の熱血な性格が合わず、少し距離を置きます。
山田は沢田の紹介で、築50年の安アパート「ハイツムコリッタ」で暮らし始めます。
大家の南詩織は、明るく山田を迎え入れてくれますが、出来る限り人と関わりたくない山田は、南とも距離を置きます。
そこへ、隣の住人島田が突然「給湯器が壊れたから、風呂を貸してほしい」と訪ねて来ますが、山田は強引に追い出します。
仕事を始めたばかりで、生活費に余裕の無い山田は、家で寝転がって過ごしていました。
ある日、山田の部屋のポストに封筒が届き、封筒の中身を見た山田は驚愕します。
それは、山田が4歳の時に生き別れた、父親の死亡を告げる通知書でした。
映画『川っぺりムコリッタ』感想と評価
小さな古いアパート「ハイツムコリッタ」に住む、孤独な青年山田と、住人達の人間ドラマを描いた『川っぺりムコリッタ』。
「ハイツムコリッタ」には、美人のシングルマザー南、墓石の営業をしている、少し不気味な雰囲気を持つ溝口、おそろしく図々しい男の島田と、個性的な住人が住んでいます。
北陸の小さな街を舞台にした本作は、美しい景色と、作中に流れるゆっくりとした時間に心地よさを感じ、個性的な住人のユーモラスなやりとりが楽しい作品です。
ですが、本作は「生と死」という、人間が逃れることの出来ない「運命」とも呼べるテーマに向き合っています。
タイトルにある「ムコリッタ」は聞き慣れない言葉ですが、仏教用語の「牟呼栗多」が由来になっており、仏典に記載された時間の単位で、1/30日、約48分を意味しています。
そして本作では、人生における48分の重要性を問いかけており、生きるということを「食事」を通じて表現しています。
冒頭、刑務所から出所し「ハイツムコリッタ」に住み始めた山田は、人目を避けるように部屋に閉じこもり、インスタント食品だけを食べています。
出所したばかりで、まだ所持金が少ない山田は、まともな食事をすることも出来ません。
その山田を救うのが、隣人の島田です。
自称「ミニマリスト」の島田は、結局は無職なのですが、自家菜園で育てた野菜を食べて生き延びています。
島田は、半ば強引に山田に育てた野菜を渡すのですが、ここで山田は凄い勢いで野菜を食べ始めます。
作品を通して、初めて山田から「生命力」を感じる場面となっています。
その後、山田のプライベートに土足で上がり込むような、図々しい島田と、山田は食事を共にするようになり、自身の境遇などを語り始めるようになります。
「ハイツムコリッタ」に入居したばかりの時、山田は人間関係を閉ざし、まともな食事をしておらず、死んだも同然の状況でした。
ですが、山田にとって「望まざる客」だった、島田の図々しさが、死んだ状態だった山田を再生に導きます。
特に、山田が大きく変わるのが、溝口の部屋に、島田と共に乗り込む場面。
人を避けていた山田が、人の輪に入って行く、大きな変化を感じる場面ですが、ここでも重要な役割を果たすのが「食事」です。
溝口の部屋へ勝手に上がり込み、すき焼きをご馳走になる島田の図々しさに、当初は呆れていた山田ですが、すき焼きの魅力に勝てず、茶碗と箸を持参して上がり込みます。
その後、南親子も参加し、大勢の人達と食卓を囲む山田から、何となくですが幸せな雰囲気を感じます。
『川っぺりムコリッタ』は、山田が父親の死と向き合い、受け入れるまでの物語でもありますが、「ハイツムコリッタ」の住人達も、大切な誰かを失った人達です。
山田以外の住人達の物語は、詳しくは明かされませんが、何気ない場面や言葉で、それぞれの過去は語られます。
特に、普段はマイペースで淡々とした雰囲気の島田が、酔った時だけ塞ぎ込むようになり「ごめんなさい」と繰り返す場面が印象的です。
これだけでも、島田に辛い過去があったのだと分かり、島田の言う「小さな、ささやかな幸せを集めることが大切」という言葉が、その考えにすがらないと生きていけない、島田の辛い心情を現しています。
タイトルの「ムコリッタ」は、約48分を現す仏語ですが『川っぺりムコリッタ』は、辛い48分を重ねた人達が、新たな再生の48分を始める物語です。
作中のセリフ「刹那だ刹那、ろうばくペコリッタ」は、全て仏教用語で時間を現す言葉です。
一瞬の幸せを感じ集めることで、それが長い幸せに繋がっていく、ささやかな幸せを見つけることの大切さを現した、本作の重要なメッセージが込められたセリフです。
生命力を「食事」で、残された者の悲しさを、山田と島田のとぼけたやりとりで表現した本作は、生きることのユーモラスな部分と辛い部分、そして48分の積み重ねの重要性を感じる、いろいろと考えさせられる作品でした。
まとめ
「生と死」がテーマになっている『川っぺりムコリッタ』。
「ハイツムコリッタ」は川沿いにあるのですが、この川の存在が「あの世」と「現世」を隔てている象徴となっています。
川沿いには、豪雨の際に流れてきた廃品が、山積みのようになっており、この山積みになった廃品が、アート作品の様に芸術的に見えますが、どこか悲しさと不気味さを感じます。
この廃品の中に、壊れた電話があるのですが、この電話が「あの世」と「現世」を繋げるような役割を持っており、本作にファンタジーの要素を加えています。
本作のラストで、山田は粉にした父親の遺骨を、川沿いの道を歩きながら撒いていきますが、悩みに悩んだ末の決断で、この地で父親と生きていく山田の覚悟を感じます。
『川っぺりムコリッタ』は、死人同然だった山田の再生、大切な人に旅立たれた残された者の物語、死者との向き合い方など、さまざまな角度から「生と死」を描いた作品です。
時間が止まったかのような世界観で、必死に生きていく人達の姿を、ユーモアを交えて描いた『川っぺりムコリッタ』は、荻上直子監督の手腕が光る作品だと感じました。
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