映画『騙し絵の牙』は2021年3月26日(金)より全国ロードショー公開!
『罪の声』の小説家・塩田武士が人気俳優・大泉洋をイメージし主人公を「あてがき」したという同名小説を、『桐島、部活やめるってよ』の吉田大八監督が映画化した『騙し絵の牙』。
近年の出版不況に苦しむ大手出版社を舞台に、雑誌廃刊の危機に立たされた変わり者の編集長が、あらゆる裏切りや陰謀が渦巻く中で起死回生の大胆な奇策に打って出る姿を描きます。
主人公・速水を原作小説のモデルとなった大泉洋自身が演じている他、共演者には若手実力派からベテランまで豪華「クセモノ」キャスト陣が集結しました。
映画『騙し絵の牙』の作品情報
【公開】
2021年(日本映画)
【原作】
塩田武士『騙し絵の牙』(角川文庫/KADOKAWA刊)
【監督】
吉田大八
【脚本】
楠木一郎、吉田大八
【音楽】
LITE
【キャスト】
大泉洋、松岡茉優、宮沢氷魚、池田エライザ、斎藤工、中村倫也、坪倉由幸、和田聰宏、石橋けい、森優作、後藤剛範、中野英樹、赤間麻里子、山本學、佐野史郎、リリー・フランキー、塚本晋也、國村隼、木村佳乃、小林聡美、佐藤浩市
【作品概要】
『罪の声』の小説家・塩田武士が俳優・大泉洋をイメージし主人公を「あてがき」したという同名原作小説を、大泉を主演に映画化。監督は『紙の月』『桐島、部活やめるってよ』などで知られる吉田大八。
キャストには大泉洋をはじめ、松岡茉優、宮沢氷魚、池田エライザ、中村倫也、佐野史郎、木村佳乃、和田聰宏、坪倉由幸、斎藤工、塚本晋也、リリー・フランキー、小林聡美、國村隼、佐藤浩市など実力派キャスト陣が幅広く出演している。
映画『騙し絵の牙』のあらすじとネタバレ
出版不況に苦しむ大手出版社「薫風社」の社長・伊庭が亡くなり、社内では伊庭の実子・惟高の後見人で歴史ある文芸誌「小説薫風」の実権を握る常務・宮藤派、営業からの叩き上げで惟高の異母兄弟と噂される専務・東松派の派閥闘争が激化します。
「小説薫風」の新人編集者・高野恵は、伊庭の葬儀と同日に開催された作家・二階堂大作の40周年記念パーティへと向かうことに。その途中で、薫風社のカルチャー誌「トリニティ」の編集長・速水輝と遭遇します。
パーティ会場で「小説薫風」編集長・江波が二階堂に新作の相談をする中、そこに速水が乱入。薫風社が誇る大御所の二階堂にも歯に衣着せぬ物言いの速水は、二階堂の代表作『射程』の感想を高野に求めます。高野は戸惑いつつ「現代の読者の需要にそぐわない」と率直な感想を述べてしまいます。
翌朝、速水は東松に「トリニティ」廃刊の可能性を伝えられます。「今は仕込みの最中」とだけ東松に答えた後、速水は「トリニティ」編集部会議で雑誌構成のマンネリ化を指摘。リニューアルに向けての「太い連載企画」を求めます。
一方、高野は「小説薫風」新人賞の編集部選考会議で、自身が「面白い」と感じた作家・矢代聖の応募作『バイバイと言うとちょっと死ぬ』に誰も票を入れない状況に意見します。しかし選考の事情と「品格」を語る江波に一蹴されます。
やがて、役員会議を経て東松が社長に。その背後で東松は、大手外資系ファンドの郡司や先代社長の後妻・綾子らと、独自の物流ルート創設を含む薫風社の抜本的改革「プロジェクトKIBA」の始動を計画します。
改革の手始めに、東松は社の「看板」ながら赤字が続く月刊誌「小説薫風」の季刊化を断行。宮藤や派閥に属す江波が動揺する中、それを聞いた二階堂はメディアで東松の方針への批判を喧伝します。対する東松は「タヌキ、黙らせろよ」と速水に命じます。
その頃、高野は江波に「小説薫風」編集部からの異動を言い渡されます。それはパーティでの二階堂への発言が原因でしたが、江波は本当の理由を答えはしませんでした。
途方に暮れる高野は、実家「高野書店」へと帰宅。小さな町の本屋である高野書店を長年営んできた父・民生は、本を買いに店へ訪ねてくれる人々を何よりも大切にしていました。
そこに突然、速水が姿を現します。そして愚痴る高野に対し、速水は「トリニティ」編集部で働かないかと誘います。
高野は「トリニティ」編集部で仕事をすることに。しかしその編集部会議にて、速水が「太い連載企画」の一つとして提案した「二階堂の新連載」に驚かされます。
速水属する東松派と敵対する二階堂の説得方法を聞かされないまま、交渉の場であるレストランにひとり待たされる高野。やがて二階堂が現れますが、彼は「東松が謝罪したがっている」と言われたからここに来たと語ります。すぐに二階堂は去ろうとしますが、パーティでの一件を謝罪した高野に免じその場に残ります。
二階堂・高野ふたりきりでの会食。ワインと「時間」の価値を語る二階堂に付き合ううちにすっかり酔った高野は、謝罪は「断片的にしか意見できなかった失礼」に対してだったこと、二階堂の持論を認めた上で、改めて現在の読者の需要に応える意味を指摘します。
二階堂は「シャレの効いた謝罪」と笑いながらも、新たに注がれたワインを味わいます。しかしワインを注いでいたのは、ギャルソンではなく速水。また階堂が舌鼓を打ったワインは「高級」でも「特別」でもない「安物」でした。
恥をかいた二階堂に、速水はさらに『射程』の高額な取材費と芳しくない売上を語ります。そして怒りに震える二階堂に「今面白いものが欲しい」「出版社のパワーゲームに巻き込まれるな」と諭し、ある企画書を見せます。その内容に二階堂は思わず怒りを忘れ、驚きます。
速水の「勝負」に乗った二階堂は東松への攻撃をやめ、協力姿勢をとるように。二階堂を掌握した速水は、次に「新人作家・矢代の新連載」を提案。彼は二階堂の説得後、泥酔した高野が落とした矢代の原稿を偶然拾い、その価値に目をつけたのです。
さらに速水は人気モデル・城島咲を訪問。銃が好きな咲が別名義で小説を書いていたと気づき、その上で「トリニティ」での小説連載を打診しに来た速水は、巧みな話術で彼女を説得します。
一方、高野書店へ大ヒット小説『おかえり、クリスタ・マコーリフ(おかクリ)』を買いに来た女子高生と偶然会ったことで、高野は著者であり謎多き作家・神座詠一(カムクラエイイチ)に興味を持ちます。
神座は自作の改稿をせず、エンピツ(編集者/校正者によるゲラ原稿への指摘・修正箇所の書き込み)も拒む作家でしたが、『おかクリ』だけは何度も改稿作業を行なっていました。しかし長期の執筆により神座は倒れ、痺れを切らした薫風社は改稿中の『おかクリ』を無理矢理出版。小説は大ヒットしましたが、裏切られた神座はその後失踪したのです。
神座は今どこにいるのか。高野は社内に保管されていた『おかクリ』の全原稿を徹底的に読み、神座が小説執筆のためセスナの免許を取得したと思われる、国内の飛行場を特定します。そこで彼女は神座らしき男を見つけますが、セスナで逃げられてしまいます。
「あの城島咲も連載する」を売り文句に様々な著名人の連載企画を次々に進める中で、「トリニティ」編集部に今まで音信不通だったはずの矢代が現れます。
社内で騒ぎになる程のイケメンだった矢代は、咲と組み「トリニティ」のPR活動に携わるように。速水による矢代・咲の熱愛報道の工作も加わり、二人の知名度は高まり続けます。
ある晩、矢代との撮影を終え自宅マンションへ帰宅した咲は、刃物を持った男に襲撃されます。男は、ネット上で長い間咲に付きまとっていたストーカーでした。
映画『騙し絵の牙』の感想と評価
人々が「面白い物語」を求める理由
「物語」という存在は、多くの人々に愛され、求められています。
「物語」とは、時の流れの中でただ始まり、そして終わり続ける「何か」に対し、意味や価値を与える方法です。だからこそ人々の多くは、なぜ始まり、なぜ終わるのかわからない「人生」を物語で読み解こうとする。無意味で無価値かもしれない自らの人生を、意味と価値があるものにしようと物語を欲するのです。
そして、物語が生み出す意味や価値への最大級の褒め言葉こそが「面白い」であり、あらゆる人生をいとも簡単に輝かせたり台無しにしたりする最高で最悪な呪文であり、映画『騙し絵の牙』にて大泉洋演じる主人公・速水の人生を支配し、彼を突き動かすものなのです。
物語を「編集」する者の業をうつし出す
映画作中にて人気モデル・咲が銃刀法違反で逮捕された際、彼女の小説が掲載されたリニューアル新装刊号の内容差し替えが社内で検討される中で、速水は「咲の『物語』を作ることができる」と判断し、敢えて差し替えずに新装刊号を発行させるよう周囲を説得します。
その一連の場面からは、速水という人間が「面白い物語」こそ人々が愛し欲するものだと信じていること、「物語」の力を信じていることが窺えます。しかしその一方で、周囲が反対する中でも「面白い」の一言のもと「物語」を作り出そうとする彼の業の深さも見逃せません。
速水はカルチャー誌「トリニティ」をはじめ多数の雑誌の編集長を務めてきた人間であり、「編集者」という仕事で生き残ってきた人間です。また「編集」という、あらゆる素材を何らかの関連に基づいて取捨選択し、構成し、配置し、調整する行為はまさに「物語」を作り出す行為そのものであることからも、彼は物語なくしては生きてこれなかった人間でもあるのです。
速水がいかにして物語を作り出す「編集」に取り憑かれ、最早それ以外のことができなくなってしまった「根がフリー」とは程遠い人間と化したのかは、映画作中では描かれていません。
しかし刑務所の面会室にて、「書くことが生きること」と評した咲に「僕は、書かせるしかない人間だから」「多分、滅茶苦茶面白いです」と語る速水の姿には、「物語」という名の監獄に自らの人生を囚われ、真実と虚構の境界を見失ってもなお物語の力を信じ続ける人間の空虚さ、そして目を背けられない程の魅力が凝縮されているのです。
まとめ
物語に自らの人生を囚われ、それでも物語の力を信じ続ける速水。一方で映画『騙し絵の牙』のもう一人の主人公である高野は、「カタリ(語り/騙り)」によって凌駕。無理矢理に作り上げられた「面白い物語」では異なる「本当に面白い物語」を求める人々、何よりも自分自身の人生のために生きることを選択します。
しかしながら、「面白い物語」の編集に偏執する速水と「本当に面白い物語」のために生きようとする高野の差は、ほんのわずかに過ぎません。
東松が人生を賭けた「プロジェクトKIBA」が呆気なく瓦解したように、現代のあまりにも膨大で巨大な時間の流れによって、高野がいつか速水のような人間と化す可能性は誰にも否定できません。高野が自身を「カタリ」に巻き込んだ速水に対し、目には目をとばかりに同じく「カタリ」によって凌駕したことからもそれは窺えます。
そして、「物語において『本当』は成り立つのか?」という疑念を拭い去れない以上、高野が自らの人生を賭けた「本当に面白い物語」が跡形もなく消え去る可能性も存在します。
多くの人々に愛され、求められ続ける物語。
しかしながら、本当に物語は人々に愛され、求められるべきものなのか。本当に物語は、人々の人生に意味と価値を与えてくれるものなのか。そして物語と共に人々を振り回す「面白い」という言葉は、人間を破滅に追い込む悪魔の言葉であり、滅ぼすべき言葉ではないのか。
決して終わることのない「カタリ」を描いた映画『騙し絵の牙』は、大手出版社を舞台にエンタメ業界の光と闇を描いたエンターテインメント作品であると同時に、そうした「物語」と人間の関わりへの疑問と再考を観る者にもたらす作品でもあるのです。