連載コラム「B級映画 ザ・虎の穴ロードショー」第64回
深夜テレビの放送や、レンタルビデオ店で目にする機会があったB級映画たち。現在では、新作・旧作含めたB級映画の数々を、動画配信U-NEXTで鑑賞することも可能です。
そんな気になるB級映画のお宝掘り出し物を、Cinemarcheのシネマダイバーがご紹介する「B級映画 ザ・虎の穴ロードショー」第64回は伝説のカルト映画『まぼろしの市街戦』。
不合理や矛盾に満ちた世界。「世の中こんなもの」と知った顔をして静観を決め込む手もありますが、それを皮肉交じりのユーモアで描くのが風刺というもの。また普通の人々の営みこそが、狂気じみた結果をもたらす例もあります。
では「真の狂気」とは何でしょう?そんな疑問に答える、伝説のカルト映画こそが『まぼろしの市街戦』です。
本作の設定を聞いた瞬間、多くの人が「ヤバい!」「トンデモない!」と叫ぶでしょう。しかしキワどい題材を扱った映画がカルト、今や名作と呼ばれ人々に愛されるには理由があります。
本当はB級と呼ぶと怒られますが、風刺精神に富む娯楽作として見ればジャンル映画の魂を持つ作品です。この映画史に輝くカルト映画を紹介していきましょう。
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CONTENTS
映画『まぼろしの市街戦』の作品情報
【公開】
1966年(フランス映画)
【原題】
Le roi de coeur(英題:KING OF HEARTS)
【監督・脚本】
フィリップ・ド・ブロカ
【キャスト】
アラン・ベイツ、ピエール・ブラッスール、ジュヌヴィエーヴ・ビジョルド、ミシュリーヌ・プレール、フランソワーズ・クリストフ、アドルフォ・チェリ、ジュリアン・ギオマール、ジャン=クロード・ブリアリ、ミシェル・セロー
【作品概要】
『カトマンズの男』(1964)に『リオの男』(1965)など、ジャン=ポール・ベルモンドのコミカルなアクション映画の監督として知られる、フィリップ・ド・ブロカの代表作。
主演は『結婚しない女』(1978)や『ローズ』(1979)のアラン・ベイツ。『1000日のアン』(1969)や『コーマ』(1978)、『戦慄の絆』(1988)のジュヌヴィエーヴ・ビジョルドが印象的なヒロインを演じます。
ジャン=リュック・ゴダール監督の『女は女である』(1961)やエリック・ロメール監督の『クレールの膝』(1970)などに出演のジャン=クロード・ブリアリ、『顔のない眼』(1960)のピエール・ブラッスール、『Mr.レディMr.マダム』(1978)のミシェル・セローなど、フランスの名優たちが共演しています。
映画『まぼろしの市街戦』のあらすじとネタバレ
時計塔の仕掛け人形が動いて、夜12時を告げる鐘を鳴らします。1918年10月の第1次世界大戦末期、解放間近の北フランスのある村のお話です。
その村にはドイツ軍司令部が置かれていましたが、連合軍が迫る中で撤退の準備が行われます。また村に入った敵を吹き飛ばそうと、兵士たちは火薬庫にしたトーチカに爆薬を仕掛け密封していました。
夜12時の鐘の音が響く前に、敵部隊は火薬庫の大爆発で村ごと消えてしまう。ドイツ軍指揮官の会話を聞いた理髪師は、慌てて村長に内容を伝えます。
噂は駆け巡り、村人たちは我先にと逃げだします。理髪師は連合軍のためにスパイ活動をしており、隠した無線通信機で村が爆破されると連絡しますが、その姿を見られてしまいドイツ兵に射殺されました。
彼の報告は、イギリス軍のスコットランド兵部隊に届きました。指揮官のマクビベンブルック大佐(アドルフォ・チェリ)の命令で、キルト(スコットランドのスカート状の伝統衣装)姿の兵士たちは進軍を停止します。
しかし、村にある橋は確保したい……何か手はないかと悩む大佐に、ある将校が提案します。「フランス語を理解する兵士を村に忍び込ませよう」「フランス生まれの伝書鳩係の二等兵、チャールズ・プランピック(アラン・ベイツ)が適任だ」と。
鳩に本を読み聞かせる彼の姿は、どう見ても頼りなさげです。将校に命じられるまま、司令部に出頭したプランピック二等兵。
なぜか彼は、村への潜入任務を志願したことになっていました。フランス語は確かに分かるが、爆薬の解除などできないと主張する彼に、他の兵士は危険にさらせないと言い放つマクビベンブルック大佐。
既に射殺されているとも知らず、理髪師に会い無線報告の意味を確認しろと命じる大佐。プランピックは鳩の入ったカゴを持ち、1人で村に向かいます。
村に入った彼はパトロール中のドイツ兵に見つかりました。追われた彼は装備を捨て逃げまどい、鉄の格子門扉に守られた建物に逃げ込みます。
建物の大部屋には、多くの人たちが収容されていました。ここはどこだと尋ねるプランピックに、2人の男がクローバー公爵(ジャン=クロード・ブリアリ)とデイジー司教(ジュリアン・ギオマール)と名乗りました。プランピックはやがて、ここが精神病院だと気付きます。
ドイツ兵たちは門扉を破り、病院へ捜索に来ました。患者の服に身を包み、ドイツ兵をごまかすために思わず“ハートの王(キング)”と名乗るプランピック。正気でない連中を相手にしていられぬ、とドイツ兵たちは退散しました。
患者たちは“キング”が現れたと大喜びします。「王様万歳」の声に送られ、村に飛び出すプランピック。しかしドイツ兵が倒した電柱に巻き込まれてしまい気を失いました。
彼が気絶している間にドイツ軍は撤退し、門扉が開いていると気付いた精神病院の患者たちは村に出て行きます。無人となった村の建物に入り、思い思いの衣服を身に着けます。
意識を取り戻したプランピックの前に、村を訪れていたサーカス&移動動物園一座の檻から患者が放した熊が現れます。夢の続きかと疑った彼は医院に入ると服を手に入れ、民間人になりすまし外に出ました。
村は様々な身なりで行き交う、精神病院から出た患者であふれていました。事態に戸惑うプランピックですが、目的の理髪店を見つけて入ります。
店内には患者たちがいます。彼は理髪師のなりをした男マルセル(ミシェル・セロー)に暗号を言いますが、まともな返事はありません。
無線の言葉の意味を訊ねて変人扱いされるプランピック。情報は得られず、自分で爆弾を探しに外に出ます。
サーカス会場では将軍姿の男が、チンパンジーとチェスをしています。ゼラニウム将軍(ピエール・ブラッスール)と名乗るその男に訊ねても情報は得られず、任務が果たせず声を荒げるプランピック。
精神病院に戻った彼は、村にいる人々はここを抜け出た患者だと悟ります。彼らが探し求めるキングとは、自分が思わず叫んだ“ハートの王”と気付きます。自分は馬鹿どものキングだとプランピックは大笑いしました。
事態を報告しようと彼は伝書鳩の元に向かいます。爆発物が仕掛けられたのはこの村ではない模様、住人は変人ばかり、熊とライオンを見た……と体験を忠実に文章にします。
支離滅裂な文章を鳩に付けて放つプランピック。追伸で火薬庫は消えたと記し、もう一羽の鳩に付け飛び立たせました。
追伸文を付けた鳩はドイツ兵に撃ち落とされました。「火薬庫が消えた」との内容を読み、村に偵察部隊を派遣するドイツ軍。
一方イギリス軍には最初の鳩が到着します。意味を成さぬ文章を読んだマクビベンブルック大佐は、プランピックがおかしくなったと判断すると、実に間抜けな3人の兵士を斥候として派遣しました。
時計塔が午前11時の鐘を鳴らします。どうしたものかと悩むプランピックは、歌声が聞こえる家に患者たちが集まっていることに気付きます。
彼がその家に入ると艶かしく着飾った女たちがおり、それを目当てに男たちが集まっていました。踊り出す彼らを呆れて見つめるプランピックに気付き、一人の女はエグランティーヌ婦人(ミシュリーヌ・プレール)と名乗ります。
馴れ馴れしく話す婦人に、今は戦争で村は危機に瀕していると説明するプランピック。しかし話が通じる訳もなく、諦めた彼は外に出ようとしました。
そんなプランピックに、戦争というくだらぬ妄想を捨て今を生きろ、大切なのは今だと諭すエグランティーヌ。婦人は娘たちを呼び集めます。
婦人は彼が思わず見つめた娘であり「ひなげし」を意味する名を持つコクリコ(ジュヌヴィエーヴ・ビジョルド)を紹介します。控え目な彼女とプランピックを一室に案内し、愛のゲームの手ほどきをして去るエグランティーヌ。
これからという時に患者の1人が、彼こそ“ハートの王”だと気付きました。患者たちに歓迎されたプランピックは、消防車に乗せられ村を走り回らされます。村にはドイツ軍装甲車が近づいていました。
患者たちはプランピックを椅子に座らせ服を脱がせます。困惑する彼の前にクローバー公爵夫人(フランソワーズ・クリストフ)が現れました。
公爵夫人は老いた患者たちが扮した我が子たちを、キングに謁見させました。王として立派な衣服を着せられたプランピックは、戴冠式まで休憩するよう求められます。
ラクダが曳く馬車に乗せられ、公爵夫人と式場へと向かうプランピック。彼は喜ぶ夫人に話を合わせるしかありません。村を進む馬車を歓声を上げ出迎える患者たち。
プランピックは村はやがて爆破される、皆の命が危ないと公爵夫人に訴えますが、キングは万能と言う彼女は耳を貸しません。そこにドイツ軍の装甲車が現れました。
兵隊が現れたとドイツ軍を歓迎する精神病院の患者たち。状況が理解できぬドイツ兵を乗せた装甲車も、いつの間にかパレードに加えられます。
村に3人のイギリス軍斥候兵が近づいていました。聖堂に到着したパレードをデイジー司教が迎えます。プランピックの戴冠式を喜び騒ぐ患者たちの姿を、呆れて見つめるドイツ兵たち。
玉座に座ったプランピックの前に患者が集いました。娼婦に扮した女たちが讃美歌を歌う中、プランピックは外のドイツ兵が気になります。
しかしコクリコと目を合わせた彼は笑みを漏らします。しかしドイツ兵が火薬庫に向かうと気付き、自分の任務を思い出すプランピック。
王冠がないと気付いた司教は、プランピックに持っていないか尋ねます。「王冠を探す」という口実を得た彼は、患者たちを残し駆け出します。
彼が外に出た時に村に入ったイギリス軍斥候兵は、村の中のドイツ兵に気付きました。ドイツ兵を追ったプランピックは、火薬庫となったトーチカを見つけます。
ドイツ軍が仕掛けた爆破装置は、時計塔につながれていると悟るプランピック。しかしドイツ軍将校に見つかり慌てて逃げ出しました。
駆け出した彼はイギリス軍斥候兵に出会いますが、身を隠すには聖堂に戻るしかありません。患者たちに歓迎され、また茶番劇に付き合わされると悪態をつくプランピック。
それでもコクリコに手を取られて彼は玉座に座り、司教が用意した王冠を被らされます。全く事態が飲み込めない3人のイギリス兵は、ドイツ兵を見て姿を隠します。
ドイツ兵は見当違いの方向を探し始め、イギリス兵は慎重かつ間抜けな動作で進みます。そしてプランピックは“ハートの王”に即位しました。そして「王様万歳」と叫ぶ、様々な扮装の患者たち。
映画『まぼろしの市街戦』の感想と評価
参考映像:『クレージーだよ奇想天外』予告編(1966)
「精神病院から逃げ出た患者たち」……という際どい設定を持つ映画です。そのインパクトに惹かれて鑑賞する方も、正直多いはずでしょう。しかし、映画のトーンは極めて陽性。全編コミカルで誰かを蔑むような笑いはほぼ皆無。最後まで観た方の多くが、ある種の爽快感を覚えるのではないでしょうか。
精神病患者など社会的弱者の視点を通じて、ユーモアを交えつつ社会を風刺する作品は多々あります。日本でも同様のコメディ映画が多数作られており、本作と同じ年に日本で製作・公開された『クレージーだよ奇想天外』(1966)もその一つ。どこが『まぼろしの市街戦』と似てる?という方は、予告編の植木等のセリフにご注目を。本編では更にトンデモないキャラだと紹介しておきます……。
いわゆる「聖なる愚者」「良心的な狂者」の言動を通じ、社会を批判するコメディは多数存在します。第2次世界大戦後、従来の価値観が崩れた西側諸国では、1960年代後半に反権威主義を標榜するアンダーグラウンド文化が盛んになってきます。
アングラなど社会の主流に対抗する文化、いわゆるカウンターカルチャーが盛んな時代でした。あらゆる権威を笑い飛ばす、ナンセンス喜劇もこの時期に世界中で誕生しました。
本作も日本のナンセンス喜劇映画も、1967年に連載が開始された赤塚不二夫の漫画『天才バカボン』なども、この世界的なナンセンス文化のムーブメントの中で捉えることが可能です。そう考えると『まぼろしの市街戦』は、あえて誤解を恐れずに言えば「反戦映画の傑作」と評するより、「当時流行のナンセンス喜劇映画」の1本と受け取るべきかもしれません。
ではなぜナンセンス喜劇映画の1本に過ぎなかった『まぼろしの市街戦』は、カルト映画の映画史に残る作品にまで成長したのでしょうか。その背景を解説しましょう。
公開時フランスでは失敗作扱いされた
ナンセンス喜劇である『まぼろしの市街戦』は、実は豪華な映画です。フランス映画界で既に実績を残した俳優たちが起用されています。
イギリス軍大佐役のアドルフォ・チェリはイタリア人俳優ですが、『007 サンダーボール作戦』(1965)のジェームズ・ボンドの敵役、悪の組織「スペクター」No.2のラルゴを演じた人物として有名でした。
1933年生まれの監督フィリップ・ド・ブロカは、サイレント映画の喜劇王バスター・キートンの流れをくむ(そして後にジャッキー・チェン映画に引き継がれる)、ジャン=ポール・ベルモンドのアクションコメディ映画を手がけ、大きな人気と評価を確立していました。
『まぼろしの市街戦』にも、彼の映画らしいアクロバティックなシーンが登場します。アクション・ナンセンス・笑いに満ちた本作の監督に、彼より相応しい人物が存在するでしょうか。
また映画好きが高じ映画・写真技術を学んだ彼は、兵役年齢に達するとアルジェリア戦争(1954~1962)で軍の映画班に配属されます。そこで戦場の現実を目にした彼は、大きな影響を受けました。
「笑いは時に悲劇的な、人生のドラマに対する最高の防御だ」……のちにそう語っている彼は、兵役を終えるとコミカルな作品を監督し成功を収めます。しかし戦争への批判的な思いは、彼の心に息づいていました。
『リオの男』『カトマンズの男』で得た名声と実績を背景に、『まぼろしの市街戦』を製作・公開したフィリップ・ド・ブロカ。しかし本作はフランスでは批評家に激しく攻撃されます。
興行的にも振るいませんが、これはマーケティングの失敗……ポスターを含め観客に、映画の内容を伝えきれなかった結果と後に分析されています。確かにナンセンスでキワどい題材を、的確に宣伝するのは難しかったでしょう。
さらにアルジェリア戦争、植民地独立戦争というだけでなく、国内の右派・左派支持者の内戦でもある複雑な戦い……この背景は映画『ジャッカルの日』(1973)でも描かれています……の影響がフランス社会を揺るがしていました。
奇しくも本作公開と同じ年、アルジェリア戦争を描いたイタリア映画『アルジェの戦い』(1966)がヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞します。
しかし映画祭での上映時、内容に抗議した多くのフランス人関係者が退席します。一方で支持を表明したのはジャン=リュック・ゴダール、フランソワ・トリュフォーに哲学者のサルトル……アルジェリア戦争がフランスを二分する問題だったと理解できるでしょう。
この状況下で第1次世界大戦のお話とはいえ、戦争をナンセンス喜劇として映画化し成功を収めるのは困難、と言わざるをえません。本作はフィリップ・ド・ブロカ監督の将来が危ぶまれる程の大失敗作、と評されました。
アメリカで、そして世界で支持されカルト映画化
しかし、本作が1967年アメリカで公開されると評価は一転します。ベトナム戦争が激化する中、カウンターカルチャーが力を持ち始めていたアメリカで、本作は愛と反戦を描く、まさに“ラブ&ピース”を体現した映画と評判になります。
青年観客層に支持された本作はアメリカではロングランを記録、レイトショーで繰り返し上映されるミッドナイトムービーの初期作品の1つとなり、カルト映画化して人気を高めました。
その後『キャッチ22』(1970)や『M★A★S★H マッシュ』(1970)など、戦争を愚行としてシニカルに描くコメディ映画が続々誕生するアメリカ。ベトナム戦争の泥沼化が背景にありますが、『まぼろしの市街戦』が呼び水のなったことも確かです。
『まぼろしの市街戦』に007シリーズの名悪役アドルフォ・チェリが出演と紹介しましたが、同時期に作られたナンセンス喜劇映画を代表する作品に、同じ007をパロディ化した『007 カジノ・ロワイヤル』(1967)があります。
豪華キャストに豪華監督まで集め、当時規格外の製作費を投入した製作環境そのものがナンセンスな『~カジノ・ロワイヤル』は、ナンセンス文化ブームに乗って成功を収めます。
同様に豪華なナンセンス喜劇映画のエロティック・コメディ『キャンディ』(1968)も大ヒット、しかしラクエル・ウェルチ主演の『マイラ』(1970)は業界・批評家から散々に叩かれ興行的にも大コケ、歴史的失敗作の1つとされました。
ナンセンス表現の過激化は、やがてそれに反発する層を生み出ます。またカウンターカルチャーの過激化は幻滅を生み、反動から保守的な風潮も生まれ、ナンセンスを「不謹慎な表現」とする攻撃が強まります。
豪華キャストや製作費を馬鹿げたことに使う、これぞナンセンス!といった作品はやがて飽きられます。当時斜陽化していた映画産業は高額な製作費に耐えられず、ナンセンス表現も一般化すると陳腐で平凡なものになり果てました。
こうして当時作られた多くのナンセンス喜劇映画が忘れ去られていきます。テーマ性が高い作品、独創的表現を持つ作品は生き残り再評価されますが、長らくカルト的人気を維持し続けた『まぼろしの市街戦』は例外的存在です。
ナンセンス喜劇映画の多数はストーリーも映像表現も、出演者も色々と詰め込んだ、情報量が多い作品でした。そのカオス感がナンセンス、という訳ですが、情報とは多くが時の流れと共に古びていくものです。
最初に紹介した『クレージーだよ奇想天外』は、公開時に製作した東宝映画の興行新記録を樹立するほどの大ヒットを記録しました。しかし時事ネタを詰め込んだ内容は時の流れに耐えられず、現在ではクレイジーキャッツの映画の中で知名度の低い作品と言えるでしょう。もっとも当時の空気を知るのに最適の映画、として皆様に『クレージーだよ奇想天外』をお薦めさせて下さい。
対して『まぼろしの市街戦』は実にシンプルな、童話的ストーリーを持つ作品です。おかげで作品の持つメッセージは時代と国境を越え伝わったのです。フランス本国でも時と共に、本作は理解され受け入れられました。
シンプルであることこそ、最も優れたメッセージです。本作を優れた反戦映画と語る際にも、キワどい設定を与えられながらも、寓話的物語として描かれた意味を忘れてはいけません。
まとめ
ナンセンスな描写を通じ戦争の馬鹿らしさを、おとぎ話のように描いた『まぼろしの市街戦』は、時代を越えカルト的人気を獲得し続けました。フィリップ・ド・ブロカ監督の大失敗と呼ばれた本作は、今や彼の代表作となりました。
60年代後半以降に世界中でナンセンス描写がもてはやされ、70年代に入ると不謹慎と叩かれ衰退した様を振り返ると、表現の自由とは何か、それを不謹慎・不適切と規制する風潮の正体は何なのか、と考えさせられます。そんな時代の荒波に耐え、今も多くの人に愛される映画『まぼろしの市街戦』の価値を本記事では解説させていただきました。
さて、大作戦争映画『遠すぎた橋』(1977)には、ショーン・コネリー率いる降下したイギリス軍空挺部隊の前に、空爆で破壊された精神病院から逃げ出した患者たちが現れるシーンがあります。これは映画が描いた第2次世界大戦の激戦、“マーケット・ガーデン作戦”の際に実際に起きたエピソードです。
精神病院の患者が現れようが、戦争は続きます。不謹慎と批判されそうな映画『まぼろしの市街戦』より、現実の方がはるかにナンセンスだと指摘しておきましょう。
ちなみに『まぼろしの市街戦』には、冒頭にドイツ軍の一兵士“アドルフ・ヒトラー伍長”役でフィリップ・ド・ブロカ監督が出演、『遠すぎた橋』のリチャード・アッテンボロー監督は、このシーンの精神病患者役で出演しています。戦争の馬鹿馬鹿しさを描く映画を撮った監督たちの、ちょっとしたイタズラ心として覚えて下さい。
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