フジテレビ最大の大ヒット刑事ドラマ、シリーズ最終作へ続く劇場版第3弾!
フジテレビ最大の大ヒット刑事ドラマ『踊る大捜査線』。ドラマ放送後も全4作の劇場版作品のほか多くのスピンオフ作品も製作され、2024年10月には《踊る》プロジェクトの再始動作として新たなスピンオフ作品『室井慎次 敗れざる者』が公開を迎えました。
『踊る大捜査線 THE MOVIE3 ヤツらを解放せよ!』は、今なお多くのファンを持つ本シリーズの劇場版第3作であり、シリーズ最終作『踊る大捜査線 THE FINAL 新たなる希望』に続く《前章》といえる作品です。
本記事では、巷で見受けられる本作が「ひどい」と言われる理由、多くの人々が気になった映画ラストでの描写を考察・解説。
本編のネタバレ言及とともに、事件の実行犯の一人・圭一と対面した主人公・青島が口にした「君、どこかで」のセリフの意味、室井が青島との別れ際に呟いた言葉の意味について探っていきます。
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CONTENTS
映画『踊る大捜査線 THE MOVIE3 ヤツらを解放せよ!』の作品情報
【公開】
2010年(日本映画)
【製作】
亀山千広、永田芳男
【監督】
本広克行
【脚本】
君塚良一
【音楽】
菅野祐悟、松本晃彦
【キャスト】
織田裕二、深津絵里、ユースケ・サンタマリア、内田有紀、伊藤淳史、甲本雅裕、遠山俊也、佐戸井けん太、小林すすむ、北村総一朗、斉藤暁、小野武彦、寺島進、高杉亘、松重豊、ムロツヨシ、伊集院光、稲垣吾郎、岡村隆史、森廉、小泉孝太郎、小木茂光、小栗旬、小泉今日子、柳葉敏郎
【作品概要】
フジテレビ最大の大ヒット刑事ドラマであり、劇場版第2作『踊る大捜査線 THE MOVIE 2 レインボーブリッジを封鎖せよ!』(2003)は実写邦画の歴代興行収入第1位という大記録を打ち当てた「踊る大捜査線」シリーズの劇場版第3作。
警察組織が抱える矛盾を突きつけられながらも、所轄警察署・湾岸署の刑事として事件を追い続ける主人公・青島俊作が、湾岸署の新庁舎への引越しを機に巻き起こる大事件と、その影にある《過去の因縁》との対決を描く。
主人公・青島を演じる織田裕二をはじめ、深津絵里、ユースケ・サンタマリア、柳葉敏郎らシリーズのレギュラーキャストが続投。
また、いかりや長介の名演で知られるベテラン刑事・和久平八郎の甥にあたる新人刑事・伸次郎役を伊藤淳史が、本庁(警視庁)から派遣された管理補佐官であり、シリーズ最終作『踊る大捜査線 THE FINAL 新たなる希望』のキーパーソンとなる鳥飼誠一役を小栗旬が演じた。
映画『踊る大捜査線 THE MOVIE3 ヤツらを解放せよ!』のあらすじ
湾岸署管内で起きた、最悪の連続猟奇殺人事件から7年。管内に空港や高速道路、変電所などを抱える湾岸署はテロ対策のため、高度なセキュリティシステムを導入した新湾岸署への引越しが決まった。
刑事課強行犯係の係長に昇進した青島は「引越し対策会議」の本部長に任命され、3日間をかけての引越し作業の指揮を執っていた。
しかし引越し作業の最中、銀行での金庫破り事件やバスジャック事件が発生。両事件ともに一切の金銭的被害はなく、青島は同一犯の可能性を疑う。
さらに湾岸署から何者かによる3丁の拳銃が盗まれ、盗まれた拳銃を使用した射殺事件まで起きる。湾岸署には特別捜査本部が設置され、警視庁と所轄をつなぐ管理補佐官・鳥飼とともに青島も捜査に乗り出す。
やがて捜査の結果、犯人へのコンタクトに成功。犯人は「《優れた刑事》青島がかつて逮捕した《優れた犯罪者》9人の釈放」を要求し、応じなければ盗んだ拳銃での無差別殺人を起こすと予告する。
その釈放が要求された犯罪者たちの中には、件の連続猟奇殺人事件の犯人・日向真奈美もいた……。
映画『踊る大捜査線 THE MOVIE3 ヤツらを解放せよ!』の感想と評価
『OD2』メガヒット後の7年越しの続編
2003年に公開されて記録樹立のメガヒットとなった劇場版第2作『踊る大捜査線 THE MOVIE 2 レインボーブリッジを封鎖せよ!』(以下『OD2』)から、7年越しのシリーズ続編として2010年に公開された劇場版第3作『踊る大捜査線 THE MOVIE3 ヤツらを解放せよ!』(以下『OD3』)。
係長へと昇進し「上司」となった青島、新庁舎への引越し、湾岸署を去った「和久さん」ことベテラン刑事・和久平八郎の甥・伸次郎をはじめとする新たな刑事課強行犯係のメンバーの加入……。
作中で新たに登場した多くの設定からも見受けられる通り、過去シリーズ作品からの継続作品という方向性ではなく、テーマを再設定し直した上での『新・踊る大捜査線 第1話』のような位置づけとして製作された本作。
しかし、前作によって巨大化したハードルを乗り越えることは容易ではなく、邦画の2010年度興行収入の第3位を記録したものの、興行記録・観客動員数ともに前作の半分以下という厳しい結果となりました。
「踊る大捜査線」シリーズのファンの間でも、あまり評判が芳しくない『OD3』。シリーズの大きな魅力の一つ「キャスト陣の名演」を最も支えていた存在といっても過言ではない和久平八郎役のいかりや長介が『OD2』公開の翌年に逝去し、続投が叶わなかったことなども理由に挙げられますが、その最大の理由は「《総集編》っぽさが強過ぎる」といえます。
シリーズの始まり/劇場版の始まりとの再会
『OD3』にて湾岸署からの拳銃窃盗、そして青島がかつて逮捕した9人の囚人たちの釈放を要求した実行犯のリーダー・須貝圭一は、テレビドラマ版の第1話で初登場した万引き少年の《その後》の姿であることが、作中での「あんまん」をめぐるセリフ、そして逮捕後に再会した青島の「君、どこかで」というセリフで明かされます。
しかし青島の正義感に触れたことで「人のためになる仕事」を志し、精神保健福祉士として関東中央医療刑務所で働くようになった圭一は、そこで出会った劇場版第1作『踊る大捜査線 THE MOVIE』(以下『OD1』)での連続猟奇殺人事件の犯人・日向真奈美の巧妙なマインド・コントロールで精神を蝕まれ、彼女の脱獄計画の手足として操られていました。
「テーマを再設定し直した上での『新・踊る大捜査線 第1話』のような位置づけとして製作しようとしたのに、実行犯と真犯人の正体、過去の犯罪者たちの再登場など、結局過去シリーズ作品から多くを引用した《総集編》じゃないか」……そう受け取ってしまう方も生じるのは、致し方ないのかもしれません。
ではなぜ、批判が生じるリスクも孕んだ選択ながらも、過去シリーズの登場人物を多く登場させ、日向と圭一を物語の中心にまで据えたのか。
そこには、本作の製作のコンセプトが「テーマを再設定し直した上での『新・踊る大捜査線 第1話』のような位置づけの作品」である以上に「シリーズ最終作『踊る大捜査線 THE FINAL 新たなる希望』(以下『ODF』)の前章となる作品」であることが、深く関わっているのかもしれません。
事件を解決しても心は救えない《警察官の限界》
最終章へと突入する前に、過去の因縁=逮捕し解決すれば事件自体は終わるものの、実際は《その後》を生き続けることになる加害者と被害者、あるいは被害者遺族に、青島は改めて対峙しなくてはならない。
そして最終章を描くためには、その前章において《終わりの始まり》を描かなくてはならない……そうした製作陣の意図は、「踊る大捜査線」シリーズの第1作に登場した圭一と、劇場版の第1作に登場した日向の再登場、そして『ODF』のキーパーソン・鳥飼の存在から窺うことができます。
本庁・所轄の調整役としてのスマートでクレバーな面を見せながらも、『ODF』にて詳細が明かされる《被害者遺族》としての過去から、犯罪者を徹底的に憎んでいる鳥飼。自身が経験した哀しみと警察官としての正義感が混ざり、濁ったことで生じた鳥飼の憎悪は、日向から向けられた《世界への憎悪》で一層露わになったことが、『OD3』ラストでは描かれます。
それは奇しくも、「私の死は新しいの世界の始まり」「圭一はまだいるぞ、至るところに」という日向のセリフが、決して的外れな言葉ではないことを証明しています。
また『OD3』で事件の《その後》を生き続ける加害者=圭一と日向に対峙することになった青島は、日向の自殺は阻止したものの、自身の正義感に影響を受け「人のためになる仕事」を志した果てに、悪意で心を歪められた圭一の凶行は止められませんでした。そして圭一が「加害者」であると同時に「被害者」であることは、誰の目にも明らかです。
所轄の警察署に勤める警察官として、日々事件の解決と誠実に向き合っても、多忙さゆえに事件の《その後》までもサポートすることは難しい。そもそも事件を解決しても、それが加害者の心と被害者/被害者遺族の心を救うこととイコールになるわけでもない。
そして、「発生した事件を解決する」という業務の形態を考慮しても、加害者にとっても被害者にとっても《悲劇》となる事件を、未然の防ぐことは非常に難しい……。
シリーズ最終作『ODF』の前章となる『OD3』は、加害者にして被害者の圭一という事件が解決しても心は救われない人間と、鳥飼の憎悪の表面化という絶やすことのできない《世界への悪意》を登場させたことで、「警察官の使命の限界」という大人気シリーズの《終わりの始まり》を描こうとしたのです。
まとめ/《限界の痛感》の先にあるシリーズ最終作
映画ラスト、湾岸署・新庁舎での開署式を後にした室井は、青島に呼び止められた際に「もう捜査はしない」「私のすべきことは政治だ」と口にしますが、それに対して「室井さん、楽しいすか」と尋ねます。
その言葉からは「本庁と所轄が分け隔てなく捜査を行い、より多くの事件を解決し市民を助けられる警察組織」を目指す室井を信じながらも、キャリア官僚とはいえ「一警察官として自身の職務を全うし、事件を解決する」ができなくなる彼を心配する青島の心情が察せます。
そして、事件解決という一警察官としての仕事から離れていく室井への心配の言葉は「事件を解決しても、事件の《その後》はまだ続く」「事件を解決しても、必ずしも事件に関わった人々の心も救えるわけではない」という警察官としての使命の限界を少なからず痛感した、自分自身にも向けたものでもあるかもしれません。
そんな青島に対して、室井はシリーズ名物の秋田弁で「へっちゃまげな(余計なお世話だ/でしゃばるな)」と答えます。
そこには「事件解決という仕事から離れても、お前が言う警察官の使命も、テレビドラマ版・最終話で交わした約束を忘れるつもりはない」という室井の意思だけでなく、自分以上に現場で警察官の使命の限界を感じたであろう青島に「人に余計な心配する前に、自分の使命を全うしろ」という彼なりの気遣いが込められていたといえます。
警察官の世界というよりも、政治家の世界で自身の貫かなくてならない室井と、室井とは異なる形で警察官の使命の限界を痛感した青島。
「警察組織という階級が絶対の社会の中で、信念を貫こうとする警察官たちのドラマ」というシリーズの原点に立ち返りながらも、キャリア官僚と所轄の刑事の両面で警察官の使命の限界を描くことで、シリーズ最終作『ODF』に続く《終わりの始まり》=前章に相応しい作品の完成を試みたのです。
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編集長:河合のびプロフィール
1995年静岡県生まれの詩人。2019年に日本映画大学・理論コースを卒業後、映画情報サイト「Cinemarche」編集部として活動開始。のちに2代目編集長に昇進。
西尾孔志監督『輝け星くず』、青柳拓監督『フジヤマコットントン』、酒井善三監督『カウンセラー』などの公式映画評を寄稿。また映画配給レーベル「Cinemago」宣伝担当として『キック・ミー 怒りのカンザス』『Kfc』のキャッチコピー作成なども精力的に行う。(@youzo_kawai)。