連載コラム「未体験ゾーンの映画たち2022見破録」第6回
映画ファン待望の毎年恒例のイベント、今回で11回目となる「未体験ゾーンの映画たち2022」が今年も開催されました。
傑作・珍作に怪作、心理的に迫る恐怖を描く作品など、様々な作品を上映する「未体験ゾーンの映画たち2022」、今年も全27作品を見破して紹介、古今東西から集結した映画を応援させていただきます。
第6回で紹介するのは歓迎されるべき新しい命が、不安と恐怖を引き起こすホラー映画『マザーズ』。
赤ん坊が誕生する、幸せな夫婦にとっては望ましい出来事のはず。子供を得られないある夫婦が、出産を代理母に依頼します。
しかしそれは穏やかな生活を一変させました。新たな命は母体を害する者でしょうか。果たして、その正体は…。
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CONTENTS
映画『マザーズ』の作品情報
【日本公開】
2022年(デンマーク・スウェーデン映画)
【原題】
Shelley
【監督・脚本・原作】
アリ・アッバシ
【キャスト】
エレン・ドリト・ピーターセン、コスミナ・ストラタン、ピーター・クリストファーソン、ビョルン・アンドレセン
【作品概要】
子を産むことが出来ない夫婦のために、代理母を引き受けたシングルマザーの女性。しかし彼女は胎内の子が成長すると共に、さまざまな異変に襲われます。忍び寄る恐怖を描くマタニティ・ホラー。
監督は『ボーダー 二つの世界』(2018)で、カンヌ国際映画祭・ある視点賞を受賞したアリ・アッバシ。本作はそれ以前の2016年に製作された作品です。
『汚れなき祈り』(2012)にて、カンヌ国際映画祭で女優賞を獲得したコスミナ・ストラタンと、『テルマ』(2017)のエレン・ドリト・ピーターセンの2人の女優がW主演を務めました。
『ベニスに死す』(1971)の美少年役で世界的に注目を集め、『ミッドサマー』(2019)の出演が話題となったビョルン・アンドレセンが共演した作品です。
映画『マザーズ』のあらすじとネタバレ
木々に囲まれた湖。美しい場所ですが、何か不穏な空気が立ち込めていました…。
この地にカスパー(ピーター・クリストファーソン)の運転する車でやって来たエレナ(コスミナ・ストラタン)。
彼女はブカレスト出身で、体調の思わしくないカスパーの妻・ルイス(エレン・ドリト・ピーターセン)を世話するために、住み込みで働く家政婦として雇われました。木々に囲まれ湖に面した家がカスパーとルイス夫妻の住居です。
到着した場所の美しい風景に感激するエレナ。夫妻は人里離れたこの地で、肉を食べず主に自ら栽培した野菜で食をまかなっていました。
資産家らしい夫妻は水道も無い家で、シンプルな生き方を求め自給自足に近い生活をしていたのです。
エレナはその話を事前に聞いていましたが、スマホを充電したいと申し出て、家には電気は無いと聞かされ驚きます。
カスパーは固定電話はある、外部との連絡に自由に使って良いと伝えますが、夫婦の徹底した質素な暮らしに、とまどいを覚えるエレナ。
飼育しているニワトリの世話、夜はロウソクやランプに火をつける……家政婦の仕事内容を聞かされた後は、何もなく手持ち無沙汰な彼女の前にルイスが現れます。カスパーより年上らしいルイスの具合は悪そうです。
翌朝、薪割りを終えたエレナは、ルイスと共に畑で野菜を収穫します。テレビもパソコンも無く、手間と時間がかかる生活が退屈ではないかと問うエレナに、我々は電気から離れた生活をすべきだ、と告げるルイス。
固定電話で故郷のルーマニアの母と話すエレナ。彼女の息子ニクは祖母と暮らしていました。雇い主の奥さんは電気嫌いの変わり者だが、礼儀正しく良い人たちだとエレナは母に話します。
朝になるとニワトリを世話し、車で出勤するカスパーを見送るエレナ。水汲みや湖での洗濯など家事は大変ですが、ルイスと打ち解けていきました。
今は祖母と暮らす息子ニクと住む、広いアパートを手に入れようとデンマークに出稼ぎに来た、と説明するエレナ。彼女はルイスが子供を産めない体だと知ります。
ある日、ルイスをヒーラーのレオ(ビョルン・アンドレセン)が訪ねます。ルイスに手をかざし、スピリチュアルな療法で彼女の体調を改善しようとするレオ。
体のエネルギーバランスが崩れるから病気になる、それを改善するとのレオの説明を、ルイスは信じていました。
カスパーとエレナと食事をした際に、ヒーリング療法の有効性を力説したルイス。エレナはあまり信じていない様子ですが、それを冗談めかして語れるほど親しくなった3人。
ルイスの体調も良くなり、エレナと湖で泳ぐほど2人は仲良くなっていました。ブカレストでアパートを持つのに、息子と離れ2~3年は働かねばならないと話すエレナにルイスはある提案をします。
自分は手術で子供を産めない体になってしまったが、その際卵子を摘出して冷凍保存した。あなたが代理母となって、私たち夫婦の子供を出産してくれないか。
報酬を支払うので、あなたは必要な金を持って9ヶ月後には家族と再会できる。妊娠中は働かなくて良い。
思わぬ提案に即答を避けるエレナ。しかし後日、考え抜いた末に代理母になることを引き受けます。感激して涙を流すルイス。既にカスパーを含めた3人は家族のような間柄になっていました。
こうしてエレナは夫妻の子を宿します。産婦人科医の診察では経過は良好でした。エレナは大事をとって家で休み、家事はルイスが行います。心身も良くなったのか、夫と夜の営みを交わすルイス。
しかしベットのエレナは奇妙な音に気付き、夜の森の中を探しに出ました。そこで彼女は、落ち葉の中に横たわる赤ん坊を見つけます。
それは悪夢でした。エレナは体に不調を感じます。翌朝目覚めた時には、彼女は肌にかゆみを感じていました。
頭痛がちのエレナのために、ルイスはヒーラーのレオを呼びました。レオはエレナに手をかざし、体の中にある悪い物を彼女にイメージさせます。
エレナは黒い犬をイメージし、レオはそれを外に出すように促します。彼の施術に反応し、激しく頭を振り始めたエレナ。
レオのヒーリング療法で、エレナの中の悪いエネルギーが形をとって体から排出された。あなたは彼の施術に激しく反応していた、とルイスはエレナに説明します。
エレナの胎内で育つ赤ん坊を気遣うルイス。エレナは笑ってそれに応じますが、大きくなったお腹に激しい痛みを覚えます。
カスパーとルイス夫妻の家を、友人のサイモンとナンナ夫婦が訪ねて来ました。彼らはエレナが代理母をしている事を知っていました。
エレナも夫妻と友人たちの食事の席に招かれます。ところが友人夫婦の幼い息子が、何を思ったのかエレナのお腹を強く叩きます。
大事には至りませんでした。家を抜け出したエレナが林の中に隠したタバコを吸っていると、目の前に黒い犬が現れます。それがいつの間にか姿を消したと気付くエレナ。
カスパーは父親になる実感がないと友人のサイモンに打ち明け、彼からきっと良い父親になると励まされます。ルイスはナンナに、エレナに問題があると思うか聞きました。意外にも友人が彼女をそのように見ていると知り、ナンナは驚きました。
その夜エレナは部屋の中で小さな声で歌い、何かを語るルイスを目撃します。彼女が誰としゃべっているのか尋ねると、相手はシェリー(Shelley)だと答えるルイス。
彼女の頭には血が流れており、部屋の窓の隙間からもおびただしい血があふれ出します…。
それは悪夢でした。しかし目覚めたエレナは、自分の口元が血で汚れていることに気付きました。
映画『マザーズ』の感想と評価
独特の雰囲気を持つホラー映画です。しかし、この映画何が怖かったのか?恐るべき赤ん坊・シェリー(原題は「Shelley」)の正体はいったい何?、と狐につままれた気分の方もいるはずです。
何か見落としたのか、と不安な気分に襲われた方もいるでしょう。でも、それで良いのです。そんな本作の魅力について解説していきましょう。
本作の監督、アリ・アッバシは1981年にイランのテヘランで生まれ、大学生時代にヨーロッパに移住しました。
その後デンマーク国立映画学校で学び、現在はデンマークを中心に北欧で活躍している人物です。本作を含め彼の作品には、彼ならではの視点が大きく反映しています。
彼はインタビューに対し、自分はホラーやファンタジーなどのジャンル映画のファンでは無いと告白していました。
『マザーズ』がホラーと区分される性格の作品なので、私がホラーやジャンル映画の扱う映画監督と思われるのは理解できる。しかし、実のところ私は違うと説明しています。
「私の『ボーダー 二つの世界』と「ハリーポッター」が、同様のファンタジー映画として扱われる理由は判りません。ですが、私はそう扱われても気にしません」。
なるほど、これもまた独特の雰囲気を持つ映画『ボーダー 二つの世界』をご覧の方であれば、監督の言わんとする事は理解できるでしょう。
ホラーとは現実と異なる世界を描くこと
映画学校在学中、アッバシ監督は自分の製作する映画に、特定のスタイルを与えずにいました。講師や仲間の学生たちは、彼に自分のスタイルを決めるようにアドバイスします。
しかし彼はスタイルを持ちません。やがてそれが彼の作風となり、日々進歩する技術や描くべきテーマの変化に適応した、映画を産み出すようになりました。
「私が最も興味を持っているのは、人間の内面にある風景や営みです。心理学では無くあなたが制御出来ない全てのもの、例えば忘れようと望んでも消えない記憶や、夢などの不合理な行為です」。
そして彼はホラー映画についてこう語りました。「ホラーの気に入っている点は、“もしも世界が現実と異なっていれば?”、との想像させてくれることです。映画作家の私は、現実と異なる出来事を起こすことができます」。
監督は1つのホラー物語を完結させることに関心を抱いていません。人の心を揺さぶる光景を描くのが、彼の映画の特徴です。
恐るべきシェリーの正体を解き明かすことより、赤ん坊を媒体として引き起こされる、様々な怪異や恐怖を描くのが目的の作品、それが本作だと理解しましょう。
よってそれぞれのシーンの解釈は、不穏な光景を目撃した観客の手に委ねられています。妊婦エレナのストレスを描く物語だ、父になるカスパーの不安を描いた物語だ、そう解釈してかまいません。
合理的なストーリーを求める人であれば赤ん坊は電気を嫌う、近代文明へのアンチテーゼ的な存在の、魔物か何かだろうと考えるでしょう。
妊婦に菜食主義志向の強い食事を与えたり、スピリチュアルな世界を重んじ文明的生活を否定する、そんな意識の高い生活志向に対する皮肉、そんな視点で見ることも可能です。
2人の女性の内に秘めた、人間の持つ“悪”が実体化したものが黒い犬であり、シェリーである。以上紹介したような全ての解釈は、それぞれ間違いではありません。
「ストーリーに興味が無いとは言いませんが、実はプロットにあまり興味がありません。『マザーズ』でもプロットをどう展開させるかは、気にせずに製作しました」。
そして監督はこうも語っています。「“悪”は人間の外にあるものではなく、人間の中にしかないものです。“悪”とは、社会的なものなのです」。
全ての女性は“悪”を秘めている
「動物は“悪”ではない。人類がいなければ“悪”は存在しなかった」、と語るアッバシ監督。インタビューで多くの映画もあなたの映画も、“悪”は女性に由来しているのでは、と問われた監督は笑って「全ての女性は“悪”だ」、と答えています。
ここで言う“悪”は、いわゆる罪悪ではありません。子供を欲する欲、守ろうとする母性、その結果盲目的にもなれる強さ。人間の心に由来する“悪”です。
裕福だが野菜食中心の自給自足、そして電気の無い質素な生活を行う、極めて「意識高い系」の女性ルイス。外国人労働者の家政婦エレナとも家族の様に付き合える、知的で良心的な人物です。
しかしそんな彼女が、我が子シェリーを手に入れるためにエレナを死なせます。それを後悔せず、待望の赤ん坊と笑顔で暮らし始めるルイス。私はこのシーンこそが、一番怖いと感じました。
「意識高い系」の女性が我が子を得るために、外国人労働者のエレナを罪の意識を持たずに切り棄てる姿。その実体は格差に基づく、自覚なき行為がもたらす悲劇であり恐怖です。「“悪”とは、社会的なもの」と監督が語る通りの光景です。
「現実の世界では、ルイーズやカスパーのような人々に何も起こらず、彼らは娘を手に入れます。でも映画製作者である私なら、現実とは異なる出来事を起こす力があるのです」。
こう語った監督。本作の恐怖の正体は赤ん坊ではなかったのです。これもまた一つの解釈のとして、受け取って下さい。
まとめ
人間の内なる“悪”を、ホラー映画的恐怖として描いてみせた『マザーズ』。物語に論理的な展開と結末を求める方には、苦手なタイプの映画かもしれません。
しかし『ミッドサマー』に出演したビョルン・アンドレセンが、本作で赤ん坊を見て何かを感じたように、あなたもこの映画を描いた恐怖をそのまま受け止めて下さい。
本作をホラーと判断して良いか迷う方に、アリ・アッバシ監督はこう説明しています。
「私の作品がホラーにジャンルされるのは、観客にしがみつく物を与えるためです。遊園地のアトラクションと同じで、最初に落ちるぞ、と分かっていれば覚悟ができます。人とは、覚悟するのが好きなんです」。
これは何がホラー映画かを説明する際に、適切な定義ではないでしょうか。ジャンル映画離れした内容ながら、確かにホラーである『マザーズ』を楽しんで下さい。
本作では代理母という題材を軸に恐るべき“生”を育む、“性”を描いてみせた監督。ちなみに彼の『ボーダー 二つの世界』では、より複雑で奇妙な“生”と“性”が描かれています。
理論派の映像作家アッバシ監督ですが、ホンネはこのような題材がお気に入りかもしれません。気になった方はぜひ『ボーダー 二つの世界』を見て下さい。ホントに好きなんでしょうね、監督。
次回の「未体験ゾーンの映画たち2022見破録」は…
次回の第7回はかつて自分を凶行に駆り立てた、若き日に遭遇した物の正体は何か? 都市伝説ホラー映画『マーシー・ブラック』を紹介いたします。お楽しみに。
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増田健(映画屋のジョン)プロフィール
1968年生まれ、高校時代は8mmフィルムで映画を制作。大阪芸術大学を卒業後、映画興行会社に就職。多様な劇場に勤務し、念願のマイナー映画の上映にも関わる。
今は映画ライターとして活躍中。タルコフスキーと石井輝男を人生の師と仰ぎ、「B級・ジャンル映画なんでも来い!」「珍作・迷作大歓迎!」がモットーに様々な視点で愛情をもって映画を紹介。(@eigayajohn)