ヴィスコンティの映画『ベニスに死す』(1971)で、一大センセーショナルを巻き起こしたビョルン・アンドレセンの今明かされる栄光と破滅
巨匠ルキノ・ビスコンティに見出され、『ベニスに死す』(1971)でタジオ役を演じ、“世界で一番美しい少年”と称されたビョルン・アンドレセン。
そんな彼が2019年にアリ・アスター監督の『ミッドサマー』に出演して大きな話題となりました。
彼の人生に何があったのか…
2021年は『ベニスに死す』のワールド・プレミアで、ルキノ・ヴィスコンティがビョルン・アンドレセンを“世界で一番美しい少年”と宣言してから50年となる年であり、50年の時を経て明かされるビョルン・アンドレセンの栄光と破滅、“世界で一番美しい少年”と呼ばれることの苦悩。
ビョルン・アンドレセンの人生を変えることになったルキノ・ヴィスコンティと出会い、カンヌ国際映画祭での狂騒、日本へ来日した際のファンの熱狂ぶりなど、なすすべもなく狂乱の渦に巻き込まれていった少年時代、そしてつきまとう苦悩との戦いの日々を豊富なアーカイブ映像で辿ります。
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映画『世界で一番美しい少年』の作品情報
(C)Mantaray Film AB, Sveriges Television AB, ZDF/ARTE, Jonas Gardell Produktion, 2021
【日本公開】
2021年公開(スウェーデン映画)
【原題】
Varldens vackraste pojke
【監督】
クリスティーナ・リンドストロム、クリスティアン・ペトリ
【撮影監督】
エリック・ヴァルステン
【キャスト】
ビョルン・アンドレセン、池田理代子、酒井政利
【作品概要】
ルキノ・ヴィスコンティ監督の『ベニスに死す』(1971)で美しい少年タジオ役を演じ、“世界で一番美しい少年”と称されたビョルン・アンドレセンの50年間に迫ったドキュメンタリー。
ビョルン・アンドレセンは幼少期をスウェーデン、ノルウェイ、デンマークで過ごし、ストックホルムのアドルフ・フレデリックの音楽学校で音楽を学んでいました。俳優デビュー作はロイ・アンダーソン監督の『スウェーディッシュ・ラブ・ストーリー』(1970)。
その後祖母のすすめでオーディションを受け、『ベニスに死す』(1971)でダーク・ボガード演じる主人公グスタフ・フォン・アッシェンバッハが虜になる美しい少年タジオを演じました。
現在、俳優、そしてプロのミュージシャンとして活躍しています。
制作は、ドキュメンタリー映画『イングリット・バーグマン 愛に生きた女優』(2015)を手がけたマンタレイ・フィルム。本作はサンダンス映画祭で上映され話題となリました。
監督を務めたのは、映画監督としてだけでなく、ジャーナリスト、作家としても活躍するクリスティーナ・リンドストロムと同じく映像監督、脚本家、文化ジャーナリストと幅広いジャンルで活躍するクリスティアン・ペトリ。
撮影監督は、ドキュメンタリー作品、テレビ界にて撮影監督として活躍し、『爆弾処理兵 極限の記録』(2017)でアムステルダム・ドキュメンタリー国際映画祭で受賞したエリック・ヴァルステン。
映画『世界で一番美しい少年』あらすじとネタバレ
(C)Mantaray Film AB, Sveriges Television AB, ZDF/ARTE, Jonas Gardell Produktion, 2021
1970年2月。ルキノ・ヴィスコンティ監督がストックホルムにやってきます。
ヴィスコンティは新しい映画『ベニスに死す』のために“純粋な美”を持つ少年を求め、数年間ハンガリー、ポーランド、フィンランド、ロシアなど各国を探し歩いていました。
そんなヴィスコンティの前に、何も知らない15歳の少年がやってきます。ひと目見て確信したヴィスコンティは、裸になるよう指示します。戸惑いながら服を脱ぎ、下着一枚の姿になった少年こそがビョルン・アンドレセンでした。
デンマークの寄宿学校を抜け出し、ストックホルムの母方の祖父母の家に身を寄せていたビョルン・アンドレセン。
彼の母親はある日突然失踪しましたので、祖母の言われるままオーディションを受けました。契約書も祖母が勝手に契約し、自分がオーディションに受かったことがどれほどすごいことなのかわかっていませんでした。
『ベニスに死す』のキャスティングディレクターを務めたマルガリータ・クランツは、「ひと目で分かるほどヴィスコンティの全身が一瞬にして生き返った」と言います。
同時にビョルンの崇高なまでのカリスマ性を称えつつも、あのような子供に細心の注意が必要だと言及していました。
『ベニスに死す』はヴィスコンティにとって重要な作品であり、老いた男と少年の愛は問題だとプロデューサーは思い、少女を起用したがっていたが、“タジオ”でなければならなかったとヴィスコンティは言います。
同性愛者であることを公言していたヴィスコンティでしたが、周りのスタッフも同性愛者が多く、ヴィスコンティは彼らにタジオを見てはならないと命令をしていました。
ビョルンは知らないうちにヴィスコンティの庇護下にあったのです。
ワールドプレミアで、ヴィスコンティはビョルンのことを“世界で一番美しい少年”と語りました。その表現は生涯ビョルンについて回ることになりました。
そして1971年カンヌで『ベニスに死す』が上映され“真の狂乱”が始まりました。
インタビューでヴィスコンティは、「当時は美しかったけれど今は老けたよ、髪も長いし、背も高い」と語ります。ヴィスコンティは3年間美しい役しかやってはならないという契約をし、彼の顔を所有しました。
当時の狂乱についてビョルンは、かなり恐怖を感じたと語っています。当然人々が称賛するようになり、媚びまで売ろうとする姿に戸惑い、自分が本当に好かれている確証が持てなかったと言います。
自分を守る方法も知らずに巻き込まれたビョルンは、カンヌにいた際ビョルンはよく知らないままゲイクラブに行き、人々の欲望に燃えた目、濡れた唇…異様な空間に戸惑い全てを忘れるかのように酒を飲みまくりました。
その後、日本へ旅立ったビョルン。
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映画『世界で一番美しい少年』の感想と評価
(C)Mantaray Film AB, Sveriges Television AB, ZDF/ARTE, Jonas Gardell Produktion, 2021
ルキノ・ビスコンティに見出され、『ベニスに死す』(1971)でタジオ役を演じ、“世界で一番美しい少年”と称されたビョルン・アンドレセン。
オーディションでの彼の様子は本当に何も知らない純粋無垢な顔で、服を脱ぐように指示され戸惑いながらも笑う姿。その姿が印象的なだけに後の彼を取り巻く環境の変化、彼の破滅への道を見ていくと胸が苦しくなります。
『ジュディ 虹の彼方に』(2020)で伝記映画として描かれたジュディ・ガーランドは、子役時代周りの大人によって薬漬けにされ、生涯不眠症、不安神経症、アルコールや薬物の深刻な問題を抱えることになります。
本作でもそのような自分を守る術のない少年が大人によって本人が知らないうちに搾取され、気づけば生涯消えることのない大きな闇を抱えてしまっている残酷さが浮き彫りになっています。
ルキノ・ビスコンティにとってビョルンは映画に必要な存在でした。しかし、彼の人生、彼のその後については誰も考えませんでした。誰も彼のこころのケアはしなかったのです。ビョルンが自身で判断するにはあまりに幼く、無力でした。
現在の彼の恋人や、娘は彼が体験してきたことに対し、怒り、悲しみます。しかし同じ家族であり、ビョルンを守るべき存在であった祖母は、ビョルンが話題になることの方が大事だったのです。
このような搾取は問題視され、現状改善されてきてはいるでしょう。けれども現代においても芸能人をはじめとした人々の搾取、彼らも同じ人間であるという認識が欠け、彼らを消費してしまっている私たちがいるのではないかと考えさせられます。
映画界にはびこる問題を浮き彫りにしている本作ですが、それだけではなくビョルン・アンドレセン自身のパーソナルな闇についても本人が向かい合い、再生していく姿を映し出します。
確かに彼の人生が大きく変わった転換期は『ベニスに死す』に出演したことだったかもしれませんが、それが全ての原因であったわけではありません。幼少期に母が失踪したこと、その真相については触れてはいけないものになっていました。
母の愛も、父の愛も知らずに育ったビョルンには常に暗い影が付き纏い、自身が結婚し、父親となることに対しても不安を感じてしまいます。結果酒に溺れ、ビョルンは娘に寂しい思いをさせてしまいます。
年老いた今、母の失踪について向き合い、過去の弱さから酒に逃げてしまった自分、そして娘と向き合う姿は、“世界で一番美しい少年”ではなく、ビョルン・アンドレセンという一人の人間の姿でした。
まとめ
(C)Mantaray Film AB, Sveriges Television AB, ZDF/ARTE, Jonas Gardell Produktion, 2021
『ベニスに死す』のワールド・プレミアで、ルキノ・ヴィスコンティがビョルン・アンドレセンを“世界で一番美しい少年”と宣言してから50年。
今初めて明かされるビョルン・アンドレセンのルキノ・ヴィスコンティと出会い、カンヌ国際映画祭での狂騒、日本へ来日した際のファンの熱狂ぶりなど、なすすべもなく狂乱の渦に巻き込まれていった少年時代、そしてつきまとう苦悩と自身の抱える闇戦いの日々を豊富なアーカイブ映像で辿ります。
非常にパーソナルな一人の人間の軌跡であり、映画界の子役の搾取を浮き彫りにしたドキュメンタリーでもある映画になっています。