サスペンスの神様の鼓動49
愛情豊かで理想的に見える家族で育った少女ティンヤが、謎の卵を育て始めることで始まる恐怖を描いた映画『ハッチング 孵化』。
「少女が家族に内緒で謎の卵を育てる」という設定がすでに奇妙ですが、卵から生まれた存在や理想的な家族に隠された裏の顔など、ホラー作品ながらも非常にサスペンス色も強い作品です。
監督のハンナ・ベルイホルムは、本作が長編デビュー作でありながら「何とも不安になる世界観」を作り出し、これまで短編作品で高い評価を受けてきた手腕を発揮しています。
今回は『ハッチング 孵化』の持つ「不安になる世界観」の魅力とラストの解釈ネタバレあらすじを含めて考察・解説していきます。
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映画『ハッチング 孵化』のあらすじとネタバレ
フィンランドで暮らす12歳の少女ティンヤ。彼女は仲の良い両親と、少し生意気な弟のマティアスの4人で幸せに暮らしていました。
母親は仲の良い家族の記録を残すため、動画を撮影し編集しています。ところがリビングで家族の撮影を行っていた際、窓から一羽のカラスが入ってきます。
カラスはリビングを荒らし、高価な飾り物やシャンデリアを壊していきます。ティンヤがカラスに毛布をかけて捕らえて母親に渡すと、母親は笑顔でカラスの首を捻りつぶしました。ティンヤはカラスの死骸をゴミ箱に入れます。
やがてティンヤたちの住む家の隣に、レータという同じ年齢の少女が引っ越してきました。レータの飼っている犬をティンヤが撫でようとすると、手を噛まれてしまいます。
次の日、ティンヤはゴミ箱に捨てたはずのカラスの死骸が消えていることに気づきます。近くの森を散策すると、飛ぶことができずに倒れているカラスを発見します。
死んだカラスの近くには、カラスが産んだと思われる卵がありました。ティンヤはその卵を家へ持ち帰り、育て始めます。
体操競技の選手を目指しているティンヤは、初めての大会出場を目指してトレーニングを重ねますがなかなか上手くいきません。そこへ同じジムで体操をやっているレータが現れ、見事な演技を披露。ティンヤは大会出場への危機を感じます。
ティンヤが帰宅すると、テロという男性が壊れたリビングの修理をしていました。テロはティンヤの母親と不倫関係にあり、ティンヤは母親から「テロのことを愛している。お母さんは明日から、しばらく家を留守にする」と言われます。
体操競技。家族。いろいろな不安を抱えたティンヤは、涙を流しながら卵を撫で続けます。すでに巨大になっていた卵にはティンヤの涙が染み込み、卵にヒビが入り始めます。
恐怖を感じたティンヤが卵をクローゼットに隠れて様子を伺うと、巨大な卵からティンヤと同じ大きさのひな鳥が誕生しました。
サスペンスを構築する要素①「とてつもなく不安定な家族」
12歳の少女ティンヤが、謎の卵を育て始めたことで始める恐怖を描いた『ハッチング 孵化』。
「そもそも何故ティンヤは、不気味な卵を育て始めたか?」という疑問が浮かび上がりますが、その答えは表面上だけ幸せそうな家族の存在にあります。
本作はティンヤの母親が自分たちを「幸せな家族」として撮影している場面から始まります。
家族で庭の中を走り回ったり、家族4人が同じソファーに座って母親のカメラに向かって手を振ったりと、一見すると完璧で幸せそうな家族に見えますが、カメラに映し出されるティンヤと母親、弟マティアスと父親はほとんど同じ服装をしています。
部屋全体が明るく、美しい小物があちこちに飾られている内装は、完璧すぎるが故に逆に不自然さや気味悪さを感じます。
その直後に母親がカラスの頭をつぶす場面が提示されるため、ここで観客はこの家の不気味さの原因に気づくでしょう。
「この家は、母親が支配しているんだ」と。またカラスの頭を潰す母親の笑顔によって、その支配は歪な形であると突きつけられるのです。
ティンヤは体操競技をしていますが、それは過去にアイススケートの選手になる夢を叶えられなかった、母親の意思に基づいています。
また劇中、ティンヤは体操教室に通う同じ年齢の女の子にも敬遠されていることからも、子どもの目から見ても彼女の母親の束縛は強いのでしょう。
ただ、ティンヤは母親を嫌いなわけではありません。「母親を嫌いになる」という自由すら与えられていないからです。
そこに現れたのが、カラスが残した謎の卵です。
何もかもが、母親に支配されてきたティンヤの、小さな反抗。それが、「卵を育てる」という展開へとつながります。ティンヤは生まれて初めて「母親の知らない秘密」という自由を手にするために、卵を育てることにしたのです。
サスペンスを構築する要素②「ティンヤの歪んだ愛の象徴アッリ」
母親に支配されているティンヤが、小さな抵抗として育て始める謎の卵。この卵から巨大なひな鳥のアッリが誕生して以降、本作の持つ独特の世界観が加速します。
アッリは醜い見た目で、耳障りな鳴き声を出し、常によだれを垂らしているという可愛さの欠片もないキャラクターです。しかしティンヤは、自身が母親に求めている「母性」をこのアッリへと注いでいきます。
アッリもティンヤの愛に応えようとしているのか、次第にティンヤを苦しめる存在を襲うようになります。
ティンヤの手を噛んだレータの飼い犬、ティンヤから選手の座を奪いそうなレータ、そしてティンヤの母親が、ティンヤには注がなかった愛情を向けるテロの赤ん坊。
劇中のアッリはティンヤの心と同調しているように描かれ、ティンヤの心を乱す存在を次々に襲いますが、それはティンヤ自身が求めていない歪んだ愛の返答でした。
ただ不思議なのが、アッリがティンヤを苦しめる存在を襲う際、一時的にティンヤの意識と体と、シンクロした状態になることです。
アッリはティンヤの涙を吸収して卵から孵化したため、おそらくですが「ティンヤのマイナスの感情」のみに反応するのではないでしょうか?
劇中のティンヤは自分の感情を表に出しませんし、自分の意見もハッキリと言いません。それは母親に全ての自由を奪われた結果なのですが、この抑圧されたティンヤのマイナスの感情が、アッリへの歪んだ愛情に変化。
そうした愛情を注がれたアッリは、ティンヤが起こせない感情の爆発を担う、彼女そっくりの怪物に変化していったのでしょう。
しかし、母親に全てをコントロールされてきたティンヤが、結局アッリを「自分そっくりに育てる」という愛し方しか知らないのも皮肉的な話です。
サスペンスを構築する要素③「衝撃的なラストのその後は?」
卵から孵化したアッリが、ティンヤの歪んだ愛で、どんどんティンヤそっくりに変化していくという、不思議な展開の作品『ハッチング 孵化』。
本作のラストではアッリの存在に気づいた母親が、自身の「幸福」を邪魔したアッリを殺そうとします。ですが、アッリの盾になったティンヤに包丁が刺さり、ティンヤはそのまま亡くなります。それだけでも、かなり衝撃の強いラストですが、さらにアッリが母親を「マッマ」と呼んで映画は終了します。
ティンヤが亡くなる直前、アッリはティンヤの血を大量に飲み、見た目はティンヤそっくりになっています。そのアッリを母親が見つめているのですが、おそらく母親は、今後アッリをティンヤとして育てていくのでしょう。
母親がティンヤに求めていたのはその美しい外見であり、自分のお人形のようにして育てたかっただけなので、正直中身はどうでもいいのです。
凶暴ではあるけれど、何も知らない、何も考えない、自分に逆らわないアッリ。ティンヤの母親からすれば、「理想のティンヤ」となるのです。
逆にティンヤは、「死」と引き換えにアッリと入れ代わることで、母親の支配から解放されたとも読み取れますが、それはあまりにも背筋が寒くなるラストといえます。
映画『ハッチング 孵化』まとめ
『ハッチング 孵化』は、監督のハンナ・ベルイホルムが「歪んだ母娘関係がテーマ」と語っているように、完全にティンヤと母親2人の関係性を中心に描いた映画です。
父親と弟のマティアスも脇役であり、2人が全く同じ服装をしていることからも、母親の作り出した「完璧な世界」の中では、ティンヤ以外は人間として認識されていません。母親の作り出した「完璧な世界」の不気味さは、家の中のデザインに反映されているので、ここも本作の見どころの1つです。
作品の中心となる母親を演じたソフィア・ヘイッキラの演技は素晴らしく、笑顔で鳥の頭を捻りつぶす、心の通っていない母親を「自然な不自然」あるいは「不自然な自然」に演じています。
特に母親がテロにふられた後、何度も車のハンドルに頭をぶつけ、ゆっくりと腕で鼻血を拭う場面。ティンヤの前で「母親」を演じることを辞め、素の表情を見せた唯一の場面であり、とにかく怖いです。
対するティンヤを演じたシーリ・ソラリンナは、1200人のオーディションの中からハンナ・ベルイホルムに見出されました。
優しくも闇を抱えたティンヤを繊細に演じており、1つ間違えると理解不能な世界観になる『ハッチング 孵化』が、絶妙なバランスで成立しているのは、シーリ・ソラリンナの存在感があったからこそです。
近年『アイ、トーニャ 史上最大のスキャンダル』(2017)や『MOTHER マザー』(2020)など、いわゆる「毒親」を描いた作品は多いですが、「同じテーマでもアイデア1つでこんな不思議な作品が生まれる」というのも、『ハッチング 孵化』で感じた映画の面白さでもあります。
次回のサスペンスの神様の鼓動は…
次回も、魅力的な作品をご紹介します。お楽しみに!