連載コラム「偏愛洋画劇場」第15幕
今回の連載はファッションデザイナー、映画監督として活躍するトム・フォードによる映画第2作品目『ノクターナル・アニマルズ』(2016)です。
オースティン・ライトによる小説『ミステリ原稿』を原作とした本作、2つの考察をお伝えします。
CONTENTS
映画『ノクターナル・アニマルズ』のあらすじ
主人公スーザンはアートギャラリーのオーナー。
瀟洒な家に住み、たくさんの美術品に囲まれ、夫ハットンと共に経済的に恵まれているものの心は満たされない日々を送っていました。
ある日彼女の元に離婚した夫エドワードから小説が届きます。
タイトルは『夜の獣たち(ノクターナル・アニマルズ)』。
家族と共に夜のハイウェイを走る主人公トニーはレイという青年たちに襲われ、妻と娘から引き離されてしまいます。
翌日、トニーは地元警察のボビー・アンディーズ警部補と共に彼女たちの行方を捜しますが、2人はレイプされた後に殺されていました。
そんな暴力的な小説の内容に困惑しながらも毎晩読み進めるスーザン。
なぜエドワードは離婚して20年経った今、スーザンに原稿を送り付けてきたのか。
これは愛か復讐か…エドワードとの再会を望むようになるスーザンに訪れる結末とは。
映画『ノクターナル・アニマルズ』キャストと受賞歴
スーザンを演じるのは『ザ・マスター』(2012)『アメリカン・ハッスル』(2013)』に出演、また『ノクターナル・アニマルズ』と同年に日本公開された『メッセージ』(2016)に出演するエイミー・アダムス。
二面性を持つクセある役を演じることが多い『複製された男』(2013)『ナイトクローラー』(2014)のジェイク・ギレンホールがエドワードとトミー役を。
劇中劇でボビー・アンディーズ警部補を演じるのはアカデミー賞作品賞を受賞した『シェイプ・オブ・ウォーター』(2017)での怪演が記憶に新しいマイケル・シャノン。
またハットン役を演じるのは『君の名前で僕を呼んで』(2017)のアーミー・ハマー。
冷酷な青年レイを演じたアーロン・テイラー=ジョンソンは本作でゴールデングローブ賞助演男優賞を受賞しました。
またトム・フォード監督自身もヴェネツィア国際映画祭審査員大賞を受賞しています。
トム・フォード監督からのメッセージ
トム・フォード監督は『ノクターナル・アニマルズ』のインタビューで、本作のメッセージについてこのように仰っています。
「ジェイク・ギレンホールはスーザンの元夫であるエドワードと『夜の獣たち』の主人公トニー2役を演じています。観客は、これはエドワードが自分自身について書いた物語だと気がつくはずです。エドワードがスーザンに会ったのは20年前、スーザンが中絶手術をし、新しく夫となる男ハットンと一緒にいる時。だから(小説の中のトニーの)娘と妻はスーザンにそっくりなのです。
マイケル・シャノンが演じるボビー・アンディーズ警部補は典型的なアメリカン・ヒーローです。「犯人を見つけ、捕まえ、復讐を果たせ」と。これは現実世界のエドワードの「小説を書き、スーザンに送れ、自分を見せつけてやれ」という心の声でもあるのです」
「この物語は人を投げ捨ててはいけないという事を表しています。私たちは現在、何でも簡単に捨ててしまうことのできる世界に住んでいます。全ては消耗品で、人間すらも捨ててしまう。スーザンは外側から見れば自分の理想の人生を手に入れていますが、心は死んでいます。エドワードが送った小説がきっかけでそのことにはっきりと気が付くのです。これが私にとっても重要な、中心のテーマなんです。誰かを大切に思うなら、愛しているなら、簡単に手放してはいけない」
これから提示する2つの考察は、監督が述べたことと異なりますが、ひとつ解釈としてご一読頂けると幸いです。
映像が仕掛けるミスリード
本作で2役を演じるジェイク・ギレンホール。
観客はフォード監督の仰る通り、トニー=エドワード、と解釈します。
しかし、劇中の小説のシーンは、スーザンによる想像なのです。スーザンとエドワードが一緒に暮らしていた頃、エドワードの小説を読んでスーザンはこんな台詞を言い放ちます。
「あなたの小説は、いつも自分のことばかりだわ。」
スーザンの元に届いた『夜の獣たち』に添えられていた手紙には「君がいた頃の小説とは違う」という文章。
スーザンはエドワードに対して若干の優越感を持っていることは明らかです。
自分の方が彼を傷つけたという立場。
満たされないとは言え、夫と豪華な家で暮らす自分とは反対にエドワードはまだ独身(ハットンと「彼はまだ独り身よ」と会話するシーンがあります)。
この伏線を回収すると、『夜の獣たち』はエドワードがスーザンを書いた物語と解釈することができます。
『夜の獣たち』主人公トニーと家族がどこへ向かっているかははっきりと明かされません。
妻と娘が目の前で連れ去られても、何もすることのできないトニー。
「レイをどうして欲しい? 俺は失うものがない。人殺しを野放しには出来ない。」とトニーに尋ね、復讐を代行する警部補。
「娘が俺を悪人と思えば、望んだことをやってやるんだ」」と娘を殺したレイ。
汚い言葉でトニーを罵るレイ。
エドワードとの子を拒否したスーザン、エドワードの心を踏みにじったスーザン、アートギャラリーに甘んじているスーザン、夢を諦めたスーザン。
人が言うままに動く登場人物は皆スーザンという1人の人間の一部なのです。
しかしスーザンは、目の前で自分のパートナーを他の男に奪われていくというトニーの状況をエドワードに重ね、「自分は傷つけられた」という解釈をして小説を読み進めていきます。
エドワードが、スーザンをトニーというキャラクターにして、小説で描きたかったことは何か。
それは“自分も美術を学んでいたのに夢を諦め、アートギャラリーのオーナーに甘んじ、豪華な家に住みながらも心が死んでいる状況から脱出しろ”。
そして、“憎んでいるはずの母親と同じ道を辿っている”という警告です。
スーザンは自身の母親を「保守的な共和党員、物質主義の性差別主義者、人種差別主義者のナルシスト」と批判します。
母親はエドワードのことを「彼は弱い人間」と否定していました。
またスーザンに「あなたと私はよく似ているのよ」とも。
エドワードもスーザンに「君とお母さんの瞳はよく似ている」と言ったことがありました。
「こうはなりたくない」と思っていたはずの母親同様にエドワードを信じず才能を否定したスーザン。
人生に失敗し、母親と知らず知らずのうちに同じ道を辿っているのです。
トニーの大切なものを奪い運命を狂わせる男レイは、長髪のブロンドと、スーザンと母親と似たような髪型をしています。
しかし劇中でトニーは苦しみながらもレイにとどめをさします。
「母親の存在に縛られるな、死に物狂いで自分の道を生きろ」エドワードのスーザンへのメッセージは、彼女へ届きませんでした。
だから最後、エドワードは現れなかったのです。
「君と僕はもう終わったんだ」というように。
たくさんのアート作品が登場する『ノクターナル・アニマルズ』ですが、とりわけ印象的な作品が、スーザンの家の玄関に飾られている、写真家リチャード・ミズラックによる『Desert Fire #153(Man with Rifle)』。
1人の男がライフルを向け、銃口を突きつけられている男はカメラを向いて笑っている、エドワードの真意を汲み取ることができなかったスーザン、2人の関係性を象徴するかのような作品です。
小説を書いたのは
もう1つの解釈は“創作者、芸術家に内在する自我の物語”です。
『夜の獣たち』はエドワードという男ではなくスーザンが書いたもの。
スーザンは夜に読んでいたのではなく小説を書いていた。
現在はアートギャラリーを営み、芸術に携わりながらも“芸術家”ではない。
だが彼女にもものを創る、書きたいという芸術家としてのアイデンティティがあった。
小説家の夢を否定する母親、エドワードを否定する(回想と思われる)スーザンは、「自分には才能がない」と芸術家の曖昧な道に葛藤するスーザン自身への声であり、芸術家として生きたいという自我をエドワードという“もう1人の自分”に託し映し出しているのではないか、というのが私の考察です。
本作には小さくも不可解な点が多々あります。
オフィスにてスタッフに「別れた夫から小説が届いたの」と伝えるスーザン。
「夫がいたんですか」と何も知らないスタッフ。
飾られたアートを自分が買ったとまるっきり覚えていないスーザン。
週末が終わってもニューヨークから帰ってこない夫ハットン。
そして、やりとりは全てメールで、回想シーンにしか登場しないエドワード。
タイトルは『ノクターナル・アニマルズ』“夜行生物たち”。夜行生物と聞いて幾つか思い浮かぶ生き物の一種が“フクロウ”かと思います。
“ミネルバのフクロウ”。
ミネルバはローマ神話で知恵や洞察力を司る女神で、フクロウを連れています。
スーザンは上記に挙げた通り、昼間はぼうっと心ここにあらずの状態。
それは“知性を夜に羽ばたかせ”小説を書いているから。
スタッフがエドワードのことを知らないのも、エドワードがスーザンの前に現れないのも、彼はスーザンが作り出したもう1人の自分と考えれば当然です。
また夫ハットンも彼女の小説の1部だとすれば、小説が書き終われば彼の存在はいらなくなりますから、彼女の前から消えるのもおかしくありません。
ゲーテの小説『ファウスト』にこのような一節があります。
「一切の理論は灰色で、緑なのは生活の黄金(こがね)なす木だ」
現実や世界を理解すること、理解しようと努めようとすることと現実、世界を生きることは違います。
自らの葛藤に終止符を打つことができたスーザンは白や黒の暗い衣服に身を包むことをやめ、生命を表す緑色のドレスに変えた。
1人でそこにいるはずの“誰か”を見つめるスーザンは、エドワード、トニーと完璧に融合を果たし、新しい自分と静かに対話していたのかもしれません。
スーザンは“自分を否定する自分”に打ち勝つことができたのです。
まとめ
このように幾つかの解釈ができる本作ですが、それでも一貫したメッセージは“自分にとって大切なものを手放してはいけない、自分が望む人生を諦めてはいけない”というものです。
トム・フォード監督が込めた力強いメッセージは圧倒的な美と共に観る人それぞれに警告し、奮い立たせる。それが『ノクターナル・アニマルズ』です。
次回の『偏愛洋画劇場』は…
次回の第16幕は、オススメの偏愛洋画のひとつ『パリ、テキサス』をご紹介します。
お楽しみに!