連載コラム「銀幕の月光遊戯」第58回
映画『凱里ブルース』は2020年6月6日(土)より、シアター・イメージフォーラムほかにて全国順次ロードショー予定!
『ロングデイズ・ジャーニー この夜の涯てへ』で注目を浴びた中国の新世代監督ビー・ガンが2015年に発表した初長編監督作品『凱里ブルース』。
『パラサイト 半地下の家族』のポン・ジュノや、『シェイプ・オブ・ウオーター』のギレルモ・デル・トロらも絶賛した注目の作品が制作から5年の月日を経ていよいよ日本でロードショー公開されます。
CONTENTS
映画『凱里ブルース』の作品情報
【日本公開】
2020年公開(中国映画)
【原題】
路邊野餐 Kaili Blues
【監督・脚本】
ビー・ガン
【キャスト】
チェン・ヨンゾン、ヅァオ・ダクィン、ルオ・フェイヤン、シエ・リクサン、ゼン・シュアイ、クィン・グァンクィアン、ユ・シシュ、グゥオ・ユエ、リュ・リンヤン、ヤン・ヅォファ
【作品概要】
『ロングデイズ・ジャーニー この夜の涯てへ』で注目を浴びた中国の新世代監督ビー・ガンが2015年に発表した初長編監督作品。
ロカルノ国際映画祭で最優秀初長編賞を受賞した他、第37回ナント三大陸映画祭黄金の熱気球賞[グランプリ]、第52回金馬奨最優秀新人監督賞・FIPRESCI賞受賞、第10回アジアパシフィックスクリーンアワード ヤングシネマ賞受賞など国内外の多くの映画祭で高く評価された。
映画『凱里ブルース』のあらすじ
凱里の小さな診療室で老齢の女医を手伝いながら暮らすシェン。
彼はあることで服役し、9年の刑期を終えてこの地に帰還したのですが、彼の帰りを待っていたはずの妻はすでにこの世に亡く、しばらくして可愛がっていた甥も弟の策略でどこかへ連れ去られてしまいます。
シェンは甥を連れ戻すために旅に出ることにします。女医は彼女の昔の恋人の写真をシェンに託し、彼のところに寄って以前借りたものを返してきてほしいと頼みます。
そして辿り着いたのは、ダンマイという名の、過去の記憶と現実と夢が混在する不思議な街でした…。
映画『凱里ブルース』の感想と評価
後半40分間のワンシークエンスショットの魅力
凱里は中国南西部の貴州省にある都市で、ミャオ族の文化の中心地としても知られています。ビー・ガン監督は1989年にこの地で生まれました。『凱里ブルース』は彼が26歳の時に撮った長編デビュー作です。
彼の第2作『ロングデイズ・ジャーニー この夜の涯てへ』は、後半60分間の3Dワンシークエンスショットが話題を呼びましたが『凱里ブルース』にも後半40分間の魅惑的なワンシークエンスショットがあります。
それは『ロングデイズ・ジャーニー この夜の涯てへ』よりも荒削りでトリッキーです。時にカメラは被写体を追うのをやめて家と家の間の狭い路地を駆け下り、バイクに乗る被写体を待ち受けます。そう、ショートカットをするのです。
スクリーンの隅っこの方で作業していた名もなき人物にいきなり焦点をあわせて彼のあとについていったり、ある人物の気まぐれな遠回りともいうべき小旅行に同行したり、奔放ともいえる40分間のカメラの動きに魅きつけられずにはいられません。
地方都市に住む一人の男を追った物語はこのカメラワークによって、その男性の目には触れずに終わる世界をも見渡し、地方都市の個人の話を大きな視野の物語へと導きます。「凱里」という地方都市への執着と慕情は、世界の中のちっぽけな一部としてではなく、世界の中心へと変貌していくのです。
記憶と現実が混ざり合う場所
主人公のシェンが、旅の途中で訪れたダンマイという街は架空の都市で、ここでは、ある人物は未来の姿で現れ、またある人物は強く過去を思い出させるといったふうに、記憶と現実が混ざり合い、重なり合います。
この作品にはミラーボールや、風車(かざぐるま)といった様々なシンボリックなものが登場しますが、その中でも強烈な印象を与えるのは時計でしょう。
子供のウエィウエィが壁にチョークで描いた時計の針が、いつの間にか動いているというファンタスティックな描写や、車のガラスに明確に映り込む時計といったふうに、かなり意識された画面作りとなって登場してきます。
時計は時間軸がずれていることを端的に表す装置ともいえ、ジャック・フィニイの時空をテーマにした一連のファンタジー小説を思い出させもします。
ですが、その一方で、実は何もかもが、シェンが電車の中で眠気に襲われた際に夢に現れた心象風景であったという可能性があることも映画は否定しません。
記憶と現実が交錯しあう幻想的な世界は、終始特に何事もない、田舎町の日常の出来事として描かれます。
シェンは途中、街の余興で演奏している若いバンドマンに頼んで飛び入りで歌を歌います。素人のど自慢のような朴訥な歌声ですが、彼を見守る眼差しをとらえながら自由に動くカメラワークも相まって、何もかもが浄化されていくかのように牧歌的です。
そうした牧歌的な風景が、とてつもなく生命感に溢れた世界、果ては宇宙のように魅力的に輝くのです。
故郷へのラブレター
ビー・ガン監督は、たびたびホウ・シャオシェンやアンドレイ・タルコフスキーの影響を口にしています。
『凱里ブルース』には、水、光、霧、火といったタルコフスキー映画のモチーフがそのまま現れています。湿気の多い亜熱帯の気候の土地は、水と光に溢れ、窓の向こうには鮮やかで美しい緑がきらめいています。
山道のカーブを進む車は霧に包まれていますし、女医はテラスで何かを燃やしていて、『ノスタルジア』(1983)のように犬が唐突に登場します。
しかし、タルコフスキーの影響を大いに受けながら、ビー・ガンがビー・ガンたり得ているのは、やはりその舞台が彼の故郷・凱里だからでしょう。
タルコフスキーの『ノスタルジア』の舞台がイタリアのトスカーナ地方でなければならなかったように、ビー・ガンにとって凱里を舞台にすることは必然でした。『凱里ブルース』はビー・ガンからの故郷・凱里へのラブレターであり、筆をカメラに持ち替えた詩人による渾身の映像詩なのです。
出てくる人物たちも2名を覗いてすべてビー・ガンの友人や親族たちです。主人公のシェンを演じたチェン・ヨンゾン(陳永忠)は彼の叔父で、実際、服役していたことがあり、その孤独な佇まいがビー・ガンにとって憧れであったといいます。小さなウェイウェイを演じたビー・ガンの異父兄弟とともに、彼は『ロングデイズ・ジャーニー この夜の涯てへ』にも出演しています。
まとめ
『凱里ブルース』と『ロングデイズ・ジャーニー この夜の涯てへ』は非常によく似ています。
舞台が凱里であることも、長いワンシークエンスショットがあるという技巧的な点でも、現実と記憶が曖昧になっていくというテーマにおいても、ある意味まったく同じ話といってもいいかもしれません。
しかし、そのティストはまったく別のものになっていて、それぞれの作品にそれぞれの魅力があることに改めて驚かされます。
果たしてビー・ガンは今後どのような展開を見せてくれるのでしょうか。凱里と離れた別世界へと足を踏み入れていくのでしょうか? それとも凱里に踏み止まり、また新たなるバリエーションで描き続けるのでしょうか? これほど次回作が楽しみな作家もないかもしれません。
さて、2名だけプロの俳優がいたということですが、一人はダンマイの仕立て屋で働く女性ヤンヤンを演じたグゥオ・ユエ、もう一人は大人のウェンウェンを演じたユ・シシュです。この2人の関係性も、ほんの少しの描写にも関わらず、ぐっと心に残る青春映画の息吹のようなものを感じさせます。
映画『凱里ブルース』は2020年6月6日(土)より、シアター・イメージフォーラムほかにて全国順次ロードショー予定!
次回の銀幕の月光遊戯は…
2020年にテアトル新宿他にて全国公開される日本映画『いつくしみふかき』を取り上げる予定です。
お楽しみに。