連載コラム「SFホラーの伝説『エイリアン』を探る」第3回
未知の完全生命体の悪夢が再び!?ヒロイン・リプリーの、三度目の戦いを描いたシリーズ第三弾、『エイリアン3』。
『エイリアン3』は前作『エイリアン2』で生き残った女性航海士リプリーが漂流の後に流刑惑星に流れ着き、隠れてリプリーたちの宇宙船に同乗していた宇宙生命体と再び戦いを繰り広げるさまを描きます。
作品はジェームズ・キャメロン監督より当時新鋭のデビッド・フィンチャー監督へバトンタッチし前作、前々作とも違う風をシリーズに呼び込みました。
一方で主演のリプリーは前作から引き続き女優のシガニー・ウィーバーが担当、さらに男勝りの活躍で「強い女性」のイメージを確固たるものとしました。
コラム第三回となる今回は『エイリアン3』を考察、妥協なき製作で知られるフィンチャー監督がこのシリーズにどのような新風を吹き込んだのかを検証します。
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映画『エイリアン3』の作品情報
【日本公開】
1992年(アメリカ映画)
【原題】
Alien³
【監督】
デビッド・フィンチャー
【脚本】
デビッド・ガイラー、ウォルター・ヒル、ラリー・ファーガソン
【音楽】
エリオット・ゴールデンサール
【キャスト】
シガニー・ウィーバー、チャールズ・S・ダットンチャールズ・ダンス、ポール・マッギャン、ブライアン・グローバー、ラルフ・ブラウン、ダニー・ウェブ、クリストファー・ジョン・フィールズ、ホルト・マッキャラニー、ランス・ヘンリクセン、ピート・ポスルスウェイト
【作品概要】
とある惑星でおきた凶暴な宇宙生命体と女性宇宙航海士リプリーたちの出会い、そして戦いを描いたシリーズ第三弾。生還したリプリーたちが流刑惑星フィオリーナにたどり着き安堵するのも一時、隠れて同乗していた宇宙生命体との戦いに再び挑む姿を描きます。03年には30分の未公開シーンを加えた「完全版」が発表されています。
作品を手掛けたのは、デビッド・フィンチャー監督。それまでミュージックビデオやCMを手掛けていましたが本作長編映画デビューを果たし、以後『セブン』『ファイトクラブ』などで頭角を現しました。
シリーズ通しての主演、シガニー・ウィーバーも本作でリプリー役を熱演、坊主姿での出演は当時大きな話題になりました。前作でアンドロイド・ビショップを務めたランス・ヘンリクセンは引き続きビショップ役とウェイランド・ユタニ社のアンドロイド設計者マイケル・ビショップ役の二役で出演を果たしています。
映画『エイリアン3』のあらすじとネタバレ
惑星LV-426における謎の宇宙生物(以下、ゼノモーフ※)殲滅作戦の後に生き残った女性航海士リプリーたちは宇宙船スラコ号で惑星を脱出、地球への帰還の途についていました。
ところが彼女らが冷凍睡眠に入っている中、船内では原因不明の事故が発生しリプリーたちは脱出ポッドで搬出され、ある惑星に不時着します。
2270年、脱出ポッドが着いたのは流刑惑星フィオリーナ161、通称フューリー。スラコ号の持ち会社であるウェイランド・ユタニ社が所有する、極悪犯罪の男性囚人のみを収監する施設を設けた星でした。
脱出ポッドの到着に気づき捜索を行う住人たち。生存が確認されたのはリプリーのみで、共に脱出したLV-426の生き残りであるニュートとエイリアンとの戦いで負傷した兵士ヒックスは着陸時に死亡、リプリーたちを導いたアンドロイドのビショップは機能を停止していました。
その一方、住人たちが気づかないところで、脱出ポッドに隠れていたフェイスハガー(ゼノモーフを人間に寄生させる幼体)が密かに影を忍ばせ、吠えたてるフューリーの番犬の姿を狙っていました。
医務室で目を覚ましたリプリーは、医務主任のクレメンスから自分以外が全員死亡したのを聞きショックを受けます。そして宇宙船のトラブルが単なる事故ではないと疑い、脱出ポッドの残骸を見せてもらうように頼みます。
その残骸を目前にしたとき、リプリーは何か酸で焼かれたような跡を発見します。もしやニュートの体にゼノモーフが寄生しているのではないかと考えたリプリーはニュートの解剖を依頼しますが、遺体からは何も検出されずそのままヒックスの遺体とともに廃棄炉で火葬されます。
フューリーの囚人たちは放射性廃棄物の処理をしながら、自分たち独自の宗教的戒律を構成し秩序を厳守して暮らしていました。そんな中で女のリプリーの存在は異物であり、かつ死体を解剖させるなどといった行為を合わせて、囚人たちには気持ちの乱れを生じさせていました。しかしそんな囚人たちの中で、冷静に対処するクレメンスにリプリーは親密な関係となっていきます。
そのころ囚人の中でいちばん番犬を可愛がっていたマーフィーが、通風孔の掃除途中にゼノモーフに襲われ転倒、換気扇に巻き込まれ死亡します。囚人たちはこの件は事故だと判断しその場を収めますが、クレメンスが現場で金網を高温で溶かしたような跡を発見、徐々に不安感を高めていきます。
ゼノモーフの生存をまだ疑うリプリーはクレメンスからその話を聞き改めて脱出ポッドでの出来事を検証することを決意します。廃棄された脱出ポッドを一人で探る中囚人たちにレイプされそうになりながらも、壊れたビショップのボディーを発見し持ち帰り蘇生させ、脱出ポッドで何があったのかを探ります。
その事実を聞いたとき、リプリーは再びあの深い絶望の淵に立たされるのでした。
(※ゼノモーフ:『エイリアン2』の劇中より謎の宇宙生物を示す言葉として使われました。)
映画『エイリアン3』の感想と評価
モンスターパニックから人間ドラマへ
第一作、第二作と続いたこのシリーズは、本作で大きな転機を迎えました。脚本作りがダン・オバノン、ジェームズ・キャメロンと続いたのに対して、本作では製作のデビッド・ガイラー、ウォルター・ヒルが参入しています。
脚本作りにはさまざまなアイデアが二転三転したというエピソードもあり、前作の束縛に果敢に向き合って何か新しい風をこのシリーズに吹き込みたいと考え悪戦苦闘していたことがうかがえます。
特筆すべきポイントとしては、やはり物語が人間を中心に描いていることにあるでしょう。どちらかというと前作二作はいずれも正体不明のモンスターに対してどのように戦っていくか、というテーマが焦点となっていましたが、本作では人間社会から孤立した独自の宗教、社会組織を持った一つの集団に対し、正体不明のモンスターをありきの存在として、それがその集団の中に迷い込んだらどのようになるか、というものに変わっています。
この視点の移動は、物語からさまざまなイマジネーションを想起させます。例えば一つの閉鎖された地域、存在の中に何か別のものが放り込まれた場合にどのようなことが起こるのか。
本作ではゼノモーフとリプリーという存在が、ある意味“異物”として放り込まれる格好となります。もしゼノモーフだけがここに登場するのであれば、どちらかというと前作までの展開とあまり変わらないものになったかもしれません。
その意味では前作までのファンからの支持は薄くなるかもしれませんが、非常に新しい空気、方向性をシリーズにもたらす方向に向かったといえると同時に、デビッド・フィンチャー監督の起用には大きな意図があったといえるでしょう。
フィンチャー監督の父は雑誌『ライフ』の記者であり、本作以降に手掛けた『セブン』『ファイトクラブ』『パニック・ルーム』といった作品を見ても、何らか人間の表情を劇的に撮影することに長けた特徴がうかがえます。
本作の物語でも、ある一つの集団の人たち、そしてその中で困惑しながらもまたゼノモーフと立ち向かうリプリーの表情を映像で余すところなく追っています。
また映像自体にもこれまでの作品と大きな差異が見られます。『エイリアン』はどちらかというと暗い映像の中でブルー系の寒色を基調としたイメージがあり、若干明るくなった『エイリアン2』もそれを引き継いだような傾向が見られましたが、本作は全体的に黄色、オレンジといった暖色系がメイン。また刑務所という設定からもかなり生活感からくる汚れの印象も強く、「エイリアンづくし」というこれまでのカラーから一新されています。
長編映画としては本作がデビューとなったフィンチャー監督ですが、元はCMやMVなどの違う畑で活躍していた実績をうまく生かしています。80年代はMTVの登場でさまざまに大胆で実験的な映像作品が多く排出され大きな進化を遂げた時期で、90年代はその進化がある程度成熟を遂げた時期でもあります。
そういった影響もあってか、本作は映像的にも大きな進化を遂げ合成映像も多く使われており、特にクライマックスの死刑囚とゼノモーフのチェイス場面はアクロバチックなゼノモーフの視点を大胆に取り入れてみたりと、映像的にも刷新された印象がうかがえます。
またゼノモーフの捕食シーンでは、これまでの直感的な惨殺シーンに対して、本作ではサスペンスアクション的な画作りが成されているのも目を引きます。
例えば先述のチェイス場面は、スタンリー・キューブリックの『シャイニング』を髣髴する、恐怖におののきながら逃げ回る人間のシーンを緊張感たっぷりに描いています。
音楽に関しても不安感をあおるハーモニーの中に神経を掻きむしるようなピアノの音を入れてみたり、サスペンスミステリー的な要素も随所に感じられ、ありきたりのホラーとは違う斬新な作風が見られるものとなっています。
タフな状況に生きる女性の強さを描く
一方、本作におけるリプリーの「強い女性」像は、ジェームズ・キャメロン監督が描いた前作のそれとはまた違ったものとしています。
今回の設定ではどこかに孤立して存在している、男性のみで構成された一つの社会組織にリプリーが一人放り込まれるという設定であり、ここで描かれる像はまさしく「強い女性」の姿をストレートに要求されるわけです。
物語の序盤こそ前作のカギとなる人物でもあった少女ニュートの存在がちらついたものの、本作でリプリーはいわゆる母性的な感覚に従う表情をほとんど見せません。
また本作ではその「強い女性」という表現をリプリー単身だけに頼らず描いているのも特徴的です。脱出ポッドでのゼノモーフの存在を調べるためにリプリーが残骸を漁りに行った際、彼女は受刑者にレイプされそうになり、受刑者のリーダーに助けられた挙げ句に顛末の首謀者に彼女が強烈なパンチを食らわせるというシーンがあります。
さらにリプリーが受刑者たちを率い、ゼノモーフを撃退するよう指導するシーンがありますが、受刑者の中には「本当に成功するのかよ、女の計画だぞ」と心配の声を上げるシーンがあります。こういった光景ははある意味世の男性から見た女性への印象をベースにおいて描いた、タフな状況における女性の「強さ」を見せる一例であります。
逆にリプリーが医療主任クレメンスに体を許すというシーンもありますが、母性というよりは一人の「女性」を感じさせるものであり、リプリーのそれまで見られなかった違う一面が表されたようでもあります。
対して本作で唯一リプリーが母性を感じさせる表情を見せるシーンがあります。それはリプリーの最後、自分の腹から飛び出したチェストバスターを抱えながら溶鉱炉に飛び込むというシーンです。このシーンはのちの『エイリアン4』の物語へのつながりを考慮した意図か、03年に発表された『完全版』ではチェストバスターが出てこないものに差し替えられました。
しかしこのシーンのインパクトはやはり大きなものです。それまでリプリーの周りにいる人間を虐殺し続けたゼノモーフという存在を抱え、生命にピリオドを打たせるという流れに対して見せたその表情は、リプリーの女性として、そして母性的な意思として持つ「強さ」を表しているようでもあります。
今日リプリーという存在が「強い女性」のアイコンとなった原動力はまさしく前作、そして本作と続いて披露された彼女の本質があってのことといえるでしょう。
まとめ
本作はこれまで続いたシリーズの中で初めて「最後にゼノモーフが死ぬ」という物語で、全般的にはそのポイントに目を向けられがちでありますが、物語の主題はあくまで「人間」となっていることに注目すべきでしょう。
劇中では一人目の犠牲者が葬られる際に受刑者が祈りをささげる一方で、刑務所で飼われていた犬から新たなゼノモーフが誕生するという場面をダブらせているシーンがあります。そして最後はリプリーとともに絶命する運命となるゼノモーフの幼生体がありと、ゼノモーフ自体の人生と人間の一生に重なりが見えてきます。
そしてゼノモーフの邪悪さは、閉鎖された社会組織の中で生きる各人のエゴなどにもダブり、その怖さの奥に人間の不快さ、恐ろしさのようなものも時に見えてきます。本作の物語に見られる奥行きは、それまでのモンスターパニック的な面のみを深く追求していた方向性とはまた違った画期的なポリシーによるものであります。
その意味では、作品公開時にそれまでのシリーズ作品に比べて興行的に振るわなかったことから過小評価の傾向がありますが、物語の展開性、斬新さという面では高く評価されるべきものともいえるでしょう。