第32回東京国際映画祭・日本映画スプラッシュ『i-新聞記者ドキュメント-』
2019年にて32回目を迎える東京国際映画祭。令和初となる本映画祭が2019年10月28日(月)に開会され、11月5日(火)までの10日間をかけて開催されました。
日本のインディペンデント映画を応援する目的にて作られた「日本映画スプラッシュ」部門。
新鋭監督とベテランが相まみえる布陣となった本年度の作品群の一つが、監督・森達也による映画『i-新聞記者ドキュメント-』です。作品は本映画祭で日本映画スプラッシュ作品賞を獲得しました。
会場にはゲストとして森監督とともに劇中に登場した新聞記者の望月衣塑子も登壇し、映画上映後に来場者に向けたQ&Aもおこなわれました。
CONTENTS
映画『i-新聞記者ドキュメント-』の作品情報
【上映】
2019年(日本映画)
【英題】
i-Documentary of a Journarist-
【監督】
森達也
【キャスト】
望月衣塑子、森達也
【作品概要】
周囲から異端視されながらも徹底的な事実追及をおこない、ジャーナリストとして闘いに挑み続ける東京新聞社会部記者・望月衣塑子の姿を捉える中で、現代日本における報道とメディアが抱えるさまざまな問題点、その先に再び見えつつある民主主義の危機を描いたドキュメンタリー。
監督はオウム真理教とその信者たちの姿を捉えた『A』『A2』、佐村河内守と一連のゴーストライター騒動を題材とした『FAKE』などをはじめ、数々のドキュメンタリー映画を手がけてきた森達也。
本作は第32回東京国際映画祭「日本映画スプラッシュ」部門にて作品賞を受賞しました。
森達也監督のプロフィール
1956年生まれ、広島県呉市出身。立教大学在学中には映画サークルに所属し、1986年にはテレビ番組制作会社に入社。その後にフリーランスとして活動を開始します。
地下鉄サリン事件発生後、オウム真理教広報副部長であった荒木浩と他のオウム信者たちを描いた『A』は1998年に劇場公開され、ベルリン国際映画祭など多数の海外映画祭でも上映され世界的に大きな話題となりました。
1999年にはテレビドキュメンタリー「放送禁止歌」を発表。また2001年には映画『A2』を公開し、山形国際ドキュメンタリー映画祭で特別賞・市民賞を受賞。
2006年に放送されたテレビ東京の番組「ドキュメンタリーは嘘をつく」には村上賢司・松江哲明らとともに関わり、メディアリテラシーの重要性を訴えた同作は現在でもドキュメンタリーを語る上で重要な作品の一つとなっています。
2011年には東日本大震災後の被災地を撮った『311』を綿井健陽・松林要樹・安岡卓治と共同監督し、賛否両論を巻き起こします。そして2016年には、佐村河内守と一連のゴーストライター騒動をテーマとする映画『Fake』を発表しました。
望月衣塑子のプロフィール
東京生まれ。大学卒業後、中日新聞社に入社し東京本社へ配属。千葉支局、横浜支局を経て社会部で東京地方検察庁特別捜査部を担当しました。
その後東京地方裁判所、東京高等裁判所を担当。経済部などを経て、2017年10月現在社会部遊軍(特定の記者クラブに所属せず、大きな報道テーマが起きた際に、現場に投入される記者)となります。
2018年には菅義偉内閣官房長官との会見での質問をまとめた動画と単著が「マスコミの最近のありように一石を投じるすもの」として、2017メディアアンビシャス賞の特別賞に選ばれました。
映画『i-新聞記者ドキュメント-』のあらすじ
蔓延するフェイクニュースやメディアの自主規制。民主主義を踏みにじる様な官邸の横暴、忖度に走る官僚たち、そしてそれを平然と見過ごす一部を除く報道メディア…。
そんな中、既存メディアからは異端視されながらもさまざまな圧力にも屈せず、官邸記者会見で鋭い質問を投げかける東京新聞社会部記者・望月衣塑子。
彼女の仕事を追う中で、菅官房長官や前川喜平、籠池夫妻など、ここ数年でよくメディアに登場した渦中の人間が続々と登場。これまでの報道では観られなかった素顔をも映し出します。
果たして、彼女は特別なのか。あるいはなぜ、彼女は特別にされてしまったのか。
森監督の真骨頂ともいえる新たな手法で、日本の社会と報道が抱える同調圧力や忖度の正体を暴き出します。
映画『i-新聞記者ドキュメント-』の感想と評価
いわゆる社会の中での、メディアの在り方を問う視点に立って描かれたドキュメントでありますが、一つ興味深いのは望月衣塑子という一人の女性の見せ方にあります。
映画祭での上映後のQ&Aでは、森監督がこのドキュメンタリーに対してエンターテインメント的視点を織り交ぜることを考えていたことが明かされています。その一方で、冗談っぽくはありますが望月を泣かせようとしたことがあったというエピソードを明かしています。
それはこのドキュメントで描く大きなテーマに合わせて、世間よりある種異端児的な扱いを受けている望月を普通の人間、その一人であるということを示しているかのようでした。
ドキュメントでは、その大半が真実を求めるために奔走する望月の姿が描かれています。奔走する姿だけが本作のドキュメントでの彼女の登場シーンとして、すべてを占めてしまったら、観客は彼女に対してとんでもなく真っすぐな信念を持ったモーレツ新聞記者という印象を持つことでしょう。
つまりはメディア、マスコミという存在が特別な能力、性格を持たなければできない役割である感じることでしょう。
確かに望月はアクティブな意志をもって事件に向き合う記者という印象があります。しかし夫と子を持つ家庭の母でもあり、スイーツに目がない女性でもある。
またその一方でエンディング間近のシーンでは街頭演説やそれに罵声を浴びせる人たちにどこか距離を置いた格好のシーンが映し出されますが、そこにはメディアとしての客観性を示してもいます。
そういった望月の姿態を逃さず盛り込んでいるからこそ、メディアとなるのは特別な人間ではない、ごく普通の人であるということを示しており、本作を観る人にぐっと近づけており、見せ方にもしっかりとストーリー作りが成された、森達也監督の手腕にも注目です。
上映後の森達也監督、望月衣塑子 Q&A
4日の上演時には森達也監督、望月衣塑子が登壇、舞台挨拶をおこなうとともに、会場に訪れた観衆からのQ&Aに応じました。
──望月さんは今回の撮影の前に森さんのことはご存知だったのでしょうか?
望月衣塑子(以下、望月):オウム真理教を取り上げたドキュメント『A』で一躍有名になった、ということは知っていました。
ただそれよりも先に盲目の音楽家、佐村河内守さんの一連の騒動を取り上げたドキュメント『FAKE』や、他にもさまざまに手がけた映画やドキュメント番組は何本か見ていました。
その作風からは通常記者が正義を追い求めてひたすらなにかを暴き出すとか、そういう〇か×かという描き方とは違う非常に多面的な見方がある印象を抱いていました。
それから今回映画最後のシーンを含めてなんですが、どんな社会情勢であれ一つの個が埋もれてしまうことの危うさ、今のリベラル層の人たちが大きく声を上げられている時期に、果たしてそのこの中にいる一人ひとりの個というのはいったいどうなっているのか、といったテーマを一貫して追ってきていることを感じました。
それは私自身、記者としても自分で自覚しなければいけないなと思うことの一つだったと映像の中で身につまされましたし。
──望月さんにも目の先にある風景と多面性というものがあると思いますが、ご自身自身が多面性で見られる俎上に乗ってしまう恐れがあると思いましたか?
望月:そうですね。例えばシーンの中であったと思うんですが、週刊文春の秘書官の方で、元小泉さんの秘書もやられていたという方が書かれたコラムをバーンと机の上において「これ、どう思う?おかしいよね」とたずねてきたんです。
私としてはそれに対して「おかしいよね」とは言わず、おそらく「許せません、戦いましょう」ってなると思うんですが、多分そう言わせようとしているな、という感じがありました。
やっぱりそんな風に私のいろんな面を引き出すために仕掛けをしてきている、という感じがありました。これまでの森監督のドキュメント作品を見てただけに若干怖いな、と緊張感も常に持っていました。
──森監督は、そこは隠さず望月さんにぶつかっていくという感じだったのでしょうか?
森達也(以下、森):一回泣かせたかったんですけど、なかなか泣かないんですね。最後に目薬を無理やり渡して「これを差して」と言ったんだけど「何でこんなことしなきゃいけないの?」って顔されちゃって…使えるカットじゃなかったので諦めました。いろいろ手を尽くしたんですが、僕のやり方は通用せず完敗しました(笑)。
──望月さんにおうかがいしたいのですが、映画の中で、沖縄の問題に関し女性の方が「こういったことがあったときどこに質問したらいいのかわからない」とおっしゃるシーンがありました。この映画を見た後に、なにかアクションをしたくなると思うんですが、なにかその点でアドバイスはいただけますでしょうか?
望月:よく公演先でも「この一市民になにができるのか」と聞かれることはあります。
私はこれだけ会見に出始めて、あれだけの嫌がらせをされながらも、生き続けられている理由というのは、会社に届くいろんなファックスとか電話、それから応援のメッセージというその数々が結果としてうちの編集局長、編集局次長の目に留まるからだと思います。
一部を除いてその大方は、「今までは聞き続けるべきことが、自分たちは会見場には行けないことで聞けなかった。だけど自分たちが一番聞きたいことをようやく一つ、二つと聞いてくれる望月という奴が出てきた」とおっしゃってくれるんです。そして望月さんだったら生かし続けてほしい、なにがあっても守ってほしい、東京新聞をとりますから、みたいな声も(笑)。
特に非常に官邸の秘書課・佐江はうちの政治部の記者たちに相当プレッシャーをかけていたときがあったのですが、そのときわが社の政治部は相当困ることに困ってしまうかもしれない、下手すると記者クラブの中から東京新聞は外してしまおうという判断がなされてしまうかもしれないと思ったんです。
でも、この一人ひとりの市民や視聴者の声は、結局大方の人たちがこういうところにもっと声を上げ質問し、そして記事をどんどん書いてほしいという思いを持っているわけです。
個々がある限り、自分たちやはり読者、視聴者の声を無にすることなんてできないんです。だから政治部は大変だと思うけど、望月が行きたいという限りは、あいつの背中を押し続けてやろうということで、その後政治部長と社会部長に投資、編集局長が指示をして、生かせ続けるという決断をしてくれたらしいんですよね。
ということでみなさん自身が、こんな自分一人になにができるのかと思ってしまうかもしれないんですが、それは現場にいる私、一記者自身も同じように感じているんです。
なので、是非今日この会場にいるみなさんは、一人ひとりの声をメディアや映画業界の方々、みなさんに届けることをしていただきたいです。そういったことで、少しずつ私たちも勇気をもらって、やはりそのあるべきジャーナリズムの姿、自分自身が疑問に思うことを、自分だけの思いじゃないということを再認識しながら追いかけ続けていけると思うんです。
森:3日前にここで上映した後に、中国のメディアからインタビューされたんです。要約すると、彼はこんなことを言っていました。
「中国は今、言論が不自由です。それは中国共産党という組織が、国民すべての頭の上にあるからです。国民はすべてそれをわかっています。いかに言論が不自由か、表現が不自由か、報道がきちんとなされてないか、国民はわかっています。
日本は中国共産党のような存在はないけど、空気がそれを支配しています。で、国民のほとんどがそれに気づいていない。ここは大きな違いですね」
そんなことを言われたんですが、空気を作っているのはだれか?それは僕たちなんですよね。やればできる、言えば形になるんです、100%ではないけど。もっとみんなわがままに、自由に言いたいことを言ってやりたいことをやるべきだと思います。(今は)ちょっと足りないんじゃないかな。そんな気がしています。
──望月さんが予告の中で、天気のいいところで「メディアをなめている」と発言しているシーンが印象的だったのですが、どのようなシーンだったのかを詳しく教えていただければと思います。
望月:当時は私だけでなくメディアみんなで今度は官邸前でデモをしようといって3月14日のホワイトデーの日に官邸からの抗議文や質問妨害に対してデモをおこなうことになったんです。
そのときにいろいろツイッターなどでも拡散して、当日に700人くらいの現場の記者とか市民の方々が集まって抗議運動をしてくれたんですが、その連日に一年半以上続いていた質問妨害、上村さんからの質問妨害がピタッと止まったんです。
やっぱり一人ひとりの記者たちが声を上げてみんなでつながって市民と連帯していけば、これだけ官邸が強いといっても、彼らの動きをちょっとしたことですけど、止めることができたんです。私はそれ自身が非常に強い記者同士の問題意識とか連帯意識の重要さであると痛感していました。
でもそこから約1~2か月後、年号が令和になり自民党の支持率が回復していったあたりから、突如また妨害が始まったんです。
それに対して会社の幹部からすると「前の一分半の間に4回も5回も入ったのに比べたら、間隔がもっと空いているじゃないか。もうちょっと様子を見ようよ」ということを言われてしまったんです。
だから「それじゃだめなんです、官邸というのは私たちメディアが声を上げてないからとなめているんですよ」と、会社に対していわゆる説得をしていました。それがあのワンシーンなんです。
──最後10分で参院選の街頭演説の模様とかが望月さんのコメントなどなくひたすら映されていたり、キャラクターが突然アニメ化したり、空気が少し変わったなと感じたのですが、どんな監督の意向があったのでしょうか?
森:いわゆるこれまで僕の作品はどちらかというとナレーションもテロップも、音楽もなく淡々と撮るみたいなスタイルが多かったんです。
映画の場合は大体そうですね。でもかつて僕はテレビをやっていまして、テレビ自体は全然違います。別に映画はこうあらねばならぬと、いうことはないし、アメリカのドキュメントなんてかなりエンターテインメントを呈しています。だから今回はちょっとエンタメのほうに軸足を少しずらそうかなと考えたんです。
自分自身としても同じことをやっていてもおもしろくないので、いろいろ試したいと考えまして。だから終盤にアニメとあのシーンが来ちゃったんでそう見えるかもしれないけど、最初はアニメはもっと最初のほうで、編集をやっているうちにどんどんああなっていったんです。
別に終盤でなにか仕掛けようとかそういうのではなく、単純にこのテーマで同時にエンタメとしても…まあエンタメで成り立っているかどうかちょっとギリギリかもしれませんね。でもそのあたりは少し模索したいと思っていろいろ試した一つです。
──最後に“空気を読んで”(笑)、一言をいただければと思います。
望月:最後の10分は森さんの世界だなと思いました。私はやっぱり撮られる被写体で、全体を森さんが作ったドラマ、物語を皆さんご自身がどう感じ受け止め、伝えていく、あるいは「これはやっぱり見ないほうがいい」というかどうか、それぞれの方々にゆだねられていると思います。
私自身は、今回この東京国際映画祭という大きな舞台で、いろんな方に海外のプレスの方も含めて見ていただいたということに、非常に感謝しています。
一人でも多くの人に見ていただき、それぞれがそれぞれの受け止め方で今の時代や社会の状況ということに考察してくれるようなきっかけとしていただければと思います。
森これまでいろいろ撮ってきたけど、実は女性を撮ったのは初めてなんです。別に女性を避けていたわけでないですが、最初の女性が望月さんで非常に光栄です。
またシネコンって僕が映画を見に行くところで、自分の映画を見せるところじゃなかったんです。だからこの場にいることが、挨拶の際は「悪夢のようだ」と言いましたが…悪夢ではないですね。天にも昇る心地でいます。
これから一般公開が始まりますが、実はまた編集を一部変更しました。ギリギリまでまた編集チェックをいじったりして。大して変わってないけど、だからそれも含めまた気になる方は劇場に足を運んでくれればと思います。
第32回東京国際映画祭「日本映画スプラッシュ作品賞」受賞コメント
11月5日におこなわれた映画祭のクロージングにて、本作が国際コンペティション部門で「日本映画スプラッシュ作品賞」を受賞したことが発表されまし、森達也監督が受賞の喜びを語りました。
森達也:今年のスプラッシュ部門は、僕の作品もですけど「ドキュメンタリー」が存在感を示したと思っています。ドキュメンタリーはおもしろい。メディアが閉塞状況にある中で、ドキュメンタリーが新たな領域を見せてくれる、そうした時代になってきていると思います。
特にこの国は今“空気”という目に見えないものがいろんな機能を停止させています。言論の表現はかなり気まずい状況になってきている、 そうした中でこの作品が賞を取りました。この作品を推薦してくださったプログラミングディレクターの皆様の将来は危ないんじゃないか、 そう思います。まあ自己責任ですね…。
僕自身はドキュメンタリーももちろん撮りますが、ドラマも撮ります。次回、数年後にはドラマでまたこの映画祭に来たいと思います。
まとめ
この映画の中では映像のジャーナリズムという点を問うようなエピソードも描かれています。その場面は望月ではなく、森監督に対してのエピソードで発生したものであります。
Q&Aで望月が語っていましたが、その他あちこちの場面にさまざまな考えをにおわせる要素が見られ、この映画のテーマに対して非常に多面的な視点で物語を描いています。
これは何らかのテーマに対して決めつけとして一側面を見ていただけでは描けなかったことでしょう。地道なフッテージの収集、そしてそれらすべてに対してさまざまな思いを巡らせ描いたことでこの物語は成立し、なおかつ非常に多面的で強い、揺らぎのないメッセージを発することができるわけであり、それこそが本映画祭で受賞を果たしたゆえんであるといえるでしょう。