野心家ディメンタスの「お前はオレになる」の真の意味は?
荒廃した近未来を舞台に、妻子を殺された男マックスの復讐劇を描いた「マッドマックス」シリーズの第4作であり、大ヒットを記録した映画『マッドマックス 怒りのデス・ロード』。
映画『マッドマックス:フュリオサ』は『怒りのデス・ロード』の前日譚にあたる物語であり、同作で活躍した女戦士フュリオサの若き日の姿と復讐の顛末を描いた作品です。
本記事では、『マッドマックス:フュリオサ』のラストシーンを中心に、ネタバレ有りで映画を考察・解説。
復讐と野心を追い続けた果てに疲れ“愚王”となったディメンタスと、彼が「娘」として接していたフュリオサとの関係性から見えてくる、世界で最も有名な“野心家”の格言などを探っていきます。
CONTENTS
映画『マッドマックス:フュリオサ』の作品情報
【日本公開】
2024年(アメリカ映画)
【原題】
Furiosa:A Mad Max Saga
【監督】
ジョージ・ミラー
【脚本】
ジョージ・ミラー、ニック・ラザウリス
【キャスト】
アニャ・テイラー=ジョイ、クリス・ヘムズワース、トム・バーク、アリーラ・ブラウン、チャーリー・フレイザー、ラッキー・ヒューム、ジョン・ハワード、リー・ペリー、ネイサン・ジョーンズ、ジョシュ・ヘルマン、アンガス・サンプソン
【作品概要】
2015年に公開され大ヒットを記録した『マッドマックス 怒りのデス・ロード』の前日譚にあたる、同作で活躍した女戦士フュリオサの若き日の姿と復讐の顛末を描いたバイオレンス・カーアクション映画。
『怒りのデス・ロード』ではシャーリーズ・セロンが演じた女戦士フュリオサを、本作では『ラストナイト・イン・ソーホー』(2021)『ザ・メニュー』などで知られるアニャ・テイラー=ジョイが好演。
ディメンタス役を「アベンジャーズ」シリーズのクリス・ヘムズワースが演じるほか、第1作『マッドマックス』(1979)から『怒りのデス・ロード』とシリーズ全作を手がけてきたジョージ・ミラーが本作でも監督・脚本を務めた。
映画『マッドマックス:フュリオサ』のあらすじ
世界の崩壊から45年。将軍ディメンタスの率いるバイカー軍団に連れ去られたことで、故郷や家族、人生の全てを奪われた少女フュリオサ。
荒廃した世界では、自身の母を処刑したディメンタスと、鉄壁の要塞「砦(シタデル)」を牛耳るイモータン・ジョーが覇権を争っていた。
狂ったものだけが生き残れる過酷な世界に、フュリオサは復讐のため、そして故郷に帰るために対峙する……。
映画『マッドマックス:フュリオサ』の感想と評価
“自身を忘れない者”との再会、復讐からの“解放”
一方的な暴力と恐怖の支配だけでなく、民衆に対する寛容さをわずかながらも見せることで、イモータン・ジョーとは一線を画す“指導者”のしての自身を演出していたが、年月とともに赤き髪と「理想郷を作り出す」という野心は色褪せ、“愚王”と成り果てたディメンタス。
かつて自身の家族を奪い去った荒廃世界に対する復讐として「荒れ果てた地を理想郷にする」という野心を掲げていたディメンタスでしたが、「復讐を糧に生き抜いてきた」という点で、彼とフュリオサは“同類”といえます。
なお映画終盤、復讐のために現れたフュリオサが、かつて自身が娘扱いしていた少女「リトルD」であることに気づいたディメンタスは「お前を待っていた」と口にしました。
その言葉には、「赤風のディメンタス」「偉大なるディメンタス」と自身の名をアピールし、いつ理不尽に死ぬか分からない世界で人々の記憶に残ろうとした彼が「復讐のため、誰よりも自身のことを忘れずにいてくれた人間」なフュリオサと再会できたことへの喜び。
そして、警備隊長ジャックの処刑が延々と続いた場面で「もういい」「飽きた」と弱々しく“本音”を吐いた姿からも、退屈しのぎとしての狂王の振る舞いにも飽き、復讐とそれに基づく野心に駆られ続ける人生に疲れて切っていた現実から解放されることへの喜びが垣間見えるのです。
ディメンタスのモデルは“古代ローマ最大の野心家”
真の再会を経た後、念願の復讐を果たそうとする「リトルD」ことフュリオサに対し、ディメンタスは「お前もオレになる」と悲哀を込めた声で予言じみた言葉を告げました。
ディメンタスのキャラクター像やビジュアルは「ある歴史上のローマの人物」がモデルであることは映画関係者の発言からも知られており、その人物こそが「古代ローマ最大の野心家」とも評された共和政ローマ末期の政務官ガイウス・ユリウス・カエサルだとされています。
中でもカエサルが議場で襲われた際に、腹心であった元老院議員マルクス・ユニウス・ブルトゥス(ブルータス)が暗殺に加担していたことを知って叫んだという「ブルータス、お前もか」は、「信頼する者の裏切り」を意味する格言として広く知られています。
「お前はオレになる」と「息子よ、お前もか」
ただ「ブルータス、お前もか」という言い回しは、劇作家シェイクスピアの戯曲『ジュリアス・シーザー』の影響で定着したものであり、最も古い伝承である帝政ローマ初期の歴史家スエトニウスの『皇帝伝』によると、カエサルは「息子よ、お前もか」と叫んだと記されています。
息子がいなかったはずのカエサルがブルトゥスを「息子」と呼んだ理由は、落胤説が囁かれるほどにカエサルがブルトゥスを寵愛していた説をはじめ、本当は古代ギリシャの格言を引用した上で「息子よ、お前も私と同じ末路を辿るだろう」と忠告する言葉だったのではという説。
他にも「次はお前の番だ」や「先に向こうで待つぞ、若造」を意味する言葉だったとする説など、カエサルが末期に遺した言葉の真意には様々な説が存在します。
「自らの子」と呼べるほどに寵愛し、恩を与えていたはずの他者に仇で返され、ついには殺されそうになった時「お前も自身と同じ末路を辿る」と忠告をする……。
ディメンタスが「娘=自身の未来」として接していたフュリオサに告げた「お前もオレになる」は、カエサルが「息子=自身の未来」であったブルトゥスに告げた「息子よ、お前もか」に対応する言葉だったのです。
そしてカエサルが末期に遺した言葉が、カエサル本人を知らない現代人すらも知っているほどに有名になったように、ディメンタスは忠告とも予言とも呪詛ともとれる言葉によって、フュリオサにとって「絶対に忘れることのできない存在」になろうとしたのです。
まとめ/愚行を糧に“知恵=人類”は始まる
『マッドマックス:フュリオサ』はシリーズ前作『マッドマックス 怒りのデス・ロード』の前日譚を描いた作品ですが、『怒りのデス・ロード』のラストでフュリオサは流浪の男マックスと砦を支配していたイモータン・ジョーを殺し、革命によって誕生した新たな統治者として民衆に歓迎されます。
しかしその結末は、『フュリオサ』作中で「理想郷を作る」という野心を追い続けてガスタウンの統治者に一度は君臨したものの、結局は自らの野心を見失い、理想郷に最も必要な民衆を無視した圧政を行なったディメンタスが辿った運命の“第一歩”とも受け取れます。
やはり、歴史は繰り返されるのではないか……そうした絶望的な解釈が存在する一方で、「ディメンタス、イモータン・ジョーと愚王を二人も目にしたフュリオサが、同じ末路を辿ろうとはしない」という希望的な解釈も存在します。
そして、その希望的な解釈は『フュリオサ』のラストで、フュリオサが知恵を失い愚行に奔った王ディメンタスを殺すことなく、彼の身を糧に“知恵=人類の始まり”を象徴する果実として知られるリンゴが育てることを選んだことからも、決してただの幻想ではないのです。
編集長:河合のびプロフィール
1995年生まれ、静岡県出身の詩人。
2019年に日本映画大学・理論コースを卒業後、映画情報サイト「Cinemarche」編集部へ加入。主にレビュー記事を執筆する一方で、草彅剛など多数の映画人へのインタビューも手がける(@youzo_kawai)。