『春江水暖 しゅんこうすいだん』(2021)のグー・シャオガン監督が仏教故事「目連救母」に着想を得た現代の天国と地獄
デビュー作『春江水暖 しゅんこうすいだん』(2021)でカンヌ国際映画祭批評家週間クロージングに選ばれたグー・シャオガン監督。
「山水画」の世界を映画で表現しようと追求するグー・シャオガン監督が、『西湖畔(せいこはん)に生きる』で舞台にしたのは、杭州にある最高峰の中国茶・龍井茶の生産地で知られる西湖のほとり。
仏教故事をもとに、前作とは大きく異なる人間の業、まさに天国と地獄の世界を描きだしました。
父が家を出て行方が分からなくなって10年。タイホアは、茶摘みの出稼ぎの仕事で息子のムーリエンを育て上げました。
しかし、つまらないことで仕事をクビになったタイホアは、親友のジンランに誘われ、バタフライ社のバスツアーに参加します。
ジンランの弟も働いているというバタフライ社は、怪しげな足裏シートを販売し、販売成績が良ければマネージャーになり1080元もらえると言いますが、その実態はマルチ商法でした。
ムーリエンは、洗脳され、外見も中身も変わってしまった母親をなんとか正気に戻そうと説得しますが、母親は聞く耳を持たず、ムーリエンを責めます。
ついにムーリエンは、母親を救うため一線を越える選択をしてしまうのでした。
映画『西湖畔(せいこはん)に生きる』の作品情報
【日本公開】
2024年(中国映画)
【原題】
草木人間
【英題】
Dwelling by the West Lake
【監督】
グー・シャオガン
【脚本】
グオ・シュアン、グー・シャオガン
【音楽】
梅林茂
【キャスト】
ウー・レイ、ジアン・チンチン、チェン・ジエンビン、ワン・ジアジア
【作品概要】
『春江水暖 しゅんこうすいだん』(2021)で世界から注目されたグー・シャオガン監督の長編2作目。前作同様、山水画のような美しい風景を映し出しつつ、前作とは異なるジャンルで現代の人間の業を描き出しました。もとになったのは、仏教故事の「目連救母」。
音楽を担当したのは、ウォン・カーウァイ監督の『花様年華』(2001)や森田芳光監督の『それから』(1985)、鈴木清順監督の『夢二』(1991)など数々の映画音楽を手掛けた梅林茂。
前作では、監督の親戚など職業俳優ではない俳優を起用し、撮影方法もインディペンデントでしたが、本作では制作会社のもと撮影を行い、注目俳優や実力は俳優が顔を揃えました。
ムーリエン役を演じたのは、ドラマ『長歌行』(2021)や映画『SHADOW/影武者』(2018)などで活躍し、注目を集めるウー・レイ。タイホア役には、『越坊の女たち 当家主母』(2020)のジアン・チンチンが演じました。
映画『西湖畔(せいこはん)に生きる』のあらすじとネタバレ
杭州市。最高峰の中国茶・龍井茶の生産地である西湖。
今年も茶摘みのはじまりを山に知らせる“山起こし”が始まります。夫のホー・シャンは10年も前に出て行ったきり消息不明で、タイホアは茶摘みの出稼ぎの仕事をしながら息子のムーリエンを育て上げました。
ムーリエンの故郷では、幼少期に自分の木を見つけるといいます。そして、父の木が山にあるかぎり、父は見つかると信じています。
そんなムーリエンは大学を卒業し、杭州で仕事を探しますが、なかなか見つかりません。そんなムーリエンに母は、「仕事を見つけて良い人と結婚して一人前になるのよ」と言います。
そのために自分は貯金をしなくてはというムーリエンは、茶畑の主人・チェンと再婚を考えていることをムーリエンに話します。
ムーリエンは「でも父さんが…」と父のことを気にかけます。「父は死んだ、知らせが来たの」とタイホアは言います。それでもムーリエンは胸の中で父のことを諦められずにいました。
タイホアとチェンとの再婚はうまくいかず、「仕事を与えてあげたのに」とチェンの母親によって仕事を奪われてしまいます。
タイホアの親友のジンランも茶摘みの仕事を辞めます。そして弟が働いているというバタフライ社のバスツアーにタイホアを誘います。バスツアーの司会を務めるワン・チンは自信に満ち溢れ、成功した女性としてタイホアの目には映ります。
パーティーのような異様な興奮感に包まれた会場の空気に気後れしていたタイホアでしたが、「あなたも成功できる」「バカにされたままでいいの」と等詰められ次第に熱に浮かされたように会場と一体になって叫び出します。
一方、健康器具を売る会社に就職したムーリエンは、「実の子のように老人に奉仕して懐に入って健康器具の話をするんだ」と上司に言われて疑問を感じながらも仕事をしていました。
しかし、健康器具体験の会場に老人の1人の実の息子らが乱入し、詐欺師と罵られる先輩を目にしたムーリエンはこのような仕事はできないと仕事をやめ、求職活動をまた始めます。
映画『西湖畔(せいこはん)に生きる』の感想と評価
美しい茶摘みの風景から始まる映画『西湖畔(せいこはん)に生きる』。
前作『春江水暖 しゅんこうすいだん』(2021)では、監督の故郷でもある杭州の富陽という街を舞台に、モチーフとなっているのは、「富春山居図」という山水画でした。
大河・富陽江を山水画のように映し出し、「横」の流れで都市開発から取り残された街と、移り変わる家族の様子を三世代に渡って映し出しました。
「山起こし」から始まる本作は、再婚をするはずだった男性の母親によって職を失い、山を降りる母に象徴されるように、「横」ではなく、「縦」の映画と言えるでしょう。
前作が第一巻で第二巻となる本作では、前作と地続きである映画を期待されることも多い中、その期待を見事に裏切ってきます。監督は、山水画の哲学性を映画に落とし込むことに挑戦し、「山水映画」というジャンルを確立したいと言います。
そして本作は、「山水映画」に犯罪というジャンルを落とし込むという挑戦をしています。そのトリッキーさに驚いた人も多いでしょう。
しかし、犯罪というジャンル映画ではありますが、そこにあるのは家族の話であり、前作とつながる部分もしっかりあるのです。自然の息吹が伝わってくるような静かにな視点、映像美も顕在です。
また、本作では「目連救母」という仏教故事はベースにあります。「目連救母」とは、日本の仏教においても、お盆の由来の一つとして知られています。
息子思いであった母の死後、天国を探してもその姿が見つからず、地獄をのぞいてみると餓鬼道に落ちた母の姿を見つけた目連は、母が何の罪を犯したのか、救う手立てはないのか、とお釈迦様に相談します。
すると、母は、家族思いであったあまりに、他者に対して業を犯していたというのです。「本来は生前の因果でしか人は救われないが、雨期に山で修行していた僧が町へ降りてくるから、その方々にご飯や食事を施しなさい」とお釈迦様に教えられた目連はその教えを実行します。
そして母親は餓鬼道から抜け出し浄土の世界に旅立ちます。これが「目連救母」の概要です。
「目連救母」における家族を思うあまり地獄に落ちてしまう母の姿は、本作のタイホアの姿に重なります。しかし、本作はそれだけではなく、息子のためにお金を稼ごうとしていたはずが、お金を稼いで自分を見下していた人々を見返したい、惨めなタイホアから生まれ変わりたいと思うようになります。
いつの間にか目的が息子のためというよりも、自分の承認欲求を満たすことが目的になってしまっているのです。ここに人間の業の深さが描かれています。
タイホアだけでなく、バタフライ社に洗脳される人々は、「働かせてくれない夫を見返したい」「いい就職先がない」「ガンを宣告され情けない父親で痛くない」などそれぞれ自分を強く保てる“何か”を求めています。
その姿に象徴されているのは、現代人が抱える貧国と格差、抑圧が根底にあります。“どんなに頑張っても報われない”からこそ甘い汁に惹かれてしまうのです。
冷静に考えれば、おかしいところはあったはずです。それなのに「皆がやっているから」「大きな会社だから」「詐欺だったらこんなに堂々とできないはず」と自分を安心させる理由を探してしまうのです。
一方で、人の弱さ、承認欲求に漬け込むのが詐欺です。監督自身、知人がマルチ商法の被害を受けたことが本作にも影響しているといいます。
現代的なテーマで犯罪を描きながらもそこに神秘的な要素をもたらしているのが、山の存在といえます。
山の目覚めから始まる本作は、山から降りたタイホアが抑圧など様々なものから自分を解き放ちたいという欲求に駆られ、地獄へと堕ちていきます。
そんな母親を救おうとするムーリエンもまた、業に雁字搦めでいつ堕ちてもおかしくない瀬戸際にいます。母を救うために行った行為によって母は正気を失ってしまいます。
正気を失った母を取り戻すため、ムーリエンは母を背負って山に入っていきます。山によって母を呼び起こす、まさに天上の救いを求めることなのです。
母を呼び覚ます虎の姿は聖霊とも繋がっているのでしょう。この映画の根底にある哲学的な神秘性の根底には、禅や仏教の思想があり、長い年月を経て人々が享受し、共に生きてきたものといえます。
一筋縄ではいかない犯罪映画を手掛けたグー・シャオガン監督が、「山水映画」と共に次に手掛けるのはどのようなジャンルなのでしょうか。
制作予定だという三作目が楽しみになります。
まとめ
仏教故事「目連救母」に着想を得た現代の天国と地獄を描く映画『西湖畔(せいこはん)に生きる』。
神秘的な映像と生々しいマルチ商法の闇を描いた本作に、更なる説得力を持たせているのは、ウー・レイ、ジアン・チンチンの名演技と言えるでしょう。
冒頭、茶摘みをし、親友のジンランと話すタイホアは素朴な女性です。バスツアーに参加した際も、人前に出るのを恥ずかしがるような素振りをみせていました。
そんなタイホアだからこそ、堂々とし、成功した女性として登場したワン・チンに憧れを抱き、自分もそうなりたい、なれるかもしれないとマルチ商法にのめり込んでいくのです。
久しぶりにムーリエンと再会したタイホアはメイクをし、華麗な服を着込み、成功した女性として振る舞っています。その変貌ぶりにムーリエンだけでなく、観客も驚いたでしょう。
必死に「詐欺だ、騙されている」と訴えるムーリエンに対し「何でもいい、惨めなタイホアから生まれ変わったの、私は楽しい。やっとなりたい私になれた」と雨の中叫ぶタイホアの姿は狂気的で人はこんなに変われるのかという恐ろしさすら感じます。
巧みに弱さに漬け込み、洗脳するバタフライ社の手法は恐ろしく、人に疑問を抱かせなくしていきます。気が狂いそうになるまで、追い詰め、自問させる姿は演じている側にも相当なプレッシャーだったはずです。
本作の撮影にあたって、アドバイザーとしてカウンセラーを起用し、映画の撮影現場にもきてもらい配慮をした上で撮影したといいます。それほどまで鬼気迫る演技を見せたジアン・チンチン。
一方で、ウー・レイは繊細さもある真っ直ぐな青年です。そんな性格から、老人を騙して健康器具を売りつける会社に耐えきれず辞めてしまいます。
お金を得るためには非業にならなければいけない現実もあることを感じさせる場面でもあります。生活のため心を殺して働かなければならない現状、働いても働いても裕福にはなれない、そんな社会の息苦しさも本作の根底にあるものの一つでしょう。
普遍的な人間の業と、現代社会が抱える闇を山水映画と織り交ぜ生み出した新たなジャンル映画であり、そのトリッキーさが印象に残る映画になっています。