江口のりこが演じる、平穏な暮らしが崩れ、理性を失って行く主婦の姿
今回ご紹介する映画『愛に乱暴』は 、「楽園」「怒り」など多くのベストセラーを発表し、映画化もされている吉田修一の同名作を、『さんかく窓の外側は夜』(2021)の森ガキ侑大が手掛けたヒューマンサスペンスです。
物語は郊外の閑静な住宅街が舞台。
結婚して8年の初瀬桃子は、夫の実家の敷地内の“はなれ”で暮らし、母屋にいる義母を気遣い、自分に無関心の夫にも献身的に振舞いながら、「丁寧な暮らし」に勤しむ毎日を過ごしていました。
ところがそんな桃子の周囲では、可愛がっていた野良猫が行方不明になったり、不審火が起きるなど不穏な出来事があり、自分の生活にも暗雲が迫ります。
映画『愛に乱暴』の作品情報
(C)2013 吉田修一/新潮社 (C)2024 「愛に乱暴」製作委員会
【日本公開】
2024年(日本映画)
【監督】
森ガキ侑大
【原作】
吉田修一
【脚本】
森ガキ侑大、山﨑佐保子、鈴木史子
【キャスト】
江口のりこ、小泉孝太郎、馬場ふみか、水間ロン、青木柚、斉藤陽一郎、梅沢昌代、西本竜樹、堀井新太、岩瀬亮、風吹ジュン
【作品概要】
『ブルーピリオド』『もしも徳川家康が総理大臣になったら』(2024)など、話題作に連続出演し、『お母さんが一緒』(2024)でも主演を務める江口のりこが、“丁寧な暮らし”を大切にする平凡な主婦から、変貌していく初瀬桃子役を怪演しています。
また、桃子の夫・真守役にはTVドラマやバラエティ番組で活躍し、独自のキャラクターが定着しつつあった小泉孝太郎が、主要な役に挑み新しい側面を見せます。
他に真守の愛人・奈央役をTVドラマ「仮面ライダードライブ」で悪役ヒロインを演じ、『コーポ・ア・コーポ』(2023)で主演を務めた馬場ふみか、名バイブレイヤーとして多くの話題作に出演する風吹ジュンなど、実力派俳優が脇を固めます。
映画『愛に乱暴』のあらすじとネタバレ
(C)2013 吉田修一/新潮社 (C)2024 「愛に乱暴」製作委員会
ゴミ出しの朝、桃子は母屋で暮らす義母・照子に出すゴミはないか声をかけます。結婚して8年になる桃子と照子の関係は概ね良好です。
ごみの集積所へ行くと分別されず捨てられた空き缶が転がっていて、桃子は軽くため息をつき、一旦家に戻りレジ袋を持って戻ると空き缶を拾い集めます。
その様子をみつめる若い男に桃子は気づき、いぶかしい気持ちになります。若者は自転車でどこかへ行ってしまいますが、そこからそう離れていない場所で、白煙が上がっているのを見つけサイレンも聞こえてきます。
桃子は週に2回、手作り石けんを作る教室の講師をしています。桃子が勤めていた会社が運営をし、浅尾という男性社員が担当しています。
浅尾は桃子に講座が好評であることを伝えると、桃子はさらに大きく展開したいと企画書を取り出し、元上司の鰐淵に渡してほしいと託します。
桃子が帰宅すると近所の主婦たちが警察官と話をしていて、桃子に気づいた警官の1人が近づき、周辺で不審火が続いていると話します。
不審火という物騒なできごとの他に、桃子には心配事がありました。“ピーちゃん”と名付け可愛がっていた野良猫が姿を見せなくなったからです。
そんな気がかりがありながらも、桃子は手の込んだ料理を作ったり、欲しかった高級メーカーのカップ&ソーサを入手したりしながら、充実した生活に勤しみます。
桃子にはもう一つ、生活に彩りを加える計画がありました。それは暮らしている“はなれ”をリフォームすることで、業者から取り寄せたカタログを見ながらワクワクします。
夫の真守が帰宅すると桃子は待ちきれないように、リフォームの話を始めますが、真守は「あとで見る」と軽く受け流し浴室へ行ってしまいます。
真守は桃子が購入したカップ&ソーサーに気づきますが、嬉しそうにする桃子に「よかったね」とだけ言いそれ以上の興味を示しません。
そして、就寝する時に近所で不審火が続いていると話しても、「そうなんだ。怖いね」というだけで無関心でした。
以下、『愛に乱暴』ネタバレ・結末の記載がございます。『愛に乱暴』をまだご覧になっていない方、ストーリーのラストを知りたくない方はご注意ください。
(C)2013 吉田修一/新潮社 (C)2024 「愛に乱暴」製作委員会
真守が出張で香港へ行く前日、桃子は彼のワイシャツにアイロンをかけ、パリッと仕上がったワイシャツの匂いを嗅ぎ、丁寧に畳んで旅行鞄に入れます。
朝、桃子は真守に香港で“よもぎ石けん”と“プーアル茶”を忘れずに買ってきてほしいと頼み見送ります。
桃子は手作り石けん教室の企画について話すため、鰐淵に会うため会社へ行き、ランチ時の食堂で桃子は鰐淵と面会しますが、彼は桃子の企画書に目を通していませんでした。
鰐淵は企画のことをはぐらかし「戻ってきちゃえば?」と復職を口にします。桃子は半信半疑でそんなことできるのか聞くと、自分が人事に口利きすれば簡単だと答えます。
家に帰ると照子が玄関前の雑草を刈っていました。桃子が放置気味だったことを謝ると、照子は石鹸教室のことに触れ、「週2日だけだと洋服代で消えちゃうわね」と言います。
桃子はお茶を入れて照子を家に招き、買ってきたマドレーヌを出しました。そして、作り置きしたシチューのおすそ分けを勧め、照子はもらって帰ると言いつつ、真守はお肉よりも魚が好きだけど、桃子が魚料理を作らないと指摘します。
夕刻、桃子はSNSの“妊活”女性のアカウントで、香港旅行で浮かれた女性の投稿を眺めています。すると出張から真守が帰宅し慌ててスマホを伏せます。
頼んでおいた“よもぎ石鹸”の香りを嗅ぐ桃子は満足気です。キャリーケースを開けると荷造りしたまま、着替えていないとわかる状態です。桃子はワイシャツを取り出して、襟の匂いを嗅ぎました。
すると外から鈴の音と猫の鳴き声が聞こえ、慌てて縁側の窓を開けて「ピーちゃん」と呼びます。しかし、その鳴き声は部屋の床下から聞こえてくるようで、桃子は畳に耳を当ててみます。
ゴミ出しの日、いつものように照子に声をかけますが、なかなか出て来ないので掃き出し窓を開け声をかけると、億劫そうに照子は出てきます。
集積所に行くとその日はカラスが生ゴミを食い散らかしていて、桃子は水を入れたバケツとデッキブラシを持って、イライラしながら周辺を掃除しました。その様子をまたあの若者が見ていて、桃子の気持ちを逆なでします。
ホームセンターへ猫餌を買いに行った桃子は、DIYコーナーの棚にある、チェーンソーの箱を眺めていると照子とばったり会い驚きます。
桃子は慌ててレジに向かいますが、レジ係はゴミ集積所で桃子を見ていた若者で、名札に“李”と書かれている外国籍の青年でした。片言の日本語で「いらっしゃいませ」と言い、伸びた前髪で表情はわかりません。
その日の夕方、照子が桃子を訪ね真守が好きだから食べさせてほしいと、“スズキ”を数尾持ってきます。桃子は「こんなに…」とつぶやくと冷凍できるからと帰ってしまいます。
桃子はイラっとしながら、魚の入ったビニール袋を冷凍庫にしまい、手の匂いを嗅ぐと石鹸でゴシゴシ洗い流します。
そしてその晩もSNSの妊活女性のアカウントを見ると、女性は付き合っている男性と産婦人科の検診に行き、彼の子を妊娠していたことを綴っていました。
そこに真守が帰宅し唐突に桃子に「会ってほしい人がいるんだ」と告げます。それは桃子が最も聞きたくない言葉でした。
桃子は真守に連れられホテルのラウンジに行き、真守の不倫相手、奈央と対峙します。桃子は愛人の存在は知っていたと言い、今後一切夫と会わないようまくし立てます。
しかし、真守は奈央が妊娠したことを告げ、桃子とは離婚したいと言うと、平静を保っていた桃子は声を荒げ、取り乱し醜態をさらし、その場から去っていきます。
怒りと情けなさで消沈した桃子は、気持ちをリセットするために実家へ立ち寄ります。桃子は甥や姪から慕われていて歓迎されます。
母は泊まって行くのかと訊ねますが、桃子は夜までには帰ると応えると、母は息子夫婦との同居で家が手狭になったから、自室を片づけるよう言います。
桃子が使っていた部屋には甥と姪の物が増えています。クローゼットを開けると、彼女が独身時代に着ていた、花柄の服や音楽CD、本などが残っていました。
桃子はその中の花柄のワンピースを手に取り、懐かし気に見つめました。それは彼女が時々見ていたSNSの女性が着ていた服と同じでした。
桃子は実家で賑やかな夕食をし、平凡の中に細やかな幸せがあることを肌で感じると、自分の置かれた立場を痛烈に実感します。
帰宅すると真守から連絡があり、しばらく家には帰らないと告げられました。桃子は翌日、真守が職場から退勤するのを待ち伏せし尾行します。
真守は小さな子供を連れた親子を穏やかな表情で見つめます。そして、コンビニで何か買い、奈央の住んでいるマンションに着くと「ただいま」と部屋の中に入っていきました。
手作り石けん教室では気もそぞろで、集中していない桃子を浅尾は心配します。桃子は企画書を鰐淵に渡さなかった理由を浅尾に聞き、展開するどころか閉鎖される予定だと告げられます。
帰宅した桃子はSNSの“流産”してしまったという投稿を読みます。そしてまた、どこからか猫の声と鈴の音が聞こえ、「ピーちゃん」と裏庭の家庭菜園を探します。
猫の姿は見つかりませんでしたが、大きく育った“スイカ”をみつけ、桃子は思いついたように収穫すると、スイカを持って奈央の住むマンションへ行きます。
奈央は桃子に謝罪をしますが、桃子から質問を受け“教師”をしていること、独りで子供を産み育てるつもりだったと話します。
(C)2013 吉田修一/新潮社 (C)2024 「愛に乱暴」製作委員会
桃子は誰もいない家の中で猫の声を聞き、翌日決心したようにホームセンターへ行って、“チェーンソー”を買って帰り、一心不乱に畳の下板を切っていきます。
そして、床下があらわになると、異音に気がついた照子が訪ねて来ます。桃子は慌てて床下に隠れ畳をもどします。そこに真守も一時帰宅します。
出張と聞いていた照子は驚きますが、奈央のことを話し彼女が妊娠5ヶ月だと言います。照子は桃子の二の舞ではないかと、怪訝そうに言います。
桃子も既婚者であった真守の愛人で、真守の子を妊娠したことで、彼は前妻と離婚し彼女と結婚をします。しかし、桃子は流産しそのことを黙ったまま結婚したので、照子は桃子が嘘をついたのだと思っていました。
その後も桃子は床板を切り開くと、次は地面を掘り始めクッキー缶のような物を掘り出し、蓋を開けると中にはベビーソックスがあり「ピーちゃん」とつぶやいて抱きしめます。
異音を聞きつけた照子が駆けつけると、泥だらけの桃子の姿を見て愕然とします。さらに真守も家に入ってくると、桃子は「私は嘘つきじゃない」と言い放ちます。
そこに警察官が訪ねて近所から騒音の苦情が来ていると伝えます。桃子はリフォーム中だとその場を収めますが、真守は桃子に「お前、おかしいぞ」と言い放ちます。
桃子は“おかしいふり”しているだけで、そうしていないと本当におかしくなると言い返します。真守はついに離婚話を切り出し「お前といても何もかもが楽しくない」と告げます。
照子と真守が帰ると桃子は、自分の好きだった雑誌やカタログ、お気に入りの英国のカップ&ソーサー、SNSを見ていたスマホなどをゴミ袋に投げ入れ、ゴミ集積場へ行きます。
するとその集積場に火が放たれ炎で燃え上がっていました。桃子が唖然とその光景を見ていると、そこに警察官が現れ桃子に声をかけます。
桃子はとっさにその場から駆け出し、家とは反対の方へ走っていきました。どこまでも走りたどり着いたのが、いつも行くホームセンターの搬入倉庫でした。
桃子が搬入カートにうなだれ泣きじゃくっていると、少し離れた場所からあの外国人青年がみていました。
裸足のままの桃子に、自分の履いていたサンダルを目の前に置き、「いつもゴミをキレイにしてくれてありがとう」と言います。その言葉を聞いて桃子はまた、泣きじゃくります。
桃子とギクシャクした照子は母屋は売り、別のところで暮らすと伝えます。そして、“はなれ”は桃子の好きなように使っていいと言いました。
その後、桃子は母屋の縁側に座り、アイスキャンディーを食べながら、真守と暮した“はなれ”が解体されていく様を眺めます。
映画『愛に乱暴』の感想と評価
(C)2013 吉田修一/新潮社 (C)2024 「愛に乱暴」製作委員会
『愛に乱暴』の主人公・初瀬桃子は毎日を丁寧に暮らす、スローライフを意識していました。天然素材や家庭菜園、手の込んだ料理など心のゆとりを感じさせます。
しかし、それは“ゆとり”ではなく、喪失感を埋めるための“手段”にすぎなかったと徐々に気づかされるでしょう。
桃子の真守への“愛”は一方的で、妊娠によって真守の気をひいたのです。前妻と離婚させ真守を手に入れますが、それも“流産”によってかりそめの結婚生活となります。
つまり、愛を乱暴な手段で手に入れた女の顛末が、この映画では描かれています。真守はそもそも子供好きで、子供のいる普通の生活を望んでいたと感じとれます。
真守は前妻との間では子供が恵まれず、気の迷いで愛情も関心もない桃子を妊娠させてしまい、離婚するに至り桃子との結婚生活へと向かいました。
ラウンジで自分のことを棚に上げ、奈央を冷淡にまくしたてた桃子を見る奈央の目は、「どの口が言う?」とでも言いたげな表情でした。
奈央には桃子に詫びたい気持ちがありましたが、桃子に前妻に対して詫びたい気持ちがあったのか疑問に思います。前妻には“妊娠”を盾に勝者のように振舞ったのではないか?そんな想像すらしてしまいます。
2人の間に子供が誕生していれば、真守は家庭に落ち着いたでしょう。しかし、流産したことで真守の心から桃子は完全に消え、真守にとっては意味のない結婚生活だけが残ります。
桃子には流産したショックに加え、同時に真守との関係に距離が生じてしまう恐怖に、追い込まれていきました。桃子が床下にベビーソックスを埋めたのは、真守から愛される暮らしへシフトする儀式だったのでしょう。
心にゆとりがあるように見せるためのスローライフだった。良識ある生活も自分がしてきた過ちを誤魔化すためだったと、透けて見えてきました。
そして、何もかも失っていく桃子が不憫に見えてしまいますが、結局は桃子が“略奪愛”をしたことで、同じ報いを受けていっただけとも見えてしまいます。
桃子の生き方はみせかけの丁寧な暮らしで、本心は自己顕示欲や承認欲求の塊で、全く丁寧ではなかったからです。
また、良い悪いは別として、真守は奈央が安定期に入るまで事実を隠していたようでした。彼女と授かった子を守ろうとする「愛」がありました。
そもそも真守が桃子の気持ちをもてあそばなければ、「愛」の掛け違いは起こらず、前妻と平穏に暮らしていたかもしれません。
桃子もまた流産していたにも関わらず、正直に話さず結婚に踏み切ったズルさがありました。互いに求めるものが違うにも関わらず、桃子の執着がもたらした結果と言えます。
まとめ
(C)2013 吉田修一/新潮社 (C)2024 「愛に乱暴」製作委員会
映画『愛に乱暴』の森ガキ監督は、悪意のない空間にいることが逆に、お互いに乱暴になっていくことを描いたと語ります。つまり悪意を表に出さない代わりに、隠した心のやましさを浮き彫りにした作品でした。
また、共感した人も多いのではないかと感じる、一生懸命頑張っても報われない「愛」、奉仕しても感謝されない虚しさ、ちょっとした一言で心が救われることも描いています。
それを象徴したようなシーンに、桃子がゴミ出しの日に散乱したゴミを片づけているのを、外国人青年が見ていたのは、純粋に感謝する気持ちからでしたが、桃子の目には青年がやましく怪しい男に見えていたところです。
結局、最後にその青年の「いつもありがとう」という言葉で、感謝して見ていてくれた人がいたと気づくのですが、その後の桃子がどのように生きていくのか……?想像を委ねられます。
本作は何度も事件性のあるできごとがあるのでは?と期待させる伏線のようなものが出ますが、全て「ドラマの見過ぎ」「刺激を求めすぎ」という現代人の期待を裏切ります。
現実の方が一線を越えるような人は少なく、むしろ悪意のない日常の方が残酷である、ということを突きつける作品でした。