あなたは誰なのか?30年後に知る父の人生と愛
今回ご紹介する映画『大いなる不在』は 、初の長編作品『コンプリシティ 優しい共犯』(2020)が、多数の国際映画祭で高い評価を得た、近浦啓監督の2作目となる作品です。
本作は第71回サン・セバスチャン国際映画祭のコンペティション部門で藤竜也が最優秀俳優賞を受賞し、第67回サンフランシスコ国際映画祭では最高賞のグローバル・ビジョンアワードを受賞しました。
主人公の卓(たかし)は幼い頃に母親とともに父親から捨てられ、長年疎遠になっていました。しかし、その父が警察に捕まったとの連絡で面会に向かうことになります。
ところが父の陽二は認知症を発症しており、すっかり変わり果てていました。卓は陽二の自宅へ行くも、再婚相手の義母(直美)の姿はなく連絡がつきません。
卓は家に残された陽二の書き残した大量のメモ類や手紙から、陽二に近しい知人などと対面し、知られざる父親の生活を紐解いていきます。
映画『大いなる不在』の作品情報
【公開】
2024年(日本映画)
【原題】
Le chemin du serpent
【監督】
近浦啓
【脚本】
近浦啓、熊野桂太
【キャスト】
森山未來、藤竜也、真木よう子、原日出子、三浦誠己、神野三鈴、利重剛、塚原大助、市原佐都子
【作品概要】
主人公の卓役には『怒り』(2016)、『ボクたちはみんな大人になれなかった』(2021)の森山未來が務め、卓の良き理解者であり妻の夕季役を『アンダーカレント』(2023)の真木よう子が演じます。
卓の父・陽二役は『コンプリシティ 優しい共犯』でも近浦監督とタッグを組んでいる、藤竜也が演じています。
本作は北米最大の日本映画祭ジャパン・カッツでも上映され、藤竜也は『愛のコリーダ』(1976)、『愛の亡霊』(1978)など、長年の功績を称える特別生涯功労賞を受賞しました。
映画『大いなる不在』のあらすじとネタバレ
早朝、閑静な住宅街のある一軒の家を機動隊が静かに包囲。やがて、突撃命令がくだり集団が突入しようとした時、ドアが静かに開き中から身なりを整えた老紳士が現れます。
俳優の遠山卓(たかし)が参加していた劇団のワークショップを終えると、スマートフォンには父・陽二が事件を起こし、警察に捕まったと連絡が入っています。
卓は妻の夕季と共に、陽二と対面するため北九州に向かいます。卓は陽二がいる施設で職員から、陽二の健康状態や何かあった時の延命処置などについて確認されます。
しかし、30年間会っていない父のことを知る由もなく、怪訝そうな態度をとってしまいます。
後日、入所の手続きが終わると陽二に会えると知りロビーで待ちます。しばらくすると、きちんとスーツを着た紳士的な陽二が現れます。
卓と夕季は親しみを込めて「お父さん、久しぶり」と声をかけます。陽二の様子は理路整然と会話し、一見変わった様子はないように見えました。
ところが夕季がここでの生活を聞くと、陽二は“当局”に囚われ監視が厳しく、不自由だと言い身に危険を感じると話します。と、直美の日記帳を見つけ、中に陽二から直美に宛てた恋文があります。
戸惑う2人は陽二との面会を終え施設をあとにしようとした時、職員から陽二が大事そうに持っていたという、古いカバンを持ち帰るように言いました。
宿泊しているホテルに戻り、卓は持ち帰った陽二のカバンの中身を確認していると、直美の日記があり中に、陽二からの恋文が貼られているのをみつけます。
直美に対する並々ならぬ愛と恋焦がれる想いが、小説のように情景描写で書かれていて、陽二が母と自分を捨てた要因を知ることになりました。
卓は陽二が暮らしている家へ行きますが何か様子が変でした。玄関ドアには“鍵をかける”というメモ書きが貼られ、部屋の中は散らかり洗濯物は干しっぱなしです。
部屋のいたるところに物忘れの進んだ、陽二が書いた注意書きのメモが貼られてあり、テーブルにも多数のメモ書きが残されていました。
また、陽二が再婚した直美の姿もありません。夕季は陽二が施設に入ったことを知らせるべきだと言い、卓に携帯へ電話をするよう促します。
しかし、直美は自宅に携帯を置いたまま姿を消していました。卓は認知症を発症した父を施設に残し帰宅できず、失踪した直美を捜すために実家にとどまります。
『大いなる不在』の感想と評価
30年間の隔たりと密接
30年間、父・陽二が不在だった人生の卓にとって、陽二が認知症になり変わってしまったことは、リアルさがなくショックは少なかったと言えます。
しかし、反対に直美にとって陽二の変貌は、心身に負担がかかるほどのショックでした。陽二も直美も既婚者でありながら、陽二は直美の存在が忘れられず、熱烈なアプローチの末に家族を捨てます。
直美もまた男性から愛される幸福を陽二から見出し、離婚して彼と再婚する道を選びます。そして30年間、献身的に陽二を愛し支えて暮らします。
彼女の立場からすれば、家族を捨ててまで自分との結婚を望まれ、その思いに応えて陽二を中心に暮らし、愛に満ちた30年という自負があります。
それでも“認知症”とは、そのささやかな自己肯定をも壊す威力があり、培ってきた夫婦の絆までも崩しました。
朋子は直美は二度と陽二には会わないと言いましたが、朋子は単純に姉が陽二から苦労をかけられてきたからと、考えている感じです。
でも、直美が思っている感覚には違いがあります。直美は自分のことを忘れ、愛していた陽二が変貌していく姿を見たくなかったのです。
さて、卓にとっては30年間、“不在”であった父が認知症になり、変貌してしまったことにギャップはありません。ある意味他人事に近い感覚だったと思います。
また、母と自分を捨てた父親でありながら、卓からは陽二に対する憎悪を感じません。母は離婚の理由を語らず、陽二について存在そのものを消していたとすら感じました。
それゆえに卓には陽二について先入観や固定概念がなく、感情的にはフラットな状態だったと考えられます。
それでも陽二の書いた恋文には、卓が陽二に興味を抱くインパクトがありました。陽二に関わっていた人たちと会ったことで、彼の人生の偉業や自分へ向けた愛情など、良い面だけを知るきっかけになります。
忘れていく恐怖と忘れられる恐怖
良くも悪くも陽二には独特な世界観があり、学者としての誇りと自己肯定感が高く、誰もが自分を敬うと自負し、ロマンチストで人の心を動かす恋文も書ける人物です。
最初の結婚ではその自己肯定感が満たされず、彼の人生で納得のいくものではなかったのでしょう。学生時代に恋をした直美への思いが募り、彼女との生活しか考えられなくなったのだろうと推測ができます。
しかし、前妻との間にできた息子・卓への愛情は別物でした。直美への一途な想いと引き換えに、息子との別離を選んだことは自責の念となります。
認知症で現実と妄想の境が曖昧な時、陽二は幼い卓に暴力をふるってしまったことがあると詫び、許しを乞うシーンがあります。ところが卓にはそんな記憶がなく戸惑います。
それは陽二が幼い頃に体験した記憶の断片だったかもしれないし、幼かった息子を捨てたことへの謝罪とリンクし許してほしかったのだと推測できます。
さらに陽二は認知症を認めたくない葛藤と、直美を忘れていく恐怖を感じます。忘れないように大量のメモに書き止め、その恐怖から穏やかな面を失い直美に辛くあたるようになりました。
卓がワークショップで演じていたのは、ウジェーヌ・イヨネスコの戯曲『瀕死の王』です。死が目前に迫っている王がそれを受け入れられず、葛藤する様が描かれています。
陽二には“認知症”という現実を受け入れられないプライドがあり、愛する者を忘れていくことと、愛した者から忘れられていくことは“死”に等しいと気づきます。
家を出ていく直美は帰ってこないと直感し、解放するように見送った陽二……薄れゆく記憶の中で事件を起こし、自分の身の上を行政に託しました。
しかし、その行動は結果的に卓の父親捜しの伏線となり、“血”の繋がりが持つ親子の愛情を開花させたのではないでしょうか?
そこに想定外のできごとCOVID19が発生し、家族や親しい知人友人を分断しました。卓が職員に言った「できるだけのことをしてあげてください」も、陽二と決別し元の生活に戻る、後悔しないための父への愛情の言葉です。
まとめ
映画『大いなる不在』は、“W不倫”による両親の“離婚”、長年連れ添った夫婦に“認知症”で突きつけられる介護の現実など、身近なことを題材にしています。
互いの愛を拠り所にする熟年の夫婦は、その愛の消滅を認知症によって理解します。夫は愛する人を苦しめると、自ら妻を解放する愛を選択しました。
また、父親の不在で愛を知らない息子が、父の起こした騒動をきっかけに、知らなかった父の人生を埋めながら、父親への微かな愛情を覚える物語でした。
“認知症”は誰にでも起こりうることで、家族にできることを示しています。認知症になったらどうしてほしいのか伝えること、家族の負担を最小限にする方法を考えることです。
しかし、COVID19は家族の死にも立ち会えない出来事でした。家族は何かことが起きても一丸となれる存在でありたい……。映画『大いなる不在』はそれを考えさせられる作品でした。