連載コラム『君たちはどう観るか』第2回
宮崎駿が「宮﨑駿」として、『風立ちぬ』(2013)以来10年ぶりの長編監督作品を手がけたアニメーション映画『君たちはどう生きるか』。
作中では山時聡真、菅田将暉、柴咲コウ、木村拓哉など豪華な顔ぶれが声のキャストを務め、作品テーマにピッタリな主題歌は米津玄師が担当しました。
本作のタイトルの原案は、宮﨑監督が少年の頃に読んで感動した吉野源三郎の著書『君たちはどう生きるか』だとされています。果たして監督は小説『君たちはどう生きるか』のどこに感銘を受けたのでしょうか。
小説『君たちはどう生きるか』ともう一つの“原案”作品のそれぞれの内容、その上でなぜ映画のタイトルに小説『君たちはどう生きるか』が引用されたのかを探っていきます。
CONTENTS
映画『君たちはどう生きるか』の作品情報
【日本公開】
2023年(日本映画)
【原作・監督・脚本】
宮﨑駿
【主題歌】
米津玄師『地球儀』
【製作】
スタジオジブリ
【声のキャスト】
山時聡真、菅田将暉、柴咲コウ、あいみょん、木村佳乃、木村拓哉、竹下景子、風吹ジュン、阿川佐和子、大竹しのぶ、國村隼、小林薫、火野正平
【作品概要】
『君たちはどう生きるか』は、宮崎駿監督が「宮﨑駿」名義で『風立ちぬ』(2013)以来10年ぶりに手がける長編アニメーション作品。監督が原作・脚本も務めたオリジナルストーリーであり、タイトルは監督が少年時代に読み、感動したという吉野源三郎の著書『君たちはどう生きるか』から引用したものです。
宮﨑監督は、かつて「宮崎駿」として『千と千尋の神隠し』(2001)で当時の国内最高興行収入記録を樹立し、ベルリン国際映画祭でアニメーション作品で初となる金熊賞、並びに米アカデミー賞では長編アニメーション賞を受賞。
本作のほかにも『風の谷のナウシカ』(1984)『もののけ姫』(1997)『ハウルの動く城』(2004)など、スタジオジブリで数々の名作を世に送り出しています。
映画『君たちはどう生きるか』のあらすじ
太平洋戦争中に母親を亡くした少年・牧眞人。それから何年か後、眞人は父と一緒に父の故郷へ行きました。
軍需工場を営む父は大きな屋敷を持っていて、そこには眞人の母の妹・夏子が父の再婚相手として住んでいました。また夏子のお腹には、眞人の弟か妹かになる赤ちゃんがいます。
屋敷には、一匹のアオサギと、雇人の大勢のばあややじいやがいました。
眞人が庭を散策すると、庭の奥は森へと続き、そこには大きな塔が建っていました。アオサギの羽が塔の中にあります。興味を持った眞人が塔の中へ入ろうとした時、彼を探しに来たばあやたちに連れ戻されました。
夏子の話によると、あの塔はその昔優秀な大叔父が建てたものだそうです。大叔父は塔を気に入るがあまり、そこで暮らすようになり、とうとうその塔の中で行方不明になったと言います。
次の日、眞人は転校先の学校へ行きました。ですが、裕福な家庭の御曹司である眞人はクラスの皆から白い目でみられ、学校の帰りにいじめられます。ひとりとぼとぼ帰る道で、眞人は道端に落ちていた石をわざと自分の頭にぶつけて傷をつけました。
眞人の怪我をみて大騒ぎの夏子とばあやたち。眞人は、誰にやられたと聞かれても、自分で転んだとしか言いません。
眞人がひとりでベッドに寝ていると、アオサギが窓を叩くのに気が付きました。なぜか「助けて」と母の声で話しかけてきます。
眞人は飛び起きると、棒を持ってアオサギを追って池の方へ行きました。アオサギは眞人に「本当の母は生きていて、会わせてやるから自分について来い」と言います。
アオサギを信用しない眞人は、騙されまいと拒みます。そこへ眞人を探しにきた夏子たちがやってきて弓矢を放ち、アオサギは驚いて逃げて行き、眞人も気を失い、気が付いたときは自分のベッドに寝かされていました。
その日から眞人はある決意をします。眞人はじいやの助けをかりて、自分で弓矢を作り始めました。
弓矢がほぼ完成した頃、眞人はつわりがひどくて寝込んでいた夏子が森の方へ歩いて行くのを見ました。その後、夏子が屋敷にいないとばあやたちが騒ぎ出します。
眞人はとっさに森の中の塔だと思い、弓矢を持ってそちらへ向かいました。途中で眞人を止めようとしたばあやの一人、キリコも一緒についてきます。
塔の入り口ではアオサギが待ち構えていました。「夏子を返せ」という眞人に、アオサギはとびかかろうとします。そのとき、眞人の放った弓矢の矢がアオサギの嘴を貫きます。
ここがアオサギの弱点だったようです。魔力を失ったアオサギは飛べない小男の姿になりました。そのとき、塔の上部から塔の大王の声がし、「夏子を連れに『下の世界』へ行け」と言われました。
みるみる塔の広間の床がとけ、アオサギ、眞人、そして逃げようとするばあやのキリコをも呑み込んでしまい、「下の世界」へ落ちて行きました。
映画『君たちはどう生きるか』原作/原案を考察解説!
小説『君たちはどう生きるか』とは?
映画のタイトルは、1937年に発表された吉野源三郎の小説『君たちはどう生きるか』から引用されています。
同著の主人公は、15歳の少年・本田潤一。「コペル君」というあだ名を持ち、それは地動説を唱えた天文学者コペルニクスに因んで、潤一の叔父さんがつけてくれたものです。
成績優秀ですが、いたずら好きで憎めないところのあるコペル君は、毎日の生活の中で自分の見た情景や、学校の友人たちとの行動をきっかけに哲学的な考えを深めていきます。
同著は、そんなコペル君の日常の出来事と、彼に向けて叔父さんが書き残してくれたノートのパートで構成されています。
コペル君が、何気なく過ごす毎日の中で発見する「自分という存在」や友人関係の悩みなどを叔父さんに相談すると、叔父さんは「子ども」に対してではなく「これから成長し、生きてゆく人間」としてコペル君と対話してくれます。
そしてコペル君がいつか自身の生き方につまずいてしまうかもしれない時に向けて、コペル君との対話の内容、そして対話の中で改めて自身が考えた「生き方」についてを「コペル君への手紙」という形でノートに記録してくれたのです。
その答えは、とても理にかなっていてわかりやすく、傷ついた心にも響くような優しい言葉で綴られたものでした。
小説ラスト、友人を裏切ったことから「死にたい」とさえ悩むコペル君をいたわり、勇気づけたのも叔父さんのノートでした。いわば、この1冊のノートが、コペル君の人生の手引書になったといえます。
小説は、ノートを読んだコペル君が「自分はどう生きるのか」や「人間は自分で自分を決定する力を持っている」と、人生の生き方を悟っていく成長の物語となっています。
もう一つの“原案”『失われたものたちの本』
一方で、映画『君たちはどう生きるか』のストーリーにも「原案」となった小説があったといわれています。それが、ジョン・コナリーが著した小説『失われたものたちの本』です。
映画のプロデューサー・鈴木敏夫によるエッセイ集『ジブリの文学』(2017)文中で触れられた、当時の宮﨑監督が見せてくれたという「アイルランド人が書いた児童文学」。
正式な書籍名は登場しないものの、映画『君たちはどう生きるか』を観たことで、その本こそが『失われたものたちの本』だと確信された方も多いはずです。
「戦争の時代に母を亡くし、その後の父の再婚に心が動揺する少年」「少年が『ねじくれ男』なる異形に誘われ、同じく異形が跋扈する異世界を旅することになる」など、ストーリーの展開や登場するキャラクターの設定の多くが映画に引用されている『失われたものたちの本』。
同じ児童小説ながらも、その内容は小説『君たちはどう生きるか』と大きく異なる同著ですが、二つの“原案”の最も対照的な点は、「主人公の心を最も動かす存在の“役目”」なのではないでしょうか。
「導く者」も「誘惑する者」もいる世界
小説『君たちはどう生きるか』の主人公・コペル君の心を最も動かす存在は、言わずもがな彼の叔父さんでしょう。コペル君が自身の「生き方」について考えるきっかけをもたらし、真の意味で彼を「導く」役目を担う存在として小説内では描かれています。
対して、『失われたものたちの本』の主人公・デイヴィッドの心を最も動かす存在は、映画『君たちはどう生きるか』に登場するキャラクター・覗き屋のアオサギのモチーフにもなった、ねじくれ男です。
デイヴィッドの母の声をマネて呼びかけることで、過酷な現実に苦しんでいた彼を動揺させるなど、場面ごとにデイヴィッドの心を混乱させる言動・行動をとるねじくれ男。
ねじくれ男は「導く」どころか、現実を受け入れて生きることに悩むデイヴィッドを「誘惑する」役目を担っているといえます。
「導く者」が登場する小説『君たちはどう生きるか』と、「誘惑する者」が登場する小説『失われたものたちの本』。両作がそれぞれに描くキャラクターたちは、「これからを生きる人間」である子どもたちの前に現れる、現実の二面性そのものなのかもしれません。
そして両作が一方はタイトルとして、一方はストーリーや設定として映画『君たちはどう生きるか』に引用されたのは、宮﨑監督が現実の一面だけではなく、その二面性の双方を映画を観る人々に伝えたかったからなのでしょう。
まとめ
宮崎駿監督の映画『君たちはどう生きるか』の“原案”とされる二冊の児童小説の内容に触れながら、なぜ両作が映画に引用されるに至ったのかを探っていきました。
「君たち」という複数形からも、不特定多数の若者たちに呼びかけているのが分かります。小説『君たちはどう生きるか』も、最後は著者からの「君たちは、どう生きるか」という問いかけによって締めくくられます。
これは、人生の先駆者からその子孫たちへの愛情あふれる問題提起であり、自分自身への問いかけとも捉えることができる言葉ではないでしょうか。
そしてもう一つの“原案”『失われたものたちの本』からの引用も、決して一面だけではない現実を描き出すためであり、それを描くこと自体が、宮﨑監督の厳しさも含んだ優しさなのかもしれません。
宮崎駿監督の伝えたいことの想いは深く、作品には社会に対しての問いかけも多く見られました。1度見ただけでは解決できないものもあり、何度でも観て考えたい作品となっています。
星野しげみプロフィール
滋賀県出身の元陸上自衛官。現役時代にはイベントPRなど広報の仕事に携わる。退職後、専業主婦を経て以前から好きだった「書くこと」を追求。2020年よりCinemarcheでの記事執筆・編集業を開始し現在に至る。
時間を見つけて勤しむ読書は年間100冊前後。好きな小説が映画化されるとすぐに観に行き、映像となった活字の世界を楽しむ。