連載コラム「シネマダイバー推薦のNetflix映画おすすめ」第123回
昏睡状態から目覚めた青年は、自分以外の家族が殺された夜の記憶を失っていた……。
フランス映画『ル・パシヤント ─ある患者の記憶─』は、惨劇の記憶を失った青年が精神科医の助けを借りつつも、真実を求めて自らの記憶をたどろうとするサイコ・サスペンスです。
惨劇の記憶を失くした主人公トマをチョミン・ベルジェを演じ、ドラマ『リターンド/RETURNED』(2012)やNetflix『Lupin/ルパン』(2021)で知られるクロチルド・エムが精神科医アナを演じた本作。
本記事ではネタバレあらすじと併せて、多くの謎に満ちた映画『ル・パシヤント ─ある患者の記憶─』を紹介していきます。
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CONTENTS
映画『ル・パシヤント ─ある患者の記憶─』の作品情報
【配信】
2022年(フランス映画)
【原題】
Le patient
【監督】
クリストフ・シャリエ
【脚本】
クリストフ・シャリエ、エロディ・ナメル
【キャスト】
チョミン・ベルジェ、クロチルド・エスム、レベッカ・ウィリアムズ、オドレイ・ダナ、ステファーヌ・リドー、マチュー・ルッキ、アレックス・ロウザー
【作品概要】
「自分以外の家族が殺され、自身も瀕死の重傷を負った」という惨劇の記憶を失った青年が、精神科医の助けを借りつつも、真実を求めて自らの記憶をたどろうとするサイコ・サスペンス。
惨劇の記憶を失くした主人公トマをチョミン・ベルジェを演じ、ドラマ『リターンド/RETURNED』(2012)やNetflix『Lupin/ルパン』(2021)で知られるクロチルド・エムが精神科医アナを演じる。
映画『ル・パシヤント ─ある患者の記憶─』のあらすじとネタバレ
2021年のある日、青年トマ・グリモーは病院の一室で目を覚まします。長い間昏睡状態にあった彼の身体機能は衰えており、自力で歩くことも困難でした。
ときおり現れるフードを被った男に殺されそうになる幻覚に怯え、パニック発作を起こしている……杖をつく精神科医の女性アナ・キフェールと面会し、そう聞かされるトマ。
3年前の嵐の夜、トマの父マルクと母ベティは銃殺死体で発見され、事件当日の数日前から同居していたトマの従兄弟ディランも銃で撃たれ、その後素手で絞め殺されていました。そして当時16歳だったトマも腹部にナイフを刺された瀕死の重傷で救助され、一命を取り留めたものの長い間昏睡状態に陥っていました。
事件当日の記憶が思い出せないトマでしたが、病室の壁のヒビを見た瞬間に記憶の断片が呼び起こされ、意識が混濁。記憶の中の世界で、腹にナイフに刺さった状態の彼は、悲しげな姉ローラの手を握っていました。
意識を取り戻し「彼女は無実だ」と語るトマは、ローラがどこにいるのかアナに尋ねます。しかしアナはローラが現在行方不明であり、彼女を見つけるためにもトマが記憶を思い出すのを手伝うと告げます。
記憶の中の世界で、かつて自身が暮らしていた家と姉ローラを見つけるトマ。家の中へと入っていった彼女を探すうちに、トマは2階にある空き部屋……姉弟が両親に入るのを許されていない部屋であり、アナが「見たくない何か」があると推察した部屋……へと辿り着きます。そしてその部屋の窓から、例のフードの男の姿を見かけます。
やがてトマは生前の両親、そしてローラと食事をします。ローラはトマとともに用意した贈り物のブレスレットを母ベティに渡しますが、母が喜ぶことはありませんでした。
「あなたにとってローラは?」という問いに「全て」と答えるトマ……アナは「記憶は無理に思い出さないこと」「そうした場合、過去と現実が区別できなくなり、記憶を現実と勘違いする可能性がある」と忠告し、その日の面会を終えました。
トマはその後リハビリルームで、交通事故で大切な人を失い、自身も回復リハビリを続ける車椅子の青年バスティアンと会います。しかしパニック発作を起こしたトマは、リハビリルームでフードの男を目撃します。
「男を見たのはあなただけ」と言うアナに、男は決してただの幻覚ではなく自分を捕まえる気なのだと語るトマ。
記憶の中の世界。トマとローラは自宅の近所で、電話をかけ続ける人影を見かけます。フードを被ったその人影は、家に何度も電話をかけてきていた、母ベティの元恋人でした。母が苦しんでいると感じとっていたローラは、その人影に激しい怒りをぶつけます。
帰宅後、玄関にある鏡を見たローラの額には血が流れていました。何事かと尋ねる父に「車に轢かれた」と誤魔化すローラ。
それは、好意を明かしてきた同級生の女子とキスした際、暴力的な愛情の求め方のせいで拒絶されたローラが、衝動的に木へ頭をぶつけ続けたことでできた傷でした。トマもまた、その光景を目にしていました。
「なぜローラが怖い?」「暴力的になるから?」……アナの問いに「ローラは何もしなかった」と答えるトマ。アナは全てを忘れていたのに、なぜそう言い切れるのかと指摘します。
リハビリルームで会ううちに、トマはバスティアンと心を通わせます。しかしその様子を目にした看護師の男は、トマとバスティアンの接触を避けさせるよう他の職員にも促していました。
夜、病室の壁のヒビを見つめるうちに、トマは再び意識が混濁します。
記憶の中の世界、トマは家のそばの道でローラを見つけますが、彼女は突然突っ込んできた車に危うく轢かれそうに。家の2階の例の空き部屋で閉じこもってしまったローラを追ったトマは、ローラを捕らえたフードの男…あの看護師の男の顔を目にします。
……現実へと意識が戻った時、トマはパニック発作を起こしていました。目の前にいた看護師の男は、鎮静剤をトマに注射しながら「全て君のせいだぞ」とだけ口にしました。
翌日。「昨晩の夜勤は女性看護師しかいなかった」「記録にも女性看護師が打ったと記されている」と言うアナに、昨晩会った看護師の男は幻覚でもないし、彼がローラを襲ったのだと訴えるトマ。
アナの口ぶりから、彼女が事件の真実とローラの居場所をすでに知っていると察したトマは、事件で使用された銃の出どころと、従兄弟のディランが同居を始めた理由を思い出したと語り出します。
末期の病により入院することとなったディランの母。その結果、ディランの母と姉妹であるベティとその家族と同居することになったディランは、自身の母との別れを悲しみます。
ディランの母と共有していたアルバムを見せ、幼いディランと自身との思い出を語るベティ。甥ディランを少しでも慰めようとする母ベティの姿を見ながらも、トマはそのアルバムに自分の幼少期の写真が一枚もないことに気づき母に問い質しますが、ベティは「やめなさい」としか言いませんでした。
ローラ、トマ、ディランを車にのせて自宅へ戻るベティ。しかし彼女もまた、姉妹であるディランの母の病に動揺していました。涙が止まらない母ベティをローラは優しく抱きしめますが、ベティは「やめて」「ほっておいて」と拒みました。
アナに「何を感じる?」と問われ、涙を流しながら「何も感じない」と答えるトマ。アナは「手を握ってもいいのよ」と告げますが、トマが彼女の手を握ることはありませんでした。
記憶の中の世界。自宅での食事中も、母ベティはディランに優しく接しますが、ローラが2階の空き部屋にディランが入っていたと報告したことで、食卓はたちまち険悪な雰囲気に。
また食事を終え、食べ残しをキッチンのゴミ箱に捨てようとした時、トマは中に捨てられていた贈り物のブレスレットを見つけました。
食後もディランを優しく慰める母ベティの姿を、ただ見つめる姉弟。
その後ローラは、地下にある子どもたちの寝室で、「両親の寝室のクローゼットには父が買った銃が隠されている」「父は自分を殺したかった。あるいは妻と自分か、私たち全員を」「ただ銃弾は私が隠している」とディランに告げます。
映画『ル・パシヤント ─ある患者の記憶─』の感想と評価
夢野久作『ドグラ・マグラ』を彷彿?
病室で眠りから目覚めた青年が、医者との対話を続ける中で自身が関わっていた事件の記憶をとり戻し、現実と記憶の境界が曖昧になってゆくとともに、自らの精神病患者という顔、猟奇殺人事件の犯人という顔を見つめることになる……。
そんな映画『ル・パシヤント ─ある患者の記憶─』の物語の概要を聞いて、多くの方は作家・夢野久作による“幻魔怪奇探偵小説”こと『ドグラ・マグラ』(1935)を思い起こしたのではないでしょうか。
意味深な巻頭歌に始まる入れ子構造の連続、メタフィクション的演出、真相も決して明らかにしないという徹底された変格探偵小説ぶりから、推理小説家の大家・横溝正史すらも「読み返して気分がヘンになり、夜中に暴れた」と言い残し、「日本探偵小説・三大奇書」にまで入れられている『ドグラ・マグラ』。
映画『ル・パシヤント ─ある患者の記憶─』の物語の由来は、エンドクレジットでは「ティモテ・ル・ブーシェのグラフイックノベルに基づく」と説明されています。
しかしながら、日本語字幕に登場する「堂々めぐり」……『ドグラ・マグラ』小説内に「精神病患者が書き残した小説」として登場する小説『ドグラ・マグラ』に関して、その題は「堂々めぐりの目眩し」を鈍らせた言葉と説明されています……という言葉からも、どうしても両作品のつながりを想像させてしまう内容となっています。
精神科医アナの「許して」が語る真実
映画終盤、再び昏睡状態に陥ったトマに対し、彼との面会を続けていた精神科医アナは「許して」という言葉を漏らします。
なぜ彼女は「許して」と言ったのか。映画はその答えを明確には明かしていませんが、アナが杖をつかなくては歩けない体であること、姉ローラは幼くして交通事故によって亡くなっていること、そして「ある場面」をつなぎ合せることで推察できます。
それは映画序盤にて描かれた、結婚指輪をはめたアナの手を見たトマの脳裏に「何かに触れ続ける、結婚指輪をはめた人の手」という記憶の断片を浮かんだ場面です。
のちにその記憶の断片の正体は、幼少期のトマがかつて目にした、娘ローラの墓標に涙ながら触れ続ける母ベティの手であったことが映画後半部にて明かされます。
トマの記憶の風景の中で、ローラの死を悲しむ母ベティのイメージと関連づけられたアナの手。その演出は、「アナの手もまた、ベティの手と同じく“ローラの死に触れた者”の手である」と観る者に想像させるために描かれたのではないでしょうか。
嵐の夜に起きた惨劇の真犯人……「トマの両親と従兄弟ディランの死に触れた者」が誰なのかは明らかにされたのに、映画作中では一度もその姿を見せることのなかった、交通事故を通じて結果としてローラの死に触れた者。
しかしトマは、現実と記憶が混濁する自身の世界を通じて、「姉ローラを交通事故で死に追いやったのは、目の前にいるアナではないか」と直感的に感じとっていたのかもしれないのです。
映画作中において、結局トマは「ローラははるか昔に亡くなっている」という真実を伏せたアナによる「堂々めぐりの目眩し」に飲み込まれ、再び記憶の迷宮へと沈んでいってしまいました。
けれども、トマがどれだけ記憶の回復の中で心を揺さぶられ、自身に触れてくれる誰かの愛情を求めた時にも、アナの手は決して握らなかった理由は、決して彼の幻覚に基づく被害妄想のせいだけではないはずです。
まとめ/謎多き歌にみる「憎まれ者」の記憶
映画のラストシーンにて、MVが映るテレビから聞こえてくる歌。映画中盤、母ベティが姉弟とディランを車にのせ帰路に着いた際の車内でも聞こえていたその歌は、『ドグラ・マグラ』の巻頭歌さながらに非常に謎めいた詩で構成されています。
しかしながら、その歌の一節である「ユリシーズの歯車の中で私は罪を流し去る」からは、あるイメージが浮かび上がってきます。
「ユリシーズ」とは、ホメーロスの叙事詩『オデュッセイア』の主人公にしてギリシャ神話の英雄オデュッセウスの英語名。そして、そんなオデュッセウスの名は「憎まれ者」という意味を持つのです。
「“憎まれ者”の歯車の中」……それは、生まれながらにして「両親に愛されない子」という運命を背負わされた、トマの半生そのものといえるでしょう。
また映画終盤、両親とディランを殺したトマは、家を出て雷雨が続く夜へと消えようとしますが、闇が続く道へ進むのを拒んだ彼は再び自宅へ戻ります。
その場面も、同じく歌の一節である「黒は私の心の色」「深淵の石炭の色」となぞらえると、トマが自身の「真実」の心象風景と対峙してしまった瞬間を描いた場面と考えられるのです。
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ライター:河合のびプロフィール
1995年生まれ、静岡県出身の詩人。
2019年に日本映画大学・理論コースを卒業後、映画情報サイト「Cinemarche」編集部へ加入。主にレビュー記事を執筆する一方で、草彅剛など多数の映画人へのインタビューも手がける(@youzo_kawai)。